第十一章 一本勝負だ!
迎えた栄光学園との練習試合の日。僕たちBチームは栄光のA、B両チームともあっさりと倒し、残るは同じく栄光に圧勝した加賀美先輩たちのAチームとの対決のみになった。
試合前、僕の傍にやってきた小次郎はこの試合に限り、先鋒と大将を交替して欲しいと頼んできた。
「えっ? なんでまた」
訝る僕に、彼は真剣な目を向けた。
「加賀美部長と勝負したい。納得がいくように、俺の中でケリをつけたいからよ」
「それって……」
返す言葉を失う。
近寄り難いなどと思わず、さっさと誤解をとけばよかったのに。
事件後のゴタゴタのせいで、などという弁解は通用しない。我ながら対応の鈍さに呆れるが、切り出すには時間がなさすぎる。
とりあえずBチームの他の三人に先鋒と大将の交替の件を相談したところ、誰にも異存はなかった。
部でもっとも強い先輩に挑戦したいという小次郎の希望は──その本意は別のところにあるけど──みんなも納得のいくものだったし、加賀美先輩の立場からすれば、僕とあたれば負ける可能性もあるけれど、小次郎が相手なら大方勝てるだろう。
それならば部長としての面目が保てる、先輩に花を持たせるというシナリオは都合がいいと考えたわけだ。
でも……気持ちにケリをつけるってことは加賀美先輩に負けたとしたら、小次郎は僕をあきらめるつもりなのだろうか。僕が本当に好きなのは小次郎なのに、勝手な真似をされては困る。
思わずそちらを見つめると、彼は親指を立ててニカッと笑った。
「絶対に勝ってみせるって」
「勝っても負けても、僕はおまえが好きなんだから」──なんて、公の場で言えるはずもない。
僕は何もコメントできないままで、そのうちに休憩時間が終わって再び試合開始時刻となった。
開始早々、先輩たちの中では二番目に強い先鋒を失礼ながらササッと片づけた僕は仲間の応援にまわった。
続く次鋒と中堅は破れたものの、副将が辛勝して二対二の同点。大将戦が盛り上がるのは当然で、竹刀を構えて対峙する加賀美先輩と小次郎の双方に対して、それぞれに熱烈な声援が上がる。
かつて好きだった人と、今現在好きな人の対決だ。僕は固唾を呑んで二人の姿を見守った。
先に攻撃を仕掛けたのは血気盛ん(?)な小次郎で、掛け声と共に小手狙いに出たが、先輩はすかさず左足を開き足にして振りかぶり、右手を竹刀から離して攻撃を抜いた。
「小手抜き半面かっ」
その通り、左片手だけで繰り出す、相手の面への打ち込みだ。
高校生でこういった片手技をこなせるというのは相当腕が立つという証で、それでも小次郎はすれすれのところで先輩の竹刀をかわした。
ホッとした、命中しなくてよかったと安堵した僕は「頑張れ、小次郎っ!」と声援を送り、手に汗を握りながら彼の動作を目で追った。
丁々発止、技と力の応酬が続く。
小次郎の仕掛ける攻撃はことごとく読まれていた。加賀美先輩のこのあたりの読みの深さはさすがというしかないが、対する小次郎も先輩が返す技を紙一重でかわすあたり、決してひけを取らない。
膠着状態を打破したのは小次郎だった。右足から踏み込んでの払い胴が決まって、応援団からは感嘆と歓声が上がる。
「佐久間が加賀美から一本取ったぞ!」
「すげえ! あいつ、あそこまで強かったのか?」
先輩たちの驚きを耳にして、僕は誇らしい気持ちになった。何かと張り合いたがる小次郎に対してウンザリしていた四月当初からすれば、信じられないほどの変化だ。
ここまできたらと、小次郎の勝利を祈っていたが、すかさず反撃に出た加賀美先輩は瞬く間に小手を打ち、これが有効打突となって一対一、続いて面を打ち込んで小次郎をリードし、やがてタイムアップ。かくして、大将戦は加賀美先輩の勝ちで、同時にAチームの優勝が決定した。
大喜びの二・三年生を尻目に、悔しげに唇を噛んでいた小次郎は僕と目が合うと、いたたまれない様子で横を向いた。
「よく頑張ったよ」
「負けちまったら何にもならねえ。やっぱりおまえが大将やるべきだった。そうすりゃBチームが優勝だったかもしれないのに。みんなにも悪いことしちまった」
