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オリジナルBL小説をお披露目しちゃいます

紅蓮の炎 ⑤

    第五章  会いたい……

 けっきょく右京は帰ってこなかった。
 それだけではなく、翌日もそのまた翌日も大志の前に現われなかった。
 たまりかねて菊蔵が電話をかけたが、携帯電話の電源は切られたままで音信不通になっていた。
 消えてしまった師匠の代わりに、大志の指導は洸が受け持つことになった。
 貼り紙をした犯人探しをする気にはなれなかった。ヘタに騒ぎ立てると余計な刺激を与える気がする。行為がますますエスカレートしそうで怖かった。
 いや、これまでの大志ならばそんな弱音など吐かず、見えない敵との闘いに臨んだかもしれない。だが、今の彼は生きる気力を失いかけていた。
 あれは月夜が見せた右京の幻だったのだろうか──互いの想いを確かめ、抱き合ったのはすべて幻──
 あの告白はすべて嘘だった。マジで惚れたなんて、いっときの気の迷い、その場限りの口説き文句。知らない誰かの元へとっくに行ってしまったのだ。太陽が昇ったあとも薄暗い部屋でそいつとよろしくやっているかもしれない。
 不安と疑念が生んだ妄想に過ぎないとわかっていてもつい、そんなふうに考えてしまう。やり切れなかった。
 もう、いい。四代目の遺言も何もかも、どうでもいい。こんなに悩んで苦しむぐらいなら、今すぐここを出て、すべて忘れよう。「出て行け」と脅す犯人の思うツボになるのは癪だが、それが一番いい方法だ。
 半ば投げやりになった大志はそう結論を出すことでいくらか安心した。
 だが、そのためにはまず祖父に相談しなければならない。稽古が終わったら……
 考え込む大志を探るように見ていた洸が思いがけないことを言い出した。
「あのさ、大志くん……好きな人いるの?」
「え……えっ、何か言った? ゴメン、ぼんやりして聞いていなかった」
「向こうの学校に好きな人がいたのかなって。その人のこと思い出してたんじゃないの」
 洸の声が少し上ずって聞こえた。
 好きな人のことを考えていたのはたしかだが、東京の学校の女子生徒ではない。
「ち、違うよ。全然女っ気なかったから」
「そう、良かった」
 ホッとした様子の洸はそれから慌てて付け加えた。
「ほ、ほら、学校でさ、キミのことを詳しく教えてくれって頼んできた女の子がいたもんだから」
「それ、マジでオレのファンなのかな。本当は洸くんのことが訊きたかったんじゃないの?」
 軽く返したつもりだが、洸は真顔で「僕には好きな人がいるから」と言い切った。
「そうなんだ。からかって悪かったよ」
「謝らなくてもいいよ。だって、好きになったばかりだし」
 栄吉の見舞いに行くと聞いて、洸は「亮太さんに送ってもらえば?」と勧めたが、それを断った大志は付近を通るバスを利用して、街中にある市民病院へと向かった。
 三階にある大部屋の名札の中から『門倉栄吉』の名前を探す。
「ジイちゃん、具合はどう?」
「おお、来たか」
 久しぶりに会った祖父はいくらか痩せて見えたが、思ったよりも元気そうだった。
 学校はどうだ、静蒼院家のしきたりには慣れたかなど、心配そうな顔をして質問する栄吉に話を切り出すのは気が引けた。
「うん……まあ」
「浮かない顔をしてどうしたんだ? 稽古が大変なのか?」
「稽古は楽しいよ。でも……」
 切り刻まれた袱紗、ドアに貼られた血文字の話を聞いた栄吉は顔を曇らせた。
「まさか、そんなことになっていたとは」
「病気のジイちゃんに聞かせるのはどうかなと思ってたんだけど、オレ自身、もう……限界かなって」
 無理に作った笑顔が引きつってくるのがわかる。本当はそれだけじゃない。決して口には出せない理由を胸にしまい込み、内弟子を辞めたいという大志の言葉に「すまなかったね」と栄吉はうなだれた。
 静まり返った病室、消毒液の臭いが漂うその中で、祖父と孫はしばらく黙り込んだ。
「ワシが悪かった。ワシは先代の言いつけを守ることばかり考えていたが、やはり皐月の心配は正しかったんだ」
「母さんがどうかしたの?」
「母さんはおまえを内弟子にやるのに反対していたんだよ。こうなることがわかっていたのだろう」
 母が実家に寄りつかなかったのはそのせいで、今回彼女が急死しなければ、大志は祖父に会うことも、内弟子入りすることもなかったのだ。
「親子三人、ずっと東京で暮らしていた方が幸せだったのかもしれんな」
 そうかもしれない。そうすれば右京に出会って苦しい思いをせずとも済んだのだ。
(右京……)
 最後にもう一度だけ会って、彼の本当の気持ちを確かめたい。その願いはもう叶わないかもしれないけれど。
「とにかく、菊蔵さんを通じてでもワシから家元に話しておくから、もうしばらく待ってくれ。それで許可が下りたらすぐに店の方へ引っ越すといい。散らかっているが、おまえが寝る場所ぐらいはあるからね」
「ありがとう、ジイちゃん」
 肩の荷が下りて気持ちが楽になった大志はベッドの枕元にガーベラの花が飾られているのに初めて気づいた。
「ああ、それは静蒼院のぼっちゃんが……」
「洸くんが来たの? いつの間に? さっき点前を見てもらってたけど、一言も言っていなかったよ」
「洸さんの方じゃない、右京さんだよ」
「えっ、あいつがここに?」
 安静を要する病室にも関わらず、大志は素っ頓狂な声を上げてしまった。
「右京さんもずいぶんと変わられた様子だったが、根は優しい子でね」
 菓子を納めに行くと「かどくらのおじいちゃん」と呼んで懐き、菊蔵と話し込む傍で静かに遊んでいた、おとなしくて、はにかみやの男の子。
 右京の幼い日を懐かしそうに語る栄吉、彼は遠く離れてしまった孫の代わりに、静蒼院家の正統な後継者でありながら寂しい境遇の少年を可愛がっていた。
「物には恵まれていたが、不憫な子だった。今もそれは変わっていないようだね」
 栄吉が入院してからというもの、右京は毎日のように見舞いに訪れていたらしい。野暮用などと言っていたけれど本当は……
 右京自身にとって「かどくらのおじいちゃん」は菊蔵たちと同様に、心を許せる貴重な一人だったのだ。
 切なさと狂おしさが大志を揺さぶった。
(会いたい、やっぱり会いたいよ)
 右京は今、どこにいるのか──

