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オリジナルBL小説をお披露目しちゃいます

Mushroom boyに囚われて ⑩(最終章)※18禁2🔞

    第十章  二人の鎌倉

 到着のアナウンスの声に促された乗客はめいめいに、開いたドアの向こうへと足を踏み出した。わずかに傾き始めた太陽はホームの上に落ちた影を長く伸ばし、心なしかゆらゆらと歪めてみせる。

 最後に降り立った僕は小さくなる列車の後姿を見送った。人々は改札口へと急ぎ足で向かい、ホームに残る人影は既になく、懐かしい景色を右から左へと眺める。

 ここで僕は電車を待っていた。

 独り善がりの失恋旅行だった。

 後ろから彼が声をかけてきた。

 差し出された暗記カード、今よりもずっとあどけなさの残る笑顔。

 五年前の蒸し暑い夏の日──それが僕と風祭蓮の、そして成海基との出会い──

 爽やかな風がホームを吹き抜けて、紙屑や枯葉を舞い上げる。

 ベンチのひとつに腰を下ろすと、僕はリュックの中からケータイを取り出して、掌に収まる大きさの、銀色に光るそれを見つめた。

 あの日、こいつを忘れなかったら、僕は彼に番号を教えて、二人はごく普通の、いい友達関係を築けたのだろうか。

 彼も僕も、こんなふうに特別な感情を抱くようなことにはならなかったのか。

 それとも、風に飛ばされたメモ用紙と一緒に、大切な何かを見失ってしまったのか。

「この漢字、読み方わかります?」

 だからそれはフンショクだと答えたじゃないか、何度訊いたら──

 だが、目の前に暗記カードが見当たらないのに気づいて顔を上げると、紺のジャージの代わりにブルーのTシャツとグレーのブルゾン、ジーンズを履いた男が立ち、カードもないのに同じ質問を繰り返していた。

「この漢字……」

「……わかりません、残念ながら」

「そうですか」

 男は僕の隣に腰掛けると「少しお話ししてもいいですか?」と訊いた。

「鎌倉には観光で来たんですか」

「いいえ。忘れ物を探しに来ました」

「何を忘れたんですか?」

「囚われた心です」

 沈黙が辺りを包み込む。さらに傾いた太陽は二人の姿をオレンジ色に染めた。

「探しに来ると思ってました」

「だったら帰ってきて欲しい」

 再び沈黙する成海に、僕は重ねて言った。

「キミの仲間たちが待っている。もう誰も気にしていな……」

「仲間? そんな連中はどこにもいませんよ。それより、あなた自身はどうなんです?」

 セリフを遮られ、問い返されて、僕は言葉に詰まった。

「……もちろん僕も、だけど、僕がいたら帰りづらい、なんて気を病む必要はないから、堂々と帰ってくればいい」

 訝しげな視線を避けるように、横を向いた僕は冷静に務めようとしながらも苦しげな声を出してしまった。

「僕はもうすぐ本社へ異動になる。向こうの勤務になるんだ。これで目障りなヤツはいなくなる、せいせいするってわけだ」

「異動……?」

 顔色を変え、うつむいてしまった成海の肩が小刻みに震えたかと思うと、彼は物凄い形相になり、手にした何かを僕に投げつけて叫んだ。

「ふざけるなっ!」

 投げつけられたものは僕の二の腕に当たり、パサリと軽い音をたててベンチの上に落ちた。鼠色に薄汚れた生地の、『開運』と記されたお守りだった。

「やっと……やっと探し出したのに、やっと会えたのに……ボクの前からいなくなるなんて……そんな勝手な真似、絶対に許さない! 許してたまるもんかっ!」

 いつの間にか僕たちのまわりには大勢の人がいて次の列車の到着を待っていたのだが、突然発せられた成海の怒声に驚いたらしい。いったい何事が起きたのかと、ベンチに座った二人の青年はたちまち注目の的になってしまった。

