第九章 江崎工業オールスターズ
総一朗が話していた全体会議というのは『二十年後の会社の展望を考える』と銘打った、途方もないテーマの会議である。
当面の細かい議題について論ずるのではなく、十年、二十年という長いスタンスで見た場合、会社が今後も発展していくためには、どのような点を改善、改良すればよいのか。
また、どういった新規の業務に取り組むべきかみんなで話し合いましょうという、一見素晴らしいようでいて、実は無駄な時間の使い方であった。
二十年後を毎年のように語っているのも妙な話だし、その時に今いる社員の何人が働いているというのだ。もっとほかに話し合うことはいくらでもあるだろう。それに、若手はともかく、参加者である管理職の大半は退職しているじゃないか。あの世に逝ってる人もいるだろうに、なんとくだらないと揶揄する声は多いが、取り止める気配はないあたり、相変わらず頑固で融通の利かない会社である。
この会議には基本的に各部署から部長クラスの者が出席するが、場合によっては課長クラスが代理を務めてもよいし、複数人で出てもよいことになっている。
今回、開発部の代表として総一朗が出ることは当に決まっていたようで、彼は総務部においては部長らのほかにも、業務課の鈴木課長の出席を求めていたらしい。
その要望が上層部に認められたとかで、思いがけない通達に戸惑った当の課長が「これはまた、どうしましょう」と漏らすのを聞いた創は総一朗があの件を持ち出すつもりなのだと確信した。
業務課の存続と二十年後の展望がどう結びつくのかは不明だが、頭の切れる男のこと、どうとでも理屈をつける所存だろう。
全体会議の開催は金曜の午後一時からで、場所は本社ビルの二階──営業部のオフィスの他に、社長室や複数の会議室がある──その中で一番広い、大会議室となっている。
ところが会議当日の朝、親戚に不幸があったと連絡をよこして、肝心の鈴木課長が休んでしまった。もっとも、総務部全体としては総務部長が出席するため、鈴木の欠席はさほど問題にはならないが、このままでは総一朗の働きかけが無駄になってしまう。
内線をかけて鈴木課長の欠勤を報告したところ、総一朗は大急ぎで業務課にやって来た。名物オカマ課長降臨に、総務のオフィスがざわつく。
「こうなったらあなたが会議に出席しなさい」
「えっ、オレが出るの?」
「そうよ、鈴木課長の代理としてね。業務課の人間を抜きにして、業務課の話をするわけにはいかないでしょうが」
有無を言わさない総一朗の口調に、創はいくらかビビりながら応えた。
「ええっ、だって、出席者は部長とか課長とか、管理職限定なんじゃねえの。オレみたいな平社員の、しかも新人が出られるわけないじゃん」
「二十年後にあなたは四十二歳。二十年先を考えるんだったら、その時点で勤務を続けているかもしれない人の意見を聞く必要があるとか何とか、アタシが上にゴリ押しするから大丈夫よ。任せておいて」
「うへぇ~」
やることは相変わらず強引である。
そのゴリ押しの結果、出席が承認されたと聞いて、創は改めて総一朗の手腕を認めざるを得なかった。
一時十分前になったので、二階に移動してそっと大会議室を覗く。
淡いベージュを配色した、落ち着いた感じの内装の室内には、天井まで届きそうな大型のホワイトボードが据えつけられており、大きな窓辺に下がるクリーム色のブラインドからは薄日が差していた。
床にはココア色の、毛足の短いカーペットを敷き詰め、長方形の四辺の格好に並べられた細長いテーブルと、そこにローズ色の椅子が三十脚ほど配置されている。パイプ椅子ではなく、しっかりとした造りの椅子で、長時間座っても疲れないという代物であり、他と比べても、この部屋に対する金のかけ方は違うとわかる。
既に入室していた総一朗に──今日はシルバーグレーの、彼にしては地味めのスーツだった──手招きされて、彼の隣の席に腰かけた創はこわごわと周りを見回した。
システム部の部長と、営業部の部長代理が目配せして、こちらをジロリと見る。開発部名物男の隣の席は緊張の連続だ。
やがて総務部部長に製造部第三製造課課長が現れ、遅れて専務だの常務だのが次々に登場し、江崎工業オールスターズ勢揃いの様子に、創はすっかり気後れしてしまった。
こんなに大勢のお偉方を見たのは初めてである。入社式にもこれほど多くはいなかったはずだ。
「……皆さん揃いましたか? 本日、社長は残念ながら欠席ですが、そろそろ始めたいと思います」
進行役の常務がそう口火を切った。
「それではこの先、将来に向けての我が社の展望に関して、各自のお考えを述べていただきます。事業内容や海外進出など、どういったテーマでもかまいません。忌憚なき御意見をよろしくお願いします」
空気がどんよりと重苦しく感じられて、息が詰まる。
じきに始まった意見交換だが、いくら人件費等のコストが安くとも、海外への工場移転は国内産業の空洞化を招く、とか、移転に伴い国内工場が閉鎖されれば従業員の解雇や新規採用もなくなる、とか、新規採用の減少によって若年層の労働意欲を失わせるのは日本経済の弱体化につながるなど、ニュースでは以前から報じられており、また、新聞の経済欄にはとっくの昔に載っていて今さら論じるまでもない、ありきたりの意見が飛び交うだけで、目新しいものは何もない。
配られた資料に目を落としたままで、何でもいいから早く終わって欲しいと、創はそればかりを考えていた。
「……では、よろしいでしょうか?」
右隣の総一朗が手を挙げたとたん、まったりどんよりしていた室内にサッと緊張が走った。
(な、何だ?)
