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オリジナルBL小説をお披露目しちゃいます

プロフェッサーHと学ぶBLの法則 ①

    第一章  堅物教授vsドン・ファン学生

「先生、ねえ、羽鳥先生ってば」

 二時限目の講義を終えて教室から出ようとすると、背後からやかましく話しかける声が耳をつんざいた。

「今からメシでしょ、学食行くんでしょ、お供しますよ」

 白衣を翻して振り返り、銀縁のメガネを通して見ると、果たしてそこには屈託のない笑顔を向ける男が立っていた。ウチの研究室の三回生、結城大(ゆうき まさる)だ。

 私が勤める神明大学といえば、数ある私立の総合大学の中でも歴史が古く、多くの優秀な人材を輩出していることで有名である。

 学部が多ければ学生の数もそれなりに多く、三つあるキャンパスのうち、都内の二つは文系の学部を、神奈川県川崎市にある三つめのキャンパス・川崎校舎には理系の学部を集めている。

 かつてはダサくて小汚い学生であふれ返っていた──それを『男気とバンカラ』が売り、などと都合のいい表現でキャンパス紹介文に載せた──この大学も時代の流れでそれなりに進化したようで、理系学部にも女子の増加と共に見栄えのいい男子学生が増えたが、もっとも顕著な例がこの結城というヤツだ。

 派手に立ち上げた、金髪に近い髪の色。広い肩幅に浅黒い肌と二重瞼の鋭い目元、キリッと整った造りに野性のエッセンスを加えた顔立ちが印象に残る男。バンカラの進化形とあって、ブランド物を身に着けるなどのオシャレをして気取るわけではなく、ごく普通のTシャツにジーンズ姿がキマるタイプで、そのルックスの良さは群を抜き、キャンパス内でも大いに目立つ存在だった。

 こちらの目線よりはるかに高い、百八十五センチの長身に見下ろされると、標準サイズの私はそれだけでバカにされた気分になるが、それでも不快感を面に出さないよう努めながら彼の言葉に応じた。

「その必要はない。昼食は講義の……」

「あー、俺もう、腹ぺっこぺこ。今日は何にしようかな、B定食のおかず、唐揚げだといいな」

「だから必要な……」

「おっと、早く行かないと座る席なくなりますよ、急ぎましょう」

 聞いてない。まったく聞いていない。

 結城は私の袖をつかむと、校舎から学生会館へと向かう通路を一目散に駆け出した。

「なっ、何をする!」

 その結果、しかめ面をしたまま、私は食堂のパイプ椅子に腰掛け、向かい合わせに座った結城がB定食の唐揚げにかぶりつくのを眺める羽目になった。

 なぜ、私はここにおとなしく座っているのか。一端の大学教授ともあろう者がたった一人の学生に振り回されてどうする。

 こんなふうに自分で紹介するのもおこがましいが、某有名大学を優秀な成績で卒業した私は神明大の大学院を進学先に選び、研究室助手から准教授を経て、理工学部生物学科の教授へと異例のスピードで昇進した。進学のために上京して二十年余り経つが、順調にエリートコースを歩んできた、その点に於いては成功した人生といえるだろう。

 理系学部では三回生からいずれかの研究室に所属するよう定められており、それは二回生の終わり頃に希望を募って、人数調整をした上で決定する。

 学科毎に十余りの研究室があるのだが、伝統がある、教授の実績や人柄が評価されているといった理由の他に、出身OBとの連携などで企業とのパイプが太く、就職に有利なため人気を集めているところや、そうでないところなど、その実情は様々。

 そんな中にあって私の植物遺伝学研究室はまずまずの人気で、今年度は六名もの三回生が入室を志願してきた。

 全員男子学生であるその六人が──ただし、入室早々交通事故に遭って入院してしまった者が一人いるため、現在顔を合わせるのは五人である──研究室生として加わったのが四月の初めで、五月に入ってからはようやく彼らにも慣れ親しむようになったが、どういうわけか何かにつけて絡んでくる結城のお蔭で、これまで平穏だった私の生活リズムは狂いっぱなしになってしまった。

