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オリジナルBL小説をお披露目しちゃいます

KARISOME LONELY ONE ⑦

    第七章  対決
 どれだけ時間が経ったのか、それすらもわからないほど、俺はその場に突っ立ったまま呆然としていた。
 血を流す薫、悲しそうな顔をした彼の姿が焼きついて離れない。
 あんなことになるなら、あいつの言い訳を聞いてやればよかった。俺をマーシーの身代わりにした天罰だ、などとつまらない戯言を言い続ける気にはなれなかった。
 薫は怪我を負った状態で仕事に戻ったのだろうが、本当に大丈夫なのか。
 何しろ打ったのは頭だし、病院に連れて行かなくてよかったのかと心配になると同時に、あのまま帰すべきではなかったと後悔の念に囚われた。
 だからといって、病気で休んでいるはずの店に出向くわけにはいかない。じりじりと時が過ぎるのを待つだけだった。
 閉店を見計らって行ってみよう、そうすれば様子がわかるはずだと自分に言い聞かせてみる。
 それにしても、遥さんはいったい何の用があって電話をかけてきたのか。
 銀杏亭に行ったけど薫がいなかった、そこまではともかく、店を休んでいる俺のアパートに向かわせたという、不在の理由まで聞いたようだし、もう少し待っていれば戻ってきた彼と会えるじゃないか。
 わざわざ電話してきたのは急ぎの用事だからとも思えるけど、夜に会う約束を取りつける行為とは矛盾している。そうまでして会わなければならないワケは何なのか、よほど大切な用件なのか。
 薫にとっては楽しい知らせでもなさそうだったと思うと、得体の知れない不安が胸の内にじわじわと広がり、焦る気持ちを駆り立てる。どうにも落ち着かなくなった。
 これほど、時間が経つのが遅いと感じたことはない。いつでも出かけられる用意をした俺は時計を睨み続けた。
 八時をまわったところで外に出た。土曜日に早く上がる可能性はあまりないが、念のためにそうしたのだ。
 店先に到着すると、数台の車が駐車場に停まっているのが見え、この時刻でもそれなりの数の客がいるとわかった。
 入り口の方から中を窺う。店内はまだまだ賑わいをみせ、料理やコーヒーの匂いが溢れて、表にまで漂っている。
 ところが、千鳥格子のベストを着たウェイターの姿が見えない。控え室に引っ込んでいるのかと思ったが、しばらく様子をみても薫がそこにいる気配はなかった。
 こんなにも早く引き揚げてしまうとは、まさか早退したのではと気づくと、俺は思わず「しまった!」と声を漏らした。
 怪我を心配した藤本さんたちが早めに帰れと促したのか、それとも遥さんとの約束のためか、そこまで考えがまわらなかった。
 こうなったら直接、彼の部屋に向かうしか手段はない。だが、ヤツの要領を得ない案内で、しかも夜道を一度行ったきりだし、俺ときたら筋金入りの方向音痴だ。いつになったら到着できるのか見当もつかない。
 それでも行くしかない。俺は回れ右をすると、薫の住居を目指した。
    ◆    ◆    ◆
 予想どおり、あちらこちらとさまよった俺がようやくたどり着いた時、薫の部屋の窓からは灯りが洩れていた。
 やはり先に帰宅していたらしい。遥さんはもう来ているのかとドアノブに手をかけたところで手が止まった。
 ここまで来てはみたけれど、今さらどんな顔をして薫に会えばいいのだ。
 頭の怪我が心配になったから、なんて、怪我をさせた当人がのうのうと口にしていいものか。その場で、もっと早く謝るべきなのにふざけるなと反発されそうで恐い。
 それに、遥さんと二人きりの、秘密の会合に遠慮もなく顔を出したら、なんて出しゃばりなヤツだと、薫本人だけでなく遥さんにまで嫌われてしまうかもしれない。そいつはかなりマズイ展開だ。
 いったいどうしたらいいんだ。焦りを感じながら耳を澄ませていると、中の話し声が聞こえてきた。
「……そういうわけなの」
 遥さんの声だ。彼女がここに来ているのは確実になった。
「じゃあ、あとは二人で話し合ってみて」
 二人? この部屋には遥さんと薫の他に誰かがいるというのか。いったい誰が……誰かにあたる人物を思い浮かべた俺の掌に汗が滲んだ。
