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オリジナルBL小説をお披露目しちゃいます

蒼い夜 S-Ver. ⑪

    Ⅺ

 二十四日当日がやってきた。

 高校時代の仲間たちと横浜に集まる、そう説明すると、早く恋人をみつけて、モテない集団から脱退しなさいと母にけしかけられた。

 また、この日はバイトに出られないと、前もって店長に言った折、彼は苦笑いをしながら「しょうがないよな、彼女が優先だ」と承知してくれた。

 彼女、いや、彼に会わす顔などないのだが、自分に会うのを心待ちにしていると思うと、行かないわけにはいかずに一眞は電車に乗り込んだ。

 街はすっかり浮き足立っていた。肌を突き刺す寒さを吹き飛ばすかのようにクリスマスソングが賑やかに流れ、店並みは赤やら緑、金色に染まっている。

 カップルはもちろんのこと、おしゃべりに花を咲かせ、時折笑い声を上げるブーツを履いた女の子たち、ねだったおもちゃを大事そうに抱えながら、母親に手を引かれる子供、ケーキの箱を下げて足早に歩くコート姿のサラリーマン、誰もかれもが幸せそうな顔をして行き交う様子を見つめ、一眞は小さなため息をついた。やはり、こんな日に約束するべきではなかった。

 あの夜以来、健児とは会っていない。一眞を思いのままにしたことによって、愁に勝ったつもりでいるのだろうか、メールすらもよこさなくなった。

 別に彼と会いたくはないし、あれはあれでケリがついたと思えばいいのだが、愁の知らないところで、別れたはずの男と一夜を過ごしてしまった。その事実がもたらす感情を持て余し、自分でもどうしていいのかわからないまま、なんとなく割り切れないでいる一眞はこの場においてもまだ、愁と再会するのをためらっていた。

「遅くなっちゃってごめんなさい」

 声をかけられてハッとした一眞の目に、モスグリーンの色合いがお洒落なハーフコートをまとった愁の姿が映った。

 その服装のせいか以前にも増して品良く美しい上に、いくらか男らしさも加わった気がするのはあの夜、彼に激しく抱かれたせいだろうか。

「随分待ったでしょう、ちょっと電車が遅れてしまって……」

「そんなことないよ。オレもさっき到着したばっかりだし」

 一眞は照れくさそうに返事をした。

 しばらく会わずにいた愁と久しぶりの対面に、胸がときめいているのがよくわかる。

 貧乏学生ゆえ、こちらは相変わらずの格好なのだが、待ち焦がれていた人を前に、愁は嬉しさを隠しきれないといった様子だった。

「せっかくだからディナーを予約しておこうと思ったけど、さすがにもう満席だって断られちゃった。ごめんね、一眞の誕生日には絶対に予約を入れておくから」

「そんな、ディナーなんていいよ」

 そこまで気を使わなくてもと、一眞は慌てて手を横に振った。愁という男、その辺の心配りが出来ているようでいて、じつはとんちんかんである。

 クリスマス・イブの夜にホテルのレストランで夜景を眺めながら恋人同士がディナーの席に着く。白いクロスのかかったテーブルの上には銀の食器と真っ赤なバラが一輪、キャンドルの炎が揺れてワイングラスの向こうに彼の微笑みが……

 今時昼メロでもめったにやらない陳腐なシチュエーション、それでも相手が女ならば喜び、十分満足するだろうし、それなりに格好もつくが、そいつを他の客やウェイターたちの好奇の目に晒されながら男同士でやるなんて、想像することすら耐えられない。

「それにオレ、フルコースよりも腹いっぱいの焼肉の方がいいな」

 つい、貧乏学生的発言をすると、横浜のお坊ちゃまはこちらが思うよりも軽いノリで言葉を返してきた。

「じゃあ、そのときは上カルビを奢るね」

「へえ、おまえも焼肉食べるんだ。ステーキとかフォアグラだっけ、そういう食べ物が専門だと思ってた。だったら奮発して生ビールもつけてくれよな」

「あーっ、自分だけお酒飲もうとするなんてずるい」

「悔しかったら早く成人しろよ」

ふくれ面をする愁をからかうようにそう言いながら、一眞はこの年下の男と、こうも楽しく会話が弾むものだったのかと軽い驚きをおぼえていた。

 頻繁にメールをやりとりして、お互いに対する理解を深めたせいもあるが、それだけではない。彼には何でも気兼ねなく言えるし、心が許せる。一緒にいて肩が凝らない、とでも説明すればいいだろうか。健児といた頃には考えられない感覚である。

