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オリジナルBL小説をお披露目しちゃいます

Holy nightを御一緒に ⑦

    第七章  男と男のラブ・ゲーム

「椎名、ちょっといいか?」

「は、はい」

 勤務中にいきなり呼ばれ、慌ててそちらに向かったオレが傍らに立つと、吾妻さんはチラリと見上げ、自分の机の上に広げた紙を見せながら説明を始めた。

「本社のハード屋の一覧だ。昨日の会議で紹介があってな」

 ファイリングシステムのハード部分、つまり機械の本体そのものを組み立てたり、中身の動作を確認したりする作業は親会社のハード部門で行う。こちらのプログラムを動かすにあたっては連携し、協力し合わなければならない人たちの集合体だ。

「再来週あたりに連中との打ち合わせが入るから、そのつもりでいろ」

 禁煙パイプをくわえたその顔が心なしか、ひどく疲れて見える。

 前夜、どんなに遊んでいても、翌日には髪や服装をきちんとキメてくる彼の襟元が歪んでいるのに気づいたオレはいったいどうしたのだろうと思った。

 仕事はそこそこ忙しいが、大変になるのはまだ先のことで、今は殺人的スケジュールというほどでもない。エネルギッシュでいつも自信に溢れている吾妻さんらしくもない、疲労困憊した様子が不安をかき立てる。

 オレの視線を感じた彼は目を逸らすと、イメージ処理のハードウェア担当者の名前を蛍光ペンで塗ってみせ「今度採用する、アメリカの新製品の説明もやるそうだ。おまえが作るモジュールで動かす例のヤツだ。メイクに入る前には絶対やっておかなきゃならないからな」と強調した。

「ハード担当の方たちがこちらに来る、ってことですか?」

「いや、俺らが出向く。大して遠くはない、ここから一時間もかからないぐらいだ。それに、いずれはテストであっちに通うことになるから、おまえも場所をおぼえておいた方がいいと思ってな」

 そのあと、昼休みに藤沢さんと近江さんの内緒話をたまたま耳に挟んだオレは吾妻さんが新しい恋人と上手くいっていない、あるいは別れてしまったのではと聞き、彼の疲れた様子はそのせいだったのかと思ったが、なんとなく納得がいかなかった。

 次の週末、性懲りもなくブラッディ・イヤリングに行くと伊織に連絡をすると、オレは彼と連れ立って小百合ママの待つ、あの怪しい店へと足を運んだ。

「……ああ、連中なら知ってるよ。ママが『新人キラー』って呼ぶ二人組だけど、今時キラーなんて言わないよね。ともかく新顔の鞘を狙っては声を掛けるんだって。彼らにとっては所詮、遊びだから、そのつもりでいないと痛い目をみるよ」

 説教された気分になったオレは「そのぐらいわかってるよ」とぶっきらぼうに答えた。

「で、タケシくんへの御感想は?」

「うーん、イマイチっていうか……いきなりあっちの関係にもっていかれそうになって、ホテルの前まで行ってトンズラした」

 初対面の男と寝る羽目になる、その可能性もあるとわかっていたとはいえ、オレのようなゲイ初心者にとっては大冒険で、展開の急激さについていけなかった。

「オレとしては、そういうのはもっと気持ちが盛り上がってからって考えてたし」

「こんなはずじゃなかったのに、ってとこかな。今日はもう一人の方と会うの?」

「いつでも乗り換えろなんて言ってたからね。真に受ける気はないけど、今は何をどうしたらいいのか、自分でもよくわからない」

 伊織は寂しげな笑いを浮かべた。

「彷徨える愛の狩人ですか」

「何だよ、それ」

 店内は相変わらず人の気配がなく、小百合ママが所在なさそうにワイングラスを磨いていて、オレたちを見ると「いらっしゃい」と嬉しそうに呼びかけた。

「スグルちゃ、じゃなかった、ケンシロウちゃん、よね。御免あそばせ」

 ママは先日のオレの心中を察していたらしく、けったいな仮名で呼ぶと「いきなりモテモテだったわね、今夜はハヤトくんと待ち合わせ?」と尋ねた。

「い、いえ、はっきり言われたわけじゃ……」

「あら、彼氏は張り切ってたけど。絶対にボクの方がいいに決まってる、なんて息巻いてたわ。仲がいいくせに張り合うのよ、あの二人。おかしいわよねぇ」

 これはアタシからのサービスよと言いながら、ママが出してくれたチョコレートをつまみながら、オレはこのカウンターで聞き損ねた話を蒸し返した。

「先週話していたメガネの王子様って、どんな感じの人ですか?」

 本名を知りたいのはやまやまだが、他人のことは明かさないのがルールである以上、単刀直入に訊くわけにはいかないし、その人物も仮の名前を使っているやもしれない。

 ママは思案顔になり、首を傾げるポーズを取った。

「そうねぇ、髪はちょっと茶色がかっていて、身長は百八十ぐらいかしら。メガネをはずしたところを何度か見たけど、ホント、物語に出てくる王子様みたいに、上品で整ったお顔の持ち主だったわよ」

