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オリジナルBL小説をお披露目しちゃいます

テンシの誘惑 ②

    第二章  まさかマジかのオカマ課長

 江崎工業株式会社は自動車部品の開発と製造、それも主にメーターなどの計器類を扱い、各自動車メーカーにそれらを納める会社である。

 自動車メーカー側からすれば下請けのような存在だが、下請けといっても、さらに下請けとなる中小企業を傘下に持つ同社の規模はかなりのもので、一級河川のほとりに広い敷地を所有しており、そこには組立工場と、大半の部署のオフィスが入る、四階建てのビル――本社ビルと呼ばれている――が建設されている。

 この本社ビル一階の総務部の片隅に、肩身が狭そうに机を並べているのが業務課だった。業務課というと聞こえはいいが、社内の雑用を一手に引き受けている、単なる便利屋集団なのである。

 同じ総務部の中でも、総務課や経理課、人事課といった連中はデスクに座ったきりで、よほどのことがない限り、冷暖房完備の快適な室内から一歩も出ようとはしない。

 こちらのビルから工場の端まで行かなくてはならない社内メール便の受け渡しから、各部署の事務用品の配達に不用品の処理まで、面倒なこと、厄介事はすべて業務課へまわってくる。

 それもこれも、先代社長のワンマン経営方針に端を発しており、他に比べてランクが下の部署を作ることで人々の不満を逸らす、いわば江戸時代の士農工商の身分制度を応用。士、すなわち武士にあたるのが開発部で、農工商のさらに下の身分のポジションにあたるのが業務課というわけである。企業のコンプライアンスが問われ、パワハラやセクハラに関する新しい法律が制定された今の時代に逆行する、時代錯誤も甚だしい会社なのだ。

 この部署毎のランクづけには早期退職勧告、いわゆる肩たたきの意味も含まれていて、業務課に配置転換された社員はほぼ例外なく会社を辞めていく。業務課への異動、そこに行けと言われることは会社を辞めろと言われるのも同然なのだ。

 創たち大卒組とは別に、高卒の新人も──こちらには女子社員もいる──別枠で採用しているが、彼らとは入社式以降の関わりはなく、その大半が工場での組立を担う製造部に配属され、研修は工場内で行われている。

 大卒で採用された者は上級職、あるいは将来の幹部候補扱いというわけで、同期の九人は皆、それぞれの部署で上級職に繋がる仕事に就いた。

 それなのに、入社早々、肩たたきのための部署に一人だけ配属とはいったいどういうことなのか。

 開発部は無理でも、せめてシステム部を希望していた創にしてみれば納得がいかず、打ち上げの席で荒れるのも、開発部に配属の豊田やシステム部に配属された本多をやっかんで絡んだのも無理はなかった。

 何のために、それも、私学の工学部の高い学費を払ってもらって大学を卒業したのか。学生時代にさほど勉強したというわけではないが、就活の結果がこれでは故郷にいる両親にも申し訳が立たない。

「オレの素行に問題ありとか何とか、理由は何とでもつけられるからな。クソッ、だったら今すぐ辞めてやる!」

 月曜の朝、昨夜書いた辞表を内ポケットにしまい、凄まじい形相で乗り込むと、業務課のデスクで彼を待っていたのは、見た目が中年というより老人に近い貧相な男と、若い女の二人だけだった。

「……おはようございます」

 なんだこいつら。

 拍子抜けした創が挨拶すると、ほとんど老人の業務課課長の鈴木が嬉しそうにうなずいた。

「やあ、キミが新人の加瀬ヒロシくんですか、よろしく」

「いえ、ヒロシではなく、ハジメです」

「これは失礼」

 次に鈴木課長は傍らに立っている、製造部で使われている作業着姿の女子社員を紹介した。

 高卒で採用されて三年目という彼女は顔の半分が目になっていた。要はつけまつ毛の上からさらに、マスカラを塗りたくっているのだが、そんな両目をパチパチさせながら創を見つめた彼女は嬉しそうにニンマリと笑った。

「山葉ミチルでぇす、ヨロシクお願いしまぁすぅ」

 脳に八丁味噌が詰まっている、一目でバカとわかるタイプである。

 身体つきはなかなかだけど、と、好色な創はミチルの大きな胸の辺りに目をやった。

「まあ、まずはお茶でも飲みましょうかね」

「えっ、お、お茶って?」

 急須にポットの湯を注ぎ始めた課長を創は唖然として見た。

(朝からのん気に、お茶なんか飲んでいていいのかよ?)

