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オリジナルBL小説をお披露目しちゃいます

プロフェッサーHと学ぶBLの法則 ④

     第四章  嫉妬と不覚

 女よりも男の方が断然、嫉妬深いという説を聞いたことがあるけれど、ここまでしみじみと、また切実に感じるとは思ってもみなかった。

 ここの学生会館の一階は食堂、二階のフロアは半分が学生協で、あとの半分は学生たちが自由に使える会議室に和室など。三階から五階までが各サークルの部室という造りになっている。

 文房具を買い求めるため学生協に出向いた私が買い物を終え、廊下に出て階段へ向かおうとしたところ、会議室のドアから吐き出された学生の一団に出くわした。

 派手な服装に流行のヘアスタイルが自慢げな、この大学の学生にしてはノリの軽そうな連中で、徒党を組んでは「マジ~ッ?」「めっちゃキモイ」「それってウザッ」などと軽薄な言葉を連発している。

 教授に道を譲るつもりはさらさらないらしい。仕方なく彼らが通り過ぎるのを待っていたら、一番後ろから歩いてきたのは何と結城だった。真っ赤なTシャツにカーゴパンツを履いた姿がいつも以上にキマッている。

 彼とは午後の実験の授業で顔を合わせていたが、実験棟を出てからはどこへ行ったのかわからず、研究室にも顔を見せなかったため、まさか学生会館に来ていたとは知らなかったのだ。

 そんな結城にベッタリと寄り添っているのはあの生意気な一回生、三田洋だった。マリンルックというのだろうか、そのままヨットに乗り込めそうな格好で、紺と白のストライプのポロシャツが色白の肌に似合う。結城の腕に寄りかかるようにしてはしゃぐ様子は絵になるというか、まるで恋人同士の雰囲気である。

 今日も定番のグレーのスラックス、淡いブルーのワイシャツの上に白衣をはおり、銀縁メガネをかけた地味な服装の私は若く、華やかな二人を呆然と見送っていた。

 日本人は諸外国の人々に比べて、若さを賛美する傾向が強く、その逆に齢を重ねること、老いに対する嫌悪感が強い。対象が女性ならなおさらである。欧米の女性たちが熟女になることを誇りにしているのは、人間として円熟味を増す者を評価する高等な文化がそこにあるからだ。

 若者ばかりをちやほやするこの国の文化はけしからん、もっと諸外国を見習うべきだ、などと常日頃持論をぶっている──とは言っても、テレビや新聞に向かってブツブツと独り言を呟くだけなのだが──私だが、この時ばかりはその持論が吹き飛ぶ辛さを味わう羽目になってしまった。

 年寄り臭い表現になって恐縮だが、弾けるほどの若さに溢れた結城たちは私の目に眩しく映り、若者に対する憧れの感情がかき立てられるのを感じた反面、いくら年齢のわりに若く見えても、本物の若さの前では所詮、しょぼくれたオヤジとしか見られない自分の存在を思うと、引け目を感じてたちまち気が滅入ってきた。クールで知的というお褒めの言葉も、イケメン大学教授というご立派な立場も、この場合は何の慰めにもならない。

 ふと、私の視線に気づいたのか、結城がこちらを見て「あれ、先生」と呼びかけた。

「生協で買い物ですか、早く言ってくれれば俺がおつかいしたのに」

 私が何か言おうとする前に、三田がこちらにガンを飛ばしてきた。

「あー、若作りの先生だ」

 こいつ、首絞めたろかと、瞬時に殺意がほとばしる。

 私の殺気を跳ね返した三田は結城に「何で先輩が小間使いみたいなマネをしなきゃならないの」と訊いた。

「何で、って……」

「ここまで歩いてくるのなんて大した距離じゃないでしょ。中高年は運動不足になりがちだから、研究室に閉じこもってばかりいないで、少しは外を散歩した方がいいんですよ。ねぇ?」

 その「ねぇ?」は何なんだ。

 先の集団は何者だ。だいたい、結城はなぜ三田と一緒にいるのだ。

 研究室から追い出し、締め出したほどの相手、邪魔くさくてウザッたいヤツではなかったのか、その親しげな笑顔の真意は? 

