Welcome to MOUSOU World!

オリジナルBL小説をお披露目しちゃいます

テンシの誘惑 ①

    第一章  口説いた相手は年増のオカマ?

 五月も半ばを過ぎた、金曜日の夜。

『花金』などという、いにしえの死語で表現したくはないが、一週間の仕事を終えた週末の夜は開放感に満ち溢れている。

 S駅前の飲み屋街には大勢の勤め人たちが繰り出し、あちらこちらでワイのワイのと、野太い歓声が聞こえており、そんな居酒屋のうちの一軒、そこでの座敷席では、こちらも開放された若いサラリーマンの一団が仲間同士で酒を酌み交わして盛り上がっていた。

 真新しいスーツがいまひとつしっくりこない、学生臭さの抜け切らない彼らはS駅を最寄りとする、江崎工業株式会社の大卒新入社員・総勢十名。ちなみに女性は含まれておらず、全員が男性社員である。

 四月の入社式後から続いていた新人研修が今日で終了、各自の配属先も先ほど発表になった。次の月曜からはそこでの勤務が始まる、その前の同期仲間の打ち上げというわけだ。

 皆それぞれに、これからの業務に対しての希望と不安を酒の肴に語り合っていたのだが、そんな仲間たちとは一線を画するかのように、一人の男がテーブルの隅に陣取っている。

 男はビールが中途半端に残った瓶をかき集め、自分のグラスにすべて注いでは一気にあおるという、無茶な飲み方をしていた。

「……で、『僕たちはこの研修で学んだことを存分に生かして』そっから何だったっけ? なぁ、システム部配属の本多クン」

 無茶飲み男の、ギラギラとねめつけるような眼差しに、本多と呼ばれた一人が弱りきった表情をしてみせた。

「今日の新人代表誓いの言葉、さすがだったよなぁ。よっ! 優等生」

「えっ、ボクは優等生だなんて、そんなつもりじゃ……」

「だよな。何でおまえがシステム部なのか、オレにちゃあんと説明して欲しいよ」

 無茶飲み男が気の弱そうな本多にしつこく絡む様子を見兼ねたのか、別の男が二人の間に入った。

「おい、加瀬。ちょっと飲み過ぎじゃないのか? いい加減にしておいたらどうだ」

「おっと、これは豊田様ではありませぬか。いやはや開発部のエリート様とあっては、お手打ちになっても仕方ありますまいが、何とぞどうか、命だけはお助けを」

 無茶飲み男・加瀬創(かせ はじめ)が時代劇ふうの口調で、大名行列に平伏すかのようなポーズをとると、今度は豊田がイヤな顔をした。

「だから、そういう卑屈な態度はやめてくれよ」

「へっ、卑屈になって当然だろ」

 全面禁煙という店が大半になってきたこの御時世に、いいのか悪いのか喫煙可という店内で、タバコをくわえて遠慮なく煙を吐き出した創は九人の仲間を順番に睨みつけた。

「開発部のおまえを筆頭に、製造部の日野、営業の松田……」

 そこで彼は不満を一気に爆発させた。

「何でオレだけ『総務部業務課』なんだよっ!」

 すっかり白けてしまった雰囲気の中、互いに目配せをしていた他の九人だが、

「だって配属決めたのは人事課で、オレたちじゃないし……」

 そう日野が口を滑らすと、次の瞬間、向けられた鋭い視線によって、彼の身体は串刺しになっていた。

「ちっくしょー、どいつもこいつもバカにしやがって! 『業務課だって、ざまあみろ』とか思ってんだろ!」

「そんな、誰もバカにしてないし、ざまあみろなんて言わないよ。ねえ、みんな、そうでしょ?」

 本多のフォローもむなしく、一人として言葉を発しようとはしない。

 創はイライラしながら、幹事を務める松田に「おい、もっと酒注文しろよ!」と、噛みつくような口調で命令したが、松田は荒れる創を諫めるように、

「加瀬くん、飲み過ぎだよ。もうやめた方がいいって」

「うるせーっ! クソッ、おもしろくねえ。だったら一人で飲んでくらぁ、あばよっ」

「あばよ、って……」

 仲間たちが呆気に取られて見守る中、日常では使われない捨てゼリフを吐いた創はテーブルの上に金を叩きつけると、そのまま表へ飛び出した。

 それから近くにあった別の店に入ったところまではおぼえているのだが、なんと、そこから先の記憶がぷっつり途絶えてしまったのである。

 次に彼が目にした光景は怪しげな装飾が施されたホテルらしき一室で、淫靡なムードを演出するライトにピンクのカーテンが生々しく、出入り口とは別の扉の向こうからシャワーを使う音が聞こえていた。

 裸にシーツをまとっただけの格好で、自分が寝ていたのはダブルベッドの上だとわかると創はギクリとしたが、頭の中はぼんやりしたままだ。

(ここはラブホか? やべぇ、またヤッちまったのかな……)

 酔った勢いでナンパした女を口説き、ラブホテルに連れ込んで、それで……

『ケータイにメール入ってたけど、エリカって誰?』

『昨夜どこ泊まってたのよ。あ、その女ね。まったく、性懲りもないわよねぇ』

『一緒にいたっておもしろくも何ともない。あんたみたいな、顔とセックスだけの男ってサイテー』

 ……などなど、何度起こしたかわからない女性関係のトラブル、元カノの可奈(かな)と別れたのもそれが原因だったが、愛想を尽かして離れていく女を引きとめようともせず、その後は彼女いない歴を更新中である。

 だが、ルックスの良さからそれなりにモテるので、適当に遊ぶ相手には不自由していないため、決まった人が欲しいとも思わずに今日まで過ごしていた。

(そういや、ここんとこ誰ともヤッてないし、たまってたからかなぁ)

 性欲の赴くままに行動するのは、彼にとっては日常茶飯事だ。こんな場面はザラだが、それにしても今回はいったいどんな女を連れ込んだのか、相手の顔すらもおぼえていないとは、どれだけ泥酔していたのだろうか。

 よーし、こんな時は一服やるのが一番だ。スーツのポケットに入っていたタバコを探して、創はベッドの脇を見下ろしたが、脱いだはずの服がない。いつもなら脱いだ衣服はすべて床に散らかっているのに、それがまったく見当たらないのだ。

 まさか、今夜の相手に盗まれた? 

