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オリジナルBL小説をお披露目しちゃいます

Cancan spitzと呼ばないで ①

    第一章  おとぼけイケメン参上

 あれ、まただ。さっきからもそもそしているコレは何なんだ? 

 山手線からはるばると、東急東横線を乗り継いで、通勤通学ラッシュのこの時間。満員御礼の車内にて、腰の辺りに奇妙な感触をおぼえたオレはあまりの居心地の悪さに、何とか身体を動かそうとした。

 ところが、ガタンゴトンと揺れる車内でも、他人同士のスクラムはビクともせず、ガッチリ阻まれてどうにもならない。

 蟻の這い出る隙間もないと形容されるこの状態では自分の腕や足を見ることすら困難を伴う。ましてや、我が臀部がどのような窮地に陥っているかなんて、見えるわけがない。

 もそもそを通り越して今はもぞもぞ状態に突入。やっぱり痴漢だ、間違いない。

 触っているのはいったいどいつだと、タバコと整髪料の入り混じったオヤジ臭い空気の中、周囲をねめつけてみたが、みんな素知らぬ顔をして中吊り広告を見ている。

 何とまあ、しらじらしいっつーか、呆れるなんてもんじゃないけれど、それにしてもオレのすぐ傍には女性の乗客はいない。

 すなわち女性の尻に間違われるはずもないわけで、そうこうしているうちに、さんざん尻を撫で回していた手が前に伸びてきた。

 げげっ、まさか! 

 いきなりそこを直撃してくるのか? 

 大した大きさじゃないけど、一応はふくらんでいる場所だ。

 自分が触っている相手は男だとわかれば、慌てて止めるだろうと踏んでいたのに、痴漢行為が収まる様子はない。それどころか、オレの大切な部分をしっかりと握ってきた。

 こいつは確信犯だ。男とわかっていての痴漢だ。

 何で男相手に痴漢を、いや、相手が誰であろうと痴漢は許せない行為だ。

 この下衆野郎め! 

 そう罵倒したいのはもちろんのこと、またしても痴漢を引き寄せてしまった自分に腹が立ってきた。

 そう、オレが痴漢に遭ったのは今回が初めてじゃない。

 男にしては華奢な体格に加えて、サラサラとした長めの髪にカワイイと賞賛されてしまう顔立ちから、女に間違われる確率は高い方だけれど、グレイのリクルートスーツに紺とブルーのストライプ柄ネクタイ姿の今、女に見間違えたという言い訳はかなり苦しい。

 誘ったり、隙を見せたりしているつもりはこれっぽっちもないのに、以前の痴漢騒動の際、同性受けするタイプだからという言葉で片づけられた不満も重なり、ムカムカが一気に急上昇したオレはスクラムを無理やり突破して、股間にあった不届きな手をむんずとつかんだ。

「さっきからどこ触ってんだよっ!」

 多人数のわりには不気味なほどに静かだった車内にオレの怒声が響いて、周りの驚きの視線が集まる。

 不届きな手の持ち主は中年を通り越して老年に近い齢のオヤジだった。抜け目のなさそうな顔に黒い縁のメガネ、髪は薄く、体型はややメタボぎみ。

 どこかの大きな会社で部長あたりの地位に納まって、部下のOLにセクハラをしかけていそうな──被害者はOLじゃなくて男性新入社員かもしれないけど──スケベでずる賢いタイプだ。

 さてさて、メタボオヤジのやつ、いきなりの展開に驚いたらしく目をキョロキョロさせている。

「黙っていればイイ気になりやがって。たまたま手が当たった、なんて言い訳は通用しないからな」

 詰め寄るオレに、オヤジはしらじらしくも「キミ、そんな、どうして私が男であるキミを触らなきゃならないのかね?」などと言い逃れをした。

 こんなオヤジを野放しにしていたらロクなことはないと思う。まったく、イヤな世の中になったものだ。

「この野郎、いい加減にしろよ!」

 ルックスに似合わず気が強くて、曲がったことが大嫌いなオレは相手がどんなヤツであろうと立ち向かう主義だ。お蔭でついたあだ名はスピッツ。もちろん何事に対してもキャンキャン吠えるという理由から。

 そんなオレを短気だと呆れる友達や、もっと穏便に解決するようにと忠告してくれる人もいるけど、生まれつきの性分なのだから、こればかりは仕方ない。

 さてさて、被害に遭ったオレとしては怒り心頭なんだが、周囲の反応は冷ややか。

 気の毒そうに見てる人もあれば、まったく知らん顔をする人、男のくせに触られたぐらいで、この混雑した車内で騒ぐなんてと、迷惑げな様子の人もいる。

 オレが女だったら、みんなの同情を買ってオヤジは一気に包囲、集中攻撃されるだろうけど、まさか男に痴漢をしかけるなんて、何かの間違いじゃないか。そういった反応には慣れているけど、虚しくなってくる。

