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オリジナルBL小説をお披露目しちゃいます

バンカラらぷそでぃ ②

    第二章  ああ、玉華殿
 問題の日曜日になった。
 遠足に行く小学生のように朝から張り切っていた御袋はこの日のために用意したと言って、新調した着物、それも真っ赤な大振袖を俺の目の前に広げてみせた。
「……誰が着るんだよ?」
「あら、美佐緒さんに決まってるじゃない。帯も帯揚げも、それから帯締めも揃えたのよ。ほら、キレイでしょ」
 金襴緞子の袋帯と、着物の色に合わせた薄紅色の帯揚げを見せびらかしながら、至極満足気な御袋の様子に俺はゲンナリするばかり。しばらくパスしていた女装が復活だ。よくぞこれまで自分を女だと思い込んだり、女装趣味に目覚めたりせずに済んだと思う。
 もっとも、それは身近に二人の少年がいたからだ。御袋の制止も何のその、二人のあとをついて走り回り、フリルのスカートを履いたまま木登りはするわ、白いレースのハイソックスで川に入るわ、いたずらの限りをつくしていた俺、この妹みたいな姿の弟を恥ずかしがらずに男として扱ってくれた兄貴たちには心から感謝している。
 頭の切れる二人のこと、俺が御袋のワガママの犠牲になっていると察して、男の子の遊びを教えてくれたってわけだ。
 さて、足袋に襦袢と、和装に慣れている俺は次々にそれらを身につけ、振袖に腕を通すと、御袋が帯をふくらすずめにして結ぶ。きっちり結んでも息苦しくないところはさすが着付けの先生というべきか。
 そのあとはすっかり御袋のおもちゃ状態、首を覆う長さの髪に赤いちりめんの布と白い羽根で作られた髪飾りをつけ、化粧を施して紅をさすと、どこから見ても成人式のお嬢さんで、親父や品子婆さんの賞賛を浴びたが、素直に喜べるはずなどない。
 そして御袋自身も家紋入りのつけ下げを、親父はスーツを着込み、俺たち三人は都内にある玉華殿という結婚式場に車で向かった。
 そこは結婚式と披露宴だけではなく、各種のパーティーなども催すことの出来る場所で、総合宴会場とでも呼べばいいだろうか。
 ただし、未婚の男女が増えた上に、式はホテルや海外で、というカップルが多くなった昨今、結婚式よりも宴会場として使われる方が多く、子供の頃の俺は親父に連れられて、ここでの取引先とのパーティーに何度か参加したことがあった。
 もちろん、そんな子供が退屈な会場にとどまっているはずはなく、料理やデザートを好きなだけ貪ったあとは建物の中庭を走り回ったのだが、大きな池の上に赤い橋のかかった広い庭園が印象に残っており、うろ覚えながらも十五年前の出来事を思い出していた。
 当時三歳だった俺は例によってピンクの着物を着せられていた。その格好で和風庭園の高い山桃の木に登ったはいいが自力で降りられなくなってしまい、ワンワン泣いているところにやって来たのが俺より少し年上の、青い服を着た小学二、三年生ぐらいの男の子で、結構美少年だったと記憶している。
 その子もパーティー参加者が連れてきた子供だったらしい、泣いている俺を見つけると「受け止めてやるから飛び降りろ」と言い、両手を大きく広げてくれたので、彼の言葉を信じてその通りにした。
 ところが、俺の身体を抱きとめたはずみで彼は両腕を地面に打ちつけて擦りむいてしまい、血の滲んだ傷がとても痛々しかったのだが、「平気、平気。なんともないよ」と言い、俺を安心させようとして笑顔を見せた。
 見たこともないフルーツが盛られた豪華なデザートの大皿、木登りのせいで泥まみれになった着物を見た母にきつく叱られたこと、当時大人気だった海鮮戦隊シーレンジャーのイラストが描かれた、お気に入りのハンカチを失くしたこと……俺にとって忘れられない一日の中でも、助けてくれたあの少年のことは一番の思い出となった。
 三歳の俺にとって、彼はシーレンジャー以上のヒーローだった。言葉の足りないガキのこと、満足に礼も言えなかったと思うが、今頃どうしているだろう。きっと立派な大人の男になっているに違いない──
「美佐緒さん、ぼんやりしていないで。ほら着いたわよ」
 十五年ぶりに訪れる玉華殿は昔と変わらない気品と静寂を保っていた。
『大都会の真ん中で緑溢れる結婚式、お二人の新たな門出は伝統と格式の玉華殿』というあの頃と同じ宣伝文句、同じ映像のコマーシャルが未だに放映されているあたり、ここの時の流れは十五年前で止まってしまっているんじゃないかと思う。
