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オリジナルBL小説をお披露目しちゃいます

テンシの誘惑 ⑦

    第七章  マジゲイへの道

 新しい週が始まった。

 親戚に不幸があったとか、それとも、仮病でもつかって休もうか。そんな調子ですっかり出社拒否状態だった先週とは打って変わって、創は意気揚々と一階フロアのドアを開けた。

 老人は朝が早いという定説に従っているのか、鈴木課長はとっくに出勤し、彼の朝のお仕事、急須に茶葉を入れていた。

「おはようございます!」

「ああ、おはようございます。ずいぶん張り切ってますね、加瀬サトルくん」

「ハジメなんスけど……」

 業者から朝一番に届けられた、山盛りのコピー用紙とトナー、それにシュレッダーボックスを専用の倉庫に運んだのはいいが、その場所のあまりの乱雑ぶりに驚いた創は片づけにすっかり手間取ってしまった。人手がなくて管理が行き届かなかったのだろう。課長とミチルの二人では、そこまで手が回るはずもなかった。

 倉庫からようやく戻ると、今度は三階のシステム部からお呼びがかかり、プログラムリストの廃棄を命じられた。

 開発部は何か御用はないのかな。ふと、上の階を見上げてみる。

 用もないのに四階をうろつくわけにはいかないが、今日、彼はどんな格好で出社しているのだろうか。

 人の服を選ぶセンスはとてもいいのに、いったいどこで仕入れてくるのかと思われるほど、凄い色柄とデザインの衣裳の数々。オカマを演じるのにも経費がかかるものだ。

 午後になって開発部へ行く用事ができると、創は台車を押しながら、嬉々としてそちらに出向いた。

「あのー、業務課です」

 近くにいる社員に声をかけながら、目では別の人物を探している。が、辺りに総一朗の派手な姿は見当たらなかった。

(またどこかに行っちまったのかな、システム部かな)

 それでもしぶとく、あちらこちらと視線を配る自分の姿に改めて気づくと、創はギクリとした。

 昼休みの時間に、三組の気になる女の子を一組からわざわざのぞきに行った中学時代、今の行動はまさにそれではないか。

 気になる女の子が──追い求める対象が年上のゲイになってしまった。なんてこった。

「それじゃあ、よろしく」

「了解しました」

 頼まれた荷物を台車に乗せて任務完了。これ以上、この場所にとどまる理由はない。

 気持ちを無理に押し込めながら、創はエレベーターのある方向へ、台車を引きずるように歩き出した。

「……あら、来てたの。御苦労さま」

 そこでばったりと顔を合わせた人物、エレベーターから降りてきたのはもちろん、総一朗である。

 いきなりの登場に心の準備ができていなかった創は台車ごと、後ろにひっくり返った。

「い、痛てて」

「大丈夫?」と差し出された右手、だが、照れ臭さのあまり、それを借りることができずに、創は自力で立ち上がった。

「怪我は?」

「ちょっ、ちょっと滑っただけだよ。何ともないって」

「案外おっちょこちょいなのね」

「うるせー」

 荷物が床に散乱してしまったので、台車の上に積み直す。

 創の作業を手伝いながら、総一朗は「おととい話した会議なんだけど、来週に延びちゃったのよ。もうちょっと待ってくれるかしら?」と訊いた。

「べ、別にいいよ。どうせ最低三ヶ月は頑張るつもりだったし」

「そう、よかったわ。それじゃあ、もう転ばないように気をつけて戻ってね」

 それだけ言って踵を返すと、派手な緑のジャケットの後姿はとっとと開発部の室内に消えてしまった。

 そんな彼の行動に、肩透かしを食らった創は強い不満をおぼえた。

(何だよ、もっと言うことねえのかよ!)

