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オリジナルBL小説をお披露目しちゃいます

紅蓮の炎 ①

    第一章  茶道家元・蒼静院家

 平凡だが平和な高校生活、それが激動の日々に変わってしまうなど、案外誰の身にも起こり得るのかもしれない。
 門倉大志(かどくら だいし)を過酷な運命の渦中に投げ込んだのは突如もたらされた両親の訃報──都内で起きた、乗用車と大型車の衝突事故──それも新聞の片隅の記事であっさりと片付けられた──だった。
 二人が死んだという実感も湧かないままに喪主となった大志は葬儀の当日、彼にとってたった一人の親戚だという、母方の祖父と初めて対面した。
 胡麻塩頭に柔和な顔立ちの祖父・門倉栄吉(かどくら えいきち)は霊前の写真を目にすると、自分よりも先に旅立った娘夫婦を思っては泣き、初対面の孫を見ては泣いたが、大志自身は父母の死があまりにも唐突すぎて、涙すらも流せずに栄吉の姿をぼんやりと眺めていた。
「おまえ、幾つになった? 十七か、そうか。見れば見るほど、皐月(さつき)にそっくりの器量よしだ。あの子が生きているみたいだよ」
 穏やかで優しい人柄の祖父に、大志はすぐに親しみをおぼえた。人恋しい時だから尚更だった。
 栄吉は静岡で和菓子の老舗『かどくら』を営んでいた。大都会に未練はないし、未成年の自分が親類に引き取られるのは当然の成り行きだと思っていた大志だが、祖父の口から出たのは思いがけない言葉だった。
「おまえは家元のところへ行って内弟子になりなさい」
「家元? 内弟子って何?」
「住み込みで修業する弟子のことだ。ワシら静蒼院家に出入りしている者はそれが慣わしなんだよ」
 先代の御遺言だと栄吉は続けた。
「先代って……」
「静蒼院家四代目家元の静蒼院佐久(せいそういん さきゅう)様だよ。残念ながら五年前に亡くなられてね」
 静蒼院家とは静岡を本拠地とする茶道の流派だが、本場・京都の有名な流派はともかく、イマドキの若者は内弟子などという閉鎖的で堅苦しい立場を嫌う。
 そこでこのマイナー流派では抹茶や茶菓子を納める業者の家族に対しての弟子入りを勧誘するのだが、勧誘というよりはほぼ強制的で、特に大志に関しては必ず内弟子にするよう、四代目から命令を受けていたらしい。
 茶道と聞いて、大志は慌てて「オレ、お茶の道なんかわかんないよ。内弟子なんて務まりっこないって」と拒んだが、あくまでも栄吉は命令を死守するらしく、
「まあ、不安に思うのも無理はないが、家元は親切な方だし、おまえと同じ齢の子供もいるから、高校にも通わせてくれるそうだ。任せておけば大丈夫だよ」
 熱心に勧める祖父に押し切られる形で内弟子入りを承知させられた大志は両親の想い出が残る賃貸マンションを引き払い、スポーツバッグひとつを手にして静蒼院家を訪れる羽目になったのだった。

