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オリジナルBL小説をお披露目しちゃいます

背徳のカプリッチオ ②

    第二章  遠い記憶

 捜査状況を報告するため、その日のうちに捜査本部のある川崎署へ戻った。
 午後十時からの捜査会議まで休憩を取っていたオレは自動販売機コーナー前のベンチに座ってぼんやりとしていた。中身の入った紙コップが手から落ちそうになり、慌てて持ち直す。
 帰り際のあのキスはいったい、どういうつもりだったのか。
 容疑者に不意を突かれた、それだけでも刑事失格なのに、挙句の果てに唇を奪われたなんて。
 奪われたのが拳銃だったら最悪の事態になっていただろう。そんなの、比べる対象じゃないけど。
 それにしても、よりにもよってキスをするだなんて、ふざけるにも程がある。
 自分より年下のくせに、いっちょまえに刑事ぶっていて生意気だ、からかってやろうと思ったんだろうか。
 あっ、まさか、ヤツの言うところの同好の士だと勘違いしたんじゃないだろうな、冗談じゃない。
 向こうは正真正銘、真性のゲイ。男にキスするなんてへっちゃらだろうけれど、こっちは突然の行為に動揺しまくって、逃げ出してきたんだ。
 そしてそのあと──
『ファーストネームを訊かれただけ? なんじゃそりゃ』
『オレにもよくわかりません』
 車の中で待っていた田ノ浦さんに何の話だったのか尋ねられても、どうにも答えようがない。
 だが、適当にお茶を濁すと、それ以上の追及は受けずに済んだ。
 それから二、三の場所に立ち寄り、急いで夕飯を済ませて、この川崎署まで車を飛ばした。以上。
「お疲れ様です」
 背後から声をかけてきたのは先日の打ち合わせで顔見知りになった、川崎署内の若手捜査員だった。
「ああ、どうも」
「今度のヤマの大学生、大したタマですよね。たしかに色男だったけど、あの若さで何人もの男を手玉に取っていたなんて、スゴ過ぎっスよ」
 自販機でコーヒーを買った彼はオレと並んでベンチに腰掛けた。
「こんなことを言ったら気を悪くされるかもしれないけれど、安曇さんってガイシャにルックスが似ていませんか? いや、署で評判になってたんスけど」
 たしかに、自分でも似ているかなとは思ったけれど、殺人事件の被害者に似ているなんて縁起でもない。
 困惑していると、オレたちの会話を立ち聞きしていたらしい田ノ浦さんがちゃっかりと割り込んできた。
「それそれ、僕もそう思ってたんだよ」
「やっぱり?」
 おいおい、何同調してるんだよ? 
 思わず二人の会話に口を挟む。
「ちょっ、ちょっと、田ノ浦さんまで、そんな……」
 だが、オレの反応などおかまいなしに、田ノ浦さんは「あのさ、この安曇はね、神奈川県警のアイドル刑事って呼ばれてるんだよ」などと混ぜっ返した。
「アイドルデカですか」
「三十が近いのに、どう見ても二十歳そこそこの若僧だろ。顔もほら、今風に言うとイケメンってやつ? こいつを連れて聞き込みに行くと『ドラマの撮影ですか?』って、しょっちゅう訊かれるよ」
「なるほど」
 感心しているのか呆れているのか、まじまじと見つめられるものの、こっちは黙って苦笑いするしかない。
「でもまあ、御婦人方にはウケがよくて、何でもしゃべってくれるから、捜査する身としては助かるけどね」
 捜査員は面白がって「女性だけじゃなくて、男性にもウケるんじゃないですか?」などと言い出した。
「ガイシャに似てるから、か。有り得るな。おい安曇、おまえ、あの樹神ってヤツに気に入られたんじゃないのか? それでわざわざ名前を訊かれたんだよ、たぶんな」
「や、やめてくださいよ」
 キスされたことは口が裂けても言えない。オレはかぶりを振って否定するのに懸命だったが、その一方で、もしかしたらの可能性を打ち消せずにいた。