 頑張るなんて偉いとか、この前は楽しかったとか、次の約束はどうするとか……

 今は勤務中。『ないものねだり』だと承知しているのに、満たされない思いにイライラが募る。

 メールは先週木曜に届いた一通だけ、それっきり。そうだ、向こうのアドレスはわかっているのだから『次の講義はいつ?』とか何とか、せっついてみたら、答えが返ってくるかも。

 そこまで考えたものの、「いや、ダメだ」と創は即座に首を横に振った。

 そんな、相手の返事に期待しまくってる内容のメールなんぞ送ったりしたら、一緒に過ごす時間を楽しみにしているのだと、総一朗にバラしてしまうことになる。

 イイ男教育なんて迷惑だというポーズをとり続けているのに、そういう真似は間違ってもできない。プライドが許さない。

「そういや、あの元カレ、迷惑メール扱いされた上に、新しいメアド教えてもらえなくてクサッてたよな。ざまあみろって」

 オレは知っているぞと優越感をおぼえたものの、あの時の経緯を思い出すと、薄っぺらな優越感はあっという間に打ち消されてしまった。

 世の中の女性を、会社を、世間を欺くためにオカマを演じ続ける総一朗だが、それは創に対しても同じ。

 なのに、扶桑繁明には『素』の顔で応じていた。つまり、彼には気兼ねすることなく、昔も今も本当の自分を見せているのだ。共に過ごした時間の長さが信頼の差に繋がるというのだろうか。

「何だよオレ、元カレに差つけられてるっつーか、負けてんじゃねーか」

 不安、焦り、苛立ちといった負の感情がこれまで以上に強く、激しくなる。

 そのまま金曜の夜を迎えたが、深夜近くになっても、総一朗からの連絡はまったくなかった。

 S駅に程近い、マンションというよりは、このあたりにしては家賃がお安いアパートの一室で、ベッドの上に転がっていた創はとうとう携帯電話を放り出した。

「くっだらねえ。何でオレがあいつからのメールを待ってなきゃならないんだ?」

 出会ってこの方、総一朗のペースにハマッて、振り回されっぱなしではないか。

 あなたが気に入ったから、イイ男教育をするからと、一方的に宣言されて。

 オヤジ好み、いや、どちらかと言えばオバサン好みとしか思えないような場所へと連れ回されて。

 今まで接したことのない世界を体験して、物珍しさを楽しいものと錯覚したに違いない。きっとそうだ、あんなの楽しいはずがない。

 そもそもだ、いくら若々しいといっても、どうして親子ほど年の差のある、それも男と週末を過ごす羽目になっているのか。

 よくよく考えればバカげた話じゃないか。どうせつき合うなら、若くて可愛い女の子の方がいいに決まっている。

 こうなったら、もっと若者らしい遊び場へ出掛けてしまおう。連絡があろうがなかろうが、そんなの無視だ。知ったこっちゃない。

 心の向きを無理に捻じ曲げ、あまつさえ声に出してみる。

「あーあ、明日は久しぶりにナンパしに行くかな、マジで」

 女相手はご無沙汰しているが、大きな街に出れば、それなりに収穫はあるだろう。この部屋へお持ち帰りするのは気が引けるが、街中ならラブホの類いは幾つもあるし、上手くいかなければ風俗店でものぞいて……

 そういえば、と創はあれ以来──総一朗とホテルに入って以来、自分で下の処理をしていないのに気づいた。

 生産されたものを随時放出するのが男の身体であり、起床時、知らないうちに下着が濡れていたことはあった。

 だがその時、女とヤッてるエッチな夢を見たのか、どうなのかすら思い出せないのは、あのオカマに振り回されて、体調を崩していたせいだと決めつけると、無性に腹が立ってきた。

 とにかく、この状態は健康な二十代の若者らしくないと勝手な理屈を述べながら「今夜のオカズはどの子にしよう?」とばかりに、雑誌のグラビアをめくった。どのページでも、あられもない姿の美女たちが挑発的なポーズをとって、読者を誘惑している。