 好奇に満ちた周囲の目に困惑した僕は「場所を変えていいかな」と訊き、黙ってうなずいた彼は先に立って歩き始めた。

 駅の改札を抜け、ロータリーを経て若宮大路に入る。この間、つかず離れずの距離を保ちながら、同じ速度で歩く二人は一言も発せずにいた。

 鎌倉という地名のイメージからは想像がつかない、近代的なビルが続く街並みだが、そこかしこに日本情緒たっぷりな店の数々が顔を覗かせて、ここはやっぱり古都だったのだと感じさせる。

 趣味は寺社巡り。鎌倉観光マップが頭に入っている僕は鶴岡八幡宮方面へと向かう途中で右の道に折れた。

 そこに建っているのは主にこの地を訪れた観光客が利用するホテルで、僕はフロントに歩み寄って係の人に空室があるかと尋ね、二階のツインルームの鍵を受け取った。

「ここなら人目を気にしなくていいし、誰にも邪魔されずに、ゆっくり話すことができるから」

 鍵をテーブルの上に置いてから、夕暮れ迫る窓の向こうを見やった僕はカーテンを引いてソファに座った。

 ずっと黙って立っていた成海も向かいのソファに腰かけ、テーブルの上に灰皿があるのを見てとると、ポケットからタバコを取り出し、それをくわえて火をつけた。

「タバコ吸うんだ、気がつかなかった」

「ええ、まあ。あの喫煙室には近寄りたくないから、会社では禁煙してたけど」

「そう……」

 あの喫煙室、か。みんながあそこで何を話していたのか、彼は知っていたのだ。

 紫煙をくゆらせる顔が近寄り難いほど大人びて見えて、なぜか僕は目を逸らせた。

「怪我はもういいの?」

「うん。キミにはいろいろと迷惑をかけてしまった」

「迷惑? そうかな、ボクが本当に突き落とした、って思わなかったわけ?」

 意地の悪い発言にもめげずに、僕は力なく反論した。

「違う、あれは僕が足を踏み外したんだ。自爆だ」

「自爆しなかったら、こっちから引導を渡したかもしれないのに」

 最後の煙を吐いて、彼は吸殻を灰皿で揉み消した。

「死にきれなかった、残念だね」

「ああ……」

 呻くように呟いて、僕は成海を見つめながら「やっぱり、殺したいほど憎んでいるんだ」と続けた。

「憎いのなら、殺したいならそうすればいい。でも、キミが手を汚すことになったら、優しいお祖母さんが悲しむだろうな」

「じゃあ自殺でもする気? できっこないくせに」

「誰だって本当は死にたくないよ」

「だから引導を渡してやるよ、って。さあ、覚悟は決まったかな」

 黙りこくった僕の前に立ちはだかると、成海は首に両手をかけ、ゆっくりと締めつけるようにした。

 指にじわじわと力がこめられるのを感じると、僕の閉じた瞼の端から涙が溢れ、頬を伝って流れ落ちた。

「また泣くんだ」

「悲しいときも、嬉しいときも……自分の気持ちに正直なのは罪じゃないから、涙を流したってかまわないだろう」

「自分の気持ちに正直、か」

 指にこめられた力が抜けたかと思うと、彼の両手は僕の頬を包み込み、そこに伝う涙を優しく拭った。

「殺したいほど……愛している」

 言葉が漏れ、さっきのタバコの匂いと共に唇が熱く触れる。その手を取って、ベッドへといざなったのは僕の方だった。

「愛している……本気で?」

