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オリジナルBL小説をお披露目しちゃいます

KARISOME LONELY ONE ⑥

    第六章  コニシマサシ
 ろくに挨拶もせずに薫と別れ、アパートに帰った俺は昨夜の睡眠不足がたたって、そのままベッドに倒れ込んで眠ってしまい、気がつくと夕方になっていた。
「げっ、社会経済学の講義、出席とるんだったのに……」
 歯軋りをして悔しがってみても、今から登校したところで間に合うはずもない。
 仕方がない、今日もサボリだとあきらめをつけて、着替えと髭剃りを済ませると、銀杏亭へと向かって出発した。
 今朝まで一緒にいた薫と、またしても顔を合わせるのは気恥ずかしいが、これも仕事だと割り切るつもりで控え室に入った。
 だが、そこに薫はいなかった。昼間も来なかったと笠井さんが言った。
 俺と同じく、部屋で爆睡しているのではと思いながら、いつものようにカウンターの端で控えていると、カウベルを鳴らして入ってきたのは遥さんだった。
 いかにもキャリアウーマンらしい、チャコールグレイのパンツスーツを着こなし、何の書類が入っているのかと思われるようなB4サイズの大きなバッグを抱えた彼女はこちらに会釈をすると、指定席へと座った。
 デートに誘ってみせると豪語していたくせに──もっとも、それは俺のひとりよがりであって、遥さんは本気にしていなかったかもしれないが──薫とのゴタゴタに気を取られてメールのひとつも送らなかったために、俺はいくらか恐縮しながら声をかけた。
「い……いらっしゃいませ」
「こんにちは」
 その屈託のない笑顔からして、彼女にとっては俺との約束はどうでもいいことのように思えた。少しばかり悔しくなる。
「ご注文は?」
「いつものカフェオレと、ボンゴレをお願いするわ。忙しくて、お昼がまだだったの。この時間じゃもう、夕御飯よね」
 注文の品を運ぶと、遥さんは奥を覗き込むようにして「薫くんは?」と訊いた。
「今日はまだ出勤してません」
「そういえばたしか、ライヴがあるって聞いてたけど、それって昨夜じゃなかったかしら? 疲れちゃったのかもね」
「そ、そうかもしれませんね」
 薫のヤツ、遥さんにもライヴの話をしていたのか。
 まさか俺たちの間の出来事まで話してはいないだろうと思いながらも、背中に冷汗が流れた。
 ボンゴレが入っていた皿を下げに行った時、遥さんのケータイが鳴った。
 ちょっと失礼、と言いながら彼女は素早く着信ボタンを押した。
「……マサシ?」
 俺の耳はその小さな声の問いかけをしっかりと捕えていた。
 マサシ? 電話の相手はマサシという名前なのか。またしてもマサシ……
「ええ……そうだけど。でも、急にそんなことを言われても」
 電話の相手が気になるけれど、まさかその場に残って、立ち聞きしているわけにもいかない。
 俺は厨房の前まで戻ったが、全神経は目と耳に集中、遥さんの一挙一動を見逃すまいとしていた。
「わかったわ。じゃあ、あとで」
 ケータイを閉じると、遥さんは落ち着かない素振りを見せ始め、カフェオレを急いで飲み干していた。
 他に客がいないのを幸いに、俺は会計を済ませた彼女を追って外に出ると、その背中に問いかけた。
「本当のことを教えてください」
 俺の言葉に、遥さんは大きく目を見開いてこちらを見た。
「本当のことって?」
「マーシーのファンだ、というのは嘘だ。あなたが名前を呼んだマサシというのは、本当は誰なんですか?」
「誰って、それは……」
 言いよどむ彼女に、さらに詰め寄る。
「嘘をついてまで、俺に隠さなければならない人物というわけですか」
