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オリジナルBL小説をお披露目しちゃいます

   バンカラらぷそでぃ ④

    第四章  入部決定! 三曲同好会
 二時限目の講義が終了した。今から昼休みだが、別の講義を履修している赤木たちはまだ授業が終わっていないらしく、俺は一足先に学生会館へ向かった。
 学生会館の一階は食堂、二階は学生協と会議室などの施設、三階から五階までは各サークルの部室が並ぶという造りで、一階の入り口の脇に食券の販売機があり、メニューを選んで購入、セルフサービスで食事を受け取る手筈になっている。
 近頃はシャレた建物やメニューで学生はもとより、一般の人たちの人気を集めようとする学食もあるらしいけど、ここはまだまだそんな進化を遂げる気はなさそうだ。
 食堂内は長方形のテーブルが縦に四つ並んだメインの列が五列、壁と給水器の間やら、出入り口の傍といったデッドスペースを利用して設置されたテーブルが幾つかあるが、この時間、つまり昼休みには客を入れられるだけ入れてみました、という大混雑になる。
 むさ苦しい男共が各自トレイを持ってうろうろする中、俺はごった返す人々をかきわけながら、メインの三列目、テーブルの左端の空席をようやくゲットした。
 少食の身で男子学生御用達のボリューム満点Aランチ、なんてのは食べきれないので、トレイの上に乗っているのはポークカレー。
 それをテーブルに置いて向かい側に座っている人物に何気なく目をやると、その人は学生服を着た見知らぬ男で、ふと、今朝の出来事が俺の脳裏を過ぎった。
 もしかしたらこいつも応援団なのかな? そう思った直後、その男が「ウォイッス!」とダミ声を出したため、驚いた俺は彼の視線の先を見た。まだ食堂に足を踏み入れてもいない、遥か彼方にこれまた黒い服の男。それが誰なのかわかるなんて、こいつ、日本野鳥の会にでも所属しているんじゃないのか。
 ダミ声の男はどうやら応援団の一番下っぱ、つまり一年で、どんなに離れた場所でも先輩がいるとわかれば即、挨拶しなければならないという掟が彼らにはあると赤木から聞いていたけど、それって何だか大変そうだし、いきなり大声を聞かされる周りにも迷惑だ。
 あっ、あれは土方さんだ! 挨拶を受けた黒服男、すなわち応援団の先輩が憧れの人だとわかったとたん、胸がドキドキしてきた。
 土方さんは俺の横をすり抜け、下っぱクンに何やら話しかけたが、この団長を前にした彼の緊張が空気を介して伝わってくる。団員たちにとっては恐れ多い存在なのだ。
 それにしても土方さんってば、間近で見るとますますカッコイイ。つい、うっとりと見惚れてしまう俺、すると、彼が一瞬こちらに視線を向けたような気がして、人の顔をジロジロ見ている礼儀知らずと思われたのではと、慌てて目を逸らした。
 だが、知らないふりをしながらもドキドキがおさまらず、カレーも喉を通りそうにない。まだ何事かを話している土方さんに神経を集中、スプーンだけ動かしていたせいか、俺は自分の背後に近づいてきた人物に、まったく気づかずにいた。
「やあ、美佐緒さん。日曜日はどうも」
 心臓をわしづかみにされたようで、ギクリとした俺は慌てて後ろを振り向いた。そこに立っていたのは豊城聖爾その人だった。
「……な、なんでここにいる?」
 驚きのあまり、しばらく何も言えなかった俺はそれだけの言葉をやっと口にした。
「なんで、って、そりゃあ僕も神理大の学生だし、学食を利用したとしてもおかしくはないでしょう?」
「学生だなんて、そんなバカな……イギリスの大学を卒業したんじゃないのか?」
「もちろん、ちゃんと卒業したよ。そうでなけりゃ、ここの試験は受けられないしね」
 自慢げに胸を反らすこの軟派男、今日はさすがに大学生らしくジーンズ姿だが、Tシャツの上には相変わらずアクセサリーをジャラジャラ身につけている。
「だから院生、正確には工学部の大学院の学生という身分さ。おわかりかな?」
「それってまさか……」
 神理大大学院への進学は彼が俺に接近する手段のひとつ、見合い後も自分との縁が切れないように手を打っていたわけだ。考えがあると言っていたのはこういうことだった。