 それにしても自分の見合い、それも相手が男というシチュエーションで再びこの場所を訪れる羽目になるとは。
 かなり古びた外観は明治時代に建てられたレンガ造りの洋館を模しているが、建物の中身は和洋折衷、洋間・日本間が混在で、目的に合わせて部屋を使い分けている。
 宴会を行う大広間とは別に小部屋が幾つかあって、そのうちのひとつ、見合いをするには打ってつけの、八畳ほどの和室『松の間』に案内されたが、豊城家の人々はまだ到着しておらず、俺たちは大きな座卓の前に一列に並び、萌黄色の座布団の上に正座した。
 床の間には季節に合わせた掛け軸と香炉が飾られ、その脇に一輪の山吹が生けられているあたり、茶室をイメージした部屋のようだ。
 障子を開けた窓の向こうには笹や紅葉の姿が見えて、当の茶室に付属する露地のような庭が造られている。これはあの大きな中庭へと続いているらしいが、竹の柵で遮られており、向こうからは誰も入り込めないようになっていて、かつて庭を探検しまくった俺にこの場所の記憶がないのはそのせいだった。
 緑鮮やかな枝垂れ紅葉、その根元に置かれたつくばいに当たった猪おどしが三人きりの静まり返った室内に軽やかな音を響かせ、どこからか鳥のさえずりまで聞こえて、なんとも雅な雰囲気、見合いの席にはぴったりだ。
 そこへ入ってきた和服姿の仲居の女性が「いらっしゃいませ」と挨拶しながら、おしぼりと有田焼の茶器を目の前に並べ、薫り高い新茶を注いでくれた。
 さすがにいい茶葉を使っている。これはやぶきたかな、などと思いつつ、煎茶を堪能していると、一度下がったさっきの女性が「お連れ様が御到着なさいました」と告げてきた。
 いよいよあちらさんの御登場だ、さすがに緊張が高まり、トイレに行きたくなってきたのには困った。
「……やあ、お待たせしてしまって。急なことで申し訳ありません」
 現れた上品な紳士には見覚えがあった。豊城商事社長の豊城茂伸その人だ。物静かで落ち着いた人格者という見た目のイメージと、ビジネスにおける押しの強さが合致しないが、そういう人物ゆえに、ウチの親父に圧力をかけたという事実にも頷ける。
 それから妻である和歌子夫人と、俺の見合い相手・聖爾という人──その格好、和服の正装に対してはスーツにネクタイで来てもらいたいものだが、淡いブルーのワイシャツの上に紺のジャケットを羽織っただけの軽装で、それでもスタイルがいいせいかカッコよくキマッて、御袋が誉めちぎるだけのことはある。
 シルバーのネックレスやブレスレットなどといったアクセサリー類を身につけているのが軽薄というか軟派というか気障っぽく、まるでホストのようで好感は持てないけれど、これだけイイ男なら許されるって感じ。
 さらりと流した栗色の髪、端正で華やかな雰囲気のする顔立ちは俳優だと紹介されても通用しそうだ。それこそシェークスピア劇の舞台にでも立てば似合うんじゃないか。『ロミオとジュリエット』あたりどうだろう、なんて、俺がジュリエットじゃねえぞ! こっちは結婚に反対して欲しい方だからな。
 するとお互いの紹介もまだなのに、聖爾さんは俺を見てニヤリと笑いかけてきたので、何だか不愉快になった。
 微笑むのではなく、いやらしい笑いを浮かべたのだ。初対面の『女性』に対して馴れ馴れしく笑いかけるなんて、ちょっと失礼じゃないのか。ムスッとして睨み返しても、気にしない素振りなのがまた憎らしい。
 親父とにこやかに握手を交わした茂伸氏は御袋にも挨拶をし、それから二人に挟まれて座っている俺の方を見た。
「こちらが美佐緒さんですね。時の経つのは早いものですなぁ、お目にかかるのは何年ぶりでしょうか。それにしても、随分とお美しくなられた」
 そんなお世辞を使う相手に対し、俺は黙って会釈をした。この人と会うのはおそらく十五年前のパーティー以来だが、その席上で彼は俺を「可愛いお嬢さん」とか何とか言って誉めたらしく、親父もいい気になって「それはどうも」みたいなことを答えたようだ。どうやら俺という娘を自慢したくて、パーティーに参加させたらしいのだが、それって御袋と同類じゃねえか、何て無責任なヤツ。
 その後、茂伸氏はずっと俺を女だと思い込んでいるらしい口ぶりで、彼の勘違いに対して親父は何の訂正もしなかった、というより、訂正出来なかったと表現した方が正しい。娘だと偽って紹介した以上、本当は息子です、と言い訳しづらいのは当然だろう。