 だが、私は一切コメントをせずに踵を返すと、集団の最後尾と二人の間にできた隙間に入って廊下を急いだ。

「先生、待ってくださいよ。俺も今から研究室に戻って文献やりますから」

「ええっ、どうして? 今日はみんなで一緒にコンパに行くって話」

「だからそれは俺が言ったんじゃなくて」

「部長命令ですよ。命令が聞けないっていうんですか?」

「命令って……」

「約束したじゃないですか!」

 何やら言い争いを始めた二人だが、そのやり取りさえ痴話喧嘩に聞こえてきて不愉快千万、さらに歩を早める。

 その時、私は何を考えていたのだろうか。恐らく胸の内では結城と三田に対しての嫉妬が渦巻き、頭に血が上ってまともな思考ができなかったに違いない。

 カーッとなってやった、という言い訳をよく聞くが、カーッとなる人物とはよほど人間が練れていない、いい大人のくせに未熟者だと軽蔑していたにも関わらず、今の自分はまさにカーッとなっている。未熟者だ。

「先生、そこ危な……」

 苛立ちから危険を察知する意識が低下していたのと、おまえの声など聞きたくないと耳が拒絶していたせいか、時既に遅く、私は見事に階段を踏み外していた。

「あっ!」

 と、私の左腕を素早くつかむ結城、しかし落下にかかる重力に勝てるはずもなく、私は後方に仰け反った格好で、一方の結城は前へとつんのめる形で、二人揃ってそのまま一階までなだれ落ちる。

「先生っ!」

 結城の叫びが聞こえたとたん、目の前が真っ暗になり──

──そして気絶した私が次に見たのは病室の光景だった。

 白い壁、ブルーのカーテン、消毒液の臭いに飾り気のないベッドは殺風景そのもの。窓からの光を感じないところから時刻は日没後。点滴を調節する機械の音だけが低く響き、他に患者のいない室内は不気味なほど静まり返っていた。

「ここは……?」

 病院、それも大学に近い場所にある総合病院だとすぐわかるのに、わざわざ居場所を確認してみる。映画やドラマでお馴染みのシーン、お馴染みの陳腐なセリフを自分が口にするとは思ってもみなかった。

「気がつきましたか、良かった」

 これまたよくあるパターンのセリフ、今は素直に働く耳に聞こえてきたのはもちろん、結城の声だった。

「その怪我は?」

 青白い蛍光灯に照らされて覗き込む顔の額に大きな絆創膏が貼られているのを見て、私は罪悪感の塊になってしまった。階段から落ちた時にぶつけたものだろうが、私を助けようと腕をつかまなければ巻き添えを食わずに済んだはずだ。

「ああ、これ大袈裟なんスよ。もう痛くも何ともありませんから。それより先生の方が心配だ、後頭部を打ってますからね。医者の話じゃ大丈夫みたいだけど、念のためにもう一度検査するって言ってました」

「そう……」

 階段から落ちるという最低のヘマをやらかした私はすっかり自信を失っていた。これで結城に骨折でもされたら、私は辞職を考えなければならなかったかもしれない。

 しかし、そもそもの原因が彼と三田のツーショットにあったのだと思うと、ムカッ腹が立ってきた。いわゆる逆ギレだ。

「キミたちがイチャついていなければ、私は階段から落ちるようなマヌケなことにはなっていなかったのに」

 なんて、さすがに言えない。

 黙ったままでいると、結城は「痛みますか」と訊いてきた。

「脚が少し……」

 そんな辛そうな顔をしないでくれ。逆ギレできなくなるではないか。

「骨にヒビが入ったそうです。しばらく歩くのには不便かも、って」

 その語りを聞きながら、救急車に一緒に乗ってくれたのも、入院の手続き等をしてくれたのもすべて彼だったとわかった。元来のマメで気が利く性分に加えて、父親の病気と入院で要領を得ていたからだ。

 そうと知って心苦しさの中にもわずかな喜びが湧いたが、どこまでもひねくれている私はそれまでのあらゆる負の感情と、さっきのムカッ腹も手伝って、素直に礼を述べることができずにいた。

「キミにはいろいろと世話をかけてしまったようだ、すまない」

「いいえ、それほどでも」

 結城の表情がわずかにほころぶ。

「ところで、このパジャマは私のものではないし、どう見ても病院の備品ではなさそうなんだが」

 その時私が身につけていたのは黒地に赤やら黄色の模様が入った派手なデザインのパジャマで、自分では絶対に買わないような品である。

 私は文房具を買うために財布を持っていた。それのみならず、携帯電話から免許証、自宅の鍵といった貴重品全部をたまたま所持していたのはこの際、不幸中の幸いだったが、財布の中身はそのまま。結城は入院グッズの資金をどうやって都合したのだろうか。