    ◆    ◆    ◆
 病院のある通りを進んでいると、見覚えのある人物が歩道を歩いているのに出くわした大志は「あっ!」と声を上げた。
 何たる偶然、黒いコート姿の男が手に花束を持って足早に歩いているが、栄吉の見舞いならば病院とは方向が逆だ。いったいどこへ行くつもりなのだろう。
 最後に会いたいという願いが通じたのかと思いながらも、近づいて話しかける勇気がない。大志は右京の後方三十メートルぐらいの間隔を保ちながら、こっそりあとをつけた。
 後姿を見失わないように注意しながら進むと、やがて辿り着いたのは蓮法寺という寺院だった。駐車場をすり抜ける右京に続いて境内に入る。記憶に新しいこの寺、そこには先だって両親の骨を埋葬したばかりの、門倉家代々の墓があった。
 傍まで行くと、誰かが墓参りしたらしく新しい花が供えられている。そこから右京の行動を見守っていると、コートを脱いだ彼は桶に水を汲んだあと、御影石で作られた墓石の掃除を始めた。
 それが静蒼院家の墓なのかどうか、この位置から墓石に刻まれた文字はハッキリとは判別できないが、何となくわかる気がした。あの墓には恐らく、若くして逝ってしまった彼の両親が眠っているのだ。
 亡き雅久夫妻に、彼は何を報告しに来たのだろう。手馴れた様子からここを頻繁に訪れていると察することはできる。
 持参した花を供えてから線香に火をつけ、墓前に手を合わせる右京の表情は穏やかで神々しいとさえ感じられた。
(この新しい花……もしかしてウチの墓にもお参りしてくれてたのかな?)
 やがて、当人が引き揚げるのを見た大志は見張っていたとバレないように急いで戻ろうとしたが、慌てていたせいで敷石につまずいて転んでしまった。
「何をうろちょろしている」
 しまった、見つかった。
 大志はとってつけたような言い訳をした。
「は、墓参り。オレんちのお墓もここにあるし……」
「手ぶらで、か。いい度胸だな」
 そう言い捨てた右京は大志の脇をすり抜けて行こうとした。
 まるで他人だ──初めて出会った時と同じ、冷たい気配に身がすくむ。
 これが自分に惚れたと言ってくれた男の態度なのか。惚れたなんて、そんな気配は微塵もない。
 フラれた。決定的だ。もうこれで本当に終わりだ。
 彼の大志に向けた情熱は失われ、氷の刃の姿に戻っていた。心まで刃で切られたような痛みが走り、真っ赤な血を流す。
 絶望の淵に爪先で立ちながらも、大志は声を振り絞った。
「まっ、待って」
「何だ?」
「跡見屋ってどこにあるの? 袱紗買いに行きたいんだけど……」
 右京はチラリとこちらを見やった。
「向こうの通りだ」