 不吉な予感がする。
 昨日、彼女が受けていた電話、それから突然の、性急ともいえる訪問を聞いた時から感じていた予感は一層強くなった。
 まさか……
 次の瞬間、ドアが開いて、俺は中から出てきた人物と鉢合わせしそうになった。
「あっ、は、速水くん?」
 驚愕の表情でこちらを見上げる遥さんに、俺は自分がこの場所にはおよびでない存在だと悟った。
「す、すいません。カオ……雨宮の怪我が気になって、それで……」
 この前来た時には三和土に散乱していたはずの数々の靴はきちんと片づけられて、そこにあるのは薫自身のものと、見慣れない男物の焦茶色の革靴が一足、もう一人の訪問者の靴に間違いない。
「あの、お取り込み中みたいだし、また出直してきます」
 戸惑い、おろおろしている遥さんに向かって、俺は早口でそんな言い逃れをすると、そのまま帰ろうとした。
「えっ、ちょっと待って」
 遥さんがそう呼びかけたため、反射的に足を止める。
 すると、彼女の背後からぬっと現れた人物が「そんなに慌てて逃げなくてもいいじゃないか」と挑戦的な言い方をした。
「逃げる?」
 棘のある口ぶりにそちらを見やると、背後の人物はさっきの焦茶の靴を履いて、のっそりと顔を出した。かなりの長身で、ここの低い天井では頭がつかえるほど。身長は高い方だといわれる俺よりもさらにデカい。
 真っ赤なジャケットに迷彩色のパンツ、黒いシャツの胸元には金のネックレスが何重にも巻かれている。金色の前髪を垂らし、サングラスをかけた彼こそがマーシー、宇崎雅史本人だった。俺の不吉な予感は的中した。
 サングラスをはずしたマーシーはこちらを見てニヤリと笑った。鏡の中の、別の人格を持った俺が笑いかけているような錯覚に囚われる。
「初めまして。湖西遥の弟の雅史です」
 マーシーはわざとらしい言い回しで自己紹介をした。薫の名前を出さず、遥さんの弟と名乗ることで、俺との距離を測っているような気がした。
 超がつく有名ミュージシャンとついに御対面だ。ここでなめられてたまるものかと、気後れしそうになる自分を励ます。
「速水邦彦です。有名な方とお目にかかれて光栄です」
 思いっきり慇懃無礼に挨拶を返したつもりだが、その皮肉は通用していないようで、俺を値踏みするように眺めていたマーシーは「あんたが今話題の、オレのニセモノだね」などと言い放った。
「話題の、って、どういう……」
「ネット検索したことないの? ビジュアル系バンドのサイトで話題になってたよ。渋谷のライヴハウスにマーシーのニセモノが出没した、ってね。しかもそのニセモノは某ギタリストともお知り合いだとさ」
 愉快そうに笑ったマーシーは「立ち話もなんだから、中に入れよ」と家主でもないのに俺に向かって言い、反対に遥さんの背中を押し出すようにした。
「じゃあな、姉貴」
 遥さんは不安そうな面持ちでマーシーを見ると、
「雅史、いいわね。くれぐれも薫くん本人の意思……」
「るせぇな、わかってるよ」
 うるさげに姉のセリフを遮った弟はそれからおどけた調子で続けた。
「明日は出張なんだろ、日曜だってのにご苦労なこった。男と張り合ってバリバリ働く女はツライねぇ。さあ、さっさと帰って寝ろよ。はい、おやすみなさーい」
 マーシーに追い立てられるようにして、それでも後ろ髪を引かれるのか、遥さんは道々こちらを振り返りながら帰って行った。
「さあさあ、どうぞ。汚いところですが」
 だから、ここはあんたの部屋じゃないだろうが。
 それにしても、さっきから姿を見せず、声も聞こえない薫の様子が気になる。
 成り行きから帰れなくなった俺は靴を脱いでマーシーに従った。
 当の薫はどうしていたのか。
 彼は部屋の隅で、表情を固くして怯えたようにうずくまっていたが、俺の姿を見てギクリとしたようだ。
「クニちゃん……」
「ごめん、こんなときにその……昼間の怪我が気になったもんでさ」
 俺の言葉を聞いたとたんに、薫の顔がパッと明るくなった。
「心配してくれてたの?」
「あ、ああ。あれは俺が悪かったし……」
 俺たちの様子にチラリと目をやったあと、マーシーはポケットからタバコを取り出して火を点けた。
