〈現在⑥〉
オレの話を聞き終えた村越は「ふう~」と大きな溜息をついた。
「たしかに、おかしな出来事だな。誰にも話せなかったというのもわかるよ」
気を利かせてくれたらしく、小百合ママが新しいカクテルを持ってきた。チーズと生ハムの盛り合わせ、シメジと小海老のアヒージョ、ガーリックトーストも添えてある。話し終えて肩の荷が下りたオレはさっそくトーストを頂いた。
「そのあとも同じ道を通る機会はあったんだろ?」
「ああ。けっきょく卒業までそのアパートに住んでいたし。スクーターはさすがに買い替えたけど、事故ったあとも何だかんだで二ヶ月以上乗ってたと思う」
「修理はしたの?」
「念のためにモータースへ持っていったけど、傷はともかくエンジンは大丈夫だって言われたのがまた不可解でさ。なんであの時だけ不調になったのか……」
「おかしなことだらけだな」
アルバイトは卒論で忙しくなる直前まで続けたが、蛍光イエローの照明が点いた家屋を見かけることは二度となかった。「管理地」となっていたあの場所はオレが卒業するまで誰かに売られることなくそのままだった。
「戦後が舞台のミステリで出てくる売春宿のイメージって言ってたけど、それってもしかして横〇先生の小説の?」
「そうそう。あの作家のシリーズ、結構好きでさ。文庫本も買ったし、ドラマも観た」
「オレも好きで読んでたよ。なあ、作品の中に『外観を似せて二棟の建物を勘違いさせる』みたいなトリックを使った話があっただろ。Aさんの家だと思っていたら、じつは同じように見えるBさんの家に案内されていたとか何とか」
「それはオレも考えた。『管理地』とは別の場所にそっくりな土地があって、そこに『連れ込み宿』が建っていたのかもって。ただ、そうなると縁石に残った血痕の説明がつかないし、そもそも、事故る前から建物を見かけていたわけだしさ。それでも真実が知りたくて、あのあたりを調査して回ってみたよ。ちょっとした探偵気取りだった」
「疑問をそのままにしたんじゃ納得がいかないもんな。それでも、卒業して会社に入社して、それらの出来事の記憶は薄れかけていた、と」
「そうなんだ。それがまさか、あの男に再会するなんて……」
「いきなり『村越浩希さん』ってフルネームで呼んできて、オレたちが友達同士だって知っていたのもおかしいよな。たぶん、不破や興和のことも調べがついているんじゃないのかな、先輩社員についての情報をどうやって手に入れているのかが疑問だ」
「それそれ。ヘルメットを見せたわけでもないのに名前を呼ばれた時の恐怖が蘇ったよ。オレに関することは何もかもお見通しって感じで、ちょっとしたホラーだ」
いや、ちょっとどころではないかもしれない。忽然と消えた建物に住んでいたと思われる男が新入社員として再び現れた。しかも偶然同じ会社に入ったのではなく、相手が在職していると知った上での入社となると――開発部見学の時の態度からして、オレがそこにいると知っていた――空恐ろしくなってくる。誤解を恐れずに言えば、これはある種の「ストーカー」ではないのか。
村越も同じことを考えていたのだろう。オレたちは無言になって、暫くの間アヒージョを食べ続けた。
「……とにかく、情報を集めようよ。まずは椎名さんに理由を話して、力になってもらうよう頼もう」
「うん。今のところ新人については教育担当者が一番詳しいもんな」
瀬川蛍に関しては、あの当時二十歳前後に見えた若者というだけで、それ以上の情報はなく何者なのかは全くわからなかった。だが、今なら「今年度の新入社員の個人情報」という点から何かが判明するかもしれない。
「この件、堂本さんに相談してもいいかな? 椎名さんとは大学時代からの親友だから、有益な情報を聞き出してくれるかもしれない」
「ああ、是非お願いするよ。堂本さんがおまえと繋がっていて助かった」
「この特異な状況をわかってくれる人が多ければ多いほど安心はできるけど、内容が内容だから相談できる相手を選ぶというか、ノンケにはわかり得ないと思うんだ」
オレたちは作戦会議を続けた。オフィス内では不破たちの目があるため、椎名さんへの働きかけは堂本さんに任せることにした。
「あ、それから思いついたんだけど」
大学卒業後のこの二年間、一度も訪れていないその街に行ってみてはどうかと、村越は提案してきた。
「もしも、問題の『管理地』がまだ売れていなかったとしたら、立札に記載されている不動産会社に話を聞いてみれば何かわかるかと思ってさ」
「そうだな。いや、その、探偵ごっこをしていた時に聞き取りをやろうかと思ったことはあるんだ。けれど、土地を買えるわけでもない貧乏大学生が何訊いたって相手にしてもらないかもって諦めててさ」
「社会人になった今なら大丈夫だよ。会社の名前は覚えてる? だったら、立札がなくても何とかなるか」
ここにきて、全てを吐き出して心の平穏を取り戻したオレはようやく周囲を見渡す余裕が出てきた。
店に到着した際には他に誰もいなかったが、今は思いのほか賑わっている。男性同士が肩を寄せ合って仲良く話し込んでいるテーブルもあれば、カウンターで一人、ウイスキーのロックをちびちびやっている人もいた。
「出会い系、って言ってたけど、どうやって出会うんだ?」
「カウンターのところにバラの花が生けられた花瓶があるだろ。あのバラの色によって出会いたい相手にアピールするんだよ」
村越はこの店のルールをひとしきり説明してくれた(※詳細は『Holy nightを御一緒に』を参照のこと)。
自分の知らない世界がこんなところにあったのだと感心していると、
「男女間の恋愛と違ってマイノリティだからさ、出会いのハードルが高いんだよね。普通に生活していたんじゃ相手は簡単に見つからないっていうか。オレは大学時代に店の存在を知って、見つけた相手と卒業まで付き合ったんだけど……ここで別れ話になって大喧嘩して、ママに迷惑かけた大ヒンシュクの過去があるんだ」
「そうだったんだ。苦労したな」
「いやぁ、苦労のうちに入らないよ」
「じゃあ、堂本さんと出会って」
「うん。良かったって思ってる」
「のろけてくれるな~」
そのあと、オレは村越と堂本さんの経緯をひとしきり聞かされる羽目になった。
オレ自身はここまで異性愛者だと思って生きてきたが、村越たちの関係や、この場所に集う同性愛者の人々に対する嫌悪感などは抱いていないとわかった。そこにあるのは純粋な「好き」という感情で、異性も同性であっても変わりはないし、お互いに好きならそれでいい。だが――
はたして、瀬川はどんな想いでオレに接近しているのだろうか。彼を突き動かしているのはごく当たり前の恋愛感情なのだろうか、それとも……
◆ ◆ ◆
〈?〉
もうすぐだ、と彼は呟いた。
もうすぐ、会える――
もうすぐ、全てがわかる――
もうすぐ、全てをわかって――
……⑦に続く