 被害者・篠宮司とつき合っていたなら、その篠宮に似ているオレが彼の好みのタイプである、ちょっかいを出したくなってキスしたという展開は充分に考えられる。
 つまりオレは樹神にとって、死んだ篠宮の身代わりというわけだ。極端だけど、そういう結論になるじゃないか。
 身代わりって、それってダミーってことか。ヤツが放言したところの、偽りの恋ってやつの……
 とたんにイライラしてきたオレは「向こうはどう思ってるか知りませんけど、オレはゲイじゃありませんから」と声を荒げた。
 初めて会った時から、どこか心惹かれるものがあった。
 それは認めるけれど、反発や不満を抱いた一方で惹かれているだなんて、我ながらポリシーというものがなさすぎる。
 だいたい、本命の身代わりならともかく、セフレのダミーだなんて最悪だ。
 いや、どっちもイヤだ。本命以外にはなりたくない……って、あれ、オレは樹神の本命になることを希望しているのか。
 本命イコール恋愛の対象、これすなわちゲイ。
 そうじゃないと言い切ったばかりなのにバカな……ああ、混乱している。頭がおかしくなってきた。
 すると田ノ浦さんはニヤッと笑った。
「おお、そうか。そりゃつまらんことを言って悪かったな。まあ、早いところ彼女を作って、ゲイ疑惑を晴らす証明をしろや」
 四十代前半で結婚十五周年を迎えるという既婚者の余裕で切り返す上司に、簡単に言ってくれるぜと舌打ちしたくなる。
 大学卒業を機に、それまでつき合っていた女と別れて以来、女性には縁がない。接触するのは被害者とか、加害者の内縁の妻とか、目撃者のオバちゃんとか……とにかく御縁がないのだ。
 仕事が忙しすぎるせいだ、朝から真夜中までこき使われて、非番だろうが何だろうが、事件が発生すれば呼び出される。こんな生活リズムが悪いのだと声を大にして言いたいけれど、ここでは言えない。
「よし。それじゃ、会議までにもう一度資料を見直すぞ。いいな」
「はい」
 紙コップをクズカコに捨てたあと、部屋の片隅に、申し訳程度に置かれた布張りのソファに座ったオレは──さっき樹神の部屋にあったソファとは、座り心地に天と地ほどの差があった──田ノ浦さんが差し出したコピー用紙を受け取った。
 そこに印字された『樹神健吾』の名前を目にしたとたん、樹神の姿が、キスの感触が思い出されて身体が熱くなる。
 胸がギュッとしめつけられた上に動悸までして、脈拍は一気に増加、こめかみの辺りがズキズキしてきた。
 おいおい、なんでこんなに動揺してるんだ、オレは。絶対におかしい。
 動揺と混乱を誤魔化そうと、思わず「それにしてもですよ、ゲイの先生なんて雇っていていいんですかね? 教育上、問題じゃないのかなって」と口走ると、
「おいおい、そういう発言は同性愛者に対する差別だって突っ込まれるから、慎んだ方が身のためだぞ」
「す、すいません」
「まあ、おまえの言い分はもっともだが、この場合の先生はすなわち講師だ、小学校や中学の教師じゃない。個人の指向はもちろん、道徳面をとやかく問われる立場ではないってことさ」
「たしかに。実力社会ですもんね」
「そもそもだ、就職にゲイかどうかは問われないだろう? 予備校に限らず、入社の際に提出する履歴書に『私はゲイです』って記入する欄も、異性愛・同性愛のどちらかを丸で囲めなんて質問もない」
「ごもっとも」
「そんなセンシティブ情報を聞き出すなんて方が問題でもあるしな」
 オレは上司の細かなセリフの数々、ギャグとも呼べない語りに苦笑しながら、ペンを手にした。
 前科はないので、当人のプロフィールについて簡単にまとめて記載した書類に、先程の本人への聞き取り調査で得たいくつかの情報を書き込む。
 それから何の気はなしに、紙面に目を走らせていたオレは樹神の本籍地が自分の実家の住所と近いのに驚いた。今頃になって気づくとはと、己のまぬけさに呆れる。
 厚木市にある実家は近くて遠い。
 通勤できない距離ではないが、不規則な生活ゆえ横浜市内での一人暮らしを選択したけれど……

