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オリジナルBL小説をお披露目しちゃいます

プロフェッサーHと学ぶBLの法則 ⑧(最終章)※18禁🔞

    第八章  青いポインセチアの花言葉

 翌朝、カーテンを開けると灰色の雲が空一面を覆っているのが見えた。

 自転車に乗った騎士のお迎えはなく、私は松葉杖をついてタクシーで出勤した。

 うんざりするような鬱陶しさは天気だけではない、私の心の中にも暗雲が広がって、校舎へ向かうのも億劫になり、足取りが重くなる。

 二限の遺伝学では椅子に座ったままの講義に対する断りを学生たちに入れたあと、席をざっと見渡した。

 結城の姿がどこにもない。四月以来、無遅刻無欠席だったのに、ついにサボッたか。

 たった一人の学生の欠席など、この際気にしている場合ではない、と先週の続きから始めたものの、やはりどこか上の空だったらしい。一番前に座っていた男子学生が言いにくそうに「先生、今の説明は三回目ですけど」と指摘した。

「あ、こ、これは失礼。では次の単元に進もうか」

 いったい何をやっているのかと自己嫌悪に陥る間もなく、終了のベルが鳴った。

 学食へお供しますよという声がどこからか聞こえてくるのではと耳を済ませたが、聞こえるのは勉強から開放された学生たちの無邪気なおしゃべりだけ。虚しさを引きずりながら研究棟へと向かう。

 実験室を覗いてみると、卒論の作業をしている四回生が数人いるだけで彼の姿はなく、声を掛けてきた学生たちにまたしても上の空で挨拶すると、隣の部屋へ入った。

 とうとう見捨てられたか。見捨てられたという表現が不適切なら、愛想を尽かされた、が正しいのか。それも変だ、そんな扱いを受ける筋合いはないし、まったく言葉探しも楽ではない。

 机の前に座ると、やりかけていたデータの入力を終えて、今日は早めに帰ることにした。雨も降り出しそうだし、早く帰って早く寝よう。くさくさした気分を解消するには寝るのが一番効果的だ。

 そして夕刻、相変わらず人気のないマンションの前でタクシーを降りたところ、見覚えのある二人があたふたと走ってくるのが見えたのだが、建物の方向から来たのはなぜだろうか。

「先生! 羽鳥せんせーいっ!」

 両手を振りながら叫んでいるのは松下だった。今にも足がもつれそうな姿から相当の焦りが感じられるが、いったい何事? 

「はっ、早く、大変です、結城が、大が、あのバカ野郎がっ!」

 滅茶苦茶に喚くのは芝、しきりにマンションの方向を、それも屋上を指している。

「いったいどうしたんだ?」

 はあはあと息を切らし、肩を上下させながら松下が説明した。

「大のヤツが先生のマンションまで来いって電話してきたんです。それでオレらが到着したら、非常階段からいきなり屋上に上がって、あそこから飛び降りるって言い出して」

「なっ、何だって?」

 度肝を抜かれて目を剥く私に、今度は芝が話を続けた。

「飛び降りて怪我をする方に十万円賭けろ、自分は無事な方に十万だって。この前の賭けが取り止めになったから、もっとバージョンアップさせたらしいです」

「バージョンアップって……何を考えているんだ!」

「あいつ、遺伝学に出席していなかったでしょう。どうやら授業サボッて、昼間から飲みに行ってたみたいなんスよ。傍に行ったら、すげぇ酒臭かったから。もちろん、やめろって説得したんだけど、ヘタに近づけないっていうか……」

「わかった。今度は私が行くから、キミたちは帰りたまえ」

「えっ、でも」

「みんなで行って、騒ぎ立てて刺激するのは余計まずいだろう。私一人で説得する。責任は私が取るから、さあ、早く」

 顔を見合わせて躊躇する二人に念を押すと、私は急いでそちらに向かった。

 非常階段は外づけになっていてエレベーターは使えないため、そちらを上がるものの、杖をついた状態がもどかしい。

 いつも三階で生活しているくせに、いざ、この高さを実感すると怖くて足がすくむ。下を見ないようにしながら、ひたすら階上を目指して、ようやく屋上へ辿り着いた。

 彼は囲いの部分に背中を預けたポーズでこちらを見ていた。私が到着してこの場に向かう様子などをすべて把握していたらしい。

 階段を一気に上がったのでさすがに息が切れる。呼吸を整えながらゆっくりと進み、できるだけ穏やかに話しかけてみた。

「……何の真似だ? 怪我をしたら治療費は十万円ではすまないぞ。ヘタをすれば命もなくなる、葬儀代はもっとかかる」

「だからこの建物にしたんですよ。五階建ての研究棟はさすがにヤバイですからね。三階って、ビミョーな高さじゃないですか」

 結城は例によって、しれっとした調子で答えた。薄笑いを浮かべているが、目は笑っていない。酔っぱらって、まともな思考ができなくなった上での突飛な行動と予想していたのだが、案外シラフのようだ。