 それだけ暇な部署なら、なおさら新人を配属する必要なんてないだろうと思うと、ますます不満が募る。

「さあ、一服どうぞ」

 白地に青い模様の入った湯呑が差し出され、創は仕方なくそれを受け取った。

「は、はい。いただきます」

 椅子に腰かけ、なすすべもなく緑茶をすすっていると、しばらくしてから一階フロアの呼び鈴が鳴った。

 と、「業務課宛ですよ」と促す声が聞こえて、ミチルが席を立ってそちらに向かう。外部からの訪問者は皆、このビルの一階を訪れる。総務部がそんな人々の受付の役割をしているのだ。

「はぁい、ごくろうさまぁ」

 宅配業者に媚を売ったあと、引き返してきた彼女は「加瀬さぁん、さっそくですけど、お仕事でぇす」と創に向かって言った。

「仕事?」

「開発部へのお届け物なんですぅ」

 業者から受け取った荷物を四階の開発部まで届けろということらしい。

 これが業務課での初仕事か。仕方なく立ち上がると、鈴木課長が紺色の作業着を目の前に差し出した。

「スーツじゃ汚れるからね、この服を着ていってください」

 大卒の、ホワイトカラーのはずだったのに、これじゃあまるで作業員、ブルーカラーじゃないか。大学で学んだことは何ひとつ役立ちそうにない。

 内心不満たらたらだが、黙って作業着の袖に腕を通した創は台車を持ってくると、廊下に置かれたダンボール箱を十箱ほど乗せて、エレベーターへと向かった。

 四階のフロアすべてが開発部のスペースとなっている。ごちゃごちゃとした機械が置かれた片方で、整然と並んだデスクにはパソコンがずらり。

 工学部時代の、研究室の雰囲気に似ていて懐かしいと、辺りをきょろきょろ見回していると、同期の豊田が創を見つけて声をかけてきた。

「加瀬じゃないか」

「よう」

 ホワイトカラーの象徴──黒いジャケットにパリッとノリのきいた白いワイシャツ、水色のネクタイ姿の豊田を見て、創はふて腐れたような返事をした。

「金曜日、あれからどうしたんだ?」

「別に。どうもしねえよ」

 あの夜の悪夢を甦らすような発言はして欲しくない。

「それよりさ、この荷物、ここに届けろって言われてきたんだけど、どこに置いときゃいいんだ?」

「ああ、ちょっと待ってて。オレもまだよくわからないんだ」

 向こうにいる先輩社員に何やら尋ねたあと、豊田はすぐに戻ってきた。

「それってウチの課長宛らしいんだけど、さっきシステム部に行くって言って出たんだ。もうすぐ戻るだろうから、それまでオレが預かるよ」

 箱の表には『江崎工業㈱ 開発部第二開発課内 天総一朗様』という宛名シールが貼りつけられている。

(この天総一朗(てん そういちろう)ってのが、豊田のいる課の課長の名前か)

 二人で箱を降ろしながら「業務課って、今大変なんだってな」と豊田が訊くので、創は「何が」と問い返した。

「人がいないんだろ」

「まあな」

「業務課に配置された人はみんな辞めちゃって、代わりに移動させる人員の余裕もなくなったって聞いたよ」

 それで最後に残ったのは定年間際の課長と、マスカラ巨乳女の二人だけ。聞けば聞くほどシケた部署だ。

「だったら体制変えりゃあいいのに」

「そう簡単にはいかないみたいだよ。時代の変化についていけないんだ、こういう古い体質の会社はね」

「けっ、融通効かねえの」

「いやあ、すごく融通効くっていうか、変なところで寛大だと思うけど……」

 豊田は微妙な言い回しをして、語尾を濁らせた。彼にとっては寛大だと思える部分があったらしい。

 と、その時、

「あ、課長」

 豊田の呼びかけに、創もつられてそちらを見た。

(なんじゃありゃ?)

 物凄い美男子が、これまた物凄い格好をして、しゃなりしゃなりと歩いてくる。背景にバラを背負ったように見えるのは幻覚か。

 白いスーツにピンクのワイシャツ、真っ赤なネクタイ。長めに伸ばした髪は褐色、靴は白のエナメル素材で、ド派手という形容詞しか思い浮かばない。

 ホスト顔負けのファッションでキメた男の姿に度肝を抜かれた創だが、その人物の顔に見覚えがあるとわかると、彼は台車を抱えたまま、四階から一気に転落したような、絶望的な気分に陥った。

(ウ、ウソだろ? マジかよ、ウソだと言ってくれーっ!)

