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オリジナルBL小説をお披露目しちゃいます

テンシの誘惑 ⑤

    第五章  ナイスなミドルでライバル参上

 翌土曜日の午後、N市の駅前で待ち合わせをした創が所在なさそうに立っていると、着物姿の総一朗が目の前に現れたために、彼は「ええっ?」と、腰を抜かさんばかりに驚いた。

 今日のテーマは『和』だと聞かされていたが、着物まで着てくるとは何たる徹底ぶり。もちろん自分で着付けをしたようだ。

 渋い利休鼠色の紬だが、これはあくまでも略装で、正式な場には着用できない等、和装のルールをひとしきり聞かせたあと、彼は創の服装を上から下まで眺めまわした。

「そんな格好じゃ連れて行けないわ」

 いきなりのダメ出しである。

「ジーンズで正座はキツイわよ。そのくたびれたTシャツも好感度を下げるから、やめてよね。足元にももっと気を配って欲しいし」

 それってむちゃぶりすぎるだろ。大学を卒業したばかりで、スーツを用意するのがやっと。気の利いたカジュアル服など持ち合わせているはずないじゃないか。

 またしてもの無理難題に創はむくれ、反抗的な態度に出た。

「じゃあ、どうすりゃいいんだよ? 言っとくけど、着物なんか持ってないからな」

「そこまでしなくてもいいけど……」

 そこで総一朗は駅前のデパートに創を連れて行くと、紳士服売り場で新しい服一式を揃えさせた。

 ベージュのコットンパンツに、レンガ色のシャツ、生成りのジャケットと、どれもこれも自分では選ばないような色とデザインであるが、身につけてみると、グッと大人っぽく垢抜けて見え、男ぶりがアップしているのがわかる。

「元がいいんだから、上手にオシャレすればもっとカッコよくなるわよ。ほら、見た目だけでもイイ男の出来上がり」

 デニム素材の、カーキ色の靴で足元を決めて完了。

 創の変身を満足気に見ていた総一朗はこのまま着て行くからと、店員にタグをはずしてもらうと、代金をカードで支払い、時間がないから急いで出るよう促した。

 N駅前の駐車場まで赴くと、総一朗はシルバーのボディが眩しいセダンのロックを解除した。

 オリンピックの五輪マークに似た、四つの輪がつながるシンボルマークのついた高級外車であるが、国内自動車メーカーに製品を納める江崎社員は取引先の国産車に乗るのが原則になっている。

 それを無視してこの車を買うとは。さすがに派手好きの型破り課長だと半ば呆れていると、早く乗るよう急かされて、創は慌てて助手席に乗り込んだ。

 車を発進させた総一朗はデジタル時計にチラリと目をやった。

「開演には何とか間に合いそうね」

「いったい、どこに行くんだよ」

「さあ、当ててみて」

 車が向かった先は県庁近くにある大型の文化会館で、大中小三つのコンサートホールがある。

 そこの中ホールで行なわれる邦楽コンサート──馴染みの小料理屋『青柳』の女将が参加している三曲会の定期演奏会──に招待されたと総一朗は説明した。

「三曲ってのはね、箏に尺八、三味線のことよ。昔から伝わる古曲っていうジャンルの曲の他にも、現代邦楽と呼ばれる、クラッシック調の曲も演奏するらしいから、そこらは聴きやすいと思うわ」

 観客席に腰を下ろすと、受付で手渡された、流暢な筆文字で書かれた萌黄色のパンフレットを眺める。

「何だか眠くなりそうだけど」

「演奏する人に失礼だから、そのときは聴き入ってるフリをしてね」

 いよいよ開演、錦糸で縁取られた鶯色の緞帳がゆっくりと上がる。スポットライトに照らされたステージの上には真っ赤な敷物――緋毛氈が敷かれ、向かって左側には華やかな和服姿の女性たちが三名、箏の前に、身体をやや斜めに向けて正座している。一番後ろの、紫の着物を着た女性が今回招待状をくれた、馴染みの店の女将ということだ。

 右側は紋付袴姿の男性が二名、尺八を構えており、箏と尺八に挟まれた中央の位置には三味線を構えた男女が一名ずつ。

「今から演奏されるのは八橋検校作曲の古曲ね」

 箏と三味線――三絃と呼ばれる――この二種類の楽器を担当するのは絃方と呼ばれ、演奏しながら唄も歌う。独特の節回しだ。

「ああやって、箏に対して少し斜めに座るのが生田流。真正面に座るのは山田流よ。二つの流派は箏爪、絃を引くために親指と人差し指と中指にはめる道具のことだけど、その形も違っていて、生田流は四角、つまりスクエアね。山田流は半楕円形の形なの」