「とっくにわかっていたくせに。見て見ぬフリだ」

「僕はズルイのかな」

「たぶんね」

 お互いの服をむしり取ると、二つの裸体はシーツの上へ倒れ込んだ。

 もう一度蜜を貪り、舌を絡め合う。激しさに目眩をおぼえながら、僕はのしかかる成海の背中に両腕をまわした。

 彼の流す汗が、唾液が滴り落ちて、その感触をむしろ心地よいと感じていると、成海は僕の額から頬から顎まで、顔面すべてを舐め尽くしてきた。

 耳元から首筋へと移った舌の愛撫に加えて両の手が胸を撫で始めると、僕は小さく声を上げたが、その喘ぎは次第に大きくなった。

「はっ……ぁああ」

 唇は突起の片方へ吸いつき、舌が先端を執拗にこね回す。そこから伝わる刺激は電流となって全身を駆け巡り、快感に支配された僕の身体はビクンビクンと反応した。

 右、今度は左。のめりこむ成海は容赦なく弄り続け、勢い余って歯が立てられた。

「痛っ」

 顔をしかめると、悪びれもせずにニヤリと笑う。絶対に謝ることをしない男だと、僕は舌打ちした。

 ようやくそこを開放した彼はその手を下へと伸ばした。

 残業の夜に受けたレイプ──あの時は何と残虐な仕打ちなのかと傷ついたのだが、今はそうではなかったとわかる──以来、認めたくはないけれど、心の奥底でずっとそうされたいと願っていた行為。

 それを口に出すのは憚られて、言葉を押し殺してはいるが、熱い吐息がついつい漏れてしまう。

 溢れ出した透明な液体にまみれた、硬くなったものをゆっくりと扱きながら「こうすれば、痛いなんて忘れる」と耳元で囁く声に、

「それはそう……だけど」

 肯定も否定もせずに、仰向けになった僕は身体を預けたまま、手の動きに合わせて喘ぎを繰り返した。

「もっと感じたい?」

「え……ええっ?」

 戸惑う僕をよそに、成海は上半身を起こすと、今度は背中を丸めた格好になり、ぬるりとしたそれを口に含んだ。

「……ぅう、ぁあ」

 初めての体験に全身が震えて、思わず両手でシーツを握りしめる。

 彼はまたしても執拗に舐め回し、生温かく、ざらざらとした感触がまとわりついて、こんなにも気持ちがいいものだったのかと、曖昧になる意識の中で僕は呻いた。

 成海の舌は器用に動き、感じる場所を次々に突いてくる。恥ずかしいほどに液が溢れて、ひたすら悶える姿は絶対に正視できないものになっているだろう。

 そして一番先の、もっとも敏感な部分に舌が触れた時、叫びを上げた僕の腰は思わず浮いて、淫らな動きになった。

「あっ、あっ、もう……」

 その瞬間、頭を激しく振った僕は次に呆然としてしまった。相手の嚥下する音が聞こえてきたからだ。

「飲……んだ、の?」

 またしてもニヤッと笑った男は何も答えず、僕の昂ぶりを手離そうとはしない。

「そ、そんな……」

 あれを飲んでしまうなんて恥ずかしい、恥ずかしすぎる。

 手で顔を覆いながら思わずうつむいたが、僕が背中を向けるような格好になったのは彼にとって好都合だったようだ。

 背後から覆い被さると、成海は僕のうなじの辺りから背中へとキスを這わせ、再び前を刺激し始めた。一度果てて萎れていたものが元気を取り戻し、僕の身体の中で新たな炎が燃え上がる。