 息子を女として扱っている我が家の事情や、女の子の着物を着せて社交場に連れてきたと知られたら、とんでもなく非常識な親のレッテルを貼られてしまう。
 この際黙っていれば誰も男と気づかないと高をくくっていたのだろうが、その甘さが今日の状況を招いてしまったのだ。のちに見合いを申し込む者が出てくるとは、当時は夢にも思わなかったに違いない。
 そんなこんなの事情があって、親父は俺に今日の列席を強要した、ってわけだ。皺寄せは全部こっちにきて、何とも迷惑な話。
「本当、お綺麗なお嬢様だこと。御趣味は何かしら、お母様に習ってお茶やお箏をなさっているってお聞きしましたけれど」
「ええ、はい……」
「お」を連発して御丁寧に話しかける夫人に対しても、俺は必要最小限しか言葉を発するわけにはいかなかった。見かけは女でも声変わりはしている、それこそニューハーフのしゃべりになってしまうからだ。
「ああ、これはおとなしいというか、人見知りする娘でして……」
 親父が苦しい弁明を繰り返しているのをニヤニヤしながら見守る聖爾さんの様子が怪しい。何かを企んでいるように見えた。
 しばらくしてお昼の懐石コースが運ばれてきた。向付は筍の木の芽あえ、焼物は甘鯛、煮物に八寸、吸物にはつくしまで入っていて、春を満喫したメニューに口の肥えた大人たちは御満悦で、そこでの会話は食のネタに終始してしまうのではないかと思われるほど。
 本当は男という正体がどこでバレるかわからないから、俺本人についてはなるべく触れず、無難な話題で切り抜けたいという親父たちの意図は明らかだったが、対する豊城家の人々もこれといった質問をしてこない。自分たちの家に嫁として迎えるかもしれない娘について、何も訊くことがないというのも変じゃないか。
 肝心の聖爾さんも時折こちらをチラリと見るだけで「これは美味しいですね」などと話を合わせている。照れているようにも見えないし、こいつはやっぱり怪しい。
 デザートのメロン一切れを食べ終えた頃、「それじゃあ、お二人でお庭でもお散歩していらっしゃい」というお決まりの文句が和歌子夫人の口から出ると、茂伸氏がそうだそうだと満足げに頷いた。
 そんな二人とは対照的に、親父と御袋は「絶対にボロを出すな」と脅迫するような目で俺を睨む。ええい、そんなの知ったことか。
「そうですね。行きましょうか、美佐緒さん」
 聖爾さんは俺を促すと、松の間から廊下に出た。それから中庭に通じる出入り口までの道を先に立って歩き、庭に出てからは俺をエスコートしながら散策を始めた。
「四季折々に風情があって、いつ来ても美しい庭ですね。手入れも行き届いているし、これだけの広さの庭園を管理するのはさぞかし大変でしょうね、そうは思いませんか?」
 聖爾さんは声優ばりの美声で、こちらを気使うように話しかけてきた。派手な見かけによらず紳士的な人のようだが、俺は緊張しているせいもあり、小さく頷くだけだった。
 緑溢れる庭園には春の花々が咲き乱れ、その美しさを競い合っている。これがただの散歩ならどんなにか心安らぐだろうが、悠長なことを言ってはいられない。
 そもそも今回の見合いは俺を娘扱いしたのがきっかけだから、この際、恥を忍んで真実を打ち明ければ向こうも納得するはずだ。
 ただし、そいつは話を持ちかけられた時点で、親父たちがやるべきことじゃないのか。なのに、何も言わずにそのまま受けるなんて、誤解をとくどころか、俺がお嫁に行くのを望んでいる気がしてならない。もしや御袋の差し金? まさかとは思うけど、有り得ないと言い切れないのがコワイ。
 とにかく、親父たちはあてにならないので当日、頃合いを見て聖爾という人にワケを話す。それから彼に自分の両親を説得させて、この見合いは取り止め、なかったことにしてもらう。当人だって親同士の決めた政略結婚なんてしたくないだろうし、ましてや相手が男だとわかれば見合いどころではないから、一も二もなく協力してくれるに違いない。
──以上が当日における俺の作戦、いよいよ決行の時がやってきた。聖爾さんの後ろで大きく深呼吸をした俺が「あの……」と口を開きかけた時、彼は庭の端に植えられた背の高い木を見上げて感慨深げに言った。
「懐かしいなあ。この木、あの頃からすると随分高く伸びましたね。幹も太くなっている」
「はあ?」
 つられて目をやる俺、これって山桃の木じゃないか。待てよ、まっ、まさか……?
