第二章 セッション
翌日、火高には断られたと説明すると、叶たちは残念というより、ホッとしたような表情を浮かべた。
「ま、想定内やな」
「期待はしていませんでしたけどね」
「それより颯、大丈夫だったか?」
奨が心配そうに訊くので、オレは「な、何が?」と焦りながら訊き返した。まさかキスされたなんて、口が裂けても言えない。
「いや、ほら、ああいうヤツだろ。いちゃもんつけたり、いきなり暴力振るったりしたんじゃないかって、心配でさ」
「そうそう、みかじめ料よこせとかやな」
「何でそうなるんだよ」
脅されるようなことはなかったと言って、ひとまず皆を安心させたあと、今後について話し合うことで決着し、あとでウチの店に集まろうという運びになった。
立木楽器は学校に一番近い商店街の中にある。放課後、直行で集まったオレたちは狭いながらも三つあるスタジオのうち、奥のCスタジオに入った。
「さっそくですが……」
口火を切ったのは叶で、ギターのパートをベースとキーボードで分担するという案を持ちかけてきた。
「たしかに、現状ではそれぐらいしか打つ手はないけど、それって奨と叶の負担が増えるってことだろ」
「スコアの書き換えもやらなあかんやん。今年もまたオリジナル曲を出せって言うてくるやろし、叶がパンクするで」
「それは覚悟の上です。ですから、オリジナル曲の作詞は颯くんにやってもらうということで」
「えっ! オレが書くの?」
「もちろん。この、ハイパービジュアル系バンド、ラヴ・アスリートのリーダーは颯くんなんですから。今年もまた、私が足を引っ張っていると揶揄されるのは辛いところですが」
「そんなことないって。叶がいなけりゃ、オレたちのバンドは成り立たないからさ」
「リーダーにそう言っていただいて大変嬉しいのですがねぇ~」
「卑屈になるなよ、陰のリーダーのくせに」
ラヴ・アスリートはメンバー五人のうち、陸も含めて四人が学年の中でもイケメンと呼ばれる部類だった。ミスコン入賞者も美男子のカテゴリに入れてもらえるらしい。
もっとも、そういう人材のみを意識して集めたわけではないんだけれど、皆が皮肉を込めてビジュアル系と呼ぶのも無理はなく、その中でおっとりした童顔にメガネをかけた叶は残念ながら、ビジュアル系の基準からはみ出してしまっているが、学年一の成績を誇る秀才だ。
いかにも真面目で勉強一筋、ロックバンドの活動とは無縁なタイブで、それでも親友のよしみで話を持ちかけてみると、あっさり承諾して、今ではオリジナル曲も手がけるようになったほど。
バンド活動をしながらも学年一をキープしているところはさすがで、そんな叶が作る歌詞と同レベルの作詞がこのオレにできるのか、自信はまったくない。
「まあ、何とかやってみるわ。ベースも大変になるけど、奨はそれでいい?」
「ああ。オレはかまわないよ」
その時、スタジオの扉をノックする音が聞こえて、母さんの呼びかける声がした。
「颯、ちょっといいかしら?」
「何?」
扉を開けると、仲間たちに軽く会釈をした母さんは「学校のお友達がみえたんだけど、通していい?」と訊いた。
「友達って、オレの?」
「制服着ていたから……すごくカッコいい子よ」
そう言って、四十代・典型的中年女性の母さんは乙女のように目をハート型にした。
「カッコいいって……」
すると、オレが返事をする前に、母さんの後ろから顔を覗かせたのは火高湊だった。
「よう」
予期していなかった人物の登場に、一斉に固まるオレたち、どうやら案内されるのを待たずして、母さんのあとを勝手についてきたらしい。
「お手数をおかけしました、ありがとうございます」
ヤツがバカ丁寧に御礼を述べると、母さんはニコニコ顔で「それじゃあ、ごゆっくり」と応えた。どの年代であっても、女性の扱いには手馴れているところがまたムカつく。
