第十章 聖なる夜に……
いつの間に積もっていたのか、入り口の隅にあった雪の塊に目をやったオレはそれが雪ではなく、花束だということに気づいた。真っ白なカスミ草の花束が白いリボンに包まれている。
どうしてこんなところに……?
紺碧の空から舞い落ちる雪は街を白一色の世界に変え、階下を見下ろすとアスファルトも白く、車の屋根にも雪、その傍に佇むコート姿がこちらを見上げて微笑んでいた。
「何とか間に合ったようだね。いくら高速道路とはいえ、こんなにスピードを出して走ったのは初めてだよ。雪は降ってくるし、なかなか無謀だったな」
花束を両手で抱えたオレがゆっくりと近づくと、彼もこちらに歩み寄り、白い花に視線を投げかけた。
「カスミ草ってこんなにも綺麗なんだね。脇役だけじゃない、充分主役になれると思うけれど、どうだろう」
言葉が見つからないでいると、榎並さんは一本の黄色いバラを差し出した。
「今夜なら言えそうな気がして……カスミ草の中に、この花は入れてもらえるのかな?」
その人の姿が滲んで見えなくなって、それでもオレは精一杯の笑顔で答えた。
「色、違ってますよ。本当は赤、でしょ」
降りしきる雪が抱き合う二人の肩を、髪を、すべてを白く染めてゆく。
「会いたかった……ずっと、ずっと、会いたかった」
「愛している、愛しているよ」
榎並さんはオレの身体をさらに強く抱きしめた。重ねられた唇から、彼の熱い想いが伝わってくる。
「……ずっとこうしていたいけど」
部屋から飛び出してきたままで、上着を羽織っていないオレが身を震わせると、榎並さんは「ごめんね」と謝った。
「さすがに寒いよね。それじゃあ、今から一緒に来てくれるかな」
着替えてくると言うオレに「そのままでいいから」と榎並さんは答えて、後部座席を指さした。
十分後、戸締りを確認し終えたオレが乗り込むのを見計らって、榎並さんはアクセルを踏んだ。座席に用意されていた黒のハイネックセーターと同色のタックパンツ、ボルドーカラーのジャケットを身につけると、バックミラーでそれを確認した彼は満足そうだった。
「とっても良く似合うよ。僕の趣味で選んだけど、気に入ってもらえたかな」
「ええ。でも、こういう格好したことないから……馬子にも衣装、ですかね」
「キミは充分魅力的だよ。初めて出会ったときから、僕はキミのことばかり考えていた」
ハンドルを握りながら、榎並さんはこれまでの自分の想いをとつとつと語った。
「研修で出会ったキミは僕にとって特別な存在になった。だからブラッディ・イヤリングに通うのをやめたんだ……吾妻とは本当にいい友達という関係で、あいつが口説くのは女性ばかりだったし、僕も彼には特別な意識を持たずにつき合えたから気が楽だった」
ところが歓迎会(合コン)の夜に、調子に乗った吾妻さんが酔ったオレと共に起こしたゲイ騒動が彼を傷つけた。
吾妻さんはオレとつき合うと言い出し、そのショックでグラスを倒した榎並さんに追い討ちをかけたのがオレの『結婚宣言』だった。
「まさかとは思っていたけど、吾妻がキミとそうなったとわかったときは落ち込んだよ。胃薬が手離せなくなった。あの夜、何と罵られても、無理にでも部屋にとどまればよかったと後悔した」
「ごめんなさい」
「謝らなくてもいいよ、ダメなのは僕だ。キミは普通の男だし、女の人と上手くいくならその方がいいとか、吾妻が好きなのか、それとも他に好きな男がいるのかと思うとつい、引いてしまって。そのくせ諦めきれずにキミのまわりをチョロチョロとうろついて……」
オレが男を求めてブラッディ・イヤリングに出入りしている事実を知り、しかも「森下さんとつき合ってみてはどうか」と勧められたのだ。ますます傷ついた榎並さんが拒絶の態度を取ったのも無理はない。
「吾妻のように自分の気持ちを主張できない、ウジウジして情けないヤツなんだよ、僕は」
街を彩る光の渦と、擦れ違う車のライトが交差して、端正な横顔を照らす。
優しすぎる人の、その切なさが胸を打ち、今のオレに次のセリフはなかった。
横浜のベイサイドホテルに到着すると、最上階にある落ち着いた雰囲気のバーへ。案内された窓際の席に着いてから、榎並さんはシャンパンのハーフボトルを注文した。
「ここの夜景を見せたかったんだ」
店内の照明を落としているため、夜とはいえ、外の景色が際立って見える。
街の灯りが白銀の世界に映し出され、冷たくも美しい輝きを放つ様は銀河の星屑のようで、その幻想的な光景にしばし見とれていると、目の前に置かれたグラスに淡い金色の飲み物が注がれた。グラスの底からは細かな泡が立ち上っている。
