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オリジナルBL小説をお披露目しちゃいます

純情一直線 ⑥

    第六章  正義の味方

 翌週金曜日の放課後、先生たちの研修の都合で部活動はまたしても全面休止、常聖学園生は一斉下校となった。

 僕もさっそく東横線に乗ったはいいが、よく見ると鈍行だった。帰る時間がふだんより早いのに、いつもの電車に乗ったつもりでいたらしいけど、まあ、いいかと思いながら辺りを見回す。

 この時間帯、通勤の帰宅ラッシュにはまだまだなのに、思いの他混み合っている。僕たち高校生以外にも、バイトに向かう大学生やら、街で買い物を終えた主婦などがけっこう乗り込んでいるせいだ。

 派手な色使いで目を引く週刊誌の車内広告に「欲望に溺れて」の一文を見つけた僕はいつぞやの部会のあとに、加賀美先輩が漏らした言葉を思い返した。

『ボクはどうかしていた。欲望に溺れたバカなヤツだと笑って、忘れてくれ』

 笑って忘れてくれなんて、部活で毎日顔を合わせているのに、できるわけないって。

 先輩が僕に別れを切り出した理由はもちろん、僕という恋人を手放すことで嫉妬深い真辺を自分に繋ぎ止めるため。

 そこまで先輩を虜にした要因は何なのか。そもそも、これまでにも何人もの男を手玉に取っていたという真辺の、男たちを次々と惹きつける良さがいったいどこにあるのかと、納得がいかない部分もあった。

 男とは思えない愛らしいルックス? 気配り上手で甘え上手な性格? なよなよと頼りない、男の保護欲をそそる態度? それって女の領域、いくらなんでも現実として男である身、そういう真似はできない。

 それこそ頑固ジジイにブッ飛ばされる。ウチのジイさんが真辺みたいなヤツを見たら、有無を言わさずいきなりブッ飛ばして「えいやっ!」と切り捨て御免だ。

 けれども先輩のセリフによって、僕はひとつの確信を得た。

 欲望に溺れた──それが何を意味するのかの見当がついた。先輩が溺れたのはズバリ、真辺とのセックスだ。それゆえに、多少イヤなことがあっても別れられなくなっているんだ、たぶん。

 真辺が男同士というセックスに於いて、女とやるセックス以上に相手の男を虜にする理由、噂には聞いたことがあったけど、嘘か本当なのかわからなかったその理由とはエッチが上手だから。古い表現を使えば『床上手』ってやつだ。

 そっち方面の欲求がピークを迎える年代だもの、妊娠の可能性の心配をせずに欲望を処理できる相手、しかもテクニックに長けていて、何度もイカしてくれる相手の存在は、性別を問わない人には大歓迎だろう。

 はっきりいって僕は『床上手』ではない。テクニック云々にはまったく自信がない。いつもされるがままだったし、そもそも、そういう機会を持つこと自体が少なかった。

 加賀美先輩は不満を口にこそ出さなかったけれど、どんなに紳士的に振る舞っていても所詮は若いオス、真辺に転んだというのはやっぱり僕が相手じゃ物足りなかったんだろうと思う。

『床上手』といった特殊技術で真辺を超えたいとは思わないし、技を磨いて先輩を取り戻してやるみたいな、バカげた考えもないけれど、下半身の問題が元でフラれたなんて、何となく癪に障る。

 イライラしてきた僕は気分を落ち着けようと、手すりにつかまったまま視線を車外に移して景色を眺めることにした。景色といっても、いつもと同じ見慣れた都会の風景で、気分転換になるはずもないけれど。

 すると、背後から聞き覚えのある声が飛んできてギクリとした。

「てめえら、どこに目つけてんだよ」

 あのがさつな声……小次郎だ。混雑しているせいか、あいつもこの電車に乗っていたとは気づかなかったけど、それにしてもいったい誰に喧嘩を売っているのか。思わず背筋に緊張が走る。