なおも硬直状態のメンバーを面白そうに見やった火高は「ここに集まるって話したのはおまえだからな」と、オレに向かって念を押した。
たしかに、ウチの店でセッションしているって説明はしたけれど……
いち早く気を取り戻した聖が進み出ると、物凄い形相で火高を睨みつけた。
「なんやおまえ、バント入りはお断りしたんちゃうんか?」
オレたちの中でも一番血気盛んで、喧嘩っ早い聖はいきなり現れた火高に敵愾心剥き出しだった。
聖だけではない、奨も、叶までもが警戒した様子で火高を見守っている。とんだ疫病神を呼び寄せてしまったと、オレは頭を抱えたが、火高はしれっとした様子で、
「おかしいな。俺は承知したはずなんだが、言葉の行き違いってやつかな」
そう言ったあと、オレにウインクを投げかけてきた。
「えっと……それは、その」
交換条件は成立しなかったが、それならヤメだとは言われなかった。けれど、あの様子からじゃあ、断られたと思うのが当然だろう。
どう答えていいのかわからずオロオロするオレを慮ったらしく、叶が「そうでしたか、わかりました」と応じた。
「火高くんに参加してもらえるなら、我々としては大変ありがたいことです。どうかよろしくお願いします」
そう言って頭を下げた叶は納得がいかない様子の聖と奨に、それぞれ目線で合図を送った。
「さすが、頭のいいヤツは対応も大人だな」
学年トップの成績保有者のことは認知しているらしい。
満足げな表情をした火高は「ま、こちらこそよろしく頼むぜ」と言いながら室内に入ってくると、担いでいたソフトケースを下ろした。その中からは赤と黒の二色を使った旧モデルのエレキギターが出てきた。
「あ、それって」
思わず声に出たらしく、奨が慌てて口を押さえる。
「親父のをかっぱらってきたんだが、どうせ使ってないやつだからいいだろう」
火高の父であるジョージ火高(もちろん芸名)がコンサートなどで使用していた、ファンの間では有名なモデルらしい。
アンプにつないでペグを調節、瞬く間にチューニングを終えた火高はオレの方に向き直った。
「それで、何の曲を弾きゃいいんだ?」
「あっ」
オレは急いでスコアブックを取り出した。いつもコピーしているロックバンド、サイコ・キ・ネシスの最新版だ。
「ギターパートの分、まだ用意していないんだけど」
「ンなもん、いらねえよ。見りゃわかる」
初見でスラスラと弾く火高の姿に、オレたち全員が度肝を抜かれた。
「ま、ざっとこんなもんか。難しいコードは使っちゃいねえし、楽勝だな。さて、セッションやるんだろ? どうするんだよ」
話し合いが終わってからのつもりだったので、誰も準備はしていない。
オレたちは急いで各自の楽器やマイクを用意した。不満そうだった聖や奨もすっかり火高のペースに巻き込まれている。
一曲合わせたあと、火高は奨にスライドのアーティキュレーションがどうの、聖にスネアのタイミング、もう少し重くしろ等の注文をつけた。
キーボードのタイミングは完璧だと、叶のことはベタ褒めで、そんな言動に聖たちはまたしても不服そうな顔をしていたが、指摘された点に注意して演奏すると、それまでよりもずっと良くなっていることがわかった。つまりは火高の指導は的確だったという結果で、誰も文句がつけられなかったのだ。
二時間あまり合奏したあと、火高はおもむろにアンプからコードを抜き、ギター本体をソフトケースに収めた。
「女が待ってるからそろそろ行くわ。これ、ここに置いてもいいだろ?」
家に持ち帰って練習するまでもない、ということらしい。不遜な態度にイラッとしたが、初見で完璧な演奏をする男に文句はつけられない。
「……それはかまわないけど、お父さんの許可なく他所へ預けてもいいの?」
「一本くらいなくなったって構やしねえよ」
さっさとスタジオをあとにする火高に引きずられるように、というか、やる気をそがれたオレたちも、これで解散しようということになった。