お偉方たちが彼に、管理職の中では若輩者の総一朗に一目置いているのが感じられて、創は面食らった。
「若年層に限らず、従業員の労働意欲を削ぐような体制、あるいは就業規則などは早急に改善、もしくは撤廃してしまうべきだと考えます。時代にそぐわないそれらは過去の負の遺産、それ以外の何物でもなく、ここで将来の展望を論ずるよりも先に、まずはそういった問題点の改革に着手すべきだと思われるのですが、いかがでしょうか」
(うへっ、カッコイイ!)
これがオカマ課長とは思えないほど、人々を睥睨し、強い口調で言ってのける総一朗の自信に満ちた態度に、創だけでなくその場にいる者すべてが圧倒されていた。
「これまではそのやり方でやってきたからと、考えを改めない頑固さが当社には根強く残っていますが、労働人口の減少の折、そういう体質は決して利益を生まないだけでなく、当社にとって損失を招くだけで何のメリットもないと。このままでは就職希望者は減り、退職者が増える一方になるのは目に見えています。有能な社員の減少、これはすなわち、将来への展望にも逆行すると言っても過言ではないでしょう」
立て板に水とばかりにまくし立てた総一朗はそれから、業務課の現状について説明したあと、普段どのような仕事を行なっているのかを創に説明するよう促した。
「は、はい。では……」
緊張のあまり、足の震えが止まらない。
それでも一日の作業を何とか説明し終えると、管理職の面々から溜め息が漏れた。
「この加瀬君は工学部情報処理学科の出身ですが、その能力を生かしきれないというのはやはり損失だと言えるのではないですか。女性にお茶汲みやコピー取りばかりを頼む会社は当の昔に淘汰されています。また、不当な労働を強いる、残業代を未払いするような会社はブラック企業と揶揄され、若い世代だけでなく社会全体から糾弾されています。このような時勢において、先ほど説明した体制を残しているのは大きな問題だと思われますが、皆さんはどのようにお考えでしょうか?」
「たしかに問題は多いが……」
常務が唸るように言葉を漏らすと、そちらに向かって、総一朗はさらに詰め寄った。
「先日、私の方から御報告申し上げた件をおぼえでいらっしゃいますね? 製造部の若手を中心とした、一部の社員の間に不満が鬱積しており、就業への影響も懸念されているといったことですが」
総一朗のレポートはすべての管理職に行き渡っているようで、皆、不承不承にうなずく。
「その報告書が現状を示していると思われますが、皆さんはそれを御覧になってどのように受け止められたのか、お聞かせ願いたい」
──けっきょく、業務課の存続と、社内体制のあり方については早急に協議するということで決着がつき、創にとっては緊張の連続で、しまいには下腹が痛くなってきたほどキツい体験となった『全体会議』は終了した。
やれやれと息をついた創に、総一朗は「お疲れさま。新人であの説明ぶりなら上出来よ」と小声で囁いた。
「どんな仕事もこなす、どんな状況にも対処するのがイイ男だもんな」
「そういうこと。アタシたちなりに、やれるだけやってみたけど、これで改善されなかったら、次の手を打つから」
なめらかでスマートな語り口調ながら、見せる押しの強さ。
並み居る経営陣を向こうにまわしてでも、部下の信頼を勝ち取る頼もしさ。
さすがはミスターエンジェル、尊敬の眼差しを向ける創に「たいしたことは言ってないわよ」と謙遜しつつ、総一朗は照れ笑いをした。
「そうかな。オレにはとても真似できないけど」
「当たり前の話をいかにもそれらしく語ってみただけ。要はパフォーマンス力の問題よ」
そのあと、今日の会議の慰労会と称して退社後、飲みに行こうという総一朗の誘いに、
「それってやっぱり、オレの活躍を讃えての奢りだよなあ?」
などと生意気な態度をとりつつも、創は心の中で「やったー!」と叫び、ガッツポーズをとっていた。
……⑩に続く