    ◆    ◆    ◆

 新茶の刈り入れを迎えた五月とあって、風が茶畑の間をすり抜けて爽やかな空気を運び、暖かく降り注ぐ日差しは程よい温もりを与えてくれる。
 だが、それでさっきからの緊張感が和らぐはずもなく、大志は自分に勢いをつけようとわざと明るい声を出した。
「静蒼院家って、ここかぁ。すっげえ広い家だな」
 こんなお屋敷に住み込んで生活するのかと思うと、勢いがつくどころか緊張が増して、脚が震えてしまう。
 不安と戸惑いを胸に、どっしりした構えの古びた門を見上げていた大志だが、ふいに扉が開いてギクリとした。
 彼を出迎えたのは当家の古参の内弟子、菊蔵(きくぞう)だった。
「よくいらっしゃいました」
 着物姿で丁寧に腰を折る菊蔵を見て、大志もおずおずと頭を下げた。
「このたびはご愁傷さまで。不幸とは重なるものですが、栄吉さんのご病気もじきに良くなることとお祈りしております」
「あ、ありがとうございます」
 栄吉は大志と会った直後に病気で入院してしまい、水先案内人を失った孤独な少年はたった一人でこの屋敷を訪れたのだ。
「ささ、どうぞ。家元がお待ちかねです」
 門の中へ一歩踏み込むと、そこは世俗を離れた別世界。山里の風景を切り取ったかのような、風情ある和風庭園が目の前に広がり、どこからかせせらぎの音が聞こえてくる。
 馴染みのあるモミジの他にもシャラ、コバノトネリコなどといった樹木が植えられ、その根元には山野草、足元の飛び石を深い緑色に覆うのはタマリュウだ。
 今年七十を迎えたと聞く菊蔵だが、足腰はそこらの若い者よりずっとしっかりしていて、飛び石の上をそれこそ跳ぶように歩き、そんな老人に遅れをとるまいと、大志は必死であとに続きながら話しかけた。
「牧之原市って、日本でも有数の緑茶の産地だって聞いていましたけど、本当にスゴイですね。辺り一面茶畑だ」
「はい。この静蒼院家が創立されたのはそもそも、牧之原台地で生産された緑茶を静岡発のブランドとして、全国に広める手段に用いるためだったのでございます」
 今でこそ牧之原大茶園のお茶は有名であるが、そこまで知名度が高くなかった頃の話である。
 ちなみに静蒼院家の静の文字は静岡という地名から取られたもので、蒼は本来青だが、ここでは緑の茶葉を表すとのこと。
 また、県内を主な拠点とする煎茶道の流派は既に存在していたので、抹茶道に絞られることになったわけだが、抹茶道といえば千利休の教えの流れを汲む表千家、裏千家が有名で、あとは武者小路千家、薮内家など。そのほとんどが本拠地は京都だ。
『静岡を本拠地とし、宇治の抹茶に負けない美味しさの、御当地の抹茶を使った流派を広めようではないか』
 そんな地元の援助を受け、皆の期待を背負って設けられた静蒼院家は牧之原台地を背にした小高い場所に居を構え、その広い敷地内には当家の者が住む家屋とは別に、様々な施設が点在した大所帯となっていた。
「右に見えますのが昇月庵、その反対側にあるのが残月庵という茶席です。これらは外露地を挟んで対称に造られており、茶会や本格的な茶事を行なう場所です。その向こうの家屋は花月堂と呼ばれる稽古場で……」
「はあ」
 専門用語で語られてもさっぱりわからず曖昧な相槌を打つ大志、その間にも菊蔵は敷地の奥へ奥へと進んでゆく。
「おや?」
 前方からやってきた人物を見た菊蔵が足を止めた瞬間、背筋に冷たいものを感じた大志は思わず身を縮めた。
「右京様、どちらへお出かけですかな」
「ちょっと野暮用だ」
 現われたのは異様な姿の若い男だった。春、いや、初夏だというのに、百八十近い長身に黒いトレンチコートをまとい、身につけているものはすべて黒。長い黒髪は腰まで届き、何とも怪しげな風体である。
 これで柄の長い鎌でも持たせればまるで死神、実際、大志は死神が現れたかと思ったほどだ。
(うわー、めちゃ怪しいヤツ。この死神みたいなのが長男かよ)
 静蒼院家のおおよその内情は栄吉から聞かされていたので、目の前の人物が何者なのかは見当がついた。
 こいつが当家の嫡男・静蒼院右京(せいそういん うきょう)か。地元の大学の工学部二回生と聞いたが、講義にはまともに出席せず、賭け事三昧に酒浸りの自堕落な生活を送っているらしい。
 野暮用とはパチンコかマージャン、それとも日中から飲み屋にでも入り浸るのだろうか。いずれにしても、ろくでもない用件に違いないと大志は右京をまじまじと見た。
 斜めに結ばれた眉に薄い唇、切れ長の目の眼光は鋭く、整ってはいるが冷たい顔立ちは近寄り難い印象を受ける。細身でありながら、しなやかな鞭にも似た身体は相手を威圧する迫力に満ちていた。
 鋭く冷たい、研ぎ澄まされた刃のような彼の全身から発する殺気が冷たい風となって吹き抜け、大志の背筋を凍らせたのではないか。何人も寄せつけない孤高の男──静蒼院右京はそんな雰囲気を漂わせていた。
「門倉の孫か。今さらここに入り込んで、家元に取り入るつもりなのか? この親にしてこの子ありってわけだな」