「そんじゃ、また明日な」
叶たちが帰って行くのを見送ると、オレはCスタジオ内の片づけを始めた。このあと、スタジオを使う客の予約は入っていないのでこれで閉店というわけだ。
あとの二部屋も戸締りを確認しようと、ドアノブに手をかけた時、そこに帰ったはずの男が立っていた。
「あれ?」
「わりい。忘れ物だ」
火高はそう言って、再びCスタジオ内に足を踏み入れ、立てかけていたギターのソフトケースのポケットを探り始めた。
「やっぱり、置きっぱなしはマズイんじゃねえの?」
ファン垂涎のギターをここに放置されて、万が一盗難などの、何事かが起きた場合「弁償しろ」と言われても困る。
「持って帰った方が……」
すると、火高がこちらをジッと見てきたため、余計な口出しをしたせいかと慌てたオレはそれを誤魔化そうと、さらに余計なことを言ってしまった。
「そもそも、オレは交換条件飲まなかったのに、どうしてバンドに参加してくれる気になったんだよ?」
一瞬、真顔になった火高だが、すぐにおちゃらけた口調で「それはだな、おまえに興味があるからさ」と言ってのけた。
「はあ? 何だそれ」
「鈍いヤツだな。だから、おまえに一目惚れしたってこと」
「……ええっ?」
とんでもない言葉を聞かされてパニックに陥るオレ、すると火高はそんなオレをスタジオ内の壁際に追い詰めた。いわゆる壁ドンという体勢だ。
「な、な、何する」
「だから惚れたって言ってるだろ」
「う、嘘だ、テキトーなこと」
「嘘かどうか、確かめてみるか?」
言うが早いか、唇が塞がれた。音楽室の時よりも濃厚なキスに、オレは腰が砕け、その場にずるずると座り込んでしまった。
「ちょっ、ちょっと、そんな」
「からかってるわけじゃないぜ」
耳元でそう囁いたあと、彼はフッと息を吹きかけて耳朶を軽く噛んだ。とたんに、背筋に何とも言えない感覚が走った。
「やっ、やめ」
「感じてるな」
嬉しそうにそう言い、しばらく耳朶を弄んでから、火高はオレのシャツを捲り上げて乳首に触れてきた。右をいじり、左側に吸い付く。女は感じるんだろうけれど、まさか男が……と思っていたが、想像以上の快感に、オレは思わず善がり声を上げてしまった。
「あっ……ヤバ」
下の部分までもが反応している。マズい、こんなふうになっていると、こいつに知られたくない。
「……女が待ってるんじゃなかったのかよ? こんな真似、オレにじゃなくて、その女とやればいいだろ」
すると火高は「あれは方便だ」と言った。
「ほ?」
「待たせてる女なんていねえよ。いたとしても、おまえが優先だ」
帰ったふりをするための方便。それによって今日の練習を終わらせ、叶たちを帰らせる作戦だったとわかった。
つまり、ここでオレと二人きりになるための……
「なあ、よかったんだろ? もっとよくしてやるよ」
「そ、そんな、勘弁して」
これ以上続けたらおかしくなってしまう。男同士の快楽に目覚めそうな自分が怖い。
オレの心情などお構いなしに、火高がベルトに手をかけた、その時、
「颯、戸締り終わったの?」
母さんの問いかける声が聞こえて、火高はギョッとした様子でオレから離れた。今の様子を見られたらマズいことぐらいはわかるようだ。
「も、もうすぐ終わるよ。あとの二つもやっておくから」
部屋の外にも聞こえるように大声で応えると、
「そう。頼んだわよ」
母さんは立ち去ったようだが、興奮し、盛り上がっていた気分が萎えたらしい火高は白けた表情になると、無言で立ち去ろうとしたので、慌てて背中に問いかける。
「あ……の」
「何だ?」
「さっきの」
「方便って言ったろ」
それは帰ったふりのことなのか、それともオレに興味があるという理由自体がそうなのか。
「……それでもバンドは続けてくれるんだよな?」
「さあな」
絶句するオレなど歯牙にもかけず、火高は扉の向こうに消えた。
……③に続く