「そう、さすがに察しがいいね。君のことはこのキャンパスで何度も見かけていたよ。でも、十五年ぶりの再会だし、せっかくだから二人が出会った想い出の場所で、素敵な演出をした方がいいでしょう? そう思って玉華殿で会うまでは、君の前には顔を出さなかったんだ。それに、ああやっておけば両家の親公認の関係になれるしね。どう? 我ながらいい考えだと思うけど」
 俺はただただ唖然としていた。あの茶番劇は素敵な演出だったのか。同じ大学にいるとわかれば警戒される。院生となった事実を伏せたまま見合いに持ち込んだ、彼のその用意周到さに舌を巻き、呆れるしかなかった。
「……あのさあ、大学卒業したんだったら、院生なんかちんたらやってないで、さっさと働いたらどうなんだよ、この親不孝者!」
 そんな批判もどこ吹く風、「もっと学問を究めたかったから」などとうそぶく相手に、これ以上は何を言っても無駄だと、俺は彼の存在を無視して昼メシの続きを食べ始めた。
 すると、俺の右側に座っていた人が食事を終えて席を立ったため、聖爾さん、いや、聖爾のヤツはちゃっかりとそこに座ろうとした。
「あー、ここは予約席。座っちゃダメ!」
「予約って、それは僕という婚約者のためにでしょう?」
「だから婚約なんかしてないっつーの! 勝手に話を進めるんじゃない!」
 くだらない押し問答をしているその時、俺たちのやりとりを見守っていたらしい土方さんがなんと、こちらに声をかけてきた。
「豊城先輩、どうかしたのですか?」
 な、なんでこの人がこいつを知ってるんだ? 呆気に取られた俺が二人の顔を交互に見ていると、聖爾は「別になんでもないよ」と決まり悪げに答えた。
 そこにタイミングよく現れたのは赤木・青柳コンビで、食堂内に立ちすくむ二人の色男と、その傍に座る女、もとい、俺という異様な光景に気づいて近寄ってきた。
「あっれー、ミサオちゃん、何やってんの?」
 青柳がそう声を掛けたのに続いて、聖爾の顔を見た赤木が「あっ、この人、尺八同好会の……」と言いかけたのを聞いた俺はますます驚いた。赤木を勧誘した院生というのは彼だったのだ。
「ああ、同好会の勧誘でしたか。熱心なのは結構ですけど、嫌がる人を無理に誘うのはどうかと思いますが。あれは男性に愛好家の多い楽器でもありますし」
 土方さんはその件についても承知しているらしい。彼の言葉に聖爾は苛立った様子で「この人は箏と三絃の経験者だから、尺八ではなく、そっちで合奏してもらえればいいんだ。だいたい、僕の勧誘を批判するぐらいなら君が入会すればいいだろう。このままじゃ、先生の面目が丸つぶれになるぞ」と答えた。
「しかし、自分は応援団の活動が……」
 いったいこの二人、どういう関係? その謎はすぐに解けた。聖爾が所属する機械工学第Ⅱ研究室の学生の一人が土方さんだった。
 神理大では三年になると全員がいずれかの研究室に入室する仕組みになっていて、彼らの研究室の担当である緑川大吾教授の趣味がなんと尺八。院生として入ってきた聖爾も尺八が吹けると知った教授は大喜びで、この大学にはそういうサークルがないから、自分たちで同好会を作ろうと大張り切りで持ちかけたらしいが、思うように会員が集まらない。
 そりゃそうだ。大抵のヤツは赤木みたいな考えだし、研究室のメンバーの中で頑張って勧誘しているのは聖爾だけで、それがさっきのセリフにつながったわけだ。
 聖爾が尺八を習った理由は察しがつく。俺が御袋に箏を習っていると聞いていたからだ。趣味を合わせようとする努力だけは認めてやりたいが、軟派野郎には似合わないっつーか、すごく不自然な感じがするけど……こいつの場合、同じ管楽器ならサックスでジャズを吹いているイメージだよな。
 しばらく黙っていた土方さんは「わかりました。掛け持ちでよければ、自分が入会します」と言い出した。
 えっ、土方さんが入会する? さすがオトコ気のある応援団団長、教授のメンツを思って義理立てしたようだ。
 待てよ? 応援団に入るのはさすがに無理だけど、そこでなら、その同好会なら彼と一緒にサークル活動が出来るじゃないか!