 聞けば聞くほど、あの人に思えてくる。オレは意味もなく焦った。

 と、ふいに肩を叩かれ、ギクリとして振り返るとハヤトが微笑みながら立っていた。珍しくタケシとは別行動のようだ。

「待っててくれたんだね、嬉しいな」

「ど、ども」

 間の抜けた返事をするオレ、ハヤトの姿を見た小百合ママはポンと手を打った。

「そうそう、やっと思い出したわ。健忘症じゃなくてよかったぁ。ハヤトくんに似た名前なのよ、たしかハルトって……」

 そこまで言ってから、ママはハッと口を押さえた。

 つい、口が滑って本名を洩らしてしまった、そんな反応に、メガネの王子様の名前がハルトであることをオレは確認した。

 だが、それでもあの榎並さんと同一人物とは信じられない。

 ただの偶然ではないのかと困惑した表情を向けると、伊織は難しい顔をして頷いた。

「ここまできたら隠す必要はないね。そう、英と一緒にいたあの人だよ。ボクがこの店に通い始めてから何回か見かけたけど、話をする機会は一度もなかったし、たしか四月ぐらいからは姿を見せなくなったと思う」

 恋人探しをしていた赤いバラの榎並さんと、ピンクのバラの伊織とでは目的が違うため、接触する場面はなかったが、お互いに相手の顔だけはおぼえていたようだ。

「まさか、本当に榎並さんが……」

 愕然とするオレに「誰にでも他人にはわからない裏の顔があるもんじゃないの」と、伊織は咎めるような口ぶりで言った。

「それはまあ……女絡みの噂がないのは知ってたけど、全然気づかなかった」

 吾妻さんに女を紹介してやると言われても応じなかったのは、そういう理由があったからなのだと、オレは解けなかったテストの正答を聞いた時のような気分になった。

「会社で会っても、今まで通りにね」

「あ、ああ」

 ノンケだと思い込んでいた榎並さんがゲイだった。

 彼に想いを寄せるオレとしては一筋の光明が差した気分だが、それが事実として簡単に受け入れられるものでもなく、これだけ証拠があっても、本当なのかという疑惑も拭い切れない。

 これまでオレに親切にしてくれたのは深い意味があってのことかもしれないと、楽観的かつ、都合のいい解釈をして悦に入った次の瞬間、オレのことは可愛い後輩止まり、好みのタイプじゃない。そういう対象じゃなかったらアウトだと落ち込む。

 待てよ、四月から店には来なくなったってことはゲイから足を洗ったのかな。

 それなら女を紹介してやるという勧めを断るのは変だし、やっぱりマイケルの言ったとおり、めでたく男の恋人ができたんじゃないのか。もしもそうだとしたら、手の打ちようがない。ああ、ダメだ。

