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オリジナルBL小説をお披露目しちゃいます

テンシの誘惑 ⑥

    第六章  やり切れない想い

 再び車を走らせて西に向かった二人は街の中心から少し外れた場所にある、茶懐石の店に到着した。

 門をくぐり、笹の葉ずれを耳にしながら、打ち水された石畳の上を歩いて、どっしりとした佇まいの玄関へと辿り着く。

 時刻は午後七時。八畳の個室に通されると、そこは茶室を模した造りで、床の間には季節の掛け軸と、野の花を生けた花入が掛かっている。

 いかにも和の趣の風情に感心した創はあたりを見回しながら、座布団の上に座った。

 予約を入れていたらしく、仲居の女性の手によって、さっそく料理が運ばれてきた。

「ホントは本格的な茶事に連れて行きたかったんだけど、そうそうやってるものじゃないから、ここでプチ体験よ」

 さっきのラウンジでの出来事は忘れたかのように、総一朗はいつもの明るい口調に戻ると、茶事についての解説を始めた。

 茶事とは茶道の茶会の形式のひとつで、食事を味わったあとに濃茶や薄茶を楽しむものであり、それなりの様式に則って行なわれるが、ここは茶事に出る料理を再現し、最後に薄茶で締めくくるといった店のようだ。

「今日のおしな書きは……向付は赤貝、汁物は焼き豆腐と切りごまね。煮物はあいなめ、葛たたきにじゅんさい、か。さすが、五月らしい、季節を意識したメニューだわ」

「年寄りの蛋白源は肉より魚か豆腐だしな」

 昨夜のディナーにおいて、メインの肉料理を前に、総一朗が「これだけ高カロリーなものばかりだと、胃にもたれる」と言ったのを踏まえての挑発である。

「あのねぇ、余計なことは言わないの」

「だってさ、年齢と共に代謝が落ちてるんだから、カロリーオーバーで生活習慣病にならないようにしないと」

「失礼ね。ジムにだって通ってるし、ちゃんと気をつけてるわよ」

「へー。それはそれで骨折ったとか、筋肉痛になったとか、トラブりそうだよな」

「ったく、もう」

 ボケとツッ込みの応酬、総一朗をさらにからかい、年寄り呼ばわりしながらも、彼とのやり取りがとても楽しく感じられる。

 それは同世代の友人や女たちには抱かなかった感情だった。少なくとも彼らの前では、こんなに饒舌になりはしなかった。

 年齢差のあることが却っていい刺激になっているのだろうか。そうかもしれない。中高年向けともとれる演奏会や店につき合うことも苦にはならないし、むしろ楽しんでいる自分がそこにいた。