 本気で飛び降りるとは思えないけれど、カッとなったらどうなるかわからない。言葉は慎重に選ばなくてはならなかった。

「まさか本当に金目当ての賭けをやるつもりじゃないんだろう? 別の理由があるとみたんだが」

 じわり、と一歩近づいてみる。

「私への当てつけとか、そういう意味を含んでいると解釈してもいいかな」

「どうぞ、御自由に」

「私が私設タクシーを使ったのがそんなにいけなかったのか。だとしたら謝るよ、キミの厚意を無にして……」

「そんなんじゃねえよっ!」

 いきなりの怒声に私はビクリとした。しまった、慎重に選んだはずの言葉が却って彼を刺激したのか。

「じゃあいったい……」

「いつもいつもそうやって大人の態度で、冷めた言葉使いで、先生は俺を見下ろしていた。決して俺のいる高さに下りてきてはくれない、本気で向かい合うなんてこと、絶対にしなかった。頑張って気持ちを伝えても、さり気ない仕草で、はぐらかすだけだった」

 結城は血を吐くように呻いた。

「先生がドジ踏んだときは言っちゃあ悪いけど嬉しかったよ、この人も失敗することあるんだって。だけどすぐ元に戻っちまうんだ。冷たい仮面をつけ直して、キミは帰りたまえって命令した。何てバカなガキだ、ウザッたいけど研究室生だし、仕方がないから相手をしてやろう。そう思ってたんだ、なあ、そうなんだろっ!」

「何を言う、どうして私が……」

「いいんだ、どうせ俺はバカなガキだよ。年齢差なんて気にしないって自分で言ってたくせに、言った本人が一番気にしていたなんてシャレにもなりゃしない」

 ポツリ、ポツリ、薄墨色の曇り空からとうとう雨が降り出して、蝋人形のように立ちすくんだままの二人を濡らしていく。結城は天を仰いだ。

「今でもあの人が好きなんだろ? だからあの人が選んだ服を着て行ったんだろ? あの人の好みの格好だってことぐらい、訊かなくたってわかるよ」

「誤解だ、あれは単なる偶然だよ。車の送迎だって、こっちが頼んだわけじゃなくて……」

 私の弁明を受け流すと、彼は抑揚のない声で続けた。

「どっちにしても、このままじゃまともに相手にされないから、もっと大人のふりをしようと思って、俺なりに気張ったけどダメだった。本物の大人には勝てっこない、それなら徹底的に迷惑かけてやるって」

 ヤケクソだよと彼は嘲笑し、その笑い声がコンクリートの壁面を伝って痛々しいほどに響いた。

 何ということだ。

 私が結城や三田の若さを羨み、気後れしないよう大人の威厳を保とうとしていたのに対して、結城は自分が見下げられていると感じ、尚彦を意識して背伸びを続けていたとは、とんだ茶番ではないか。

「飛び降りるって言ったら、怒ってくれるかもしれない。ブン殴られてもいい、キミの顔など、二度と見たくないって嫌われてもいいから、本気でぶつかって欲しいって、すげえ勝手な言い草だけど……」

 雨の滴が頬を伝う。

 雨ではない、涙だ。私は知らず知らずのうちに涙を流していた。

「バカ野郎……」

「先生?」

「だから大バカ野郎って言ってるんだ、よく聞いておけ、このクソガキ! 勝手な言い草だって? ああ、そのとおりだ。キミは何もかも勝手すぎる。私を散々振り回しておきながら、こっちの気持ちなんかこれっぽっちもわかろうとしないくせに、ヤキモチ焼くのだけは一人前だ。さあ、飛び降りたければそうするがいい、好きにしろ。地面に落下して死亡しようがどうなろうが、私の知ったことではない。キミのようにいい加減で鈍くて、神経の図太いヤツは豆腐の角に頭をぶつけるどころか、コンクリートに叩きつけられても致命傷にならないだろうがね」