「キミは金がなくて困っていたんだろう、まさか無理して買い揃えたんじゃ……」

 今度は困惑の色を浮かべた彼は「いえ、借りたんです」と答えた。

「借りた?」

「ええ、その、三田に」

 なんと、私は結城を通じて三田に借りを作っていたことになる。今すぐ退院して返金したい気持ちにかられた。

「あいつの家って、すげえ金持ちで。貸してくれってもちかけて、金をポンと出せるヤツなんて他にいない、つーか」

 それは彼の身なりを見ただけの私でも充分察せられたが。

「親父がどこだかの社長で顔が広いそうです。合宿に使うホテルを安く紹介するとか、サークル活動にもいろいろと貢献してるんで、頼むから機嫌を損ねるような真似だけはしてくれるなって、部長たちに釘を刺されまして」

 会議室に集まっていたのは例のサーフ&スノーのメンバーだった。部として認可されていない、つまり部室が持てない同好会の場合、会議室や学生食堂、講義終了後の教室、時には喫茶店などに集まって部員同士の打ち合わせ、というパターンになる。どうしてもっと早く気づかなかったのだろう。

 自分のことがお気に入りである三田の御機嫌伺いをしなくてはならず、退部どころか休部もままならなくなった結城は今までどおり会議やコンパに参加しろと命令された、これすなわち部長命令というわけだ。もっとも、私の入院騒ぎと当人の怪我でコンパは免れたようだが。

「そう。悪かった、退院したらすぐに返すと伝えておいてくれ。キミもそろそろ帰った方がいい」

 結城の気苦労はよくわかったが、三田との関わりが面白くない私はつい、顔を背けてしまった。

「あ、でも、まだ面会時間中だし」

「キミ自身も怪我をしているんだ、帰ってゆっくり休みたまえ」

 素気無い私の言葉にいくらか落胆した様子の結城は「それなら、ナオヒコさんの連絡先を教えてください」と言い出した。

「尚彦の?」

「先生は一人暮らしでしょう」

 故郷にいる私の両親が一昨年に相次いで亡くなったのを彼は知っていた。

「他に入院を知らせる人ってナオヒコさんだけじゃないですか、連絡しておいた方がいいと思って。お見舞いに来てもらえば先生も寂しくないでしょうし、今だって電話が通じなくて心配しているかもしれませんよ」

「わかった。私からかけておく」

 尚彦への電話など実行する気もないのに、私はそう答えた。

 四年前に別れて以来、彼とは一切連絡を取っていない。その後、年賀状などの便りが届いたけれど、返事は書かずにいたし、携帯電話の番号も変えた。二人を結ぶすべてのものを断ち切ることのみが自身のプライドを守る手段だったのだ。

 それにしても、普通ならばこれ幸いと、私と尚彦の間を邪魔しようと考えるはずなのに、その彼に連絡すると言い出すなんて、この男はどこまで気をまわすつもりだろう。

「病院内でのケータイは禁止ですよ」

「当たり前だ。公衆電話からかける」

「そこまで歩けるんですか」

「車椅子を使えば何とでもなる」

 押し問答を続けたあと、結城はガッカリした表情で小さく溜め息をついた。

「もうちょっと居たかったんだけどな……それじゃあお大事に。おやすみなさい」

 彼が病室から立ち去ったとたん、またしても激しい後悔の嵐が私を襲った。

 一学生である結城が師とはいえ、私のためにここまで尽くしてくれているのに、冷たい態度を取った上、ろくに礼も言わずに追い返すなんて見下げたヤツ、そんな自分がイヤになる。

 結城が三田と仲良くしていた、いや、しなければならない立場だからといって、彼を責め立てたところで何になろう。二人に嫉妬した挙げ句、四十近くにもなって大人げない言動を繰り返す私のどこがクールで知的でジェントルマンだというのだ、ちゃんちゃらおかしい。

 あはは、と私は可笑しくもないのに笑った。笑いながら涙が出た。とめどなく溢れる涙が枕を、シーツを濡らす。

 とっくにわかっていた。

 これまでの彼の素行、女遊びの行状を並べ立てて、あいつはダメだと否定したくとも、私は結城に惹かれている。齢の差がどうの、師弟関係がこうのと理由をつけても、この気持ちは誤魔化せない。拭い去るなど不可能だ。

 だが、我が意のままに突き進むなど、私のような状況に置かれた者にできようか。様々なタブーを撥ね退けるほどの強さを持ち合わせていない小市民はひたすら悩むのみ。

 想いの迷路に入り込み、混乱したままの私はぐったりとし、怪我と疲労が重なったせいか、いつの間にか寝入ってしまった。

                                ……⑤に続く