 俺の思いつめた様子を見て、小さく溜め息をついた遥さんは「そうね」と呟いた。
「隠していてごめんなさい。薫くんにそうするように頼まれていたから……」
「あいつが何でそんなことを」
「マーシーの本名はね、湖西雅史、私の弟なのよ」
「えっ……」
 呆然とする俺を気の毒そうに見やると、宇崎というのは母方の姓だと、彼女は解説してくれた。
 コニシマサシでは語呂がよすぎて滑稽だから、宇崎を名乗るのだとマーシー本人は主張したそうだが、二人の姓の違いが今まで俺に目隠しをしていた。
 そうだ、それならすべて辻褄が合う。
「じゃ、じゃあ、雨宮とマーシーは」
 急き込んで尋ねる俺に、遥さんはますます辛そうな顔をした。
「高校時代からの友達よ」
「あいつ、マーシーとは知り合いでも何でもないって、俺にそう言ったんですよ! 遥さんの弟のことだって、今は何をしているのかわからない、どうでもいいって……」
「いろいろと事情があるのよ」
 すりガラスの向こうの、藤本さんと笠井さんの目が気になる。
 いつまでも立ち話をしているのはまずいと判断したのか、遥さんはあとでメールを送るからと言って立ち去った。
    ◆    ◆    ◆
 この日、けっきょく薫は現れなかった。
 釈然としない気持ちのまま、閉店時間まで仕事をした俺がアパートに帰ってしばらくすると、遥さんからのメールが届いた。
『速水くんには申し訳ないことをしたと思っています。私たち姉弟は薫くんにも数々の迷惑をかけてしまいました』
 そんな出だしで始まった彼女の文面の、一字一句に釘づけになる。俺は息を殺して読み続けた。
『薫くんと雅史は岡山の工業高校時代からバンドを組んでいました。もちろん薫くんがギター、雅史がヴォーカルです』
 アマチュアのバンド活動を続けていた彼らはいつしか、メジャーデビューを夢みて東京に出てきた。薫がいつぞや「ひと旗上げる」と言っていたのはそのことを指していたわけだ。
 やがて、ライヴハウスで地道に活動していた彼らに転機が訪れた。
 ローズ&ローズというバンドがヴォーカルを募集しており、かねてからマーシーに目をつけていた関係者が彼をスカウトしたのだ。スカウトというよりはヘッドハンティングみたいなものか。
 結果、マーシーは薫たち昔からのメンバーを、岡山時代から苦労を共にした仲間を見捨てて、そちらに移った。
 その後の活躍は見てのとおりで、売れっ子・超人気者になった彼とは滅多に会うこともなく、遥さんとしては疎遠になってしまった弟を懐かしむ気持ちで薫のいる店に通い、俺にも会いたがったらしい。
 マーシーが抜けたあとのバンドはドラムとベースの二人が岡山に帰り、残ったのは薫とキーボードのトシだけという、ライヴ活動もままならない、ボロボロの状態になってしまった。
 それでも残りのメンバーを何とか見つけて、新生・RED SHADOWSとして立ち上げ、今に至る──という次第だ。
 メールを読み終えると、ライヴの夜の、あの場の騒ぎで聞き流していた言葉が脳裏に甦ってきた。
 観客の少女たちは「マーシーとRED SHADOWSは昔、関係があった」というようなことを話していた。
「マーシー、久しぶり」の言葉の奥に隠された意味も今ならわかる。
「だから薫はマーシーとは知り合いじゃない、とか、ダチとは絶交した、今は何してるのか知らない、なんて言ったんだ。自分たちを切り捨てたマーシーを今でもそうとう恨んでいるんだな」
 遥さんとは交流が続いたとしても、彼女の弟がマーシーであると意識したくはないし、俺に知らせたくないという心理もわからなくはない。
 だが、それなら、なおさら不可解な事実、それは薫が俺を好きになったということ。
憎むべきマーシーにそっくりな俺に対して、なぜ彼は恋愛感情を抱いたのか──