 憎々しげに吐き捨てたあと、唖然としている大志に近づいた右京は左手でこちらの顎を引き上げると舐め回すかのように、顔面に遠慮のない視線を浴びせた。
「取り入るって、いったい何の話……」
「母親譲りの美貌を武器に、か。たしかに美形だ、涎が出るぜ」
 冷たい指先に触れられ、氷の眼で射抜かれて、まさに蛇に睨まれた蛙。身体が勝手に震えだしてきた。
「俺がひと呑みにしてやろうか、どうだ?」
「おやめください、右京様。そのような恥ずべき振る舞いは……」
「うるせえ、ジジイは引っ込んでろ」
 諌めようとする菊蔵を右京が突き飛ばす。老人はよろけて砂利の上に尻餅をついた。
 そのとたんに、正義感の強い大志の心に火がついた。恐怖に代わって怒りの闘志がみなぎってきたのである。
「やめろ!」
 大志の制止を聞いた右京は一瞬、戸惑ったような顔をしたが、すぐさま不敵な表情に戻った。
「何だ、文句があるのか」
「あるっ!」
 菊蔵を庇おうとして勢いのついた大志の拳が右京の頬に当たると、彼は血相を変えた。
「俺の顔を殴るとはな。その細腕、へし折ってやる!」
 細身とはいえ、自分よりははるかに強そうな相手である。殴り合いにでもなれば勝てっこないとわかってはいるが、大志は派手に啖呵を切った。
「やれるもんならやってみろ! お年寄りに手を上げるヤツは男のクズだ。オレはそんなクズなんかに負けるもんか!」
「この俺にそういう口をきくヤツは初めて見たぜ。本気でやり合うつもりとはいい度胸だ、面白い。褒めてやる」
 身構えて戦闘態勢をとる大志だが、ポキポキと両手の指を鳴らしながらも、右京は殴りかかってはこなかった。
「俺に逆らったらどういう目に遭うか、これから先、存分に思い知らせてやる。楽しみに待っていろ」
 悪魔のような笑い声を残して右京が立ち去ると、大志は気が抜けてその場にぺたんと座り込んでしまった。
「やべっ、殴っちゃった。ちょっとマズったかな?」
「大丈夫です。右京様はいつもああなので、気になさらないでください、大変申し訳ありませんでした」
 立ち上がった菊蔵は右京の代わりに詫びるかのように頭を下げた。
「菊蔵さんが謝ることはないですよ。悪いのはあの人だ」
 これから世話になる屋敷にあのような傍若無人の輩が住んでいるとは、この先がおもいやられる。
 不快なセリフを投げつけた挙句、老人に暴力を振るうなんてとんでもないと、右京に対する第一印象は最低最悪のものになった。
「いや、その、右京様があのようになってしまわれたのも、いろいろとワケが……」
「ワケって何ですか?」
 しばらく言いよどんでいた菊蔵は「あの方も幼い頃、あなた様と同じく御両親を事故で亡くされまして」と呟くように答えた。
「えっ? 両親を亡くしたって?」
「はい。そのために幼少の頃からお寂しい毎日を送られ、一昨年ぐらいからはああいった振る舞いをされるようになって……いくら親代わりと申しましても、しょせん私共では右京様のお心をお救いするなど無理な話だったと後悔するばかりです」
 右京が自分と同様の身の上にあると知って、大志は驚いて訊き返した。
「お父さんは今の家元じゃないんですか?」
「右京様の父上は五代目雅久(がきゅう)様です。和久様の兄にあたる方なのですよ」
 同じような名前を連呼されて頭が混乱してきた大志に、菊蔵は雅号についての解説を加えた。
 他の流派の家元が宗や智、正などの文字を入れた雅号を使うのに習って、静蒼院家では久の文字を入れるようにしたため、雅久は雅之、和久は和臣というのが戸籍上の名である。
「それでみんな久という字がついているんですね。えっと、四代目ってのは」
「佐久様は佐平というお名前です。家元制度は基本的に男子直系の世襲制になっておりまして、四代目の佐久様が御存命中に長男の雅久様が五代目を継いだのですが、右京様が三歳のときに亡くなりました」
「三歳……いくらなんでも六代目は無理ですよね」
「ええ。ですから特例として、次男の和久様が六代目となられたのです」
「つまり六代目は叔父さんにあたるわけだ」
「左様です」
 右京は現在の家元の嫡男ではなく甥だったのだ。どうして栄吉はそこまで詳しく説明してくれなかったのか、ジイちゃんボケていたのかと思いつつ、大志は再び前を行く菊蔵について歩き始めた。
(交通事故か。あいつもオレと同じ思いをしてきたんだ。それであんなふうにひねくれて、グレているのかもしれない)
 彼の胸の内にも深い悲しみが降り積もっているのだろうか。横柄な態度で毒づき、高笑いをする黒いコートの背中が寂しく見えたのはきっと……
 人は同じ悲しみを背負った時に、相手に親近感を抱く。部外者にはわからない痛みを分かち合い、支え合い、互いの絆を深めようとする。事件の被害者の会などがその例だ。
 両親を亡くした経緯が同じというだけで、右京に対する悪印象がすべて拭えたわけではない。彼の暴言や粗暴な態度を許したつもりもない。けれど──

                                 ……②に続く