 いつしか辺りは闇に包まれ、頭上のダウンライトだけが心細げに灯っていた。

 暗闇で触れ合う部分が熱い。

 成海のそれも熱く、彼の欲望を伝えてくる。

 指が秘所に触れると、僕は甘い吐息を漏らした。焦らすようにゆっくりと撫で回していた指は中へと潜り込んで柔らかな襞を弄る。

 指を銜え込んだそこはさらに強い刺激を求めようと締めつけた。

 もっと強く、もっと激しく──

 欲しい、早く、中へ──

 身悶える姿に我慢しきれなくなったのか、成海は指を抜くと、その代わりに自分のいきり立ったものを挿し入れてきた。

「ん……あぁ……」

 強く逞しく中を突き上げられて、彼の腰の動きに合わせながら、僕は髪を振り乱し、歓喜の声を上げた。

 もっと奥を、もっと──

 ベッドの軋み、肌の触れ合い、喘ぎ、彼の溜め息……闇の中で繰り返される淫らな響きが気持ちをさらに駆り立てる。

 乱れ、のた打ち回る僕は自分でも何を言っているのか、何を喚いているのかすらもわからなくなっていた。

 狂える男を抱いた成海も自我を忘れて、ひたすら名前を呼んだ。

 二人で何度も昇りつめては、また、果てしなく堕ちてゆく。

 激情の嵐に翻弄されながら──

    ◆    ◆    ◆

 二つの身体は浜辺に打ち上げられているかのようだった。波をかぶった肌に白い布地がはりつき、髪は高波に迷い、砂浜に上がった海草の様で首筋に乱れている。

 カーテン越しの薄日は再び訪れた、穏やかな浅瀬の早朝にも似て、互いの鼓動が遠くに聞こえる漣となる。

 うっすらと瞼を上げて、向こうへ手を這わせると、指を絡められた。

「……生きてる?」

「何とか……ね」

 力なく笑う僕をもう一度抱き寄せて、成海は──基はこの額の髪をかき上げた。

「最初からそういう目で見つめて欲しかったんだけど」

「おあいにくさま、だね」

「ひねくれ者」

 どこまでいっても彼の性格は直りそうにない。それを承知で、つき合っていくしかなさそうだ。

 僕の額に軽くキスをすると、身体を起こした基はユニットバスへと入って行った。

 それからしばらくして、バスタオルを巻きつけた格好で出てくると、脱ぎ散らかされた服からタバコを捜し出し、ソファへと歩み寄った。取り出した一本に火をつける。

 ゆるやかに立ち上る紫煙と、濡れた髪に整った横顔を眺めながら、僕は未だベッドから離れられずにいた。全身が倦怠感に包まれて、それもまた心地よく、怠惰を貪っている。

 薄日は次第にその光を強め、朝の訪れを急かすように告げるが、まだ動く気にはなれそうにない。

 しばらく煙を吐いていた基はぼそぼそと、呟くように問いかけた。

「……本社ってFBLのことだよね」

「うん。正式には親会社だけど、みんながそう呼ぶから」

「川崎……中原区の」

「武蔵中原駅の真ん前にある」

「知ってるよ。大きなビルが建ってて目立ってるし。いつから行くの?」

 ゆるりと頭を動かしたあと、僕は「六月から七月。キミたちの配属が決まったあとに椎名と引継ぎをやって、それから向こうとの打ち合わせに入って……正式に勤務するのは七月」と答えた。

「ふーん」

 自分から尋ねたくせに気のない相槌を打つと、基は二本目のタバコを手に取った。

「置いて行くつもりか、って?」

 反応が見たくて、からかうような口調で訊いてみる。

「まさか」

 肩をすくめる仕草はやっぱり憎たらしくて、やれやれと息をついていると、次のセリフは「すぐに追いかける」だった。

「ダメだよ。三年間は真面目に勤務しなきゃ、異動の願いは……」

「FBLに新人の中途採用枠があるのか、訊いてみる」

 また無理難題を、と僕は呆れ返った。

「あそこは蒲田からも近いし、僕は菊名に住んでいるから、まったく会えない距離じゃないだろう」

 不貞腐れるかと思いきや「そんなにボクに会いたいんだ」と切り返す基に、僕は黙って立ち上がると、カーテンを開けた。とたんに眩しいほどの朝日が差し込んでくる。

「いい天気、五月晴れだ」

「五月だからね」

「異動は七月か。その頃はもう、海開きしてるんだよなぁ」

 海が見たくなって、目を細めて窓の向こうを眺めたが、さすがにここからは見えるはずもない。

「少し行けば由比ヶ浜だけど」

 Tシャツの袖に腕を通しながらの声が飛んでくる。

「そのくらいわかってるよ」

 相変わらずひねくれた態度をとる男に、バカにするなと唇を尖らながら、それでも僕は幸せな気分だった。

「久しぶりに、江ノ電に乗ってみようかな」

「どこまでもお供しましょう」

                     〈To be continued〉