 憧れの人とお近づきになれるとわかったとたん、頭に血が上った俺は「や、やっぱり入会する!」と口走ってしまった。あれ、同好会への勧誘を受けていたわけではないのに、どこでそういう話になったんだろう?
「ええっ! ミサオちゃん、本気なの?」
 青柳がびっくらこいたと言わんばかりに声を上げた。不思議そうにこちらを見る土方さん、聖爾はといえば、俺の突然の発言に戸惑う様子もなく「入る気になったんだね、良かった」と、平然として話を合わせてきた。
 何と臨機応変な、っていうか、もしやこの展開はヤツの策略? 俺の入会は土方さんだけでなく、聖爾との距離を縮めることにもなるわけだから……って考えすぎ?
「そちらのお二人もどうですか?」
 ついでに誘われて、頷いてしまった赤木と青柳、こうして俺たち三人は尺八同好会の活動に参加する羽目になったのだった。
    ◇    ◇    ◇
 応援団の下っぱの任務のひとつとして、試合の最中には何十キロとある団旗を抱えていなければならず、それが出来るかどうかが団員となる資格だと聞いた時から、彼とは生きる世界が違うと諦めていた。
 なーんて、別に応援団に入部するつもりでいたわけじゃないけれど、俺には手の届かない人って感じがしていた。
 だから、聖爾のペースにはめられて悔しいと思う一方で、学年も学科も違い、何の接点もなかった土方さんと一緒にいられる機会を得た俺は嬉しくてたまらなかった。
 さて、さっそくその日のうちに尺八同好会のメンバーの初顔合わせが行われた。場所は学生会館の二階にある施設のうちの和室で、建物の管理をしている学生課に申請して使用許可を取れば、大学関係者なら誰でも使うことが出来る。
 四限の授業を終えた俺たちは三人揃って学生会館へと向かい、二階の廊下を歩いて会議室の前を通りかかったところで、向こうの和室の入り口に立った聖爾が女子学生二人と楽しそうにしゃべっているのを発見した。
「あれ、豊城さんじゃねえか。あんなところで何やってんだ?」
「きっと彼のファンの子だよ。あの人、ボクらから見てもカッコイイじゃない、女の子たちがほっとくわけないもの。二人とも可愛い子だよ、いいなぁ」
 青柳の答えを聞いた瞬間、胸がズキッと痛んだのはなぜだろう。俺は何を動揺しているんだ? ヤツが誰と話をしていようと関係ないじゃないか。
 そうだ、これは相手の偽りに対する憤り、俺の前でホモ宣言までしたくせに、本当は女もいけるというのを見せられて、嘘をつかれたと感じているだけだ、きっとそれだ。
 こちらの姿を認めた聖爾は「これから練習だから」と言って二人を追い払うと、中に入るよう手招きし、俺たちはその場所に恐る恐る足を踏み入れた。
 襖を開けると、そこは続きの八畳間が二つ、奥の方にはサッシ窓がついているが、障子を閉め切っているせいか、どこか薄暗い。どちらの部屋も最近畳替えをしたようで、藺草の青さばかりが目立っている。
 手前の八畳には炉が切ってあり、茶室代わりに使えるようになっているが、いかんせん男主体の大学に茶道関係のサークルは存在しないために無用の長物。もったいないけど、ここで茶道部を発足させる気もない。
 奥の八畳の上座に鎮座している老人がどうやら緑川教授らしく、すっかり白髪の好々爺だが、以前は工学部の学部長を務めていた人物で、今でも学部内での発言力は大だという評判を耳にした覚えがある。
