Ⅳ
雨脚はさっきよりも激しく窓を打ちつけ、水滴に歪められた光は水面のようにきらめいて、絡み合うふたつの姿を映した。
「ごめん……」
「気にするなって。オレもその……だし」
ようやく願いが叶った愁と、久しぶりの快楽を与えられた一眞はわずかに触れ合っただけで、あっという間に果ててしまったのだが、お蔭でいくらか冷静さを取り戻したらしい。
「もう一度やり直しだね」
愁は愛おしそうに一眞の髪を撫で、その指を髪から頬へと這わせたあと、次に唇をなぞるようにした。
何度目かのキスが降り注ぐ、一眞はその心地好さに身を委ねながら、とりとめのないことを考えていた。
キスの経験すらなかった純情男がいきなり同性愛の洗礼を浴びた。
初めて健児と深い関係になった時に、男同士とはこんな真似をするのかと慄いた一眞はただ相手にしがみつくばかりで、それが快感なのか何なのかもわからずにひたすら痛みをこらえるだけだった。
当の健児もあまり器用ではなく、慣れない一眞が武骨ともいえる指先に応えるのは無理があったとして当然である。
だが、それを何度も体験するうちに、この行為にすっかり慣れてしまった一眞は以来、快楽を得ることに貪欲になった自分に改めて呆れる始末であった。
愁の緊張はほぐれて軽口をたたくようになり、「また元気になっちゃったけど」と茶目っ気たっぷりにささやいた。
「さすが、若いよな」
「二歳しか違わないでしょ、年寄りくさいこと言わないでよ」
じゃれつく愁の吐息が次第に荒くなり、舌が唇を割って入り込んでくると、一眞は否応にもそれに反応せずにはいられなくなって、言葉を発せないままもがいた。
長く激しいディープ・キス、ようやく舌を解放した愁は息をつく一眞の表情を見つめた。
「とってもキレイだよ、一眞……今はボクが独り占めだね」
「あ、愁……そこは……」
「もちろん、ここ、感じるんでしょ」
休む間も与えずに愁の前戯が続く。陶然としながらも、一眞はわずかに残った理性で考えた。
箱入り娘ならぬ箱入り息子であろうはずの彼がどうしてこのような行為に手馴れているのか。そんなこと、わざわざ質問しなくてもいいのに、訊かずにはおれない。
「お、おまえ、どこでこんなこと、おぼえ……て」
「ボクが今までどこにいたと思ってるの?」
愁はシニカルな笑いを浮かべたが、その表情は『深窓の令息』らしからぬふてぶてしいもので、一眞の心にひやりとグラス一杯分の冷水を浴びせた。
「アメリカだよ、あっちは本場だからね。それに、ボクのような黒い髪の男と関係を持ちたいと思う人はいくらでもいたから、する方もされる方も、経験を積むチャンスには事欠かなかったよ」
「経験? なんでそんな……」
「わからないかなあ。まあ、あなたのそんなところが好きなんだけど」
一眞の鈍さを愛しむように、愁は優しいまなざしを向けた。
「相手は手当たり次第、自暴自棄になっていたのはたしかだった。誰かを好きになって、あなたを忘れられるものならと思った。でも、それは無駄な抵抗でしかない、時間が経てば経つほど、虚しくなるばかりで……」
長い睫毛を伏せた愁の、その憂いを帯びた姿に、一眞の胸は再び痛みを覚えた。
アメリカに渡った愁がどんな思いで日々を過ごしていたのか、異国の男たちとどんな気持ちで関わっていたのか、推し量ると切なくてたまらずに肩を震わせると、愁は「そんな顔しないで」と言いながら一眞を抱き寄せて唇に触れた。
「もうその話はやめよう。今はこうしていられるんだ、最高に幸せだよ」
再び一眞を快楽の淵へと導く愁の指、そして彼は舌先で相手の胸の突起を刺激したあと、もっとも敏感な部分を柔らかく包み込み、我を忘れた一眞は喘ぎ声を上げながら、両手でシーツを強く掴んだ。
「ボクにはもう、あなただけなんだ、あなたしかいない……」
想う人への愛情を口にし、強く訴えかけてくる愁の、その言葉は麻薬にも似て、一眞の神経を心地よく痺れさせた。
このままずっと、どこまでも堕ちていけばいい……
愁とひとつになった時、一眞は自分でも驚くほど激しく乱れ、それがさらに愁を駆り立てて、一眞の中を、心を掻き乱した。
お互いの名前を呼び、一気に昇りつめたあと、愁は一眞の身体を胸元に引き寄せてささやいた。
「ありがとう……疲れたみたいだね、少し眠るといいよ」
うなずいた一眞は愁の手を握りながら、やがて静かに寝息をたてた。
雨はもう降り止んでいた。
……⑤に続く