 それはまぎれもなく、金曜日にラブホテルで一夜を共にした年増のオカマだった。

 まさか相手が開発部の課長とも知らず、これまたS駅付近で、一人で飲んでいたところを口説いて関係を持ってしまった、と推察される。

 まさに衝撃の事実、目の前が真っ暗になっていくのを感じた創の膝がガクガクと震え出した。

(なんで課長がオカマなんだよーっ)

「課長、中村電子からのサンプルが届いていますけど」

「あら、そう。ありがと」

 そんなこととはつゆ知らず、平然と声をかける新入社員に、オカマ課長こと、天総一朗お得意の、妖艶な微笑みがお返しされる。

「ついさっき、こちらの業務課の加瀬くんが届けてくれました。同期なんですよ」

(あーっ! もう、紹介なんかしなくてもいい、余計なことを言わんでくれよ!)

 豊田の後ろに隠れるように立っていたものの、小柄な彼に対して、長身の創の頭はにょっきりと飛び出てしまっている。

 そんな創に一瞥をくれた総一朗は「それはどうも御苦労さま」と言ったあと、意味深長な笑みを浮かべた。

(オレをおぼえている……っていうか、ここの社員だって、わかっていたんだ)

 スーツの襟には社章がついていた。齢も若く、見慣れない顔の創が自分の会社の新入社員だとわかるのは造作もないことだった。

(なんかすっごくヤバい状況、絶体絶命ってカンジだよな、どうしよう)

 ところが総一朗は「それじゃあ、ついでに頼んで悪いけど、二人で向こうの棚の前まで運んでくれるかしら?」と言ったあと、奥のデスクの方に向かったため、創はホッと胸を撫で下ろした。

 いくら何でも会社の中で、みんなの前で、あの出来事には言及しないだろう。そもそも、そんなことをしたら、お互いに身の破滅だ。

 そうと納得したあと、課長命令に従って、台車では通れない隙間をまたしても、えっちらおっちら。

 豊田と二人で箱を運びながら、創は小声で訊いてみた。

「あれがホントに課長かよ?」

 開発部の部下たちは彼の存在をどう思っているのか、ぜひとも確かめてみたい。

「そうだよ。オレも今朝紹介されてびっくりしたけどね。服装とか見かけはスゴイけど、とってもいい人なんだ。仕事もできるから、会社側も文句言えないみたい」

「見た目もそうだけどさ、しゃべり方とか仕草なんか、あっち系じゃねえの?」

 あっち系、すなわちゲイを意味すると、説明しなくとも伝わったようだ。

「うっ……うん、まあ」

 いったん言葉を詰まらせた豊田は「マイッたな」と言いながら、困り顔のような笑顔を向けた。

「あー、でもさ、そのせいで仕事に支障はないし」

「マジかよ。開発部って男の社員だけだろ。セクハラ受けたヤツとか、いそうじゃん」

「そんな噂はまったくないよ。公私混同するような人じゃないって」

「信じられねえな」

 だったら、相手が会社の新人と承知の上で寝たというのはどうなるのだ。公私混同を超越しているじゃないか。

 天総一朗、その能力の高さを買われてヘッドハンティングされ、中途入社したと聞く彼は齢四十一歳にして独身。マンションで一人暮らしを謳歌している。天という珍しい苗字だが、先祖が中国国籍というわけでもなさそうだ。

 それにしてもだ、ここは時代錯誤も甚だしい、古い体質と揶揄される会社である。

 そんな会社側が彼の、ゲイという性癖を把握しているか否かはともかく、ビジネスマンらしくない奇抜な服装や、オネエっぽい言動に関して何のお咎めもないとは。

 不思議に思えて当然だが、それもこれも彼が優秀な人材であり、請われて入社したことと、部下の人望も厚いからで、営業などと違って接客するわけでもないしと、黙認されたようだ。

『いやあ、すごく融通効くっていうか、変なところで寛大だと思うけど……』

 先程の豊田の言い回しはこのこと──総一朗の存在を意味していたのだ。

「仕事中もあの調子?」

「まあね」

 部下たちに何事かを指示する総一朗の声はここまでは届かない。おネエ言葉カットの無声映画状態だ。

 あれで齢相応の髪型だったら、普通のスーツを着ていたとしたら、いくらか線は細いが充分立派なビジネスマンに見えるのだろうが……

「やれやれ、やっと終わったぁ」

「あ、そうだ。ウチから他所に運ぶものがなかったかどうか、訊いてくるよ」

 豊田にしてみれば気を利かせたつもりだろうが、冗談じゃない。長居は無用だ、とっととずらかろう。

「い、いいよ。あとでまた来るからさ」

 そう言い残した創は逃げるようにして、エレベーターの方向に引き返した。

                                 ……③に続く