 畳の上にちょこんと正座した緑川教授を取り囲むようにして同好会のメンバーが談笑していて、その場には尺八が数本と琴古流の楽譜、地唄用の三味も二棹用意され、丸袋に入れられた箏も壁に立てかけてあった。
 これらの邦楽器はすべて聖爾の自前であり、豊城商事の御曹司がその財力で全部手配したというわけだが、彼は俺が入会するのを見越していた、だから絃楽器も用意されていたのでは、という疑惑が胸の内に渦巻いた。
 疑惑の人物は「こっちへどうぞ」と俺たちを教授の正面に座らせたが、その腕からブレスレットが消えている。楽器に傷がつかないように金属類ははずす、という配慮ぐらいはちゃんとあるようだ。
「先生、こちらの皆さんが今日入会してくれた一年生です」
 その求めに応じて、俺たちは順番に自己紹介をした。
「工化の綾辻です、よろしくお願いします」
 その瞬間「こいつがそうか」の視線がいっせいに注がれたが、それは邦楽器を操る期待の星としてか、あるいは工学部のニュー・アイドルという、ありがたい称号のせいか。
 俺が名乗るや否や、教授は目を輝かせて「お名前は伺っていますよ」と話しかけてきたが、これは聖爾による前宣伝の成果だろう。
「あなたが入ってくれたお蔭で、尺八だけではなく、箏や三絃と合奏が出来る。尺八同好会を改めて三曲同好会にしようと思います」
 三絃とは三味、つまり三味線を示し、尺八はその材料からタケと呼ぶこともある。箏・尺八・三絃、三つ合わせて三曲だ。
 何だか物凄く期待されているようで、恐縮した俺が「は、はい」と小さく返事をすると、「美佐緒さんは絃方としての経験が長くて、活動を行う上では大変頼もしいですし、裏千家の師範の免状も取得しているんですよ」と聖爾が自慢げに言った。
 さらに俺を売り込む魂胆か、これを聞いた教授は「それは素晴らしい、今や貴重な大和撫子だ。いずれここで御点前の披露もお願いしたいものですね」と感心した。
 大和撫子って、ちょっと表現違うんじゃない? だから、茶道はやらないって。邦楽だけで充分、余計な話はしないで欲しい。
 それから他の連中も自己紹介をしたんだけど、もちろん土方さんもいて、彼からの要請があったと思われるあの小太り男・黄山がムッツリした顔で隣に座り、見覚えのある青柳にガンを飛ばしていた。
 黄山と俺たちを除く残りの三人は土方さんを含めて機械工学第Ⅱ研究室に所属の、教授の顔を立てて参加した人たちであり、合計八名の男子学生ばかりが揃った。
 念願の同好会発足に気を良くした緑川教授は邦楽器の魅力について熱く語り始めた。
 伝統として受け継がれている名曲を演奏することはもちろん素晴らしいが、サックスやピアノなど、西洋の楽器とセッションして、ジャズやクラッシック等を演奏するのもまた楽しく、面白さを再発見出来る。
 近頃は邦楽器に目を向け、新しいタイプの演奏家として活躍する若者も出てきているが、尺八なんぞは年寄りの楽器だと思っている若い連中もまだまだ多い。そんな彼らに邦楽器の良さを知って欲しいし、実際に、楽器に触れる機会を設けたかった。
 教授のそういった考えを聞かされて、これまで御袋たちの教える古曲しか練習することのなかった俺は深い感銘を受けた。
 跡継ぎとして扱われるのがイヤだという理由だけで、箏や三味に触れるチャンスから遠ざかるべきではなかったのではないか。
 本当に好きなことならば、跡継ぎ云々に関係なく自分の意思で続けて、そして機会があれば異種の楽器とも合奏して、楽しみを広げる。そんなやり方があったのでは……?