 あれこれと思いを巡らせるオレに、ハヤトは苛立った様子で「いったい、さっきから何の話?」と訊いた。

「あ、ゴメン」

 すっかりその存在を忘れていた。

 謝るオレの肩を抱いたハヤトは機嫌を直すと「あっちのテーブルに行こう」と奥へ誘った。

「何か飲むでしょ、やっぱりビールがいい? それともカクテルかな」

 口説き文句を聞きながらもオレの気持ちは遥か彼方、榎並さんへと向かっていて、その点、ハヤトくんには大変申し訳ない状態だ。

 カウンターにちらりと目をやると、伊織が一人、同じ席に座ったままでコーラのストローを噛んでいるのが見えた。今夜の相手はまだ現れないらしい。

 その時、扉を乱暴に開ける者がいて、呆気に取られる人々をよそに、ずかずかと中に入ってきたその人物はカウンターの前まで来ると「やっと見つけた」と呻いた。

「ど、どうして……?」

 ストゥールから滑り落ちるように降りた伊織が後ずさりするのがわかり、相手を確かめようと目を凝らしたオレは次の瞬間、雷が落ちたような衝撃を受けた。

 脳天に楔を打ち込まれたというのは、こういう状態を表すのだろう。そこに立ちはだかっていたのは吾妻さんだった。

「あらあら、尋ね人とようやく御対面ね」

 なぜか顔見知りだったらしい小百合ママが取り繕うようにわざと明るい声を出したが、吾妻さんの耳には何も入らないらしく、目をカッと見開いて伊織を見つめている。

 その姿はまるで不動明王、睨まれた方はたまらず助けを求めるかのように、カウンターの中に手を伸ばしていた。

「怖がらなくていい。ずっとあんたを探していたんだ」

「なぜ? ボクはあなたなんかキライだと言ったはずだ!」

「それでもいい、あんたに心底惚れた。寝ても覚めてもあんたのことばかり考えて、どうにもならなくなった」

「そんな、見え透いた嘘……」

「嘘か本気か教えてやる」

 言うが早いか、吾妻さんは伊織の手首をつかんで強引に引き寄せ、その唇を塞いだが次の瞬間、

 バシンッ! 

 激しい音がして平手打ちが左の頬に炸裂していた。

「おやおや、これはとんだ痴話喧嘩だね」

 傍らでハヤトが薄ら笑いを浮かべながら囁く。

 夢か、うつつか、幻か。舞台劇でも観ているのではないか。

 だが、思いがけない場面に驚愕しているのはオレだけで、ママもハヤトも平然と見守っているのみ。この店において男と男の愛憎ドラマ、泥沼な展開というのは珍しくも何ともないってわけだ。

「こんなところまで追いかけてくるなんて迷惑だ、いい加減にしてよ!」

 つかまれた手を振りほどいた伊織はそのままの勢いで店の外に飛び出し、その様子に思わず立ち上がったオレと吾妻さんの視線がかっきり噛み合った。

「椎名……おまえ……」

 呆然とする吾妻さんに目礼すると、オレは伊織のあとを追った。

 しばらく走ると白いシャツの背中が見えてきて、追いついたオレはその腕をつかんだ。

「待てよ、伊織、待てったら」

 顔色が青ざめている。

 喫茶店に押し込めるように連れて入ると、ようやく落ち着いたらしい伊織は温かい紅茶のカップを両手で挟んだまま、ぽつぽつと打ち明け始めた。

「この間までスナックでもバイトしていたんだ。そこにあの人がお客として現れた、たくさんの女の人を連れてね。店にいる間中、女にちやほやされていて、それだけ取り巻きがいるのに、わざわざボクに声をかけてきたんだ。そんな人の言葉なんて、信じろって言う方が無理だよ。そのせいで店も辞めた」

 社外の女の噂──フラれた相手は男──新しい恋人の存在──すべての辻褄が合う。

 みんなが噂していた吾妻さんの新しい恋人とは伊織だったのだ。恋人ではない、彼がずっと追いかけていた相手というのが正解だ。デートの待ち合わせではなく、伊織が出入りする可能性のある店を探し歩いていたのだろう。イタリア料理の店を出たあと、オレとの再会がヒントになって、そこでようやく小百合ママの店を探し当てたんだと思う。

 伊織に該当する人物がいるのかどうか、自分の目で確かめろとママに軽くあしらわれて、連日張り込みを続け、擦れ違いの果てに出会ったのが昨日の晩だった。

 以上がこれまでの経緯から推測したストーリーだが、オレとしてはあんな吾妻さんを見たくはなかったと、その場に居合わせた不運を呪った。

 吾妻さんが誰かに対して本気になるなんて絶対に有り得ないと決めつけていたのに、稀代のプレイボーイを──こんな古臭い表現でしか形容できないのがもどかしいが──本気にさせる存在になれるとは……

 伊織の身代わりにされたオレ自身は当然のこと、他の誰にも成し得なかった快挙に対する、羨ましいと感じる気持ち、伊織に向けられたのはこの「妬ましい」という感情だった。

 オレは遊ばれただけなのに……オレにはそこまで想ってくれる人なんて、一人もいないのに……

「あの人、オレの会社の上司なんだ」

 ハッと目を見開いた伊織は「ごめん」とだけ呟いた。

    ◇    ◇    ◇

 衝撃の場面を目撃して出社しづらくなってしまったが、休むわけにもいかずに会社へ行くと、吾妻さんの姿はなかった。

「お、椎名か。今朝はえらく早いな、どういう風の吹き回しだ。吾妻か? 一週間の有給休暇だそうだ。あの仕事の鬼にしちゃあ珍しいだろ、台風でも来なきゃいいがな」

 田辺さんにそう聞かされ、伊織にまたしてもフラれたことが余程ショックだったのかと、オレはますます複雑な気分になった。傲慢な自信家が初めて手に入れられなかったもの、その存在が彼を打ちのめしたのかもしれない。