「あんたからも薫に言ってやってよ、速水くん。オレの言うとおりにした方が自分の身のためだ、ってさ」
 いきなり何なのだ、俺はマーシーの方に向き直って問いかけた。
「あの、何の話かわからないんですが」
「聞いてないのか? そうか、そりゃ悪かったな」
 マーシーは自分がここに来ることになった経緯をかいつまんで話し始めた。
「これはまだ極秘情報だから黙っていてくれよ。ウチのバンドのギター担当が脱退するって言い出しやがったんだ」
 先月リリースしたニュー・アルバムもバカ売れ、せっかく勢いに乗っている時にと、周りの辞めないでくれという説得にも関わらず当人が聞き入れないので、急遽代わりのギタリストを探すことになった。
 そこでマーシーはかつての仲間である薫に白羽の矢を立て、ローズ&ローズに引き入れようと画策し、彼を誘いにきた。
 マーシーが自分たちのバンドから抜けたあと、薫は引っ越しをして、住所もケータイの番号も変えた、いわばマーシーにとっては音信不通状態だったので、彼は姉を頼って薫にアポを取ったのだ。
「なあ薫、オレらのとこに来いよ。ここでいつまでもくすぶっていたってしょうがねえだろ。少しでも将来性のあるものに賭けるのが成功への近道ってもんじゃないのか? どうなんだよ」
 マーシーは同じことを遥さんにも告げて、自分に手を貸すよう説得したのだろう。一方、頼まれた遥さんにしてみれば、裏切り者の弟ばかりが栄光の道を歩んで、友達の薫は日の目を見ないというのは心苦しかっただろうし、彼のためによかれと考えての手助けだとわかる。もちろん、最終的に判断するのは薫自身だと、マーシーに釘を刺すことは忘れていなかったが。
 薫が何も反応しないので、苛立ってきたらしいマーシーは一本、もう一本とタバコに手を伸ばし、紫煙を吐き出した。喉を大切にしなければならないヴォーカリストにあるまじき行為だと、俺は密かにマーシーを軽蔑した。
「何を迷って、そんなに悩む必要があるんだ。さっさと決めてしまえよ」
 イライラした口調でそう言うマーシーと、黙ったままの薫を交互に見ながら、俺は強い焦燥感をおぼえながらも、あえて口を挟まずに傍観していた。
 それが薫自身にとってメジャーデビューへのチャンスなのだ。
 第三者が口出しすべきことではないし、ミュージシャンとしての成功を願うのは当人を知る者として──遥さんも、俺も──当たり前の対応じゃないか。
 だが、薫がギタリストとしてマーシーのいるバンドに移るということはすなわち、再びマーシーと一緒に活動し、日常的に接触を持つことを意味する。
 いくら女優相手に遊んでいても、焼けぼっくいに火がつく可能性がないとは言い切れない。マーシー自身はともかく、薫は今でもマーシーが好きなのだから──何てことだ、胸がたまらなく痛い。
 薫の未来がかかっているとはいえ、マーシーの傍に行って欲しくはない。ジレンマを抱えた俺の胸はますます痛み、今にも身体が崩れ落ちそうになった。辛い、辛すぎる。
「オレは……」
 薫がようやく口を開いた。
「オレはローズには入らない。悪いけど他をあたってくれよ」
「何だって?」
 彼にとって予想外の返事を聞いたマーシーが声を荒げ、驚いた俺も薫をまじまじと見てしまった。
「入らないって、せっかくのチャンスを棒に振る気か?」
「オレはおまえとは違う」
 マーシーを見据えて、薫ははっきりと言い切った。
「おまえたちが抜けてRED SHADOWSにはオレとトシだけが残った。あのときの絶望感は忘れられないよ。でも、ここで何とか頑張らなきゃって励まし合って、やっとの思いで三人のメンバーを集めることができたんだ。あの三人はオレとトシが集めた、大切な仲間なんだよ!」
 テル、タツミ、リュージと、薫は愛しげに仲間たちの名を呼んだ。
「それからは必死の思いで練習して、活動を続けてきた。ここでオレ一人だけが勝手に抜けて、過去にオレたちが味わったような思いをあいつらにさせるわけにはいかないし、トシにだって二度と……」
 ライヴハウスで目にした薫の姿が思い浮かんだ。
 今の若者にはウケないメロディーかもと言いつつも、仲間たちと音楽を奏でる彼は生き生きとして、とても楽しそうだった。
 あれが薫の選んだ道だというのなら──
