第七章 小次郎の部屋で
周囲に注意を払った僕は街はずれにケーキ屋さんを発見、ちょっと買い物してくると言い、店内に入るとケーキを二つ、それからクッキーの袋詰めを買った。
「お待たせ。せっかくだから、部屋でコーヒーか紅茶でも御馳走してもらおうかなって。いいかな?」
手土産持参作戦、これでアパート訪問は断りづらくなると踏んだ。
「い、いいけど、汚ねえとこだぜ」
運命に感謝発言以降、おたおたと落ち着かない素振りを続けていた小次郎は僕から視線をはずすと、いくらか足早になった。
小次郎の住む二階建てのアパートは本人も汚ねえと証言したとおり、お世辞にもキレイとはいえない、古びたボロい建物で、ウチの学校が手配するのはこの程度かと落胆するにはじゅうぶんすぎるほど。彼の部屋は一階の隅にあった。
制服のジャケットをハンガーに掛けてネクタイをはずした小次郎はやかんに水を汲みながら、僕に声をかけた。
「テーブルのとこに座布団があるだろ、その辺に座ってくれよ。今、コーヒー淹れるから。ハンガーはそっちにあるやつを使ってくれればいいし」
「ああ、おかまいなく」
よそのお宅を訪問したオバさんのような、妙にかしこまった返事をしながら、僕は脱いだジャケットをたたんだあと『小次郎城』の内部を見回した。
間取りは四畳半のキッチンと、その奥の六畳の寝室で、どちらの床も畳ではなくフローリング仕様だ。寝室側に窓があり、グレーの遮光タイプのカーテンと、レースのものが下がっている。
僕が座っている方はキッチン側で、中央に小さなテーブルがぽつんと置いてあるだけ。下に英和辞典が押し込んであるあたり、このテーブルは勉強机と兼用らしい。
寝室に置いてあるものはシングルベッドと本棚と衣裳ケースぐらい、どこもかしこもシンプルな城だ。
男の一人暮らしの部屋と聞いて、古いアニメなんかにありがちなシーンを、それこそ万年床の周囲にゴミの袋が山積みになっているとか、食卓にカップ麺の容器と空のペットボトルが転がってるところを想像していたんだけど、思いの他片づいていて、案外几帳面なんだと感心した。
「ほらよ、コーヒー。インスタントしかなくて悪りィな」
小次郎はテーブルに白いマグカップを置くと、僕と向かい合わせに座った。
「ありがとう。これ、さっきのケーキ」
「ああ、サンキュー」
「甘いものは嫌い?」
「そんなことはねえよ。このチョコがかかったやつ、美味そうじゃねーか」
……しばし沈黙。
いつもはうるさいほどおしゃべりな彼が妙に寡黙になってしまい、しんと静まり返った室内には目覚まし時計の針がコチコチ時を刻む音と、コーヒーをすする音だけが響いて、何とも居心地が悪い。
「この辺りって、けっこう静かなところなんだね」
「そうだな。単身者が多いし、今の時代は奥さん連中も仕事に出るから、昼間は誰もいないっつーか、人気がねえよな」
……再び沈黙。
またしても静まり返る気配にいたたまれなくなった僕はついに、確かめたいあのことを切り出してみた。
「小次郎、僕をどう思ってる?」
その瞬間、ガチャガチャーンという派手な音と共に、彼は用意しようとしていたケーキ用の皿をひっくり返した。
これほどまでに単純な反応を見せてくれるとは、想像していた以上だ。
「ど、ど、どうって?」
上ずった声が裏返っている。これはかなり動揺している、脈ありとみたが、こういうタイプには単刀直入に訊く方がいい。
「僕のこと、好き?」
今度はカップをひっくり返し、こぼれたコーヒーを慌てて布巾で拭く始末。
動揺しまくる小次郎は「す、好きって、それはだな、ダチっつーか、剣道部の仲間として……」と、しどろもどろに言い訳を始めた。
「友達? それだけ?」
「そ、それだけって」
「僕の存在は友達止まりで、ちゃんと好きな人がいるってことだね。あ、もしかして山梨に彼女がいて、本当はその人と横浜巡りしたかったとか。そうか、そういうことか」
残念だと言わんばかりに悲しそうな顔をしてみせると、今度は慌てて手を横に振って否定を始めた。
「い、いや、だから、それはその、彼女なんているわけねーだろ、うん」
ようやく舌が回り始めた彼は引き続き「生まれてこの方、女にゃモテた試しがねえよ。十六年近く生きてきて、義理チョコひとつ貰ったことねえのが自慢だ。何せ、このキャラだからな。小学校のときから野蛮人だの原始人だのってアダ名がついてまわってたしよ」などとのたまった。