「まあ、大切なのは基本ですので、まずは正しく音を出すところから練習を始めましょう。そうだ、せっかくですからみんなで始める前に、豊城くんと綾辻さんに演奏のお手本を示してもらいましょうか」
 緑川教授のいきなりの提案に俺は面食らった。箏を最後に触ったのは何年前だっけ? ずっと練習を拒否していたのだ、指がまともに動きっこない。
 自分から入会すると申し出たくせに何たるザマ、このままじゃ土方さんの前で恥をかいてしまう、冷や汗が背中を伝った。
 そんな俺の様子に気づいたのか、聖爾は楽譜と箏爪を手渡しながら、こう囁いた。
「落ち着いてやれば大丈夫。君の得意な曲に合わせるよ」
 そう言われるとなんとなく肩の力が抜けて、頷いた俺は生田流箏曲選集第一編のページをめくった。
「じゃあ、『六段の調』で、調絃は壱越調で合わそうかな、ロの音からでいいや」
 尺八は竹という材質のせいで、吹き始めとしばらく吹いてからでは、同じ音でも高さが微妙に変わる。演奏中に音が変わってしまわないようにあらかじめ吹いて、温めておくのが音出しで、調絃も合奏するパートナーの音出し後の音に合わせるのがルールだ。
 その音出しは既に完了している。尺八を構えた聖爾が息を吹き込むと、美しく物悲しい、独特の音色が室内に響き、その音を頼りに俺は調絃、つまりチューニングを始めた。
 調子笛という道具を使うこともあるけれど、自分の耳で音を聞き分けていくこの作業、絶対音感とまではいかないが、そこそこのレベルまで音感が鍛えられると断言出来る。
 箏の絃は全部で十三本、一から始まって十、それから斗、為、巾と続く。ロの音とはD、西洋の音階でいうところのドレミのレで、糸の張りを調節する箏柱を動かして一の絃の音をこれに合わせ、さらに五の絃と合わせる。
 十は五より一オクターブ高い、同じ音。あとは半音上げたり下げたりして、平調子と呼ばれる音階を作り上げていく。久しぶりの作業に、俺の指は小刻みに震えた。
 調絃を終えていよいよ本番。みんなが期待のこもった視線で見守る中、俺は「いんやっ」という始まりの合図を口にした。これは「せーのー」とか、そういう言葉みたいなもので、合奏の時には絃方が合図するのが決まりだ。
 俺の爪が鳴らす五の絃の音と、聖爾が吹くリロの音はぴったり一致。調絃では合っていても、いざ合奏となると音が狂うのはよくあることで、これらの楽器がいかに微妙で個人の演奏に左右されるかを物語っている。
 六段の調は箏曲としてはメジャーで、お正月にデパートなんかでよく流れている曲。しばらく練習していなくても何とか弾ける部類で、俺はとちりそうになりながらも、とりあえず最後まで演奏することが出来た。
「おおっ、素晴らしい!」
 真っ先に手を叩いてくれたのは緑川教授で、それに続いて残りのメンバーもやんややんやの拍手喝采。やれやれと息をつく暇もなく、次は三絃の演奏を所望され、俺が選んだのは地唄の名曲『黒髪』だった。器楽だけの六段とは違い、こちらは唄を歌いながら演奏しなければならない。日頃から歌っていなかったのでさすがに声が上手く出ず、散々な結果に終わったが、それでも好評だったようだ。
 弾き終えてみんなの賞賛を浴びる中、聖爾はニンマリと笑って「僕たちの息はぴったり合っていたね」と得意げに話しかけた。
「だけど黒髪は失恋の歌で縁起が悪いから、今度はラブラブな『末の契り』を合奏しようよ。練習しておいてね」