「思い出してくれたようですね。ピンクの着物を着た、御転婆で泣き虫のお姫様」
 聖爾さんは気障ったらしくウィンクすると、木の下で両手を大きく広げたポーズをしてみせた。
「マッ、マジで?」
 山桃の木から下りられなくなった俺を受け止めてくれた小学生、忘れもしない少年の正体がこの人だったとは! 俺の中のヒーロー像がガタガタと音をたてて崩れた。
 だが、言われてみれば面影がある。親父が俺を連れていたように、豊城茂伸氏が自分の息子を連れて十五年前のパーティーに参加していた可能性は十分考えられる。
 もしかしたらあの時、互いの父から紹介されていたのかも。まったく憶えがないのは三歳児の記憶力として仕方ないとしても、今までその事実に気づかなかったなんて、この頭がいかにボンクラなのかを思い知らされて、俺は軽い目眩をおぼえた。
「山桃の木から下りてきたお姫様は僕にとって、まるで月夜の晩に現れたかぐや姫、運命の出会いを感じました。山桃ではなく竹林なら、もっとムードがあったと思うと残念です」
 竹林だって? 枝がなくてつるつるしているのに、ガキに登れるわけねーだろうが。
「君は僕の顔を忘れていたみたいだけど、僕は一瞬たりとも忘れたことはありませんよ。何といっても初恋の人ですから」
「はっ、初恋ぃぃっ!」
 素っ頓狂な声を上げる俺を笑顔で見つめながら、聖爾さんは「あれから随分と経ちましたが、再会のときをずっと待っていました。また会えて嬉しいです」と言った。
 あの日、彼は女装をした俺に一目惚れした。そして十五年後、自ら頼み込んで、お見合いというより俺との再会の場をセッティングし、席に臨んだのだ。そうなると政略結婚が目的とはいえなくなるが、最大の問題点が残っている。豊城家の皆さんには申し訳ないけれど、今ここでそいつを告げなくてはなるまい。
「あの、その……お気持ちは有難いんですけど、私、じゃなくて、俺、男……なんです。だから初恋の人って言われても……」
 だが次の瞬間、俺を待ち受けていたのはとんでもないセリフだった。
「ええ、知っていましたよ」
「知っていたんですか、そうですか……って、えっ、ええーっ!」
 驚きのあまりひっくり返りそうになりながら、俺は聖爾さんの顔を凝視した。
「泣き虫お姫様の正体はプリティボーイだったなんて、なかなかドラマチックでしたね」
 ドラマチックで済むことなのか? 相手が男だとわかっていて見合いをしたのか?
 松の間における彼の怪しい態度の理由はこれで判明したが、にこやかな表情で話を続けるその様子に、いったいこいつは何を考えているのかと訝っていると「僕にとって性別は問題ではありません。君が君であることが重要なんですよ」と彼は力説した。
「よくわかんないけど、それってばつまり、男が相手でもオッケーということ?」
「そう、僕はゲイなんです」
    ◇    ◇    ◇
 さっきの猪おどしが遠くに響く。花の香りが漂い、涼しげなせせらぎの音も聞こえる落ち着いた雰囲気の中で、呆気に取られて何も言い返せないまま、俺は聖爾さんの次の言葉を待っていた。
「……ゲイに目覚めたのはもちろん、君と出逢ってからです」
 ピンクの着物を着た可愛い女の子の存在が何年経っても忘れられない聖爾さんはある時、父親に内緒で俺について調べ上げたところ、それが綾辻家長女ではなく三男だとわかってショックを受けた、と語った。
 それでも信じられずに、俺の姿を覗き見るため、こっそりと学校まで来たという話。俺自身はまったく気づかなかったけど、それってまるでストーカーじゃねえか。
 やがて中学に入学した俺の学生服姿を見た時、あの子が正真正銘、男であるのは疑いのない事実。きれいさっぱり忘れて気持ちを切り替えようと、彼はストーカー行為をやめ、勉強やスポーツに打ち込み、本物の女性を好きになろうとしたらしい。
 ところが、その後関心を向ける相手は男ばかり。俺を見守り続けているうちに、すっかりゲイ体質になったというのだ。
「ゲイに目覚めるのは中学生から二十歳ぐらいまでが多いそうですし、僕もその範疇だったんですね。でも、誰を好きになっても、結局は君への想いに辿り着く。一方で、そんな不道徳が許されるはずはない、このままではいけないという気持ちもありました」