 マシンガンのようにまくしたてる私を結城はぽかんとして見つめている。その態度がますます癪に障って、私はさらに彼を罵った。

「十八も年下の教え子を好きになってしまったなんて、指導すべき立場の教授としてあるまじきことだ。これまでどんなに私が悩んできたか、辛い思いを抱えてきたのか、鈍感大ボケ野郎にわかってたまるかってんだ。なんだぁ、その顔は? 寝ぼけたツラしやがって。顔洗って、出直してこい!」

 罵りながらも涙はさらに溢れ、とどまるところを知らない。悲しいのかムカついているのか、何がなんだかわからなくなってきた。

「先生、あの、俺……」

「うるさいっ! キミが飛び降りないなら私がやってやる! 十万でも百万でも、幾らでも賭けてみろってんだよっ!」

 ああ、冷静沈着がモットーの羽鳥準一はどこへ行ってしまったのか。

 杖を放り出した様子に驚いた結城は本当に飛び降りるのではと、私の身体を羽交い絞めにした。

「放せ、このバカッ!」

「いいから落ち着いて」

「できるかっ」

 ブチ切れ、暴れまくる私の唇は結城の熱いそれに塞がれた。

「もう泣かないで」

 目の前の顔が涙で翳んで見えない。

「愛している」

 人差し指で涙を拭い、彼は私を優しく抱きしめた。

「だから、俺の一番大切な人に飛び降りなんてさせないよ、絶対に」

「……お互い様だ」

 ずぶ濡れになりながら、私たちはずっと抱き合っていた。

    ◇    ◇    ◇

 このままでは風邪をひくのも時間の問題である。私の部屋へ入りシャワーを勧めると、彼は素直に従った。

 カーテンを引いてベッドサイドのライトを点けただけの室内で、タオルを肩に掛けて座り込んだ私はタバコに火をつけると、紫煙の行方をぼんやりと目で追った。

 言葉に出さなくても伝わるなんて、それは勝手な幻想なのだ。大方の気持ちはやはり、自分の口で伝えるものだ。

 常に冷静でなくては、取り乱してはいけないと平静を装い続け、気持ちを伝える行為を怠った私は若者の言葉を一時の情熱だと受け流し、軽くあしらうだけのイヤミな大人の男、そう思われて当然だった。

 それでも彼は食い下がってきた。自らが大人の男を目指そうとして、慣れないタバコをくわえ、年上の女性と大人同士の恋愛を経験したかのように語った。

 ともすればくじけそうになる自分を制しながら、激情にかられないように、相手と一定の距離を保てるように振舞った。それが大人のやり方だと信じていたのだろう。

 だが、それらも限界に達してとうとうキレてしまい、屋上へと上った。彼をそこまで追い込んだのはこの私だ……

 ユニットバスのドアの音がして彼の出てくる気配に立ち上がり、無言で擦れ違う。熱い滴を全身に浴びたあと、バスタオル一枚だけで目の前に立ってみせた。もちろんメガネもはずしてある。

 所在なさそうに椅子に腰掛けていた結城は弾かれたように立ち上がると「いいの?」と掠れた声で訊いた。

「ずっと前から許可は出しておいた。キミが実行しなかっただけだ」

 強い力で抱きすくめられ、タオルが足元へと滑り落ちる。

 軽々と抱き上げられた身体がマイ・セミダブルのベッドへと運ばれると、喜びと期待と恥ずかしさで震えがきた。

 ベッドに横たえられた私の上に重なるようにしたあと、彼は熱い眼差しで私の全身を眺めた。

「俺の想像以上のキレイさだ。ドキドキしすぎて心臓が破裂しそうだよ、ほら」

 いつぞやのように私の手を自分の左胸にあてがおうとするが、それを振り払うと「こう見えてもせっかちなんだ」と告げ、自ら彼にキスをした。

 唇をなぞったあとは強く舌を絡め、甘い唾液をすする。

 積極的な口撃が効果を上げたらしく、結城の息づかいは次第に激しくなり、ゴクリと唾を飲み込んだあとは野獣のように挑みかかってきた。耳朶を噛まれたかと思えば乳首を口に含まれ、舌で転がされる。どちらもウィークポイントで刺激されると弱い、私は自分でも驚くほど大きな声を上げていた。

「はあっ、あっ、あぁ」

 久しぶりどころではない、四年ぶりの快感に我を忘れて乱れると、彼はえらく感心した口ぶりで「けっこう情熱的なんだね」などとかました。

「余計なことは言わない」

「はいはい」

 胸元から下半身へと唇が滑り、辺り一体に熱いキスの雨を降らせながら、右手がペニスを、左手は睾丸をせわしなく愛撫する。

「あっ、ああ……もう、イッ」

 何しろ御無沙汰していたから、しっかりと勃起したそれは触れられただけでイッてしまい、バツが悪くなった私は身体を起こすと、ティッシュペーパーをわしづかみにして、急いで精液を拭き取った。