 だが、その一方で、さっきからの不安と苛立ちは遠慮なく募る。何とか静めようとするが、靄がかかったかのように、気分が晴れなかった。

 冷たいものはぬるくならないうちに、温かいものは冷めないうちに。抜群のタイミングで料理が出される。

 胃袋が満たされて、気持ちはいくらか落ち着いたようだ。八寸の『かのこいかウニ焼き』を一口含んだ創は「これ、うまい」と思わず感嘆した。

「ホント、美味しいわ」

「オレ、懐石料理って、材料は山菜とか里芋とか蒟蒻とかで、煮物か味噌汁しか出ないんだと思ってた」

「あらまあ、お寺の精進料理と間違えていない?」

 苦笑いしながら料理を口に運ぶ総一朗の箸使いは優雅で、和食をいただく時のマナーもバッチリ心得ている。

 容姿、才能、多彩な趣味。どうすればこんなに完璧な男になれるのだろう。

 金と暇に任せてと言えば身も蓋もないが、旺盛な好奇心に、それを吸収する頭脳がなければ、こうはいかない。

 創の中にじりじりとした焦り、嫉妬が渦を巻いたが、それは──総一朗に、完璧な男に対する憧れの裏返し、もちろん本人は認めようとはしないだろうけれど……

 仲居が最後のメニューである菓子と薄茶を運んできた。

 きちんと正座をして、作法に則って茶を飲み干した総一朗は「結構なお手前でした」と満足そうに言った。

「そういうのも習ってるんだ」

「母が裏千家の師範でね、自宅で茶道教室を開いていて、お弟子さんに教えていたのよ。それを子供の頃から見よう見まねでおぼえて、いつの間にか免状も取っていたの」

「ふうん」

 彼から手ほどきを受け、同様に薄茶を飲み終えたが、よくリアクションされるように、そんなに苦いとは思わないけれども美味しいのかどうかは、よくわからなかった。

 ようやく一段落ついたところで、創は「ここってタバコ吸っていいの?」と訊いた。

「個室だし、灰皿も置いてあるから、少しぐらいはいいかしら」

「ラッキー。昨日の店じゃ、食事時の喫煙はマナー違反だっていうから、ずっと我慢してたんだぜ」

「当たり前でしょ。料理がまずくなるし、みんなに迷惑じゃない。今はどこのお店でもそうよ」

「そっちは吸わないの?」

「健康のために禁煙しようと思って。でも一度には無理だから、節煙ってところね」

「会社の健康診断で引っかかったんじゃねえの。トシもトシだし」

「さっきからうるさいわね。もう、年寄り扱いしないでよ」

「だって四十一だろ、オレは二十二だし。二十も違えば……」

「十九よ、十九!」

「同じようなものじゃねえか」

「二十と十九の差は大きいの!」

 またまた始まったボケとツッ込みはまるで漫才、夫婦漫才のノリだ。

 憤然としながら、総一朗はタバコとライターを懐から取り出した。

 煙を吐く彼の顔をちらちらと見ながら、創は「開発部の課長って、給料いいんだろ? ボーナスもガッポリ貰えそうじゃん」と尋ねた。

「また、イヤなネタを話題にするのね」

「だってオレたちの給料じゃ、こんな店に出入りできねえもん」

「なるほどね。仕事に不満がある様子だけど?」

「あるある。大ありだよ」

 怒りに任せて書いた辞表は机の引き出しの奥に放り込んだままだ。

 もう辞めてやる、と何度思ったことか。だが、鈴木課長の嬉しそうな様子を見ると言い出せないまま、一週間が経とうとしている。

「鈴木さん、いい人なのよねぇ。いい人を通り越してお人好しなんだけど、そこに付け込まれて、もう何年も業務課長やってるわ。もうすぐ定年だし、本人もあきらめているのかもしれない」

「そんなに長いこと、あの仕事やってんの?」

「そうよ。だけど、あなた、鈴木課長以上にお人好しよね」

「はあ? オレのどこがお人好しなんだよ?」

「だって、あの課長に『加瀬くん、お願いしますね』って言われると断れないんでしょ? 思ったよりいい人キャラじゃないの」

「買いかぶりすぎだって」

「あら、誉めてるのよ。素直に受け取ったらどう?」

 創はふて腐れた態度で「そんなふうに言われると、もう絶対辞めてやるって気になるな」などと言い返した。

「またぁ、意地張って。天邪鬼なんだから、もう」

 創の受け答えに呆れながらも、総一朗は茶化すことなく訊いた。

「世の中の大半の人は自分の希望した職業に就いているわけじゃないわ。あと半年、せめて三ヶ月続けてみる気はないかしら」

「三ヶ月で何かが変わるとでも?」

「さあ、変わるという保証はないけど……でもね、中途半端に放り出して転職を繰り返す人を見るけど、必ずしも思い通りにはいかない。むしろ状況が悪くなることもあるし、何がどうと、一概には言えないわ。どこで折り合いをつけるかは自分次第なんて、冷たい言い方だと思うでしょうけどね」

 華やかな芸能界、役者やアイドルへの夢を追って、アルバイトに甘んじている人々のドキュメンタリー番組が放映されたのを観たおぼえがある。その一方で、皆が嫌がる職業に就き、過酷な仕事を黙々と続ける人たちがいるのも、承知している。

