Ⅵ
ピロピロピロン、と耳に馴染みのあるチャイムの音が流れて、また一人、客が入店してきた。
「いらっしゃいませ」
反射的に声をかけながら、一眞は棚にカップラーメンを並べる作業を続けた。
壁に掛かった時計の針は午後九時を示している。天井に配置された蛍光灯がこれでもかとばかりに店内を白々と照らす、ここは小さな不夜城だ。
生真面目で勤勉な一眞は城主ならぬ店長からの信頼も厚く、よって、バイトに入る曜日や時間帯に関しては柔軟に取り計らってもらうことが多い。そういう利点があるので、長続きしているともいえるだろう。
ストライプ柄の上着がここでの制服、そのポケットの中からかすかな振動を感じた一眞はこっそりと小さな窓をのぞき見た。
送り主はやはり愁だ、『今何してるの?』だと。バイトだよ、バイト。
一日に何回よこせば気が済むのだろうか。もっと勉強に集中しろ、という返事を送らねばと考えながらダンボール箱を畳んでいた彼はふと、その手を止めた。
想いを募らせ、互いをつなぐ手段である携帯電話を日に何度も手にしていると思われる愁がいじらしいのと同時に、いくらか疎ましく感じていることにギクリとしたからである。
健児に会いたくて、会えない寂しさから何度もメールを送ったが、当の健児はそれを煩わしいと思っていたのではあるまいか、今の自分のように……だから別れを告げてきたのだ、きっとそうだ。
つまり、愁の姿はかつての一眞自身なのだ。そう思うとやるせなくなった彼は余計なことは考えずに、今はとにかく仕事に集中しようと自分に言い聞かせた。
畳んだ箱を倉庫にしまうため外に出ると、決して広くはない駐車場に数台の車が停まっていて、そこへ外国産の高級車が到着した。
(わあ、高そうな車。車上狙いがいたら真っ先に狙われそうだよな。まったく、こんな車でコンビニなんかに来るなよ)
内心苦々しく思いつつ、一眞が新たなダンボール箱を手にして戻り、次の陳列を開始すると、華やかな笑い声と共に、若い女が入ってきた。
どうやらこの女が高級車で乗りつけた客らしく、金持ちというよりは夜の商売で荒稼ぎしているという風情で、髪の毛は金色、毛皮のコートの下にはヒョウ柄のミニのワンピースと、じつにケバケバしい。
そして彼女は後ろを振り向いて、あとに続く男に何やら声をかけたのだが、何気なくそのカップルに視線をやった一眞は連れの男の顔を見て仰天した。
(えっ、なんで愁がここに?)
そう、連れの男は愁に瓜二つだった。メールの件で、心の中で噂をしたから当人が現れた、とさえ思った。
いや、よくよく見ると違う。この男もかなりの美男子だが、気品の欠片も持ち合わせておらず、赤茶けた髪と黒のスーツにピンクのワイシャツ、赤いネクタイという派手ななりは恐らく水商売に就いている者、相手の女とはまさにお似合いである。
愁のような男が、上流階級の御子息がこんな女を連れて出歩いたりするはずがない。それより何より、車を運転して静岡のコンビニにまで来られるわけがない。
あまりにもバカバカしい勘違いに自分でも呆れる一眞だが、愁に似た男が女連れでいたことにいくらか衝撃を受けていた。それが本来あるべき姿ではないかと思ったからである。
愁は一眞に一目惚れしたと話したが、女に目を向けることはなかったのだろうか。もっとも、アメリカに行ってまでも男としか関わらなかったのだから、元々そういう趣向の持ち主なのかもしれない。
それにしても健児を失った今、こうもタイミングよく現れた愁の情熱にほだされて、安易に乗り換えていいものかどうか。
健児の身代わりに利用しているようで良心の呵責を感じる上に、その一途さを疎ましく思うぐらいなら、付き合ったり気をもたせたりしない方がいいのではと考えると、頭が痛くなってきた。
「おーい、高宮くん。今夜はもうあがってもいいよ、お疲れ様」
(ゲッ、けっきょく余計なことを考えていたじゃないか、ダメだなあ)
考え事をしながら作業していたため、終わりの時刻になったことを忘れていた一眞は店長の言葉に大慌てで片付けを始め、それから控え室で制服を脱ぎ、ブルゾンを羽織った。
携帯電話をそっちのポケットからこちらに移し変えようとした時、またもメール到着の合図が示されているのに気づいたが、そのままにして突っ込む。
帰りの挨拶を済ませて表に出てから、改めて表示を見た彼は思わず電話機を取り落としそうになった。
送り主はてっきり愁だと思っていたがそうではない、そこには渡健児の名前があったからである。
(あ、あいつ、何を今さら……)
あれから四日も経っているのだ、詫びを入れるにはあまりにも遅い。
その文面には何と記されているのか、知りたいと思う気持ちを無理やりに押さえ込んだ一眞はいきなり消去を選択し、健児の名前は画面から消え去った。
何を言ってこようと、彼と話をする気はない。だいたい、あんな形で突然切り捨てた相手に、今になってメールなんぞを送ってどうしようというのだ。さらに何らかの追い討ちをかけるのか、それとも縒りを戻そうなどとふざけたことを言い出すつもりなのか。冗談じゃない、こっちにも意地がある。
どちらにしても二度と健児には関わらないと心に誓った一眞は店から歩いて五分もかからない所にあるバス停まで行くと、しばらくして到着したバスに乗り込み、座席に腰掛けて愁への返事を入力し始めた。
さっきの考え事は気の迷いであり、これからの自分は愁だけを見つめて生きる。気持ちを枠型にはめ込もうと、一眞は躍起になった。
(そう、オレには愁がいるんだ。オレのことを何よりも一番に考えてくれるあいつがいる。健児のヤツなんてクソ食らえ、だ)
ところが翌日も、その翌日も健児はメールを送り続けてきたのである。
そもそも彼を忘れようとするならば、アドレスなど消してしまえばいいはずだが、それが出来ないでいること自体、一眞の中に健児への未練がある証だ。
別れを告げられたあの時、心を深く傷つけられたせいで、健児に対する気持ちは以前に比べていくらか冷めたとはいえ、その未練に負けた一眞はとうとうメッセージを読んでしまったのである。
『会いたい。どうして返事をくれないんだ?』
雷に打たれたかのような衝撃が全身に走り、右手の震えが止まらない。画面を顔に押し当てて、一眞は呻いた。
「……クソッ、どこまでオレをコケにする気なんだよ!」
そして、ずる賢く立ち回ることなど出来ない性格の一眞はのちに愁へ送った返事、そのたった数行の文面から心の動揺を見抜かれてしまった。
『様子がおかしいけど、何かあったの?』
慌てた一眞は即座にこう返した。
『オレのことはいいから、しばらく勉強に集中していろ!』
……⑦に続く