 それから、座り込んだまま私の手際の良さに見とれている結城の、これまた立派な持ち物に目をやった。

「男相手はもちろん初めてだね?」

「えっ? ええ……」

 どこをどう刺激すれば感じるのか、男の身体は男の方がわかっている。プロの何某嬢はともかく、少なくとも素人の女よりは上手いはずだ。

「キミだって気持ち良くなりたいだろ」

「そ、そりゃあもう」

「じゃあ、極上を味わうといい」

 上半身を折り曲げ、「極上って」と言いかけた彼の股間に顔を埋めた私はその大きなペニスを頬張り、かつての男たちに絶賛された、絶妙な舌使いを披露した。

「せ、先生、大胆」

 熱く上ずった声で呟く結城、かなり感じているのだと手応えを得た私はますます気合を入れた。

 根元から先端へ、緩急をつけて舐め上げる。もっとも感じる部分は特にしつこく、何度も何度も刺激を繰り返した。

 しばし恍惚の表情を見せていた結城はぶるっと身体を震わせたかと思うと、

「うっ」

 軽い呻きを上げ、私の口中に精を放ったと知った彼はおろおろとうろたえた。

「ゴメン、我慢できなくて」

「誰が我慢しろと言ったんだい」

 やんわり微笑んでみせると、結城は了解を得た嬉しさからか「それじゃあ、もっとバシバシ出しちゃうけど……いいよね」などとかました。

 もっとバシバシ……少しばかり不安にかられる。

 こちらに手を伸ばした結城は私の脚を気遣いながらうつ伏せにすると股を開かせ、左右の臀部に触れてきたが、その部分が露わになるのが気恥ずかしくて枕に顔を埋めた。

 男相手は初めてでも、手筈は承知しているようだ。いや、女でもそこを使うやり方はあるらしいが……いかん、気持ちが萎えるようなことは考えないようにしよう。

「これが先生の蕾……ここもキレイだ」

 そんな隠れた部分までも褒められるとは思ってもみなかった。

「最初は指がいい?」

 いちいち訊くなと任せていると、ヤツは大胆にも臀部に顔を近づけ、窪みを舌で湿らせてきた。

「ふ……ん」

 舌でなぞられているという感触が羞恥以上の快感に変わる。

 次に指が入り込んできて周りの壁を刺激し始めると、私ははしたなくも腰を振っていた。

「気持ちイイのはこの辺?」

 だからいちいち訊くなと言っている。

 私の反応をいいように解釈し、

「そうか、やっぱりここらだな」

 などと勝手に納得すると、結城はますます指の動きを活発にした。

「あ、ああ……んん」

 つい、甘い溜め息が漏れる。

 結城は体重をかけないように気遣いながら、自分の身体を再び私の上に重ねた。

 またしても耳朶を、乳首を、ペニスをいじられて、私は狂ったように喘いだ。

 さんざん喘ぎ、狂わされ、くたくたになった私からようやく指を抜いた結城は激しい息遣いをしながら囁いた。

「……入るよ」

 次の瞬間、強い衝撃が身体中に走って、私は悲鳴にも似た叫び声を上げてしまった。

 結城が私の、この中にいる。

 強く、逞しく、雄々しい彼自身が私の身体の内に入り込み、激しい衝動を以って突き上げてくる。

 忘れかけていた快感が甦り、全身にみなぎってくると、身体の芯まで痺れてしまい、もう何も考えられはしない。あとはひたすら交わるだけだ。

「あ、あっ、もっと」

 髪を振り乱し、泳ぐように全身を揺さぶる私をしっかりと捉えて、彼は何度も何度も私の内側を貫いた。

「はっ、ああっ、あーっ!」

 喘ぎは搾り出すような叫びとなり、狂える人と化した私を抱きすくめたままの彼もまた、喚くように叫んだ。

「先生、俺と……!」

──こんなにも激しい時を過ごした経験はなかった。寄せては打ち返す快楽の波に溺れた二人は飽くることなく抱き合い、ひたすらに互いを求め続けた。

 ようやくその波が引いた時、浜に打ち上げられたような姿の私たちはそれぞれの指を絡め、相手の顔を見つめた。

「凄かった。溺れたかと思った」

「そこにいるのは溺死体か」

「そうかも」

 うっすらと笑い、絡めた指に力を込めると彼も強く握り返してきたが、そんな表情もまた愛おしく思えた。

「最高に愛してるよ」

 恥ずかしげもなくそんなセリフを口にする、強引でちゃらんぽらんで、マイペースな自信過剰の年下男。