 そんな人々の心理を見抜いてか、オヤジは「だいたい、何が楽しくて男を触ったりするもんですか。近頃の若いモンは自意識過剰ですよ、ねえ?」と、周りに同意を求める様子を見せた。

 すると、その言葉を機に、被害者であるはずのオレの立場が危うくなってきた。

 狭い空間でいらぬ騒ぎを起こしたハタ迷惑なヤツだと、非難めいた視線を受けてたじろぐオレ、ところが、

「いやあ、近頃のオジサンもあなどれませんねぇ」

 ノー天気なコメントと共に、モスグリーンのスーツにクリーム色のワイシャツを着た、背の高い若い男がオヤジの背後からひょいと顔をのぞかせた。

 ギリシャ彫刻像のように整った顔立ちはかなりのイケメンだけど、睫毛の長い柔和な目と、穏やかな微笑みを浮かべているせいか、冷たい感じはしない。ちょっととぼけているけど、優しくて人柄の良さそうな人。オレにとっての彼の第一印象はまずまずだった。

 しかし、人柄が良さそうなのはいいが、このイケメン氏、髪の毛は寝癖がついてボサボサ、シャツのボタンはとれかかっているし、オレンジ色のネクタイの結び目は歪んでいて、かなりだらしがなさそう。寝坊して慌てて出勤したってところか。

「な、何だね、キミは」

 思わぬ伏兵の登場にオヤジが慌てふためくと、おとぼけイケメンは「いえね、世の中には男の股間を触るモノ好きな人もいるんだって、さっきから感心して見ていたんっスよ」と言ってのけた。

 えっ、もしかして目撃者? 地獄に仏ってこと? 

 ともかく、この発言によって雰囲気は一変した。メタボオヤジの犯罪が立証されたってわけだ。

 すると、今まで知らん顔をしていた人たちも犯人を睨みつけ、その視線に耐えかねたのか、オヤジは次の武蔵小杉駅でそそくさと下車した。

「あの、ありが……」

 窮地を救ってくれた人に礼を言おうとしてオレは辺りを見回したが、さっきのイケメンの姿はそこになかった。

「いつの間に降りちゃったんだろ?」

 これでは礼のしようがない。

 中途半端な気持ちのまま、やがてオレは到着のアナウンスに引きずられるように、駅のホームへと降り立った。

    ◇    ◇    ◇

 東横線からそのまま、みなとみらい線に突入。横浜市中区の会社までようやくたどり着いて、通勤電車の長旅が終了した。

 白い壁が眩しい六階建ての自社ビル、ここがオレの勤務先・株式会社システムソリューションズ、通称FSSで、その概要は次のとおり。

 ㈱FSSは国内コンピュータメーカー最大手であるFBL株式会社が百パーセント出資した子会社として設立された。その主な業務内容はFBLで開発されたコンピュータの周辺機器に搭載するプログラムの作成、いわゆるソフトウェア開発を行う会社というわけだ。

 組織としては総務部と開発部に分かれているが、この四月に入社し、二ヶ月間の全体研修を経たオレたち二十名の新入社員は六月一日を以って開発部のうちの、第一から第四までの各開発課のいずれかに配属された。

 そこでオレは三人の同期と共に、第三開発課へ。第三開発課の業務内容は電子ファイリングシステムのプリンタ部とスキャナ部のソフト開発だ。プリンタ担当は第一グループ、スキャナは第二グループで、四人の新人はそれぞれ二人ずつに分かれ、しばらくの間はOJTと呼ばれる、業務をふまえた研修を行うことになっている。

 学生生活の延長のような全体研修の時とは違い、実際に仕事をする場所で、先輩社員たちの間に入って緊張しているのが自分でもよくわかる上に、今朝の痴漢騒動だ。

 午前中で体力を使い果たしたオレがデスクの上でぐったりしていると、同期の不破と興和がコンビニの弁当を抱えて、五階からそそくさと下りてきた。

 ちなみにこのビルの内訳は一階と二階が役員室に総務部と機械室、三階から五階が開発部、六階は研修を行なった多目的スペースの他に会議室など。第三開発課は数字の三がついているけれど、三階ではなく四階にある。

「おーい、村越。大事件だっ!」

「事件って何なんだよ、騒がしい」

 入社してすぐに意気投合、新人研修の頃は「お酒大好き四人組」と揶揄された仲間──不破隆・興和義光・佐藤充(さとう みつる)・そしてこのオレ、村越浩希(むらこし ひろき)──のうち、不破と興和は第四開発課、佐藤は第二開発課とバラバラになってしまったが、暇さえあればつるんで、昼休みもこうして仲良くメシを食っている。