 総一朗の言葉はもっともだと、創も頭の中ではわかっているつもりだが、つい反抗してみたくなる。相手がオカマヴァージョンなら、なおさらだ。

「ま、開発部のエリート課長なんかに、オレみたいなぺーぺーの気持ちがわかるわけないか」

 創は投げやり気味に言い、挑発してみせた。総一朗は何と言って反論してくるだろう、試してみたい気持ちがあった。

「そうね……」

 ところが彼はしんみりと考え込むような仕草をし、期待が外れた創は黙って二本目のタバコに火をつけた。

「……たしかに、業務課に対する上層部のやり方はボク自身、納得いかない部分が多すぎるよ」

 ゴホッ、ゲホッ、いきなり『素』に戻った男を前に、創は咳き込んでしまい、喉を鎮めようと慌てて水を飲んだ。

 どうやら真剣に語るあまり、総一朗はオカマを演じるところまで気がまわらなくなったらしい。イライラとした様子で、座卓を掌で叩く。

「そもそもだ、従業員のやる気をなくして、そのまま会社を辞めさせるために設けた部署なんて考えがおかしい」

 すっかり圧倒されている創を前に、総一朗は演説をぶった。

「そんな、ひと昔前に決めたおかしな組織の体制をそのまま手つかずにおくなんて、健全な企業のすることじゃない。しかもだよ、さんざん人員をリストラしておいて、今になって新人を入れて存続の手を打つなんて変だろう。虫が良すぎるよ」

 御説ごもっとも。総一朗は業務課を含めた、会社全体のあり方にずいぶん前から疑問を持っていたようだ。

「本来なら自分たちで分担するべき仕事を業務課に押しつけ、それでよしとする各部署の姿勢にも問題がある。そう思わないか?」

「はあ、まあ」

「業務課を廃止して、キミたち三人を然るべき部署へ配置転換するよう、今度の全体会議で提案するつもりだ」

 それまで待っていて欲しい、と総一朗は言い、その真摯な態度に、創は神妙な顔をしてうなずいた。

 直属の部下ではない創たちのことまでも、ここまで懸命に考えてくれるなんて。みんなに信頼され、尊敬を集めるのは当然だ。

 開発部の部下たちの間で理想の上司と讃えられている、その姿をこの目でハッキリと確認すると、改めて彼の魅力に気づかされた思いだった。

「会議はたしか来週中だったな……怒りすぎて、何だか胃の辺りが痛くなってきたよ。そろそろ引き揚げようか」

 いくらか憂い顔でそう言ったあと、節煙しているにもかかわらず、二本目のタバコを吸う総一朗を見た創の胸が疼いた。

 あの晩のヤバイ写真の脅迫さえなかったら、十九も年上のゲイに、これ以上つき合う必要などないはずだ。

 それなのに……

 迫りつつある別れの時刻に落胆するなんて。少しでも長く、一緒に居たいと願うなんて。そんな感情を抱くオレはどうかしている。でも……

「明日はどうすんの?」

「金曜、土曜。二日も無理矢理連れ回したんだから、日曜日ぐらいは解放してあげるよ。ゆっくり休むといい」

 これまでの経緯からすると、ここは『オカマのオッサンから解放されてやれやれだ』というポーズをとらなくてはならない場面である。

 自己嫌悪に陥るほど反省していたくせに、創はまたしても、心にもないセリフを言ってのけた。

「やっと自分の部屋でくつろげるなぁ。それとも女をナンパしに行こうかな」

 総一朗は何も答えずに、伝票を持って立ち上がった。

 S駅前まで創を送り届けたあと、銀の車体はあっという間に走り去った。その後ろ姿が見えなくなると、

(オレってヤツは……最低最悪の大バカ野郎だ! 本当はあの人のこと)

 創は溜め息をつき、やり切れない想いに唇を噛みしめた。

                                ……⑦に続く