「まさか……薫はマーシーと?」
 愕然とした俺の手からケータイが転がり落ちた。
    ◆    ◆    ◆
 土曜日は日曜に次いで繁忙日だ。
 理由がない限り休むものではないが、具合が悪いと言って休みの連絡をすると、もう一度ベッドに潜り込んだ。
 もちろん眠れるはずもなくテレビをつけると、芸能ニュースが放映されていた。軽薄そうなキャスターと、頭の悪そうな女が並んで何やらしゃべっている。
「……ホントに驚きました。これぞ忍び愛、まさに久々のビッグカップル誕生! といったところですねぇ」
 画面に映し出されていたのは黒いサングラスをかけた男女で、カメラのフラッシュを手で遮るようなポーズをとっていた。
 白い文字のテロップはハートのマークつきで『マーシーとナナミのお泊り愛を直撃!』。あの宇崎雅史と、人気急上昇中の新人女優、河原菜々美のゴシップだった。自分によく似た男が例によって不機嫌そうに映っている。
 女優とお楽しみとは、まったくいい気なものだ。あんた、ゲイじゃなかったのかよと画面に毒づいてみる。
 こっちは大変な思いをしているという時にこんなヤツの顔を拝んでしまうなんて。とたんに吐き気がしてきた俺は乱暴にスイッチを切った。
 沸き起こる苛立ち、ムシャクシャする腹立たしさ、やり場のない怒り。
 俺はベッドの中でしばらく悶々としていた。
 悪いのは身体の調子ではない、心だ。
 俺の心はズタズタに傷ついていた。
 かつて、深雪という女から受けた惨い仕打ちが繰り返された。古傷は再びナイフでえぐられたのだ。
 えぐられた傷から滴り落ちる血を止めることができない。痛みと苦しみの中で喘ぐばかりで、どうにもならないでいる。
 俺はやっぱりマーシーのコピー、どこまでいっても彼の身代わりだった。
 男が圧倒的に多い工業高校において、中性的な魅力を持つ薫は同性からの人気を集めたと思われるが、そのハートを射止めたのがマーシーで、そこで禁断の蜜の味をおぼえた薫はマーシーがバンドを脱退するまで、関係を続けていたのではないか。
 そしてマーシーに見捨てられ、切り捨てられたあとも、彼を憎み切れずに想い続けていた。そう、あの歌の歌詞のように。
 Feel Just Lonely One──あれは薫がマーシーを想って作ったのだ。エリの仲間たちが話していたじゃないか、カオルが作った曲だと。
 深雪が俺の腕の中でマーシーの夢をみたように、薫もまた、俺と過ごしながら、もう二度とそうされることもないマーシーに抱かれていたのだ。きっとそうだ。
 そんなことを考えてまた悶々としていると、玄関の扉をノックする音が聞こえた。
「……はい?」
「クニちゃん、オレだよ」
「薫……」
 帰れ、と罵るつもりでいたのに、ベッドからそろそろと降りた俺は鍵を開けていた。
 ドアの隙間からいたずらっぽく顔を覗かせた薫は手にした紙袋を掲げてみせた。ベストの千鳥格子がちらついて見える。バイトの格好のままだ。
「これ、お見舞い。大将から」
 暇になるカフェタイムの間をぬって、藤本さんのおつかいに来たらしい。このアパートの場所も彼から聞いたのだろう。
 俺が返事をする間もなく、ずかずかと上がり込んだ薫は紙袋の中の白い容器をテーブルの上へと並べた。
 半透明の蓋の奥に、ハンバーグらしきものが見えた。ニンジンのグラッセとポテト、ブロッコリーも添えてある。
「具合はどう? どうせロクなもん食ってないだろうから、栄養つけて早く治すように、ってさ。それで、おかずを届けるように言われたんだ」
「そう……」
「パジャマのまんまかぁ。顔色もよくないね、熱はあるの?」
 心配そうに近づける手を思わず振り払うと、彼はきょとんとした。