 バカバカしい、こんなヤツの相手をしている暇はないはずだと自問自答を繰り広げながらも、席を立つ気にはなれずにぼんやりとしていると、結城の箸を持つ手が止まった。

「本当に何も食べなくていいんですか」

「……昼食は講義の前に済ませたと、さっきから何度も言っただろう」

 鼻白んだ私は胸のポケットからタバコを取り出そうとしてやめた。食堂は終日禁煙だった、イライラが一層募る。

 こちらの気持ちを一向に察しようとしない目の前のワイルド系イケメンはあっけらかんと「そうでしたっけ」とのたまった。

 強引でちゃらんぽらんでマイペース。血液型占いなどというものを全面的に信用しているわけではないが、これはB型の気質に当てはまるのではと思われる。几帳面で神経質を大いに自覚しているA型の私とはもっとも相容れないタイプだ。

「そんなに早い時間に食ったんじゃ、また腹が減ると思うけど」

「大きなお世話だ」

「じゃあコーヒーでも飲みます? 先生はコーヒーがあれば御満悦でしょう」

 言うが早いか、彼は喫茶コーナーのコーヒーカップを手にして戻ってきた。気分を害した様子もなく、コマメに動くところは認めてやらないでもないが、相手のペースに巻き込まれているのが面白くない。

 見かけによらない、そのコマメさが女性にモテる秘訣というのも充分承知している。ルックスの良さとの相乗効果で、結城大といえば理工学部一のドン・ファンであるという噂は教授たちの間でも有名だ。

 同級生はもとより、下は女子高生から上は熟女までと守備範囲も広く、キャンパスの近辺から新宿・渋谷に横浜と、女性同伴の目撃情報には事欠かないが、担当教授としては少しでもいいから、その情熱を勉学の方へ向けてもらいたいと切望する。

 ただし、これは決してやっかんでいるのではないと御理解願いたい。私自身は女性に興味がないし、彼がどんなにモテようと知ったことでもないからだ。

 届けられたコーヒーを黙って啜っていると、結城は私の口元をじっと見つめた。

「先生の唇、色っぽいですね。キスしたくなっちゃうな」

 そのとたん、焦げ茶色の液体は食道ではなく気管へと侵入し、私はゲホゲホと派手にむせた。動揺していると見なされるのが悔しいけれど、これがなかなか治まらない。

「大丈夫ですか?」

「……心配は無用だ。それより、つまらない冗談は控えてくれたまえ」

「だって、ホントにそう思ったから」

「思ったことをそのまま口にするほど分別がないのかい? 大学生にもなって困ったものだね」

「自分の気持ちに正直なだけですよ」

「自分の気持ち、ね。それには何か下心があるのかな? 私の唇を褒めたところで可の成績が良に上がるとは思えないけれど」

「そんなふうに考えるのって、ひねくれていませんか? 素直に喜んで欲しいな」

「何ゆえに喜ぶなどという反応を期待するのだ。そっちの思考回路こそ捻じ曲がっているんじゃないのか」

「そうかな。まあ、とにかく俺は先生の唇が好きですよ。唇だけじゃない、メガネの奥のキレイな瞳も、柔らかそうな髪の毛も、真っ白な肌も……」

 こちらからの牽制にも関わらず「貴方のすべてが好きだ」などと、今にも告白しかねない雰囲気を漂わせ始めた結城、嘘か本気か、その目が熱を帯びている。学食という色気のない場所でこんな展開になるとは、いったい誰が予想しようか。

 久しぶりに聞いた口説き文句は「キミの瞳は星のように美しい」に類似して古臭い上に、かなりダサいというか甘ったるくて、恥ずかしくなるような形容詞ばかり。

 いつもこんなふうに女を口説いているのか、彼のような色男ならば、この程度の乏しいボキャブラリーでも通用し、尚且つ、誰かしら引っかかるのかと勘繰ってみるものの、それでも胸がざわめくのを感じた私はうろたえた。

「キミは重大な思い違いをしている。私は男で、しかも、もうすぐ四十路を迎えようという齢だ。そういう口説き方がお得意のようだが、手腕を発揮するのに該当する相手ではない、他をあたりなさい」

「口説いていると聞こえましたか。じゃあ、大成功だ」

 いい加減にしろ、大人をからかうんじゃない、などと、ありきたりの反応をするのもバカらしくて、私はしばし沈黙を守った。

 頭脳明晰、金声玉振、才気煥発に容姿端麗、才色兼備──これは本来女性限定なのだが、私に限っては用いられるそうだ──人々がこれまで私を形容するのに使用した数々の四字熟語の中に冷静沈着がある。