 先にその存在を煩わしいと感じたり、付き合うのをやめようと考えたりしたのを申し訳なく思うのと同時に、少し前まで抱いていた再会へのためらいは消え失せていた。

 健児の身代わりではなく、愁は愁なのだ。

「さて、食事にはまだ早い時間だし、どこかへ行く?」

「そうだなあ」

 しばらく思案していた一眞はふいに言った。

「ちょっと寒いけど、氷川丸を見に行こうか」

「了解しました」

 そう答えた愁が見かけによらないバカ力で腕を引っ張ったため、勢いに引きずられるようにして一眞は歩き始めた。

 山下公園までの道のりを行く間、一眞は勉強の調子はどうかと尋ねた。

「工学部受けるって言ってたよな、オレ、数学苦手だから尊敬するよ」

「またぁ、先生になる人がそんな自信のないこと言わないでよ」

「小学校だと算数も教えなきゃだし、考えただけで頭痛くってさ」

「でも、一眞に教わる子供たちは幸せだよね。こんなにいい先生はいないと思うよ、僕だって生徒になりたいぐらい」

「お世辞言っても何も出ないぜ」

 並木道をしばらく行くと、海辺の公園が見えてきた。

 花がわずかになった花壇、あちらこちらに置かれたベンチ、向こう側には穏やかな東京湾にかかるベイブリッジ、そして真冬の公園には思った以上に大勢の人々がいて、それぞれに平穏な時間を満喫している。

 特別な一日であり、今宵の楽しいひと時、それまでの間をここでゆったりと待つつもりなのだろう。

 海との境界、柵のところまで進んだ二人はそこから海原を眺めた。いくらか傾きかけた陽を受けて、小さな波頭はうっすらとピンク色に染まっている。

 菓子を差し出すカップルを目がけたカモメが頭上をかすめて飛ぶと、その勢いに大袈裟に驚いてみせた一眞に愁が笑い転げて、子供のようにはしゃぐ彼らは今、二人で一緒にいる、ひとときの安らぎを感じていた。

「ねえ、氷川丸の中って見学できるんでしょ。ボク、一度も入ったことなくて。行ってみようよ」

「えっ、おまえ何年横浜市民やってるんだよ、氷川丸の中を知らないなんてモグリだって」

 得意気にそう言い、先に立って行こうとする一眞の前をふいに遮る人影があったかと思うと、その人物は彼に向かって侮蔑の言葉を投げかけてきた。

「……やっぱりオレの忠告を聞き入れる気はなかったようだな、バカなヤツだ」

 突然立ち止まり、凍りついたように動かなくなった一眞の後ろから不審そうに顔を覗かせた愁に、黒のコートを着た人物は挑むような視線を向けた。

「久しぶりだな、片瀬」

 相手が健児だとわかると、顔をこわばらせた愁は無言で会釈をした。

 あの日からぱったりと音沙汰がなくなったのは最初からこうするつもりだったのか。

 今日の自分と愁との約束、携帯を手に入れた時に彼はすべてを把握していたのだ。

 怒りとも恐れとも、何ともつかない感情に襲われて立ちすくんだままの一眞に代わって、愁は「忠告って何ですか?」と訊き、その気迫に負けまいと相手を睨んだ。

「これから受験だってときに、クリスマスなどと浮かれているようなヤツには実感がないだろうが、おまえもいつかオレと同じ道を辿る、現実に直面すればイヤというほどわかる。だから一眞にも言った、何度も過ちを繰り返すな、と」

 健児の言葉の持つ意味、それが彼と一眞の別れの理由であると即座に理解した愁は内側に激しさを秘めながらも、冷静に切り返した。

「そいつが忠告、なるほど」

「ああ。ついでにおまえにもきっちり伝えておけと言っておいたんだぜ。オレは親切で気配りのできる男だからな」

「それで、あなたは一眞をあきらめたわけですね」

「ま、そう言ってしまえばそれまでだが」

 健児と愁、二人の男が対峙するその場面を見守る一眞、太陽はすっかり傾き、三つの影がするすると伸びていく。

 いつの間にか辺りに人々の気配は消えて、その場所にいるのは彼らだけ、水面を渡る風が吹き抜け、頬を冷たく刺した。

 一呼吸おいた愁は静かに語り始めた。

「たしかに現実はそうかもしれない。けれど、ボクはそんなものに負けはしない」

「エラそうに大見得を切って、どうする気だ。現実に勝つ手段があるとでも言うのか」

「ボクは工学部に進学を希望している。大学でしっかり学んで、それから、世界に通用する一流の技術者になってみせる。日本にとどまるつもりはない、ボクの舞台は世界だ」

 親がかりで留学したくせに何を世迷言をと、嘲笑う健児を見据えて、愁は言葉を続けた。

「世界が舞台なら、どこの国にでも行ける。そう、この国が無理なら他の国に行く。ボクたちを認めてくれる国へ、ね。そのときは一眞も一緒に、そこで日本語を教える先生になればいいんだ。ボクは一眞を愛している、絶対に離れるもんか」