 そんなキミにすっかり惚れ込んだこの私は思いもよらず、不覚を取ったというわけだ。いつのまにかタメ口をきかれて、苦笑いがこみ上げる。

 もう一度キスをしたあと、

「ねえ、準一」

「何……って、名前を呼び捨てにするな! 何でキミに準一などと呼ばれ……」

「だって、ナオヒコさんがそう呼んでいたじゃないか。俺はあの人に代わってナンバーワンになったんだから、準一って呼ぶ資格があるだろ」

「資格って、それはだな」

「俺のこともさ、大って呼んでよ。学校じゃ結城でいいから、プライベートでは大。俺も学校では羽鳥先生って呼ぶけど、ここでは準一。ね、いいだろ」

 例によって屈託のない笑顔を向ける結城、もとい大、思えばここ数日、彼のこんな笑顔は見られなかったと気持ちがほぐれる。

「わかった。その代わり、公私の区別はきちんとつけること」

「アイアイサー。で、お願いがあるんだ。腹減っちゃった」

 そう言えば昨夜から、正確には昨日の昼以降何も食べていない。空腹も忘れてセックスに没頭していたとはお恥ずかしい限りだ。

 シャツをはおると、私は簡単な食事の支度に取りかかり、大は床に放置されたままだった携帯電話をテーブルの上に乗せてから席に着いた。

 トーストとスクランブルエッグと、コーヒーの香り、カップをテーブルに置いて向かい合わせに座ると、そこに彼のいる風景が広がる。私は今を生きているのだ。

 時代の流れ──尚彦と私の間の出来事も時の流れに飲み込まれ、遥か彼方に押し流された。もう戻ることはない、この先にあるのは大と私の未来だと信じたい──

「……どうかした?」

「い、いや、何でもないよ」

「この玉子、すごく美味しい」

「そう、良かった」

 食事を済ませたあとも若さいっぱい、そっちの欲求もいっぱいの大の執拗な要求に負けて、やっと眠りについた私が目を覚ましたのは午前十時。

「今日は……水曜日、だったな。午前の講義はなし、助かった」

 精液をバシバシ出しまくった男はすっかり満足した様子で眠りこけている。

 いい気なものだと呆れつつ、もうひと眠りしようとした時、テーブルの上の携帯電話がけたたましく鳴り出して、慌てた私は大を叩き起こした。

「え、何?」

「キミのケータイが鳴ってる。私が出るわけにはいかないだろう」

 うーん、と曖昧な返事をした彼は寝ぼけまなこをこすりながら、着信ボタンを押した。

「……よう、松下か。何? ああ、大丈夫だよ、迷惑かけて悪かったな。すっかり泥酔状態ってやつでさ、ウチ帰って爆睡。うん、それで? 今日の二限って……やべぇ! 植生は出席取るんだった!」

    ◇    ◇    ◇

 二十分後、大学のキャンパスに向かってひた走る自転車が一台。私を後ろの荷台に乗せて、大はヒイヒイと喘ぎながらペダルを漕いでいた。

「無理しなくてもタクシーを呼んだのに」

「いいから、いいから。こうやって二人乗りしてみたかったんだ」

 まるで交際を始めたばかりの中学生のカップルみたいではないか。いい大人がやるにはあまりにも気恥ずかしいが、それが無理な背伸びを続けていた大の本心だと思うと、つき合ってやるしかない。

 昨日の雨模様とは打って変わって、爽やかな青空が広がっている。頬を撫でる風も心地よく、このまま海へとエスケープしたい気持ちにかられた。

 青い空、青い海、青い──

 あのさ、と大は照れ臭そうに告げた。

「将来、青いポインセチアが出来たら、真っ先に準一に贈るよ。『大より愛を込めて』のカードつきでね」

「楽しみに待ってるよ」

 愛を込めてとは、相変わらず古臭くて甘ったるい口説き文句を使ってくれるではないか。それでもしばし幸せな気分に浸る。

 だが、そこでとどめておけばいいのに、私の指導者根性が甘い雰囲気に水を注した。

「そういう開発ができる立派な研究者になるために、今はしっかり勉……」

 そこまで言いかけて、私は目を剥いた。

「文献はどうした? 今日はキミを当番に指名したはずじゃなかったのか?」

「……忘れてた」

「何だってーっ!」

                                  ──了