    ◆    ◆    ◆
 そこから遠くない場所に華道・茶道具の専門店、跡見屋はあった。
 平屋建てで奥行きもない、決して大きくはないこの店は昭和以前の建物かと思われるほど古ぼけた造りだが、ガラスの入った引き戸はなぜか自動ドアになっていて、不釣合いな感じがする。
 二人が店内に入っていくと、店主とおぼしき禿げ頭の小太りな中年男が出てきたが、右京の姿を見て顔色を変えた。
「いらっしゃ……おお、これはこれは、静蒼院の。ご無沙汰しております」
「男持ちの袱紗を見せてもらおうか」
「はいはい、ただいま」
 店主はいそいそとガラスケースの上に品を並べた。
「どれがいいのか、さっさと選べ」
「えっ、う、うん……」
 抜け目のなさそうな店主がちらちらと大志の顔を盗み見ている。この少年は何者か、なぜ右京と一緒にいるのか、とでも考えているのだろうか。
 それとも息子──内弟子の一人──から大志のことを聞いており、二人の様子を窺っているのかもしれない。
「あ、これ、蛍に見える」
 右京との想い出の場面にいた小さな灯火の姿に似た、紫地に黄色い花模様が入った袱紗を選ぶと、右京がカードで支払いを済ませてくれた。
「毎度ありがとうございます、またおいでくださいませ」
 慇懃無礼に聞こえる店主の言葉を背に、店の外に出た大志は今の代金を払うと言った。
「お金ならちゃんと持ってきたから」
「そんなことは気にしなくていい」
「ありがとう」
 右京の半歩後ろを歩きながら、手にした袱紗を握りしめる。これが彼からの、最初で最後のプレゼントだ。
 このまま黙ってバスに乗り、何も告げずにいなくなる方がいいのだろうか。
 ダメだ、そんなのイヤだ。そこに自分がいたことだけでもおぼえておいて欲しい。
 ようやく決心を固めた大志は別れの言葉を切り出した。
「オレ、内弟子辞めるから。さっきジイちゃんの見舞いに行って、家元に話をしてもらうように頼んできた。承知してくれたらすぐに店の方へ……」
「そうか」
 やはり引き止めてはくれない。
 予想していたけれど辛い。
「でも稽古は楽しかったよ。いろんなことを覚えてとても嬉しかった。もしも余裕があったらまた習いたいって思って、それで袱紗を買っておこうかなって」
 何の返事もない。
 これで見納めになるであろう、黒い背中で揺れる黒髪が滲んで見えた。
 茶畑の広がる台地の向こうに夕闇が迫り、薄紅色と藍色が交じり合った空にはひとつふたつと星が輝き始めた。
 地上でも夜を迎えるための準備が整って、街路灯にオレンジ色の光が灯されると、車は赤いテールランプを点して行き交い、夕暮れの喧騒はさらに賑やかさを増した。
 バス停が見えてきた。ここで今度こそお別れだ。
「それじゃあ、さよ……」
「おまえ、俺と一緒に堕ちる覚悟はあるか」
「えっ、お、堕ちるって?」
 振り向いた右京の瞳に凶暴な光が宿っている。大志は息を呑んだ。
「行き着く先は生き地獄だ。その覚悟があるならついて来い」
 そう言うや否や、右京は再び足早に歩き始めた。
「生き地獄………」
 自分の前に姿を見せなかった間、右京が何を考えていたのか、どんな気持ちでいたのかはわからない。だが、その言葉に彼のすべてが込められているのだと大志は悟った。
「行くよ。一緒に行く」
                                ……⑥に続く