「オレはRED SHADOWSの音楽を愛しているし、この先も自分の手で立ち上げたバンドで活動していきたい」
「何寝ぼけたことを」
 いまいましげに吐き捨てたマーシーはまたしてもタバコをふかし始めた。
「何だかんだとキレイ事を言っても、この移り変わりの激しい業界でどれだけやっていけるか、そんなこともわからない、ってんじゃねえだろうな」
「ずっと苦労してきたんだ、それは充分わかってるよ」
 マーシーはしぶとく食い下がった。
「だったら何でオレに従わない?」
 薫に激しく詰め寄る彼を見て、俺はとうとう口出しをしてしまった。
「これ以上何を言っても、薫の決意は変わらないと思います。せっかくですが、どうかお引取りください」
「何だと?」
 こちらに向き直ったマーシーは俺を憎々しげに睨みつけてきた。
「やりたい音楽のある道を選びたいと彼は言っています。そっちのギターの人だって、そういう思いがあったからこそ、有名になったローズ&ローズの名前を捨ててまで、脱退を希望したんじゃないですか?」
「あんたにオレらの何がわかる?」
「何もわかりません。けれど、たとえ有名になって大金を手にすることができたとしても、それが薫のためによかれと思っても、本人が望まない道を無理強いする資格なんて、誰にもないでしょう?」
「オレにはあるんだよ」
 そううそぶくや否や、マーシーは俺の襟元をグイとつかみ、凄んでみせた。
「あんた、大学生だろ? 親の脛かじってるヤツが偉そうな口きくんじゃねえよ」
 そんなマーシーの様子を見た薫は慌てて彼に駆け寄り、その腕を押さえようとした。
「やめてよマーシー、クニちゃんに暴力振るわな……」
「うるせぇ、黙ってろ」
 振り払われた薫がその場にドシンと尻餅をついた。
 何て馬鹿力だ、喉元をますます強くしめつけられた俺は息が苦しくなってきた。
「学生のあんたに何ができる? 薫のために何ができるって言うんだよ?」
「やめて、やめてくれよ!」
 再びとりすがる薫だが、彼の細腕が通用する相手ではなく、そうしているうちにも意識が朦朧としてきて、マーシーが俺を罵る声もくぐもって聞こえた。
「オレにはできる。こいつをメジャーな世界に引っ張りあげることがな。いつまでもライヴハウスなんかでくすぶらせやしねえ。バイトだなんだって、そんな貧乏臭い生活とはおさらば……って、イテッ」
 薫に腕を噛みつかれ、マーシーはつかんでいた襟を放しかけたが、すぐさま俺の横面を殴り飛ばした。
「あっ、クニちゃん!」
 バタンッ! 
 勢いがついた俺の身体は後ろに倒れ込み、床に叩きつけられた全身に強い衝撃が走って一瞬気が遠くなるが、ここで倒れている場合じゃない。
 しっかりしなくてはと自分に言い聞かせながら上半身を起こそうとしたものの、頭がふらついて起き上がれず、目と耳だけで二人の姿を追った。
 マーシーは物凄い目つきで薫を睨むと「何しやがる!」と吼えた。
「おまえ、そんなにこいつが好きなのか? この男はおまえにとって、単なるオレの身代わりじゃねえのかよ? そうでなきゃ、こんなに顔が似てるヤツと」
「違うっ! 身代わりなんかじゃない!」
 薫は今までにない、激しい調子で叫んだ。
「クニちゃんはクニちゃんだ! 他の誰でもない、オレが一番好きになった人だ!」
「寝惚けたこと言ってんじゃねえぞ、こら。どう見たって、オレに未練たらたらじゃないのか、どうなんだよ」
「未練なんて、そんなのあるはずないじゃないか! オレたちが見捨てられたその日からオレはおまえに決別した。おまえからの連絡は二度と受けない、そのつもりで住所も電話も変えたんだ。そんなことぐらいわからないのかよっ!」
 そう言い切ってから、薫は正気を取り戻したように、しんみりとした口調になった。
「ありがとう、マーシー。気持ちはとっても嬉しいよ。でも、これでいいんだ」
「ふん、バカが。勝手にしろ」
 肩をすくめて吐き捨てるように言ったあと、マーシーは背を向けた。
「じゃあな。せいぜい地べたはいつくばって頑張れよ」
 バタリと扉の閉まる音が終演を告げ、二人の役者を舞台に残したままの小さな劇場は恐ろしいほどの静けさに包まれた。
                                ……⑧に続く