 何と反論してやろうかと考えているところに赤木が目を輝かせながら寄ってきた。
「すげェじゃん! オレ感激しちゃったよ。邦楽ってこんなに面白い音楽だったんだ。尺八をジジくさいだなんて言って悪かったよ」
 それから彼は三絃がやりたいと申し出てきた。三曲同好会になったのだからどの楽器を選んでもよく、他にも三絃希望者がいて、彼らの指導は俺が任されることになった。
「ミサオちゃん直々の御指導なんて嬉しいなあ。オレ、頑張っちゃうからね」
 調子よくしゃべる赤木をドツキながら、俺は三味のかまえから撥の持ち方を説明。尺八組はもちろん聖爾と教授が教えるわけだが、こいつは音が出るようになるまでが大変で、コツをつかむのに結構手間がかかる。
「尺八は一尺八寸の長さであるところから、尺八と呼ばれていて……」
 基本中の基本から説明しているのが、こちらまで聞こえてくる。青柳に黄山、Ⅱ研の三年生・黒岩さん、そして土方さんの四人は初めて手にする尺八を相手に悪戦苦闘しており、そうこうしているうちに和室の使用制限時間は瞬く間に過ぎた。
「それでは今日はここまでにしましょうか」
 教授がそう促し、みんなで片付けをしていると、なんと土方さんが俺の前に進み出た。
「自分はこれまで邦楽を理解していませんでした。食わず嫌いだったと反省しています」
 心の準備もないまま、憧れの人から突然話しかけられて俺の心臓は爆発寸前、ひたすら相手を見つめるばかりで何の相槌も打てない。
「今日、あなた方の演奏を聴いて感動しました。これからは練習に打ち込み、いつか合奏していただけるようになるまで精進します。そのときはよろしくお願いいたします」
 丁寧に頭を下げる土方さんの姿に、これは夢ではないのかと自分の腕をつねってみる。
 夢じゃない、現実だ。俺は喜びのあまり小踊りだしたくなるのを堪えて「こ、こちらこそ」と小さな声で返事をした。
 微笑む土方さん、いつも厳しい表情をしているであろう彼の、こんなにも素敵な笑顔が見られるなんて、今の俺って最高に幸せ者! 三曲万歳! 邦楽万歳!
 その時の俺は余程ニヤけていたんだろうな。思いっきり不愉快そうな顔をした聖爾がみんなに呼びかけた。
「皆さんお手数ですが、楽器を駐車場まで運んでいただけますか?」
 これらの邦楽器はワンボックスカーに積まれて、聖爾の自宅と大学を毎日往復していたらしい。なんとまあ、ご苦労なこった。
「申し訳ないね、豊城くん。この前、学生課に掛け合ってみたんだが、ちょうどいい保管場所というのがなかなかなくてね。ここに置きっ放しでは盗難や破損の責任が持てないと言うし、尺八ぐらいなら研究室のロッカーに置いてもいいんだが」
「いえ、僕なら構いませんから」
 教授からの提案にそう答えた聖爾に、三絃志望の白井という四年生が「部室がゲット出来ればいいんですけどね。楽器は置けるし、そこで気軽に練習出来ますよ」と提案した。
 発足したばかりの同好会に部室があるはずもなく、この学生会館の三階から五階の、十五ある部屋は満室で、空きを待っているサークルは幾つも存在するらしい。
「さあねぇ、部室が空くのを待っていたら、この会が先に消滅してしまったりして」
 皮肉屋の黄山の言葉に場が一瞬白けたが、「いやいや、私の定年退職が先ですよ」と緑川教授が笑い飛ばしたため、事態は何とか収拾したのだった。
                                ……⑤に続く