 不破はこの世の終わりのような顔をして「キノコちゃんがFBLへ異動になっちゃうんだって」と嘆いた。

「えーっ、マジで?」

 オレは不破の言葉を受けて、大袈裟に驚いてみせた。

 キノコちゃんとは新人研修を受け持った総務部業務課教育担当チームの来宮高貴さんのことで、オレたち新人とは三つ違いの現在二十五歳。

 ふんわりと優しい雰囲気の美青年ぶりが評判だったが、そんな彼がオレの大学の先輩にあたると知った時はビックリするのと同時に、誇らしい気持ちにもなった。

 親会社へ栄転する人というのは子会社の中ではエリート扱いで、来宮さんもその優秀さを買われて異動になったとか。

 さっすが、来宮センパイ。母校の星! なぁんて思ったのはオレだけみたいで、

「もうショックでさぁ、メシが喉に通らねえよ~」

 来宮さんの大ファンという不破の嘆きっぷりは半端じゃない。

 そんなヤツが引き起こしたゲイ騒動に──研修中に行った、講師を誘っての飲み会の際に、不破が「来宮さんが女だったら彼女にしたい」と言い出し、二人が噂になってしまったという事件だ──巻き込まれたのを思い出したオレは苦笑した。

 その騒動以来、不破のアダ名は『男色家』に決定。オレもみんなと一緒になって不破をゲイ呼ばわりしていたけど……

 正真正銘の男色家とゆーか、男色の相手をしていた男の存在を知ったら、不破のヤツ、メチャクチャ怒るだろうな。

「キノコちゃーん、カムバーック!」

「あーあ、可哀想になぁ」

 不破の悲痛な叫びに、興和がもっともらしく合いの手を入れる。

 さすが第四開発課の漫才コンビなどと妙な感心をしていたら、次の場面で不破は空いた席にどっかりと座り、レジ袋から取り出した弁当をぱくつき始めた。

 おいおい、メシが喉に通らないんじゃないのか。カムバーックなんて叫んでいたくせに、こいつめ、言ってることとやってることが違うぞ。

 内心呆れながら、オレも興和も弁当を机上に置いて、昼食タイムに入る。話題は引き続き来宮さんネタだ。

「じゃあ、キノコちゃんがいなくなったら、来年度からの教育担当はどうなるんだよ?」

「それが聞いて驚くなよ、おまえんとこの椎名さんが入るんだって」

 どうだと言わんばかりの不破のセリフに、興和が同調する。

「椎名さん、オレらの研修にも助っ人で来ていたもんな。いずれ教育担当になるからってんで、手慣らしだったのかもな」

 第一グループのサブリーダー・椎名英さんは来宮さんと同期入社で、OJT担当者つまり、グループ内においてオレたち新人二人の面倒を見てくれる人でもある。その椎名さんが業務課に引き抜かれてしまったら、OJTはいったいどうなるのだ。

「信じられない、そんなのアリかよ」

 椎名さんが異動するなんて話は配属されてこの方、一切聞いていない。

 オレたちに何の断りもなしにと憤っていると、四人目の仲間である佐藤が昼食の場に合流した。曰く、人事関連情報を掌握する総務部総務課から仕入れたという新ネタを引っ提げているという。

「新ネタって何だよ?」

「だからさ、椎名さんの後釜として、FBLから出向者がくるんだって。キノコちゃんが向こうに行くから、巡り巡っての交替要員じゃない?」

「出向って、じゃあ、その人が椎名さんの代わりにサブリーダーになって、オレたちのOJTの面倒を見るってこと?」

「そういう話だろうなぁ」

「無理だよ、絶対。来て早々にそんな……」

「来て早々にどんな?」

 仲間三人とは別の声が聞こえて、ギクリとしながら振り返ると、

「……ぎぇっ!」

 驚きのあまり、オレはカエルが潰れたような声を上げてしまった。

 目の前に立ち、ニコニコとこちらを見ている男は今朝、東横線の車中でオレを擁護してくれた、おとぼけイケメン氏だった。

「あ、あの、あなたは?」

「第三開発課ってここでしょ? 俺の机はどれかな?」

「つ、机って……」

「とりあえず、どこでもいいか」

 呆気にとられているオレたちにはお構いなく、おとぼけは空いているデスクにさっさと腰掛けた。

 そこへランチから戻ってきたのは第三開発課の事務を担当している藤沢亜矢さんで、ちゃっかりと座っている見知らぬ男を見て目を丸くした。

「あのー、どちらさま?」

 可愛い顔立ちとナイスバディが売りの、オタク社員たちの憧れの的・社内ナンバーワンアイドルを目の前にしたおとぼけ野郎はとたんに鼻の下を伸ばした。

「どーもどーもの堂本です」

「堂本さんって、あ、今度本社から出向されてきた」

 本社とはFBLのこと。親会社じゃ言いにくいからなのか、課長クラスが皆そう呼ぶので、社内では通例になっている。

 本社から出向、しかも第三開発課へ、ということは、この人が椎名さんの後釜? 