「ホワイトクリスマスになったね」
澄ました顔でシャンパングラスを掲げてから、榎並さんはフッと笑った。
「二人分のディナーコースを食べたことがあるかい?」
「い、いいえ。コースなんて滅多に」
「キャンセルできなくて、無理して食べたけれども、あのときはさすがに辛かった。それに懲りてからは部屋の予約だけにしたけど、何か食べたいなら遠慮なく言って」
今は何もいらない、キャンドルの向こうの微笑みだけで充分なのだと、オレはグラスの縁に唇を当てた。
「本当はまだ信じられないんだ、ここにこうしてキミといられることがね」
イヴの夜を一番大切な人と過ごす夢が叶った、かつてメガネの王子様と呼ばれた人……
「メールを貰ったお蔭で、決心がついた。あれが僕の背中を後押ししてくれた、今夜を逃しちゃダメだってね」
オレの気持ちをずっと量りかねていたのだろう、どこまでも控え目な人だ。
「でも、せっかく貰ったメールなのに、嬉しいくせに何と返事しようかって考えすぎて、けっきょく送れなくて……病院でもそう。何も言えずについていただけだった」
イヴに間に合わせるため、とにかく仕事を早く終わらせようと、返事を後回しにして、毎晩残業に打ち込んでいたらしい。そうと知ったオレは改めて感激を噛みしめた。
「オレ、榎並さ……春人さんがいつも傍にいてくれてすごく嬉しかったし、悲しみだって癒される、心の支えでした」
瞳が潤んで、目の前の愛しい人がぼやけて見える。グラスを持つ手元に視線を落とすと、唇がわずかに震えた。
「どんなときも傍にいるのが当たり前だと思って甘えていたんですね。会えなくても、傍にいなくても構わない、そう思うようにしたはずなのに、会えなくなったら辛かった」
「これからもずっと傍にいるよ、決して独りにはしない。離れている時間なんてすぐに終わるし、キミのためなら何度でも車を走らせるから、僕を信じて」
「信じていますから、運転には気をつけてください」
参ったなと苦笑いをしながら、春人さんは「そうするよ」と答えた。
有名な曲を流す真似は敢えてせず、ジャズのマイナーなクリスマスナンバーが愛を囁くように、心地良く耳に響く。
もう一杯と、カクテルを頼む春人さんの指先を見つめ、オレはようやく訪れた幸福に酔いしれていた。幸せすぎて怖いぐらいだ。
「このまま、ここで飲むのも悪くはないね。次はどうする? それとも……」
二杯目のサザントニックを飲み干したあと、意味ありげな言葉を投げかける春人さんの目をじっと見つめて、オレは静かに告げた。
「今夜なら言える、それなら言ってください、『朝まで離さない』って……」
◇ ◇ ◇
このツインルームからも夜景が見渡せる。止んでいた雪が再び降り始め、窓際で白い花びらの可憐な舞を眺めるオレを後ろから抱きしめた春人さんは首筋に顔を埋めて囁いた。
「いい? こっちへ……」
抱きしめられたままベッドの上へ、スタンドの淡い光が重なり合う二つの姿を浮かび上がらせる。
春人さんは壊れ物を扱うかのように、そっとオレの髪を撫で、頬に触れた。
「キミとこうしていられるなんて、夢をみているようだよ」
「メガネをはずしたところ、初めて見た」
「この距離なら必要ないからね。キスしていいかな……」
軽く触れ合うフレンチキスから、舌を絡めてのディープなキスにとろけてしまいそうで、唇が離れてもオレはとろんとしたままだった。
セーターが、シャツが床へと滑り落ちて、露になった胸元へ降り注ぐ熱い嵐、春人さんの指に触れられたそこは敏感になり、舌と唇の愛撫が繰り返される度に、オレは「ああっ」と甘い吐息を漏らした。
「もっとキミを困らせてみたいな」
オレが悶えるのを満足そうに見守っていた春人さんの右手がジッパーへと下り、しっかりと勃ち上がったものを手のひらで包んで扱くと、両手でシーツを掴んでいた腰が浮いて、太股が震えた。
「全部見たい、いいね」
最後の下着も脱がされ、全裸になったオレはすべてを曝け出しているのが恥ずかしくて顔を背けたが、刺激を与えられたペニスは主の気も知らずに、ますますそそり立っている。
「まずはここを良くしようか」
オレの股間に顔を埋めた春人さんはそれを慈しむかのように撫で、次に口に含むと筋の辺りを舐め、笠を、それから細い溝に舌の先を入れて吸いつくように刺激した。
「あっ、あっ……もう」
快感が背筋を走る。男を相手にする、その術を心得ている者には敵わない。あっという間に果ててしまったオレが放った白い液を飲み下した春人さんは嬉しそうだった。
