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オリジナルBL小説をお披露目しちゃいます

Masquerade ③

    第三章 ホワイト・アウト

 その夜、梓海は一度も姿を見せなかった。夕食後、わざとらしくラウンジに残っていた航だが、とうとうオーナーに促されて部屋へ入る羽目になった。

 いったい彼はどうしたのだろうか。ここの裏方として働いているのなら、一度や二度見かける機会はあるはずだ。それなのに、この時間まで全く見かけないなんて……

 今回の旅程は三泊四日である。つまり、このペンションに滞在するのもあと一日で、明後日には帰路につく。今夜はハズレだった、となると、彼と言葉を交わせるチャンスは明日の晩だけだ。

 冬季だけここで働くということは、春から秋の間は何をしているのか、オーナーに探りを入れたものの詳しい話はわからなかった。

 このままでは次の冬まで会えなくなってしまう。いや、来シーズンも同じように勤務しているとは限らない、これっきりとなる可能性もあるのだ。

 何とか連絡先を聞き出せないものか、玲華の遠回しな誘いをスルーした航は彼女に背を向けると、寝具の中で思案を続けた。

 そんな航の態度にプライドを傷つけられたからか、ヘソを曲げた玲華は翌日、疲れたので今日は滑らないと言い出したが、それは航にとって願ってもないチャンスだった。

「こんなにいい天気なのに行かないのか? 明日はもう東京に帰るんだぞ」

「だから、疲れたって言ってるでしょ。ワタシはここでテレビを観ているから、一人で行ってくればいいじゃない」

 こういう場合、「そんなこと言わずに行こうよ」と説得した方が効果的であると航は知っていた。宥めようとすると余計に意固地になる、玲華の性格は充分に承知している。

「……そうか、残念だけど。それじゃ少し滑ってくるよ。早めに戻るから」

 平山のお相手もリタイアしたというので、女子二人を残すと、峠坂の車一台で移動することにした。その車中で、峠坂の彼女は女三人の中でも一番滑りが上手くて男たちに引けを取らないため、この際だから上級者コースへ行ってみようという話になった。

 ここのスキー場には初級者コースが三本、中級者向きが二本で、上級者用は三本ある。玲華を連れていると、とてもじゃないが上級者コースには行けないのだが、ここにきてチャレンジする機会が巡ってきたのだ。

 初めて臨む上級者コースその一はパノラマコースと名付けられていた。夢中になって滑っていると、その二となる林間コースと合流する終点間際、白いウェアのスキーヤーが華麗な滑りで向こうから来るのが見えた。

(まさか、あいつ?)

 水島梓海だ、間違いない。途端に胸の鼓動が激しくなってきた。上級者コースにいるということは、今はスキースクールの時間ではなく、自由に滑っていると考えていいだろう。

 滑り終えた梓海は林間コースの出発点まで行くためのチェアリフトの乗車口に並んだ。もう一度このコースを滑るつもりなのか、そうとわかると、航は迷うことなくそちらに向かった。

 五台先の白い後ろ姿を凝視しつつ、しばしリフトに揺られる。チェアから離れていくらか登ると、すぐそこで梓海がゴーグルの位置を手直し、次にグロープをはめていた。

 送る視線に気づいたらしい、彼はこちらを見てハッとしたが、すぐに笑顔を作ると「こんにちは」と挨拶してきた。

「今は自由時間?」

「え? ああ、はい。今日は任務完了したんで、少し滑っていこうかと思いまして」

 ペンションの客と従業員、梓海の言葉遣いも態度も、その距離感を守ろうとしているのが感じられて、航は苛立った。何とかしてこいつを貶めてやりたい。

「だったらオレと勝負しないか?」

「勝負?」

「このコース、どちらが先にゴールするか、だよ」

 梓海の表情に戸惑いが浮かぶ。

「いや、ボクはそういう……」

「素人相手じゃできないとでも?」

「……わかりました。やりましょう」

 二人はコースの出発点に立つと、周囲のスキーヤーたちがいなくなったのを見計らってスタートした。

 直後は速度が拮抗していた二人だが、ギャップに板をとられてスピードが落ちた航の目に、華麗にバウンドした梓海のウェアが映った。ギリリと奥歯が鳴る。

 チラチラと舞い始めた雪が空を、尾根を、木立をさらに白く染める。ゴーグルに張り付く結晶は次第に数を増して、前を進む男の姿が霞んできた。その背中を見失ってしまう恐怖にかられる。

 最後までリードされたままの航としては気持ちが収まらずに、もう一回やろう、さらにもう一回と粘っているうちに、パノラマコースの方からやってきた平山たちとゴール地点で再会した。