 まさか、オレたちのOJT担当じゃ……

「ピンポーン」

 堂本と名乗ったおとぼけは素早く立ち上がると、いきなり藤沢さんの手を握った。

「堂本彬(どうもと あきら)、二十五歳独身。目下彼女募集中です。ここで貴女のような美しいレディに会えるなんて光栄ですね」

 なっ、なんじゃこいつ? 

 中世の騎士じゃあるまいし、藤沢さんの手の甲に軽くキスをしたヤツの行動に、オレたちは一斉にのけぞった。

 特に、痴漢騒ぎから助け出してくれた人、イコールいい人だと思い込んでいたオレは堂本の態度に幻滅しまくり、短気ゆえにいつものムカムカ指数が急上昇してきた。

 許せん、その態度! 

 何がいい人だ、ふざけてる! 

 堂本さんなんて呼んでやるもんか、呼び捨てで充分だっ! 

 オレは堂本との間を遮るように、藤沢さんに背を向けて立ちはだかった。

「ちょっと、初対面の女性にそういう振る舞いをするのは失礼じゃないですか?」

 そらでた、キャンキャンスピッツの攻撃開始だ。

 不破たちが不安そうに見守る中、オレはなおも吠え続けた。

「本社から異動されてきたそうですが、我々に正式な紹介はありませんよね? それって部外者扱いを受けても仕方ないと思いますけど? ちなみにその机も持ち主がいますよ。今は昼休みなので、外へ食事に出ていますけどね」

 だ・か・ら、あんたの居場所なんて、どこにもねーんだよっ! 

 今にも噛みつかんとするオレの様子にポカンとしていた堂本だが、やがて「これは失礼しました」と素直に詫びた。

「え……」

「いや、総務のとこで挨拶したからいいと思ってたんだけど、そうかぁ。勝手に上がってきちゃダメだったのかな」

「え、えっと、だから……」

 あっけらかんとした口調、頭を掻きながらも、悪びれるふうでもない堂本の態度に、オレはすっかり気勢を削がれ、言葉に詰まってしまった。

「た、たぶん、午後一番で紹介があると思いますよ、ね?」

 藤沢さんは取り繕うようにそう言い、堂本とオレたち四人を見回して、引きつったような笑顔を見せた。

「そ、そ、そうですよね」

「臨時朝礼とかって、あ、朝じゃないから昼礼かな?」

 不破と興和が同調しつつ、とんちんかんなことを口走る。

 居心地の悪さに、皆どうしていいのかわからない状態だったが、そうこうしている間にも、他の社員たちがランチから続々と戻り、室内が賑やかになってきた。

 おおっと、背中に冷たい視線が突き刺さったぞ。このバカどもめ、何をやってるんだと言わんばかりの、冷めた視線の送り主は成海基というスカした野郎だ。同期の中で美形度ナンバーワンなのは認めるけど、決していい印象はない。

 この成海という男、同期二十人のうちトップの成績で入社しておきながら、ある事件を起こしたせいで評価が大暴落。本来なら希望していた第一開発課にすんなり配属されたはずが、オレと一緒にOJTをやる羽目になったヤツだ。

 つまり、第三開発課第一グループに配属になったのは成海とオレの二人というわけだが、こいつが不破と犬猿の仲だから、どうにもやりにくい。

 オレが成海と同じ部署に配属とわかった時の不破ときたら、世界が破滅したかのように嘆くんだもの。当の成海が聞いていたんじゃないかとヒヤヒヤしたおぼえがある。

 そのうちに課長やらグループリーダーも帰ってきて、朝礼ならぬ臨時昼礼が始まり、堂本がグループ全員に紹介された。

「……とまあ、正式な異動の発表は後日になるが、新人のOJTの関係もあることだし、彼には早く業務に慣れてもらいたいと思って、忙しい中ではあるが都合をつけて来てもらった。わからないことや質問を受けたら、親切に教えてあげるように」

「やあ。どもー、どもーの堂本です」

 堂本がニコニコ顔でおじぎをすると、みんな一瞬きょとんとし、それからぎこちない笑顔で会釈した。

 何が「どもー」だ、このワンパターン野郎め。さっきの「どーも」からちょっと発音変えただけの、芸のない挨拶だ。

 すると、隣にいた成海が「ふん」と鼻で笑った。すっかりなめきった態度だが、この時ばかりは彼に親近感を抱いたのだった。

                                ……②に続く