 曲の合間に、総一朗の『邦楽入門』のレクチャーが行われる。

「それから、ここで使われてる三味線は地唄用でね、津軽三味線とは大きさや革の種類、撥の使い方も違うのよ。尺八は八寸の長さがあるから尺八の名がついているんだけど、高音域を出すための短い種類、六寸ものもあるの」

「それでも尺六とは呼ばないんだな」

「ええ。六寸管って別名がついているわ」

「さっき八橋検校って言ったよな。それ、京都の名物と関係あるの?」

「ピンポーン。あの焼き菓子は箏をかたどってるってわけ」

「へえー」

 こんな調子で、総一朗は次々と豊富な知識を披露し、それぞれの楽器や、演奏曲について解説してくれたため、居眠りどころか退屈せずに聴くことができた。

 正月以外には馴染みのない、和楽器の演奏を生で聴くのは初めてだった。それどころかロックや歌謡曲すら、およそコンサートと呼ばれるものに行ったことはない。

 一人で過ごす休日といえばたいていパチンコ、仲間が四人集まれば麻雀、二、三人ならゲーセンから飲みに行ってナンパというパターン。自分の生きてきた世界がいかに狭いかを創は痛感した。

 フィナーレは総一朗が話していた、現代邦楽の一曲である。しばしの準備のあとのステージに緋毛氈はなく、椅子に腰掛けた状態で演者たちが現れた。男性は黒のスーツに蝶ネクタイ、女性は白いブラウスに黒のロングスカートで、箏は立箏台と呼ばれる台に乗せられている。

 この体制はまさにクラッシックの演奏会であり、実際、さっきまでと同じ楽器でありながら、奏でられるのはクラッシック音楽のような曲調で、これなら邦楽に馴染みのない人でも聴きやすいのではないかと創は感心した。

 終了後、総一朗はおどけた調子で「いかがでした?」と訊いた。

「こういう音楽があるって知らなかった。何だか、すげーたくさんのことを吸収した気がする」

「すげーたくさん、ね」

 苦笑いしたあと、少し休憩していこうと言い、先に立った総一朗は館内に設けられているラウンジに向かった。

 クラッシック――今度は西洋の楽器で演奏されている曲だ――が静かに流れる店内に入り、四人掛けテーブルに向かい合わせで座ると、コーヒーを二つ注文する。

 次の機会には歌舞伎、能にも行ってみよう。落語の寄席などもいいかもしれない、などと総一朗は提案した。

「歌舞伎座の花道近くの席が取れたときは役者がすぐ傍を通ったりして、とっても良かったわよ。一度見せてあげたいわ」

 イイ男たるもの、日本文化の良さをきっちりと認識しておくべきである。

 日本人は自国の文化をないがしろにして、やたらと諸外国のものを有難がるけれど、戦争に負けて以来、卑屈になっているのはどうかと思う云々。

 歌舞伎の話から脱線して、戦後の日本の在り方云々の持論をぶち始めた総一朗に閉口しつつも、創は適当に相槌を打った。

(やっぱり、いくら見かけが若くても、考え方や言うことはオヤジだよなぁ。まあ、四十一じゃあ、しょうがないか)

 やがてコーヒーカップの底が見えてきたその時、

「やあ、ここにいたのか。久しぶり」

 聞き慣れない声に顔を上げると、仕立てのいいチャコールグレイのスーツに身を包んだ男性がこちらを見て微笑んでいた。

(だ、誰?)

 その男は年齢四十前後、一流企業のエリートサラリーマンといった雰囲気を感じさせる紳士だった。百八十近い長身で、漆黒の髪をきれいに撫でつけている。

 顔立ちはギリシャ彫刻あたりでお目にかかる、まるで作り物のような美男子で、使い古された表現をすればナイスミドルといったところだろうか。

 見覚えのない人物に首を傾げるより早く、

「来ていたんだ。気がつかなかったよ」

 そう応えたのは総一朗だった。

「青柳の姉さんから招待を受けてね。そっちもそうなんだろう?」

「まあ、そんなところだ」

 総一朗がオカマではなく『素』の顔に戻って応対しているこの男はいったい何者だろう。社内で見かけたことはないから、江崎の関係者でないのは確かだが……ただの友達? ……それともまさか? 