 その期待どおり、私はいつ何どきも取り乱してはならない。自分よりはるかに年少の若者、それも有名な女タラシのセリフを真に受けて、一瞬とはいえ心を乱すなど、あるまじきこと。プライドが許さない。

「あれ、羽鳥先生。また大のヤツにつきまとわれてるんですか?」

 こちらの姿を見つけて近寄ってきたのは我が遺伝研の三回生の松下と芝で、結城とは同級生になる。昼食を終えて食堂から出ようとしていたところらしい。

「ああ、キミたちか」

 さり気なく答えたつもりだが、救世主の出現にホッとしたのが伝わったようで、二人はニヤニヤ笑いながら私たちを見比べた。

「午後は実験がありましたよね。先生も忙しいのに、わざわざメシにつき合うなんて、こいつを図に乗らせちゃダメですよ」

「いや、学食のレギュラーコーヒーが飲みたくなったからで、別につき合ったわけではないんだ。インスタントにも飽きたしね」

 私が否定の言葉を発すると、ひょろりと背の高い松下と小柄な芝のデコボココンビはなるほど、と納得した。

「そうですか、そんなことだと思った。さすがのタラシも思うようにはいかないってわけか。ご愁傷様」

「よう、大よ、おまえもマジでしぶといな。先生にアタック開始して、これで何週間経つんだよ。あきらめ悪いんだから」

「そうそう。だから言っただろ、いくらモテ男だからって、誰でもなびくと思ったら大間違いだぜ。イイ気になって賭けなんか……」

「おまえら、うるせえよ。散れ」

 結城は左手を振って、仲間を追い払うような身振りをした。

「賭け? 聞き捨てならないな」

 彼らの発言は自分にとって不利なものである、結城のその反応を敏感に感じ取った私が意地の悪い質問を繰り出すと、次の瞬間、松下たちの表情が変化した。

「何のことか、説明してもらおうか」

「えっ、それはその……」

 もじもじしながら互いに目配せしていた松下と芝だが、私の突き刺す視線を受けて、しぶしぶと口を開いた。

「大が自分は子供からおばあちゃんまで、どんな女にもモテるって、あんまり自慢するから、それなら男相手はどうだ、って話になったんです」

 どんな相手でも口説いてみせると豪語する結城に対して、だったら男を口説いてみろと仲間たちがけしかけたらしい。まったく、くだらないことを思いついたものだ。

 売り言葉に買い言葉で、やってやると結城が承知し、ターゲットとして白羽の矢が当たったのはこの私、羽鳥準一(はとり じゅんいち)だった。私に対する彼の急接近を不審に思っていたが、なるほど、やはりそういう裏があったわけか。

こちらの顔色を窺いながら、芝が「どうせなら目標は高い方がいい、って大が言うもんだから」と弁解すると、松下も同調した。

「先生って、早くから教授になったエリートでしょう。超がつくほどの美男子で、中年太りもしていないし、スマートでルックス抜群。クールで知的、気品のあるジェントルマンっていうか、とにかくオレたちの憧れの的なんスよ」

「白衣姿ばっかりでイマイチ地味なのが惜しいんですよ。見た目は若いんだから、もっとオシャレすればスゴイことになるっつーか。大のバカよりよっぽど女にモテそうなのに、どうしてその齢まで独身なのかな、きっと先生のメガネにかなう相手がいないんだろう、なんて噂してたくらいで」

 これはまた、ずいぶんと持ち上げてくれるではないか。イケメン教授の誉れ高い私の元に、絶対数が少ないとはいえ、女子学生が一人も入室しない謎には一切触れられていないけれど。

 とにかく、お褒めをいただいて悪い気はしないが、エヘヘと照れ笑いする二人を前に、私の心中は複雑だった。

 この際だから明白にしておくが、私は思春期に於いて、異性ではなく同性に目覚めてしまった生粋のゲイである。多くの男と関係を結んだ過去もあったが、齢を重ねるにつれ、そういう交渉も少なくなり、今は皆無だ。

 私の相手をしていた者たちは皆、女性との結婚を選び、普通の男として生きる道を選んだが、彼らを責めるつもりは毛頭ない。大学を卒業して一歩社会に踏み出せば、ましてや、三十五歳も過ぎれば会社での地位と自分の未来──結婚に続く育児、老後──といったものを真剣に考えるようになって当然だからだ。