「このシートの色は何だ、ほれ言ってみろ。灰色じゃねえぜ、銀。シルバーだろ、ここはシルバーシートなんだよ。わかってんのか、コラ」

 このシートが目に入らぬかと言わんばかりに誰かを威圧しているけど、何事が起きているんだろうか。

 林立する乗客の隙間から声のする方向を恐る恐る覗き見ると、足を投げ出し、ガムを噛みながらシルバーシートに腰掛けている若い男女に小次郎がいちゃもんをつけているのがわかった。

 あれでも学生なのか、それともフリーターか無職か、下品なデザインの私服姿に派手な化粧、髪を金色に染めた、不良のサンプルみたいなヤツらが目の前に立ちはだかる小次郎をうっとおしげに見ている。

 もっとも、ひとつにまとめた長髪に加えてネクタイをだらしなくゆるめ、ワイシャツがズボンからはみ出た格好の小次郎も五十歩百歩、却ってこっちの方が不良だと思われる可能性は大だ。

「っせーな、こいつ。さっきからいったいなんなんだよ」

「マジ、ウザいしィ」

 アゴヒゲがまばらに生えた、しゃくれ顔の男の言葉に、エクステとマスカラのお蔭で顔の半分が目と化しているキャバ系女が同調すると、小次郎の血管がブチッ! とキレる音が聞こえた──ような気がした。

「このウスラボケ、とっとと譲れってのがわかんねーのかよっ!」

 男の襟首を締めあげる小次郎を見て、辺りの女子高生が悲鳴を上げる。チンピラ同士の乱闘、始まり始まり。

「が、学生さん、そう乱暴なマネは……」

「バアちゃん、こういう図々しいヤツらは思い知らせた方がいいんだよ。オラッ、立て、この野郎!」

 小次郎の傍にはお婆さんが立っていた。齢はとうに八十を越えているだろう、腰も曲がり気味でかなり辛そうだが、その人のために席を譲るよう交渉──というよりは脅迫──しているのだとわかった。

「このガキャ、いい気になりや……」

「あン、俺とサシでやるのか? 腰抜けかと思えば、なかなか度胸あるじゃねえか」

 その腕力は言うに及ばず、相手を威嚇する鋭い目つきと、長身の身体からほとばしるド迫力に怯んだらしい不良男は電車が次の駅に到着するや否や、女を連れて一目散に逃げ出した。

「おっしゃ、座席ゲット! さあ、バアちゃん座ってくれよ。二つ空いたからさ、そっちのジイちゃんも隣へどうぞ。ああ、俺はいいって。俺が座ったんじゃ、さっきのヤツらと同類になっちまうしよ。な、バアちゃん、どこまで行くんだ? 新丸子? そーか、俺は元住吉なんだ」

 弱い者いじめは当然のこと、ルールやマナーを守らないのは絶対に許せないし、もちろん見て見ぬふりもできない、小次郎らしいといえば彼らしい騒動だったけど、電車内でこんな大騒ぎを起こされて、お婆さんにとっては迷惑じゃなかったのだろうか。

 僕はそんなふうに危惧したが、当のお婆さんは親しげに話しかける小次郎と嬉しそうに会話している。

 ウチのジイさんといい、年配者にはウケのいいタイプなんだと思いながらも、誇らしい気持ちになった。

 もうすぐ最寄りの菊名駅だ、降りなきゃと思いつつも、もう少し彼の笑顔を見ていたい。元住吉を過ぎたら、下り電車で引き返せばいいや……なぁんて考えていたら、立っていた乗客たちが当の菊名で次々に下車して隙間だらけ。僕の姿は小次郎の位置から丸見えになってしまった。