モテない自分を自信満々に吹聴するってのもどうかと思うけど、女の影がないことにハッキリとした確信が持てた僕は安堵した。
「そうそう、中学の卒業文集に『同級生の中で将来〇〇になれると思う人』っていう、卒業生全員にアンケートを取った投票結果みたいなページが載ってて『大臣になれる可能性のある人』とか『芸能界にデビューするかもしれない人』みたいな項目があってよ、その中で俺が選ばれたのは『無人島で生き残れると思う人』のベストワンだけ。それ読んだクラスの女子が全員揃って笑いやがったけど、ムカつくも何も、もうこんな人種は相手にしないって誓った」
「それってつまり、女という人種は相手にしない。彼女はいないし、欲しいとも思わない。そいつが結論だと」
「えっ、そ、そーゆーつもりじゃ」
せっかくの長弁舌も尻すぼみになってしまい、またしても勢いがなくなる小次郎に僕はたたみかけた。
「女にこだわる必要はない、というより、今は断然男の方がいい」
「お、おい、誘導尋問かよ。俺は男の方がいいとは言ってねーぞ。ただ……」
「ただ、何?」
「いや……その」
今の僕は保健室でキスを仕掛けた時と同じく、奇妙な高揚感に囚われていた。囚われついでに饒舌が止まらなくなる。
「ほらね。友達じゃなくて、別の意味で僕のことが好きなんでしょう?」
「べ、別の意味って何だよ。ワ、ワケわかんねーし」
「異性に対するのと同じ感覚で好きだという意味だよ。同性愛ってやつ」
それから僕は半ば脅すように「隠しても無駄だよ、お見通しだから」と告げた。
「お見通しって、そんな」
「好きですって、素直にコクれよ。黙って聞いてあげるからさ」
なんて意地の悪い言い草だと思いながらもそんな言い回しをすると、とうとう観念したらしく、小次郎はがっくりと肩を落としてうなだれた。広い背中が小さく震えている。
「まさか自分がそういう道に、なんて……でも、意識しちまったもんはもう……」
あの保健室のキスが──彼にとってのファーストキスが──自分に魔法をかけたと小次郎は語った。あれ以来、僕の存在が気になって仕方がない、と。
「俺ってばこのとおり、ボキャブラリーに乏しいから、何がどうってうまく説明できねえんだけど……近頃じゃ、おまえを見てると胸がいっぱいになるっつーか、ドキドキしてどうにもならなくて……」
僕と視線が合うと目を逸らしたり、何かあると赤くなったり、落ち着きをなくしたりの反応はそのせいだった。もしかしたら、の勘は当たっていた。
「そりゃ、俺は気の強いヤツが好みだけど、こんなに生意気で可愛げがなくて、しかも男なのに何で気になっちまうのかって、すげー悩んだりしてさ」
自分のキャラは自覚しているけど、生意気だの可愛げがないだのと正面きって指摘されると、ちょっとムカつく。
「それでも好きって認めるの?」
「ああ。誰かを好きになるってのは理屈じゃねえし。自分の気持ちに嘘はつかねえよ」
そう宣言したあと、小次郎は照れた様子でうつむいた。
やった! ついに彼の口から本心を引っ張り出すことに成功、ノーマルだった超純情男のハートを捉えたという思わぬ成果に、僕は満足感をおぼえていた。
世間の人々は、特に若い女の子などは加賀美先輩みたいな男を高嶺の花と呼ぶだろうし、そんな彼をいっときでも夢中にさせた自分の魅力に自信を持っていた僕、しかし、真辺の登場は──ヤツに先輩を奪われたことは──僕のプライドを粉々にしてしまった。
それがここにきて、粉々になったものを修復したと感じた。プライドを取り戻したというやつだ。そう、僕のちっぽけな、そのくせやたらと高いプライドだ。
真辺への対抗意識からくる、鬱積した思いをずっと引きずっていた僕は熱に浮かされたかのごとく、自分でも信じられないセリフを次々に繰り出した。
「だったら抱いてみてよ」
うつむいていた小次郎は弾かれたように顔を上げた。
面に驚愕が貼りついているけど、そりゃそうだろう。男から抱いてと言われて驚かないヤツはそういない。
「い、い、今、何て?」
「僕が好きなんでしょう。ベッドもあることだし、せっかくのチャンスだよ、ここで抱いたら?」
「そ、そ、そんな、マネ、でき……」
茹でダコもびっくりするほど、耳の裏側まで真っ赤になった小次郎は檻の中のライオンよろしく、右往左往し始めた。
「イヤなの?」
「イヤって、そうじゃなくて、やっぱ、いきなりそーゆーのはマズイだろうが」
「何がマズイんだよ? お互い合意の上なら問題ないだろ」