 だが……勃たない。裸の女にまったく反応しないムスコに、創は焦った。

「げっ、インポになっちまったのかよ?」

 いつでもどこでも戦闘体勢バッチリだったのに、この若さでドリンク剤やクスリのお世話になるのかと、彼は悄然とした。

 ピロピロピロ~ン。

 間の抜けた音が響いて、携帯電話の着信音がメールの到着を知らせる。

 雑誌を放り出し、急いでそれに飛びついた創は送信元の名前を確認して、ガックリと肩を落とした。迷惑メールだった。

「ちっきしょー。こんなときに送ってくるんじゃねーよ、まぎらわしいっ!」

 もし、そこに『オカマジジイ』の文字があったとしたら……

 胸の奥がギュッと切なくなる。

 整った顔にこぼれる笑みを思い浮かべた創はさっきまで無反応だったモノが元気になっているのを感じた。

「な、なんで? あいつの面影に反応するなんて、オレってば、いったいどうなってるんだよ?」

 ゆるいウェーヴの柔らかそうな髪、その年齢にしてはまったく崩れていない体型。腰は細く、肌は白くてシミひとつなかった。

 あの時、本当に男が男にする行為を、彼を抱いたのだろうか。白い臀部の奥深い部分に己の分身を沈めたのか……

 胸がドキドキする。次第に激しくなっていく鼓動が全身に揺さぶりをかけ、身体中の血液がそこに向かって流れていくような感覚と共に、その部分の皮膚が熱を帯びる。早く、この熱さから解放してくれとばかりに、創の神経に訴えてくる。早く触れてくれと──

 いつのまにか創の右手はそこ──自分のペニスを扱いていた。

 瞼の裏に映る総一朗を、この腕に抱いた彼が髪を振り乱して悶える様を想像しているうちに、張り詰めたそれは勢いよく白い液を飛び散らせ、強い快感が彼の身体を突き抜けていった。

「……はあ」

 深く息をつく。

 とうとう、してしまった。あのオカマジジイをオカズにして、マスターベーションしてしまったのだ。

 男とのセックスに嫌悪をおぼえるどころか、もう一度してみたい、総一朗を抱きたいと願うだなんて、自分は狂ってしまったとしか思えない。

 創は悲痛な声で呻いた。

「オレってばどうしちまったんだ。なんで、なんで、あんなヤツ……」

 それでも好きだ。

 これ以上、自分の気持ちを誤魔化すのは無理だと創は悟った。

 今まで感じた不安も苛立ちも自己嫌悪も、何もかもすべては総一朗を想う気持ちから。好きになってしまったから。

「何だよ、オレ、ベタ惚れじゃねえかよ」

 モテて当然のイケメンゆえ、元カノにしろ誰にしろ、女たちに対しては不誠実でちゃらんぽらん。ずっとそうしてきたし、それでいいと思っていた。マジで恋愛するなんて、真剣につき合うなんて、オレには有り得ないことだとうそぶいていた。

 そんな不誠実の塊のような男がここまで本気になるなんて、我ながら信じられないけれど、彼への想いに嘘はない。

 そうと確認すると、ホッとしたような、それでいて罠にハマッたような、不思議な気分になる。これでいいのか? いや、いいのだと自問自答しつつも、そこで彼は新たな壁にぶつかってしまった。

 肝心の総一朗は今、創のことをどう思っているのだろうか? 

 出会った日の出来事は遊びだったとしても、気に入ったとか、好みの男に教育すると言っているのだから、ある程度の好意を持たれていると自信を持っても、まず自惚れではないだろう。

 問題はそこから先だ。

 連絡が途絶えた、その理由──

 総一朗の誘いに対して、創はずっと迷惑そうな素振りを続けてきた。本当の気持ちを隠して、というより、今の今まで気づかずにいた。「解放された、やれやれ」というセリフまで口に出してしまったのだ。そんなふうに嫌がられてまで誘おうとする者はそうそういない。

 無理やりつき合わされている様子の相手に対して、さすがの総一朗も嫌気が差した、反応のなさに愛想を尽かした、創のことをあきらめたのだとしたら? 

 友情でもなく恋愛未満の、二人の中途半端な関係はこのまま途絶えてしまうだろう。

 そんなのイヤだ、耐えられない。

 声を聞かせて欲しい。

 せめてメールを送って欲しい。

 見捨てないで欲しい。

 たまらなく切なくて、息が苦しくて、今にも胸が潰れそうだ。

「あーあ、とうとうマジゲイかよ。何やってんだよ、オレ」

 泣きべそをかきながら後始末をして、再びベッドに横たわる。

 後悔とも安堵ともつかぬ感情にどっぷりと浸っているうちに、創はいつしか眠りについていた。

                                 ……⑧に続く