『すいませーん、ボール取らせてもらっていいですか?』

──えっ、今のは何? 幻聴? 
 オレは思わず周囲を見回したが、鳴り響く電話、人々のざわめきと、そこにはさっきと同じ光景と音があるだけ。
 もうすぐ捜査会議が始まるぞと、せっつく声が聞こえてきた。
 そうだ、ここが、これが現実で……

『あ、あった。ありがとうございます』

──まただ。またしても幻聴が襲う。オレの耳はいったいどうしてしまったんだ? 

『ライトー、ボールは?』
『あったよ。今行くから』

──西に傾きかけた日差し、草いきれ、互いに手を振る少年たちの笑顔。
 ダメだ、幻聴だけじゃない。とうとう幻覚までも見えてきた。
 全部ひっくるめて幻想というやつか。オレはいったいどうなってしまっ……
「おいこら安曇、ぼんやりするな。そろそろ行くぞ」
「……あっ、は、はい」
 何とか気を取り直したオレは慌てて立ち上がると、会議室へ向かった。
『川崎市内マンション大学生殺人事件捜査本部』と書かれた用紙が掲げられた入口をくぐる。捜査員の大半は既に着席して開始を待っていた。
「それでは、定刻になりましたので会議を始めます」
 その言葉を皮切りに、各方面からの報告が相次いだ。
「犯行に使われた凶器はまだ発見できません。傷の状態から小型のナイフと思われますが、これはもともと室内にあったものではなく、犯人が用意した上に現場から持ち去ったと考えられます」
「つまり、衝動的ではなく計画的犯行と考えられますね」
「そうです」
「では、ナイフの出処についての調査を引き続きお願いします。次、どうぞ」
「はい。本件は深夜という時間帯に発生したためか、現時点でこれといった目撃情報はありませんが、有力な手掛かりとして、ガイシャが住んでいたマンションの出入り口に設置された防犯カメラの映像について御報告申し上げます」
「お願いします」
「午前一時前後に不審な男の姿が記録されていまして、この人物についてはマンションの住民ではなく彼らの知り合いでもない、見知らぬ男だと確認されました」
「ほう。それは有力な情報ですね」
「この男が犯人である可能性はかなり高いのですが、黒っぽい服装とサングラス、帽子で顔を隠しているため、現在確認されている容疑者のうちの誰かというところまでは、画像からは判定できません」
「わかりました。では次に、各容疑者の足取りを説明してもらいましょうか。最初に足立区在住の……」
 黒っぽい服装──オレは幻想から現実に引き戻された。
 そいつは樹神好みのスタイルじゃないか。さっき本人に会ったばかりだ、どんな格好をしていたのか忘れるはずもない。
 まさか、彼が本当に犯人なのか、否──
 樹神の無実を信じたい、その手首に手錠が嵌められるのを目にするのは耐えられそうにない。そんな心の揺らぎを感じて焦る。
「どうした? 顔色が悪いぞ」
「い、いえ、ちょっと疲れが……」
 心配する田ノ浦さんに作り笑いを向けて誤魔化したあと、うつむいてメモを取るフリをする。
 新米刑事をコケにした上に、いきなりキスしてきた失礼千万な男。
 それなのにどうして、オレは彼を犯人ではないと、無実を信じたいなどと思うのだろう? 
 端正で憂いを帯びた面影が脳裏から離れない。あんなにムカついていたくせに、本当は一目惚れ? 
 そんなバカな。オレはゲイじゃないって、その気はないって、さんざん言い訳した……はず……
                                ……③に続く