 いや、そんなはずはない。財布だけならともかく、中古の服を盗んでどうするというのだ。第一、シャワーの音が聞こえていることからして、女はまだ室内にいるのだから。

 その時、扉の開く気配がした。

「……あら、目が覚めた?」

「あ、ああ……」

(女にしちゃ、やけに低い声だな)

 人妻とか年増を見境なく口説いたのかもしれないが、自分ならやりかねない。どんな年代の女でも落とせる自信はあるのだ。そんなことを思いながら顔を上げた創は危うくベッドから転がり落ちそうになった。

「えっ、マ、マジ……!」

 バスタオルを身体に巻きつけた、しどけない姿で現れたのは紛れもなく男、だった。

 二日酔いも眠気も、何もかもが一気に吹き飛んだ創が目をむき、固まっていると、その男はこちらを見てにっこりと微笑んだ。

 柔らかくウェーヴがかかった長めの、褐色の髪から細い肩へと滴が落ちる。

 身長は百七十ちょっとぐらいか。痩せぎすだが筋肉は程よくついていて、体毛は薄く、その顔立ちはかなり、いや、整い過ぎて怖いくらいの美形だ。

 くっきりとした二重瞼に長い睫毛、大きめの黒目が潤んで見え、右の目元のホクロが妖しい色気を添えている。

 鼻筋は高く、唇は程よい厚みでピンク色。甘いマスクというのはこういう男のためにある言葉だと思う。

 線が細くて、いくらか中性的な感じもするが、こんなにも浮世離れしたピカピカの美男子がこの世に存在したとは。しかも、シャワーを浴びて自分の前に現れたとは。創は我が目を疑ってしまった。

「タバコを探しているの? あなたの洋服なら、そのクローゼットの中よ。シワになると困ると思って、ハンガーに掛けておいたから。いいわ、取ってあげる」

 男がクローゼットを開けると、中に二着のスーツがハンガーで吊るされているのが見えた。創自身のものと、相手の男のものだ。どちらもメンズ、お相手が男であることは疑いようがなく、創は彼が上着のポケットを探るのをぼんやりと眺めていた。

「はい、どうぞ」

「ど、どうも……」

 呆然としながらタバコを受け取ると、男は自分のライターで火をつけてくれた。

「洋モクなんて生意気ね。アタシにも一本頂戴」

 黙ってパッケージを差し出す。

 長くて白い、細い指でタバコを吸う仕草がサマになるこの男、それにしてもいったい何者? 

 彼がベッドに腰掛けてきたため、その顔をさらに間近で見る羽目になった創はピカピカの美男子の目元にうっすらと存在する皺を発見した。

(けっこうトシいってんじゃねえのか。もしや年増のオカマ? っつーことは、当然ゲイなん……だよな)

 言葉づかいから、そういう人種ではないかと推察すると、相手は「なあに、見惚れちゃって」と言って、またしても妖艶に微笑んだ。

「いや、別に、その」

「キレイな瞳だね、とか、魅力的な唇をしているよ、なーんて言われたの、久しぶり。嬉しかったわぁ」

(うげげ……)

 お互いのテンションが反比例する。それにしてもまさか、そんなベタなセリフで、しかもオカマを口説いていたなんて、見境がないのにも程があるではないか。

「おまけに、あなたみたいな若くてイイ男に、でしょ。長生きしてよかった」

(長生き、って……こいつ、いったいトシ幾つだよ?)

 ますます謎めいてくるこの男、だが、彼のような人物が酒場にいたとしたら、酔っ払いの目には美女と映るかもしれない。

 そうなると、泥酔状態の自分が見誤って口説いた可能性は大。当然といってもいい展開だったのだ。

 酔っ払いの口説き文句を真に受けて、男は喜んでラブホテルまでついてきた。二人並んでこの部屋に入って、それからコトに及んで……

「えーっ、ぎえぇ~っ!」

 男といたしてしまった――考えがそこに到達すると、創は今度こそベッドから転がり落ち、腰をしたたかに打ちつけた。

「あらら、何やってんの?」

 呆れた様子で声をかけられたが、それどころではない創はプチパニックに陥っていた。

「オ、オレ、おと、男と……」

「まあ、失礼しちゃう」

 憤慨した様子の男は吸殻を灰皿で揉み消すと、創を睨みつけた。

「ゲイ・イコール・エイズなんて、昔の偏見もいいところだわ。ちゃんと検査を受けているし、何の問題もないわよ」

 病気の心配はなくとも、男を抱いてしまった事実に変わりはない。

 女性経験はそれなりに、人並み以上にあるかもしれないが、男相手は初めてだ。

 男とヤッちまったなんて冗談じゃない。こんな過ちは忘れてしまいたい、そう、忘れるに限る。

 慌てて着替えをし、ほうほうの体で退散する創を引き止めようとはせずに、男は謎の言葉を投げかけた。

「それじゃあ、またね」

                                 ……②に続く