「どうかした?」
「うるさいな、用が済んだら帰れよ」
「クニちゃ……」
「いいから、帰れ!」
 俺の剣幕に、薫は呆気にとられた様子でこちらを見つめた。
「何怒ってんだよ。あ、そうか。朝帰りで眠い条件は同じなのに、昨日オレがバイトに行かなくて自分ばっかり働いたから、それで腹が立って……」
 そこまで言いかけて、彼は口をつぐんだ。
「そうじゃない……みたいだね」
「ああ」
 ベッドの端にどっかりと腰を下ろすと、俺は薫を見ないように、わざとらしく壁に視線をやった。
「昨日の夕方、遥さんが店に来た」
「……それで?」
「全部話してくれた。宇崎雅史がじつの弟だということ、おまえとは高校時代からのつき合いだってこともな。その事実を隠しておいてくれと頼まれたとも言った」
 おそらく彼の青白い頬はますます青くなっているだろう。だが、俺は壁だけを見つめ続けた。
「仲間を見捨てて、自分だけが成功しようとするヤツなんて許せないと思うのは当然だ。マーシーとは縁を切って他人のフリをする気持ちはわかる。でも、それならどうして俺に近づいた?」
「近づいた、って」
「おまえはマーシーを憎んでいるはずだ。そんな男とそっくりな俺を見れば、彼から受けた仕打ちを思い出してイヤな思いをするだろうし、俺とは関わらないようにするとか、距離を置くのがふつうの反応じゃないか。それなのに……」
 そこまで言って、俺はゆっくりと頭を動かし、初めて薫を見やった。
「おまえは俺を好きになった。いや、好きになったのは速水邦彦という人間じゃない。自分の前から立ち去ったかつての恋人、マーシーにそっくりな、彼のコピーだ」
「……違う、オレは」
 目を見張り、何か言おうとする薫の言葉を遮って、俺は強い口調で続けた。
「この間までつき合っていた女もそうだ。彼女にとって俺は憧れのマーシーの代用品、それだけだった。そうされるのがイヤで別れたんだ。なのにまた、同じ思いを味わうことになるなんて」
「違うよ、だから、ちが……」
「何が違うんだよっ!」
 立ち上がった俺はヒステリックに叫ぶと、薫の両肩に手をかけ、その全身を激しく揺さぶった。
「高校時代からあいつに抱かれていたんだろ? ベッドでのおまえの手馴れた様子を見れば、長い間、男に飼い慣らされてたってわかるさ。そのお相手がいなくなって、心の寂しさと身体の欲求を満たすために、おまえは俺を利用したんだ」
 一方的にまくし立てる俺を怯えたような目で見上げながら、それでも薫は何とか反論しようとした。
「お願いだから聞いてよ。たしかにオレはマーシーとつき合っていたけど、でも、クニちゃんのこと、利用なんてしていない。オレが好きなのは……」
「言い訳なんてたくさんだっ!」
 すっかりヤケになった俺は聞く耳を持たず、とりすがる薫を乱暴に押しやったが、そのはずみでよろけた彼はバランスを失い、派手な音を立てて後ろに転んだ。
「痛っ」
 転んだ拍子にテーブルの角にぶつけたらしい、頭を押さえた薫の左の掌には血がべっとりとついていた。
「あ……」
 思わぬ展開に、予想もしていなかった流血騒動に動揺した俺が立ちすくんでいると、聞き覚えのない着メロがどこからか聞こえてきた。それは薫の胸ポケットに入っていたケータイへの着信だった。
「……はい、薫です。遥さん? お店の方にいるの? そうだよ、オレは今休憩中で、クニちゃんのとこに」
 相手の声にしばらく耳を傾けていた薫は青ざめた表情のまま「わかりました」と答えると、パチンと電話を閉じた。
「今夜、仕事が終わった頃に、オレの部屋に来るって」
 無言のままの俺を悲しげな目で見やると、薫はくるりと背中を向けて立ち去った。
                                ……⑦に続く