「だから、ええっと」
業を煮やした僕は自分からさっさとネクタイをはずし、ワイシャツを脱いだ。
自分で言い表すのもおこがましいんだけど、真っ白で絹のような柔肌が現れると、こちらにチラチラと目をやりながらも、小次郎は長身の背中を丸め、可哀想なほどに縮こまってしまった。
「ねえ、もしかして自信がないから、尻込みしているの?」
自信がないって、それって『床下手』を自覚している僕自身じゃないか。
自分のことは棚に上げて、僕は小次郎を挑発し続けた。
「自信って、何の自信だよ?」
「どうせ童貞なんだろ。僕にヘタだとか何とか言われるのが恐い。図星かな?」
僕はどうしてこんなにムキになっているのかな。対抗意識の続き、あるいは先輩と別れて以来セックスはご無沙汰だから、そうと自覚しないまま、欲求不満に陥っていたのかもしれない。
欲求不満が解消できるならこの際、相手は好みのタイプじゃない小次郎でも、誰でもいい。男である僕を抱く気があるヤツならオッケーと、そんなふうに思っているから、そうなんだろうか。
「おまえの言うとおり、俺は正真正銘童貞だよ。女にゃモテないし。でもよ、田舎じゃ俺らの齢で経験のあるヤツなんて、ほとんどいねえぜ。だいたい、ンなもの、早けりゃいいってもんじゃねーだろ」
「それはそうだけどさ」
何だかイライラする。そんな問答をしたいわけじゃないのに。
「ほら、もうこれ以上言わせないでよ。僕の方から誘ってるのに何の反応もナシなんて、恥をかかせる気?」
「は、恥って、そ、そんなつもりはねえけど……」
「あー、もう、まどろっこしい!」
僕は小次郎の正面まで進むと彼に抱きつき、唇を重ねて軽く噛んだあと、舌を強引に吸った。いきなりのディープキス攻撃に、彼は目を白黒している。
「んん……ん、ん」
顎に滴る唾液も何のその、しつこくキスを続けながら、僕は小次郎のワイシャツのボタンをはずし始めた。
下着をつけていないから、浅黒い素肌がそのまま晒される。僕は右手の指でその肌をなぞるように撫でた。
程よくついた腕の筋肉と、引き締まった身体の線がキレイだ。思いっきり抱かれたら、どんなに気持ちイイだろう。
「抱いて……この腕で」
甘ったるいセリフを耳元で囁きながら、手を下に伸ばす。
真辺を超えるつもりはなくとも、転がったまま、されるがままじゃ進歩はない。少しでもこっちから奉仕してテクニックを磨かなきゃ、その一心で彼のズボンのジッパーを下ろすと、トランクスの布を突き上げるようにしてペニスが勃っていた。
「スゴイ、大きい」
比べるのも何だけど、加賀美先輩のよりもひと回り以上大きい。僕のものに至っては言わずものがな、だ。
女性の小さいバストを巨乳に対して貧乳って呼ぶけど、だったら僕のは巨根に対して貧根かな。それとも粗チンって呼ぶんだっけ。まあ、そんなのはどうでもいいけど、なんだか情けなくなってきた。
「……マイッたな」
僕の褒め言葉に、小次郎は申し訳なさそうな顔をした。はからずしも興奮してしまった自分を恥ずかしく思っているのだろうか。
「今、良くするから」
ゆっくりと扱くと、僕の右手の動きに合わせて、彼は溜め息とも呻きともつかない声を出した。
「はっ……あ、あ」
目を半開きにして恍惚の表情を見せているが、それが妙に艶かしい。いつもの、がさつとか野蛮といった泥臭さが薄れて、男の色気が漂っているけど、そんな小次郎を見ているうちに、僕の方も興奮が増してきた。次はアレを実行するしかない。
トランクスも下げてペニスを引き出す。股間の位置まで頭をずらし、しっかりと張りつめた赤黒いモノを頬張ったところ、彼は「えっ?」と小さな悲鳴を上げた。
「お、おい武蔵、何、してる……」
何って、見てのとおりフェラに決まってるじゃないか。なんて、舌を使っている最中なので返事はできないけど。
特に強く感じる先端を舌で刺激すると、小次郎の吐息がますます荒くなった。ポイントへのダイレクト攻撃で手ごたえのある反応が得られるあたり、やりがいがある。
「ああ、も、もう、ダメだって」
こっちはダメにさせたくてやっているんだって。
舌の動きをますます活発に、また、棹を吸い込むようにすると、彼は「あっ」と呻いて、それから未だかつてない、情けない声を出した。
「出ちまった……」
口内発射はもちろん承知、加賀美先輩がいつもそうしてくれたように、僕はためらいもなくそれを飲み込んだ。
「そんなの飲んで大丈夫なのか?」