(えっ、何かオレ、変じゃねえ?)

 謎の男と総一朗の関係を邪推したとたんに抱いた感情が不安だとわかると、創はうろたえた。認めたくはないけれど、これは明らかに嫉妬と呼ぶ感情である。

 紳士は創をチラリと見たあと、総一朗の隣の空いた席に腰かけ、近づいてきたウェイターに「アールグレイを」と注文した。

「仕事はどうだ? 休日出勤していないあたり、そう忙しくはないようだな」

「まあまあ、かな」

「こっちはついさっきまで、クライアントとの打ち合わせだ。せっかく花束まで用意したのに、姉さんの出番に間に合わなくて、わびを入れてきた」

「それは御苦労なこった」

「おまえから花籠を貰ったと話していたよ。さすがに手回しがいいな。控え室まで業者に届けさせたんだろうが」

「出演者を煩わせないのが、招かれた者の心得じゃないか」

 そこに自分など、まるで存在しないかのように繰り広げられる、大人の男同士の会話に気圧されていた創だが、この状況に対して次第に苛立ってきた。

(何なんだよ、オレは無視かよっ!)

 自己紹介も何もないまま、勝手に乱入してきた挙句、総一朗と二人だけの世界を作り上げた男に、はるかに大人で魅力的な紳士に醜い嫉妬心が疼く。

 こちらの怨念が伝わったのか、紳士は創と総一朗を見比べるようにしたあと「余計な世話は焼かない方がいいぞ」と忠告した。

「それこそ余計なお世話だ」

 それまで平静を保っていた総一朗の表情がいくらか凄味を帯びたように見えた。

「やれやれ、相変わらず辛辣だな。そうだ、メールアドレス変えたのか?」

「ああ。迷惑メールが多くて」

「中には迷惑じゃないものもあるだろう?」

「迷惑かどうかはボクが自分で決める」

 肩をすくめた男はそれから、ゆっくりと立ち上った。

「それじゃあ、また。元気でな」

 無言のままうなずく総一朗を見やると、彼は二つの伝票をつかんで立ち去った。

 優しく、緩やかに流れるピアノの音が耳に戻ってくる。

 乱入者は去ったものの、気まずい空気はその場に残ったままだ。

(何だよ、この雰囲気)

 何事もなかったかのように振る舞うのもしらじらしいが、どう切り出したらいいのかわからない。

 上目遣いに窺うと、小さな溜め息をついた総一朗はカップをソーサーの上に戻した。

(溜め息なんかついちゃって、オレはいったいどうすりゃいいんだよ)

 不安が胸の痛みに変わる。指先を傷つけた時の、小さな切り傷のような痛みだ。

「何か言いたそうね」

「えっ、べ、別に」

「扶桑繁明(ふそう しげあき)。同級生で、元同僚で、元カレ。以上」

 そう言い切ると、総一朗は真っ直ぐに創を見つめた。

「……ふうん」

 どうリアクションしていいのかわからず、気の抜けた返事をする。

 ある程度の予測はついていた。

 扶桑繁明という名の、あの紳士の薬指にはプラチナの指輪が光っていた。それが学生時代から続く二人の関係に終止符を打ったのだと、推察するのは容易だった。

 それでいて、扶桑氏の方は総一朗との繋がりを失いたくないと思っている──

「ま、あの人が元カレだろうが何だろうが、あんたに彼氏がいようがいまいが、オレには関係ないし」

 心にもないセリフを吐いて、創は片意地を張った。

 さっき感じた不安、痛みの理由もそこにあるのだと認めたくはなかった。

 すると総一朗はそんな創を軽く睨んだ。

「あら、ずいぶんね」

「だってそうだろ。ここにも無理矢理連れて来られたんだからな」

「無理矢理なんて、冷たい言い方するじゃないの」

「じゃあ、オレが尻尾を振ってついてきたとでも思ったのかよ」

 反論すればするほど、気持ちとは裏腹な言葉になってしまう。そんな自分が歯がゆくてならない。

 やれやれといった表情をしたあと、総一朗は「まあ、いいわ。そろそろ行きましょうか」と促した。

「へいへい」

 胸の奥にモヤモヤとしたものが降り積もり、暗く澱んでいくのを感じる。

(あー、オレってば最低だ)

 粋な着物姿の背中を追いながら、創は自己嫌悪のどん底にいた。

                                ……⑥に続く