 ならば、日本を離れれば忘れられるだろうと、ついにはイギリスの大学へ留学したのだが、かの地はゲイ先進国のお国柄。「男が男を好きになって何が悪い」という考えに感化されて、開き直った彼は俺との再会を決意した、とまあ、そんな具合だ。
「帰国してすぐに君との見合いを設定してくれるよう、父に頼んだのですが、我が親ながらしぶといところがあって、なかなか首を縦に振らなくてね。君と会わせてくれなければ会社は継がないとか何とか、あれこれ脅しをかけたら、やっと承知したんですよ」
 十五年もの間、初恋の人との再会を待っていたなんて、しぶといのはそっちじゃないのかと俺は呆れ返った。
 茂伸氏が簡単に承知しなかったのはウチの親父と同様に、もしも見合いが失敗に終わった場合、双方の会社の関係が気まずくなるのを恐れていたからだと思う。
 出来ることならば避けたいが、息子の決意は固い。そこで親父に今回のことを持ちかけた上に「結婚を断ってはならないと娘に言い聞かせる」という条件をつけた。未来の社長で秀才、おまけに美男子。我が息子ほどの男が相手なら、断る女などいるはずがない、そういう自信もあっただろう。
 初めて見合い話を切り出した時の、親父の態度が切羽詰っていたのはその条件のせいであり、今日用意された場は結婚相手を吟味する機会ではなく、これで決定だという両家の顔合わせ。俺の選択肢はひとつしか用意されていなかった。
「で、でも、豊城さんは俺を女だと思っているから、結婚させようとしているんでしょ? 男だってバレたらどうするつもり?」
「大丈夫。打つ手はいくらでもありますから、君は安心して、僕のこの胸に飛び込んでくればいいんです」
 そう言って聖爾さんはまたしても両腕を広げてみせたが、金持ちの上に、これだけイイ男に熱烈にプロポーズされて嬉しくない女はいないだろうけれど、あいにく俺は男だし、ゲイでもないから、相手の執着に引いてしまう一方だった。
「さあ、遠慮なく……」
「飛び込めって、そんな、誰も結婚するなんて言ってないだろ!」
 憤る俺は相手が年上ということも忘れて、ついタメ口になったが、彼はしれっとした顔で言ってのけた。
「どうして? 僕たちはお似合いのカップルだと思うけど」
「勝手に決めるな、俺はゲイでもホモでもオカマでもない!」
 それを聞いた聖爾さんはノンノン、と手を横に振ったが、それってフランス語だろ。アンタ、イギリス帰りじゃないのか。
「ゲイとホモセクシュアルは男性同士の同性愛者という意味に使われているし、間違いではないけど、広義ではゲイはイコール同性愛者全般、レズビアンもゲイに含まれるんだ。その分類からいくと、僕はホモなんです、と紹介した方が正確だったね、失礼」
 この男、イギリスでいったい何を学んできたんだ? 唖然とする俺を前に「ちなみにオカマやニューハーフはトランスセクシュアルあるいはトランスジェンダーに分類される。自分の性に違和感を持つ人たちのことだよ」などと、御丁寧に講義してくれた。
「ああもう、わかったよ。とにかく俺はどれにも含まれない、それだけ」
 聖爾さんはつくづくと俺の全身を眺め回して「じゃあ、なぜ、いつも女の格好なんかしているの? ただのトランスヴェスタイト(女装趣味)? それにしては年季が入っているよね」と訊いた。
「違う! これは全部御袋のせいだ。女扱いはこりごりだし、男と結婚なんか絶対にしない! 親父をいくら脅しても無駄だぜ、わかったなっ!」
 すると、それまで穏やかな顔をしていた彼の様子が一変し、不敵な表情になった。
「ふうん。そこまで言うなら、こっちにも考えがあるけど……まあ、そう簡単にコトが運ぶなんて期待していなかったし、ハードルは高いほど燃えるものだしね」
 声色までもが変わっている。びっくりした俺は「考え、って?」と鸚鵡返しに訊いた。
「いいから、せいぜい楽しみにしていてくれたまえ」
 な、何なんだ、こいつ? もしかしてとんでもない悪党なのか? そう思えるほど、彼の態度は底知れぬ恐ろしさを感じさせ、俺をビビらせたが『この父にしてこの子あり』、茂伸氏のキャラクターからすれば、彼の変貌ぶりは十分考えられる。
「さて、今日のところはここまでかな。家の連中にはうまく言っておくから、そちらもよろしく頼むよ」

                                ……③に続く