「そりゃあ美味いものじゃないけど、人間の体内から出たタンパク質だもの、害にはならないだろ?」
「タンパク質……」
しまった、科学的というか、医学的発言でムードぶち壊しだ。
第一、これで終わってしまっては困る。こちらの欲求は満たされないままじゃないか。慌てた僕は萎れかけていた彼のペニスを再度扱き始めた。
すっかりおとなしくなってしまった小次郎の本体は僕にされるがまま、分身の方だけが復活してきた。
若いだけあって再起が早い、なんて、僕も同い年だけど、こんなに早く復活できるかどうか、ちょっと自信がない。
小次郎の吐息が再び荒くなってきたところで、僕は右手で扱きを続け、左手だけを使って自分のズボンとトランクスを脱ぐという、器用なことをやってのけた。これでお互いに全裸だ。
「小次郎、見てよ」
「えっ……」
「ほら、見て」
恥ずかしながら粗チンもしっかり、そそり勃っている。僕の股間に視線を走らせた小次郎はいけないものを見たかのように目を逸らせた。
「もう我慢できないんだ。早く、して」
「してって、どうすれば」
おろおろする小次郎の様子に、このままでは埒があかないと思った僕は彼を仰向けに寝かせた。ピンと勃ったペニスが帆柱のようで微笑ましい、なんていう場面じゃない。
次に、手近にあったハンドクリームを自分のアソコにすりこみ、周囲を滑らかにした。加賀美先輩とヤッたのは何ヶ月前だったか、かなりのご無沙汰だから、多少通りが悪いのは仕方ないけど、うまく入らないとお互いにツライ。
こんなことになるとわかっていたら……これからはゼリーを常備、携帯しよう。
恐る恐る僕の行動を見守っていた小次郎は次にこちら向きで自分の腹上にまたがったのを見てギクリとしていた。
「も、もしかして」
「そう。もしかしてだよ」
僕は床上にある小次郎の顔を見下ろしてニヤッと笑ってみせた。
それから少し腰を浮かせて、アソコに彼のペニスが入るようにした。これは四十八手のたしか、帆掛け船って体位じゃなかったかな、いや、騎乗位が正解かも。入れてる場所は違うけど。
クリームのお蔭か、小次郎の分身は思ったよりもスムーズに、僕の中に入ってきた。大きな異物のせいで襞がこすれる刺激が伝わってくる。すかさず締めあげると、彼は僕の下で「うっ」と呻いた。
「ああ、やっぱり気持ちイイ。最高」
上ずった声を出しながら、僕はもっと強い刺激を求めて、自ら腰を前後に動かした。繋がった部分がとろけるように熱いけど、それだけじゃ物足りなくて、自分で自分のペニスを扱き始めた。
以前は加賀美先輩が行為の最中に、それこそ懇切丁寧にやってくれたんだけど、初体験の小次郎にそこまでやらせるのは酷だと思っての自己処理だ。
アソコの中に入っているペニスからは触覚の快感、目の前でマスターベーションする僕の姿からは視覚の快感、二つの快感の波に襲われているせいか、小次郎は熱に浮かされたかのようにハアハアと喘いでいた。
「あっ、ああ、もっと、もっと」
僕はエロビデオの女優よろしく、身体をくねらせ、しどけないポーズでマイペニスを刺激し続けた。
中と外の二つの快感に捉われているのは僕も同じ、その片方が白い液を放出したので、握ったまま腰の方に専念する。
内部にあって強く、激しくこすられ続けた小次郎のペニスの方もとうとう液を噴出、僕の中に熱く広がった。
「あっ……悪りィ」
予想よりもあっけなく終わってしまったと思ったのだろうか。僕がもっと、もっと、とねだったせいかもしれない。小次郎は申し訳なさを通り越して、悲しげな表情をした。
「初めてなんだし、早くイッちゃってもしょうがない。気にしなくていいよ」
そういうおまえは何でそんなに手馴れているのかと言いたげな彼の視線を軽くいなすと、僕は中の処理を済ませ、さっさと着替えを始めた。
カーテン越しに見える空は薄墨が広がったような色合いだ。目覚まし時計の長針は六時に届こうとしている。
初体験の余韻からか、かなり疲れた様子を見せながらも、ようやくトランクスを履いた小次郎は遠慮がちに訊いてきた。
「帰る、のか?」
「うん。ウチの連中、今日は部活がないって知ってるんだ。あんまり遅くなると、あの頑固ジイさんが『どこほっつき歩いていた? 部活がないなら家で稽古しろ』とか何とか言ってウザいし。あ、そのケーキとクッキーあげる。じゃあまた、学校でね」
一方的にまくし立てた僕はバイバイと手を振ると、軽やかな足取りで彼のアパートをあとにした。
……⑧に続く