 相棒を失った榎並さんの表情も沈んだように見えるが、メガネの王子様の正体を知った今となっては交わす会話もぎこちなく、どこかぎくしゃくとしてしまった。

 そんなオレの様子を見兼ねたのか、榎並さんの方から折り入って話がしたいという申し出があり、退社後、近くのカフェで待ち合わせる約束をした。

 茶系のインテリアで統一された、決して広くはない店内はコーヒーの香りが溢れて、ちょっとした癒しの空間であり、仕事帰りのサラリーマンやOLたちで賑わっている。

 オレが到着してすぐに榎並さんが現れた。

「無理を言ってごめんね」

「いえ、そんなことは」

 四人席の奥側、オレとは向かい合わせに座って白いカップをテーブルの上に置いた榎並さんは小さく溜め息をついた。

「土曜の晩に吾妻から電話があって、全部聞かされた。あいつが誰かを追いかけているのは知っていたけど、まさか彼だったなんて、話を聞くまで気がつかなかった」

 もっと早くわかってやれば、と言いたげに榎並さんは目を伏せた。

 親友にも打ち明けていない想いだったみたいだけど、その親友がゲイだと知らない吾妻さんにしてみれば仕方のないことだ。

「有休取って、どこ行っちゃったんですか」

「さあ……心配するなとしか言わないし、こっちからも敢えて訊かなかったよ」

 ブレンドで喉を湿しながら、榎並さんは次の言葉を考えあぐねているようだった。

 彼にしてみれば、まさかこんな拍子に知られたくない秘密を知られてしまったと思っているのではと考えながら、オレは口火を切った。

「それで、ブラッディ・イヤリングでの騒動も聞いたんですね」

 その店の名前を自分で出しておきながら、オレは身を固くした。無言でうなずいた榎並さんは再びカップに唇をつける。

「イタリア料理の店に行った夜に会ったときは正直言って驚いた。黙っていたけど、キミが彼と友達なら、いずれは僕のことも耳に入るだろうって覚悟はしていたよ」

 店に出入りしていた過去──自分はゲイであると知ったオレに敬遠されるのを恐れていたと告げる榎並さんに向かって、オレは敬遠なんてと首を横に振った。

「正直、びっくりしたけど……」

 オレも同じ穴のムジナですから、などと、くだらないコメントを口走りそうになり、慌ててうつむくと「よかった」と呟いた榎並さんは静かに語り始めた。

「恋愛の対象として、男性を意識し始めたのは中学生の頃からだったかな。周りが女の子の話をしているのに、どうして僕は違うのか、って悩んだけど、そのうちに、世の中には同じ悩みの人が結構いるってわかって。あの店に行けば、僕を必要としてくれる人に出会える、その可能性を信じていたんだ」

 本人からそうと聞かされて、その正体を知っても半信半疑だったのが確証を得たとたん、オレの中で様々な感情が──戸惑い、焦り、安堵、期待、希望──複雑に絡み合った。

「あそこで恋人はできたんですか?」

 榎並さんは曖昧な笑みを浮かべて「まあね、いろんな出会いと別れがあったけど……」と答えた。

 現在恋人と呼べる相手がいない、そうとわかるとホッとして嬉しくなったけれども、彼の過去に関わる男たちがいたのかと思うと、つまらない嫉妬が渦を巻いた。

 ともかく、ゲイの世界に榎並さんを巻き込むなんて、という配慮は必要なくなったわけで、抑えていた気持ちが急激に高まってきた。

「あの……オレ……」

 飛び出そうとする言葉をカプチーノと一緒に飲み込む。

 榎並さんの方も何か言いたげな顔をしてこちらを見ていたが、ふとオレの後方に目をやると、何事もなかったような表情で椅子に深く腰掛け直した。

「御一緒してもいいかしら?」

 声をかけてきたのは浅田さんと森下さんで、どうぞと、いつものように紳士的な態度で榎並さんが応じると、浅田さんは図々しく彼の隣に座り、森下さんは仕方なくオレの横へ腰掛けた。会社の近くの店で待ち合わせをしたのは失敗だったと後悔した。

「二人で何の話をしていたの? まさか、よその会社の女の子と合コン計画じゃないでしょうね?」

 お局が遠慮のない話題を振り撒いて、自分で自分のセリフを笑う。

 榎並さんは適当に相槌を打ち、森下さんが彼に熱い視線を送るのを見たオレの胸はズキズキと痛んだ。

 早く取り持ってくれと、無言の圧力をかけられているようで居心地が悪い。

 虚しくなって一足先に店を出た。

 何もできない、何も言えない自分が情けなくて辛かった。

                                 ……⑧へ続く