 僕を見つけた小次郎はそれこそびっくりした表情になり、すかさずこちらへスッ飛んできた。

「武蔵じゃねーか。乗ってたなんて全然気がつかなかった」

「う、うん……」

 シルバーシート騒動の一部始終は見ていたよ、などと蒸し返すのも変だし、適当に語尾を濁すと、彼は列車の後方を振り返る仕草をしながら訊いた。

「さっき停まった駅って菊名だと思ったけど、降りなくていいのか? それとも乗り越しするとか?」

「あ、ちょっと渋谷まで」

「へえ、渋谷かぁ。さっすが、都会育ちは気軽にそういうとこに出るんだな」

 僕の言葉を疑いもせずに納得する小次郎の様子を窺いつつ、ふと、どうせ元住吉を過ぎるなら、彼が住んでいるというアパートを見てみたいと思った。

 ウチの道場に続いてみなとみらいも案内したのだ、今度はそっちの番だともちかけたらどうだろうか。

 体勢を立て直した僕は「あ、そうだ。今日は渋谷まで行かなくてもよかったんだっけ。乗り越したのにもったいないな」などと、嘘臭いセリフを口にした。

「えっ、どうすんだよ」

「部活なかったから時間もあるし、元住吉で下車しちゃおうかな」

 僕の言葉を聞いて、小次郎は目をパチクリした。

「元住で降りるのか?」

「うん。せっかくだから街を案内してよ。ずっと東横沿線に住んでいるのに、じつは一度も降りたことがなくてさぁ。みなとみらいや菊名を案内したんだから、そのお返しってことで」

 しらじらしい提案にも関わらず、小次郎は不思議に思う様子もなく承知した。

 やがて電車は目的の駅へ到着し、僕たちは改札を抜けて東口方面へと進んだ。小次郎はここが何々屋だと説明しながら、スーパーやら百円ショップ、コンビニに本屋といった行きつけの店を紹介してくれた。

「いつも自炊してるの?」

「たまにな。大したもんは作らないけどよ、毎度外食じゃ、いくら生活費があっても足りねえし、弁当ばかり食ってたら飽きちまった。まあ、メシは何とかなるけど、面倒臭えのは洗濯だな」

 僕もたまに母を手伝うことはあるが、日常生活のほとんどの部分を両親に任せている。高校生の彼が自分の所帯を自分で切り盛りしていることに対して、改めて畏敬の念を抱いた。同じようにやれと言われてできるかどうか、自信はない。

 商店が立ち並ぶ通りを過ぎて住宅街に入ると、一軒家からマンション、アパートといった建物が立ち並び、公園などもあって、どこの街でもお目にかかる風景が広がる。

 この先にアパートがあると言ったあと、小次郎はいくらか声のトーンを落とした。

「おまえ、さっきの電車の中の騒ぎ、見てたんだろ」

「えっ? あ、うん」

 同じ車両に乗っていて、あの騒動に気づかないはずはないから嘘はつけない。

「ダメなんだよなー、俺。この前の横浜のときもそうだったからわかってると思うけどさ、ああいうヤツがいると、知らん顔ってのが絶対にできねえんだよ。中学ン時もそれで失敗しちまって」

 いくらか自嘲気味に語る小次郎の話によると、中学時代、いじめに万引き、カツあげと悪事のかぎりを働く卑怯者として悪名の高い同級生を殴ったところ、そいつの親が地方の名士とかで問題になり、地元高校への進学も妨害されたらしい。

「それで常聖に来たんだ」

「ああ。スポーツ推薦とか何とかいって、あの地域から体よく追い出されたってわけだ。でもまあ、今じゃ運命に感謝してる」

「感謝って?」

「この高校に来なきゃ、武蔵には出会えなかったもんな」

 今、何て言った? 

 思わず顔を見つめると、小次郎は慌てた様子で「そ、そう、おまえみたいな強いライバルに会えてよかったって」と答えたが、それだけじゃ言葉が足りないと考えたらしく、

「山梨じゃ、俺に敵うヤツはいなかったからなぁ、アッハッハ」

 ついには笑ってみせたけど、何だかわざとらしい。

 正直で真っ直ぐな性格の彼は嘘をつくのがヘタだ。あれだけ喧嘩腰だったのが掌を返したように親しげになった、近頃の態度の変化も奇妙だし、一緒にいて嬉しいとか、顔を赤らめることも度々あったし、デートという言葉には過敏なほどに反応していた。

 それって、もしかして、もしかしたら──小次郎は僕のことが……好き? 

 なんて、あまりにも唐突で都合よすぎだ。加賀美先輩や真辺に続いて、僕の周りにゲイばかりが集うなんて変だし、彼にゲイ的指向があるようには思えない。

 やっぱり考えすぎ、期待しすぎかと思いながらも、僕はその真意を確かめたくなっていた。

                                ……⑦に続く