「ふうん。もう少し利口かと思っていたが、こんな甘ったれの大バカとはね。それとも留学してアメリカかぶれになると、大風呂敷を広げるようになるのかな。どちらにしろ、そこまで考えなしの愚か者になれるなんて、羨ましいぐらいだ」

「何とでも言えばいいよ。でも、ボクはあきらめない、壁にぶつかる前から逃げることばかり考えたりしない。ぶつかっても乗り越えようとしなきゃ、前には進めないから」

 とたんに健児は乾いた笑い声を上げた。

「とんだお笑い種だ。一眞、おまえ、本気でこんなヤツとつき合う気でいるのか? やめておいた方が身のためだぞ」

 健児の問いかけには答えず、一眞はじっと黙って愁を見つめていた。

(ぶつかっても乗り越える……か)

 常識に縛られるあまり、忘れていた何かを愁は思い出させてくれた。好きだと思う気持ちがあるのなら、やれる限りのことをやってみればいい。

 一眞は健児に向かって頭を下げると、力強さの溢れた瞳でまっすぐに相手を見た。

「健児、今までいろいろとありがとう」

 穏やかにゆっくりと語る一眞とは対照的に、健児の顔に狼狽の色が浮かんだ。

「な、何を……?」

「オレ、ずっとおまえの背中を見て、おまえのあとを夢中で走ってついてきた。どんな事も受け入れた、それがオレにとっての幸せだと思っていた。けれど……」

 いつもと変わらず平静を保っている、そう見える健児の両手が震えているのがわかったが、一言ずつを噛みしめる一眞には迷いもためらいもなかった。

「もう、走って追いつこうとするのはやめた。これからは愁と並んで歩いていく、こいつとならそれができる。そう決めたんだ。勝手な言い分だと思うけど、わかって欲しい」

 何かを言いかけた健児の表情が悲痛に歪んだが、すぐに冷静な顔つきに戻った彼は「好きにしろ」とだけ言い、踵を返した。

 そしてしばらく行ったあと、こちらを振り返ろうともせずに「今度こそアドレスは消しておけよ」と言い残し、再び歩き出した。

 立ち去る健児と、その後ろ姿を黙って見送る一眞、二人を見比べていた愁はふいに一眞の肩をつかんで揺さぶり、強い調子で問いかけた。

「追いかけなくてもいいの? 本当は好きなんでしょう、あの人だってきっと……」

 どんなに強がってみせても、同じ人を好きになった者同士、健児の想いは手に取るようにわかった。彼はまだ一眞を愛していて、そして、あきらめきれずにこんな行動をとっているのだ、と。

 困惑する一眞にはかまわず、愁は溢れる感情をこらえながらたたみかけた。

「さっきはボク、世界がどうとかなんてつい、考えもなしに変なことを口走ってしまったけど気にしないで。今なら間に合うよ、ねえ、早く行って」

「愁、おまえ……」

「ボクはあなたの心の隙に付け入ってしまったけれど、苦しめるような真似はしたくないから、だから……」

 すると一眞は肩に置かれた愁の手を握り、彼の顔を覗き込むようにした。

「言っただろ、おまえと並んで歩いていくって、そう決めたって」

「かっ、一眞?」

「さて、こうなったらアメリカでもアフリカでも、どこへでもついて行くよ。南極だってどんとこいだ。ペンギンに日本語を教えるのも悪くない。住めば都、おまえと一緒なら何とでもなるさ」

 にっこり笑った一眞を食い入るように見つめた愁は次の瞬間、彼を激しく抱きしめた。

 愁の唇を受け止めながら、一眞はこれでいいのだと自分に言い聞かせた。

(さようなら、健児……おまえと過ごした時間は楽しかったよ、本当、嘘じゃないさ。オレは出会えたことを後悔していないけど、ただ、お互いの歯車が少しばかりかみ合わなくなっただけ、それだけ……)

 寂しげな黒い背中が脳裏に焼きついている。ギュッと瞼を閉じると、一筋の滴が頬を伝ったが、それを振り払った一眞は愁の背中にまわした両手に力を込めた。

「……このままずっと、あなたを感じていたい」

 愁のささやきが吐息混じりに耳に触れる、しばし彼に身を預けていた一眞はふいに目を見開いた。

「愁……」

「どうしたの?」

「腹減った」

 緊張感から解放されたせいだろうか、さっきのドラマチックな別れの当事者とは思えない発言に、一眞の身体を離した愁は呆れたように苦笑いした。

「それじゃあ、中華街へでも行こうか」

                                 ……⑫に続く