「念願だったんだ」
何が、と問い返そうにも、息があがって声が出ない。
「キミのが飲みたかったんだよ」
恥ずかしさのあまり背中を向けてシーツに顔を埋めると、春人さんはその背後から覆いかぶさるようにした。
それから「何度でも良くしてあげるからね」と腕を前にまわし、またしてもオレの胸とペニスへの愛撫を続けた。
腰から臀部にかけた辺りに、熱くて固いものが触れる。それが春人さんなのだと感じると、オレは身体の芯が疼いてきた。
こちらの欲求が伝わっているのかいないのか、春人さんはオレの耳を軽く噛み、吐息を吹きかけながら、両手の動きは緩めずにいた。
「また良くなったかな?」
「う、うん……」
「じゃあ、次はここだ」
春人さんの指は前から後ろへと移り、孔の周りを、それから頑なな扉を探るように撫でた。
それから何を思ったか、オレを仰向けにすると、股を広げるようにと言った。
秘密であるはずの場所を露にする格好になって、両手で顔を覆っていると、ざらりとした不思議な感触がする。
なんと春人さんはそこを舌で湿らしていたのだ。そんなところを舐めるなんて、とオレは仰天したが、美しき貴公子はその外見に似合わず、大胆な行為を事も無げに続けた。
何とも言えない奇妙な感覚が却って興奮を呼び起こし、オレは「えっ、そんな……はんっ、あ……」と喘いだ。
湿って柔らかくなった部分は何もかも受け入れるぞと寛大で、舌による刺激に代わって指がぬぷりと入り込む。
「イイのはこの辺り、かな」
感じる部分に触れては、オレの反応を見て彼は嬉しそうな顔をした。
「やっぱりここだね」
「あんっ、やだ」
ギュッと締まった秘孔は春人さんの指をくわえて離そうとはしない。
「いい締まり具合だ」
恥ずかしいセリフを悪びれもせずに口にした春人さんは「僕も入っていい?」と訊いた。
「わかってるくせに」
まともに見ることなんてできない、顔を背けたまま、そう答えるのがやっとだ。
「ごめん、意地悪がすぎたね」
そこを押し広げるようにして、ゆっくりと春人さんのものが入ってくる、その感覚にオレの全身は打ち震えた。ずっとこの時を待っていた、彼がこの中に……
「……ふ、う」
深い溜め息をついた春人さんは「いいね」と漏らした。
「いいよ、キミの中はすごくいい。良すぎて変になりそうだ」
「オレも……」
繋がっている部分が熱い。
ゆっくりと、次第に早く、彼が腰を動かす度に、オレは声を絞り出してしがみつき、背中に爪を立てた。
「あっ、あっ、もっと」
もう何も考えられはしない。ひたすらに快楽を求めるのみ。
互いの飢えがこだまする度に、春人さんの流す汗がオレの肌をも伝い、ぽたりぽたりとシーツに染み込む。
彼の衝動がベッドを軋ませ、ハアハアと荒い息遣いも聞こえてくる。いつも穏やかで優しい顔は野生にあふれた雄となり、強く、そして激しくオレを貫き続けた。
「い、いい、あんっ、ああ」
髪を振り乱して身悶え、嬌声をあげるオレと、そんな彼を抱きかかえながらの、春人さんの突き上げはますます激しくなる。
「もっと、もっと、感じさせるから」
中を掻き乱され、目の前が真っ白になって絶叫すると、春人さんは何度もオレの名を呼んだ。それから、激しさのあまりぐったりとし、涙を流して震える身体を抱きしめると、涙をキスで拭い、頬ずりをした。
「手加減ができなくてごめんね。キミとひとつになっていると思ったら、自分が抑えられなかった」
「謝ったりしないで……とっても……嬉しかったんだから」
切れ切れに答えながら、オレは春人さんの胸元に頬を寄せた。汗ばんだ肌からトクン、トクンと早めの鼓動が伝わってくる。
「ありがとう……僕の愛しい人」
しばらく抱き合っているうちに、弾んでいた息もようやくおさまってきた。
愛しげに何度もキスをする春人さんの、その手に自分の指を絡めながら、
「クリスマス・イヴを一緒に過ごしてくれる人は本物だって聞いたけど」
「そう、だから僕はずっと探していた。大切な時間を一緒に過ごす本物の相手をね。やっと見つけたよ」
二人きりの大切な時間は今宵静かに、甘く、ゆっくりと過ぎてゆく。
「大切な時間かぁ。クリスマスと、誕生日もそうだって。オレは四月で……」
「僕は三月だよ。春に生まれたから」
「春人、だね」
微笑み合い、見つめ合ったあと、オレたちはどちらからともなく互いに頭を下げた。
「それじゃあ、来年のBirthdayも御一緒に」
「よろしくお願いします」
〈To be continued〉