「なんだよ、航。そっちで滑っていたのかよ」

「勝手にいなくなるから、どこに行ったのかと思ってたぜ」

 それから彼らは航の傍にいる男に気づくと、不思議そうな顔をした。

「あれ、どこかで……?」

「ああ、ペンションで働いている」

「水島です」

 梓海は軽く頭を下げると、昼間はゲレンデでインストラクターをしていると説明した。

「そうか、それで滑るの上手いんだな」

「プロ級のヤツがいるなって、さっき話していたんだよ」

 雪も降ってきたし、そろそろ宿へ戻ろうと持ち掛ける平山に対し、航はもう少し滑ってから帰ると告げた。

 せっかく梓海と二人になれたのに、ここで彼と離れてしまったら、もうチャンスはないかもしれない。一緒に滑っただけで、彼自身については何も訊き出せていないのだ、あと少しの猶予が欲しかった。

「しょーがねーなー。玲華チャンがおかんむりになっても知らねえぞ」

「でもさ、足どうすんだよ。オレら一台で来てるんだけど」

 そうだ、峠坂たちが帰ってしまうと、ゲレンデからペンションまで乗って帰る車がない。ガソリンの無駄などと思わずに、自分の車で来ればよかったと後悔していると、

「私の車がありますので、よろしければ」

 梓海がそう言い出したため、航は驚いて彼の顔を見返した。

 平山が「いいんですか?」と問う。航の我儘につき合って、このあとの仕事に差し支えるのではと危惧したのだろう。

「ええ。あと二本ほど滑ったら私たちも帰りましょう。それで構わないですよね?」

 もちろん異存はない。この際、スキーはもうどうでもいいのだ。二人きりで帰る、その時に話ができれば充分だった。

 仲間たちが引き揚げるのを見送ったあと、再びリフトに乗る。稼働終了時刻が迫っていた。梓海の言うとおり、あと二回滑るのが限度だろう。

 今日何度目かの出発点に立つと、梓海はスキー板を回してスタートの体勢をとった。彼の様子に、慌てて構えた航だが、残り二回の滑りで二人のバトルが終わること、そののちに彼と何を語らえばいいのか頭の中の整理がつかず、焦りから冷静さを失い、落ち着きもなくしていた。

 精神の乱れは事故に結びつく。中程まで滑ったところでバランスを崩した航はそこで転倒、そのまま転がってコース脇の林の中へと突っ込んだ。

「危ないっ!」――

――運悪く樹木にぶつかって激しく頭を打ちつける。脳震盪を起こしたのか朦朧とした意識の中で、自分に呼びかける声に航はようやく気を取り戻した。

「……良かった、気がついた」

 こちらを覗き込む梓海の顔がぼんやりと映る。

「あ、オレ……」

 さっきの出来事が再現ビデオのように思い出された。ぶつけた頭と、転んだ時に板がはずれて捻った右の足首がズキズキと痛む。

「足を痛めたのかな?」

「そうみたい」

「それじゃあますます……マズいな」

 背負っていたリュックの中から携帯電話を取り出してどこかにかけ始めた梓海だが、難しい顔をして首を振った。

「ダメだ。やっぱり繋がらない」

「やっぱり、って」

「この辺は電波の入りが悪いんだ。万事休すか……」

 陽はとうに落ち、周囲はすっかり薄暗くなっていた。雪の降り方はさらに激しく、辺りを白一色の壁で囲まれたかのようだった。

 この状態をホワイト・アウトと呼ぶのだろうか。遠くに見えるリフトは空中で停止し、人影はどこにもない。ここにきて、航は自分たちの置かれた状況にようやく気づいた。

 航が気を失ってしまったために、梓海はこの場を離れることができず、そのうちにリフトの営業時間は終了、係員も帰ってしまったのだ。麓に近い初心者コースならまだしも、頂上付近の上級者コースではもう誰も通りかからないだろう。

 それでもコースに戻り、下まで滑ることが出来れば何とかなる。最大の問題点は航の右足だ。足首のあたりが大きく腫れて、スキーブーツをきっちりと履ける状態ではないため、板を履くのも無理なのは一目瞭然だった。

 全ての状況を把握した上で救助を求める電話をかけた梓海だが、電波状態が悪くて繋がらないとなると、二人が戻らないことを心配したオーナーや平山たちが動いてくれるのを期待するしかない。

 この状況はもしかしても、しなくても、遭難だ。自分の我儘のせいでとんでもない事態になってしまったことに、航は切り刻まれるような痛みを覚えた。

「すまない……オレがもう少し滑るなんて言ったばかりに」

「いえ、それに応じたのはボクの意思だから」

 噛みしめるように呟いた梓海はそれから「ここに居たんじゃ体温が奪われてアウトだ。あそこまで何とか移動しよう」と、スタート地点のリフト小屋を指差した。

「あの小屋って入れるの?」

「うん。リフトは動かせないようにロックされているけどね」

 この場所でインストラクターをやっているだけあって、梓海はスキー場運営側の決まりやルールに精通していた。

「どう、歩けるかな」

「なんとか……」

 滑るのは無理でも、歩くのはどうにかなりそうだ。梓海に肩を借りてそろそろと歩き始めた航の目の前に、白い壁が無常にも立ちはだかっていた。

                                 ……④に続く