「そんなことないよ。あの三人だって、それぞれに自分たちが勝てると思ってなかったし、僕も加賀美先輩が相手だったら、勝てたかどうか、わから……」
「慰めはいらねえよ」
まさに意気消沈。小次郎らしくない、弱気な発言に、何と言ったらいいのか、かける言葉もみつからなくなってしまった。
閉会式、先生からの連絡事項と続いて、今日はここで解散。
防具入れと竹刀を先生のワンボックスカーに積み込み終えると、あとは中等部の後輩たちにお任せという手筈で、帰り支度を始めた小次郎を見て、僕は慌てて『JYОSEI』の白いロゴが入った紺色のジャージの背中を追った。
今こそ、今度こそ、本当の想いを告げる。その覚悟はできている。
「何だよ。部長と一緒に帰るんじゃねえのか?」
「おまえと帰る」
「俺への気遣いなら無用だぜ」
「そんなんじゃないよ」
「…………」
無言のまま早足で歩く小次郎に遅れをとるまいと、僕は必死で歩いた。
川崎区にある栄光学園の最寄り駅からJR南武線に乗り、武蔵小杉駅で東横線に乗り換えるのが僕たちの帰宅ルートだ。
あと一駅で武蔵小杉に着いてしまう。黙って吊り革を握る小次郎の横顔を盗み見ながら、僕の緊張は否応にも高まってきた。
何とか気持ちを落ち着かせねばと、ポケットの中の切符を握りしめる。行き先は東横線の初乗り区間内だ。
もちろん車内でコクるなんて真似はできないから、元住吉の駅に着いたらここで降りると彼に告げて、そのあと──
「じゃあな」
ふいのセリフを耳にして我に返る。
小次郎は軽く手を振ると、乗り換えの連絡通路とは別の方向に歩き始めていた。
「と、東横に乗らないの?」
「ああ。ここから歩いて帰るから」
しまった!
スーパー特待生の頭脳を持つ僕としたことがなんたる失態だ。
小次郎のアパートは武蔵小杉と元住吉の中間、というよりいくらか元住寄りなので、専らそちらの駅を使っていると聞いていた。
わざわざ乗り換えて一駅先まで乗るぐらいなら歩いた方が早い。どうしてそこまで気がつかなかったんだろう。
急いで追いかけようとしたものの、何しろ歩くのが早い彼のこと、人波に紛れてもう見えない。
あとを追うにも、ここらの地理には詳しくないから、武蔵小杉からアパートまでのルートも不案内だ。呆然と立ちすくむ僕の頭の中は真っ白になっていた。
せっかくのチャンスだったのに……
何とか気を取り直して、東横線のホームに向かう。
このまま帰ろうか。いや、あきらめたくはない。様々な思いが交差して、混乱してくる。僕はいったいどうすればいい──
「御乗車ありがとうございました。次は元住吉、元住吉……」
やっぱり行こう。今しかない。
到着のアナウンスが流れたとたん、僕は決心を固めた。
改札を抜けると、小次郎のアパートを目指して進む。一度しか案内されていないから、不安になる分かれ道もあった。何しろギリギリの精神状態で向かっているのだ。あの日ケーキを買った店の前に出た時にはホッとして涙が出そうになった。
次の角を曲がって、一軒、二軒、三軒目の二階建てのアパート……
「そう……ここだ」
思わず言葉が漏れる。
小次郎の部屋の前に立った僕は押し寄せる緊張に身震いした。
呼び鈴がないので、勇気をふりしぼってノックをするが返事はない。もう一度、今度は少し強めに扉を叩く。中からは何の音も聞こえず、拍子抜けすると同時に、緊張がしぼんで絶望に変わった。
まだ帰ってないってこと?
いったいどこへ行ってしまったんだろう。まさか、僕の方が早く到着したとでも?
バカな。引き続き電車に乗った上に、到着後もあれだけモタモタしていたのに、そんなことは有り得ない。
それともさっさと帰れっていう、神様の思し召しなのか。小次郎のことはあきらめろって、そう命じているのか。こんな時はどうしても悲観的になってしまう。
これは小次郎の想いを弄び、イイ気になっていた僕への天罰だ。気づいた時には手が届かなくなっていた、そう思い知らすための制裁だったのだと……
……⑫に続く