 かくいう私も世間体を考え、世話好きな人々のお蔭によってお見合いを重ね、婚約寸前までいったが、けっきょく破談になった。相手の女性には申し訳ないが、ホッとした、というのがその時の偽らざる心情だ。妻に興味が持てない、生涯を共にするはずのパートナーにそんな指向があると知ったら、当人がどんなに傷つくことか。

 一人の女性を不幸にしなかった代わりに、私は未だ独身。初体験の低年齢化が進む昨今において、三十九にして童貞のままであり、この先経験することもないだろう。一生独身を貫く結果になるという意味だ。

 仕事の面では順調に歩んできたが、家庭を持つ一人前の男という点では完全に脱落してしまった私を憧れの的と呼んでくれる学生たちに罪悪感をおぼえていると、

「……それでいて真面目で堅物、なんて言ったら失礼かな。とにかく、そんな先生がこのバカの誘いなんかに乗りっこないから、オレたちの勝ちは決まったも同然ってゆーか、最初から勝負にならないけど、こいつがまた頑固で引かないんですよ」

 同じ年代の学生を相手にするのではなく、自分の担当となる年上の教授を狙う。生真面目な性格で、恋愛やセックス等、一見そちらの方面にも潔癖に見える私を落とすことに成功すれば、仲間たちに己の口説きのテクニックの凄さをより強く認めさせることができるというわけだ。

 そんなの絶対に無理だ、失敗する方に一万円と言い張る松下たちに、成功に賭ける自分の倍の金を賭けさせたと聞いて、私は呆れ返った。

「くだらない賭け事をしている暇があったら、文献のひとつでも訳したらどうだ。ともかく、金のやり取りはやめなさい、いいね」

 私の言葉にしょげ返った顔で頷く松下と芝とは対照的に、肝心の結城はしれっとしている。ふてぶてしいというか憎たらしいというか、こいつを卒業まで面倒みなければならないと思うと気が重くなった。

「おまえらが余計なこと言うからだぞ」

「だ、だって」

「せっかく上手くいきそうだったのに、あと一歩のところでバラしやがって」

「嘘だよ、そんなはずあるわけ……」

 反省の色を見せるどころか、松下にいちゃもんをつける結城、こそこそと会話する彼らをねめつけると、三人は口をつぐんだ。

 何が上手くいきそうだったのに、だ。おまえごとき若僧の甘言に、この羽鳥準一様が乗せられるとでも思っていたのか、バカ者め。苛立ちがまたしても私を襲った。

 私の表情をチラリと見てとると、

「さてと、それじゃあ先生を怒らせた悪い生徒たちは退散しますか」

 食器の乗ったトレイを手に、捨てゼリフを吐く結城のジーンズのポケットからピロピローンとまぬけな音が聞こえた。メールの着信音らしい、トレイをテーブルの上に戻し、スマホを手にした結城はそれから親指で画面をせわしなくタップした。

「何だよ、また女からお誘いのメール?」

 モテるヤツは違うと、仲間のやっかみを平然として受け止めると、

「今夜の合コンの返事くれって。お嬢様揃いのフェイク女子大だぜ、行きたいヤツ、早い者勝ち」

 素気無く答えてデコボココンビを見る。飢えた男共の目つきが変わるのを楽しんでいるかのようだ。

「はいっ、行く行く!」

「頼む、大。ボクも入れて」

「そんじゃ、手数料として一人千円な」

「ええーっ」

 サッと手を出すこのがめつい級友に、二人の恨めしげな視線が突き刺さっている。

「二万円×二人分、貰い損ねちゃったもんな。取り返さないと」

 この男、誘惑を成功させる気でいたのか。あくまでも賭けに勝つつもりだったのか。なんて厚かましいヤツだ、その絶対的な自信はどこからくるのだと、呆れるとか怒りを通り越した気分で呆然としていると、二人に続いて席を立った結城はセルフサービスの食器を下げてから、単身で戻ってきた。

「金はあきらめましたけど、先生のことはあきらめていませんから」

「何だって?」

「狙った獲物は絶対にゲットするのが信条なんスよ。そこんとこヨロシク」

 ニヤッと笑ってウィンクすると、結城は悠々とした足取りで食堂を出て行った。

 残された私はやり切れない思いで冷え切ったコーヒーを飲み干し、またしてもむせ返ってしまった。

                                 ……②に続く