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オリジナルBL小説をお披露目しちゃいます

Holy nightを御一緒に ④

    第四章  凄腕のゲイ

「うっげぇ~、気分最悪」

 週明けの月曜日の朝、最寄り駅までの道程を歩くオレの足取りは重かった。

 会社で吾妻さんと顔を合わせるのはさすがに気恥ずかしいが、あれは事故だったと割り切るしかない。彼とはこの先しばらくは一緒のグループ、気にしていたら仕事にならないっての。

 三階オフィスのドアを開けると、室内は普段通り、キーを打つカタカタ音が響くだけの静けさで、いくらか安堵したオレは朝の挨拶をして席に着いた。

 だが、その場に漂う雰囲気はいつもと違う。それを感じ取って目を上げると、藤沢さんが物凄い目つきでこちらを睨んでいた。

 なぜ彼女に睨まれているのかわからず、助けを求めるように、辺りに視線を配ると、他のみんなが笑いを噛み殺すような顔をして下を向いた。禁煙パイプをくわえて、平然と仕事をしているのは吾妻さんだけである。

 スーツから髪型から、本日もピシリとキメた彼はまるで過去に何事もなかったかのごとく平然としたまま、オレを見ようともせずに「遅いぞ、もっと早く出て来い。十時から会議室でミーティングだ」とのたまった。

「……はい、わかりました」

 いったい、この居心地の悪さは何? 

 針の筵に座らされているってこういう状態を表すんじゃないか。

 その後、いつものように機械室へお使いに行ったオレは総務部の部屋の扉が開きかけているのを見て、慌てて隠れた。

「それってゲイじゃなくて、バイセクシャルでしょう」

「だからほら、ハリウッドの俳優にもバイが多いっていうじゃない」

「じゃあ、吾妻くんもバイの可能性が高いってこと?」

「たしかに、俳優並みの美形だものねぇ」

「えーっ、そんなのイヤよ!」

 うわっ、ゲイだのバイだの、会社で何の話してるんだ。どうやら金曜日の事件が尾を引いているらしい。イヤな予感がする。

 その時、オレの姿を見咎めた森下さんが唇に指を当てて手招きをした。それから二人でこっそり機械室に入り、扉が閉まったのを確認してから、こう切り出した。

「一階に来たら気をつけなきゃダメよ。近江さんたちに何を言われるか、とんでもない目に遭うわよ」

「とんでもない、って?」

「だって椎名くんってば、会社中の女の人を敵にまわしちゃったんだもの」

「まさか、もしかして……アレ?」

 難しい顔をして頷いた森下さんはオレが酔っ払って前後不覚になったあとの出来事を説明してくれた。

 後輩という立場上、先輩が仕掛けたゲイ芝居に仕方なく乗ったと見做されているうちはまだマシだったが、オレたちのやり取りは芝居を超えて、本物のゲイではないかと思われるほど堂に入り、その場にいた人々の誤解を招くほどだったらしい。

 結婚すると宣言して、ずうずうしくも花嫁を気取るオレの世話に吾妻さんがかかりきりになると、彼は宴を切り上げて家へ送って行くと言い出した。

 一人で大丈夫か、自分も手を貸すと言って榎並さんも席を立ち、お目当ての男二人を失ったおネエ様方は仕方なく二次会へ行ったのだが、こうなったのも幹事だったはずの、あの新人のせいだと、オレが槍玉に上がった。

 しかも、並み居る女性を出し抜いて標的をゲットしたばかりでなく、あのあと部屋に泊まったらしいと彼女たちの顰蹙を買い「椎名英は新人でありながら、吾妻穣二ほどの男をたらし込んだ凄腕のゲイである」といった噂が吾妻さんのバイセクシャル説と共に、あっという間に会社中に広まった。

 当然、第一グループの社員たちの耳にも噂は届いている。吾妻さんに気のある藤沢さんがオレを睨んでいたのはそのためだ。

 いきなりゲイ説を流布され、女たちに目の敵にされる、なんて悲惨なオレ。

 ただし真偽を問われたとしたら、部屋に泊まったのも、吾妻さんと寝たのも事実で、堂々と反論できないのが口惜しく、とても悔しい。

 社内に広まったとんでもない噂に頭を抱えていると、オレの反応を不安そうに見ていた森下さんは「あのとき椎名くんが一生懸命だったことや、いっぱいお酒を飲まされて大変だったこと、榎並さんと私はちゃんとわかっているからね」と告げた。

「榎並さん……」

「あの人、お店にいる間ずっと、椎名くんの心配をしていたのよ」

 そういえば、手を貸すと言って席を立ったらしい榎並さんだけど、そのあといったいどうしたんだろう。

 酔っ払いのお荷物を連れた親友をフォローして、途中までついてきてくれたのかもしれないが、どうして最後は吾妻さんにお任せしてしまったのかと恨めしく思った。

 もしも彼が部屋まで一緒だったら、三人で一夜を明かしたなら、あんな間違いは起こらなかったはずなのに……

 親切で優しい彼にしてはあまりにも無責任だ、などとオレは身勝手な理屈を考えていた。

「私は椎名くんの味方よ。総務に用があるときは電話してね、こっちから三階に行くから」

「あ、ありがとう」

 森下さんもずいぶんと心配していたらしく、有難い気持ちと申し訳なさで胸がいっぱいになる。彼女はこの会社の女子社員にしては地味で控え目な上に、とても聡明だった。こちらの事情も知らずに睨みつける女ではなく、どうして森下さんのような人を好きにならなかったのか。

 だが、もう遅い。社内公認・凄腕ゲイのレッテルを貼られた男など、恋愛の相手としては論外、対象外だ。

 孤影悄然としたオレは重い足を引きずってなんとか四階まで上がり、会議室のドアをノックした。

「どうぞ」

「失礼します」

 そこには既に第一グループ・リーダーの田辺さんが居て、ホワイトボードに向かって図表のようなものを描いていた。

 この子会社を立ち上げる際に、部長やら課長、リーダークラスの社員の大半は親会社のFBLからの出向、あるいは引き抜かれた者であり、田辺さんもそのうちの一人だ。

 三十代後半の、いかにも技術系のサラリーマン、可もなく不可もないタイプの彼はFBLを離れた今でも立場上、事務所を行き来してプリンタの製造チームやら、ハードの専門部と会合するなど、向こうとは何かと接する機会が多い。

 そのせいか、田辺さんはFBLのことを本社と呼び、それは出向・引き抜き組全員に共通していて、その呼び方はいつしか社内全体に広まり、使われるようになっていた。

 少し遅れて吾妻さんが到着、ミーティングが始まったが、グループのメンバー七人のうちの三人だけで行うのかと訝るオレに、田辺さんは「ちょっと面倒なことになってね」と困ったような顔をしてみせた。

「面倒なこと?」

「今回我々が手掛けるファイリングシステムのプリンタ制御プログラムだが、先週の会議で打ち合わせたように、このプリンタにおける処理は五つに分割される。データ解析にタスク制御、図形処理と文字処理、それからイメージ処理だ」

 田辺さんはホワイトボードの図を指し示すと解説を始め、オレは円の中に書かれた文字と矢印をノートに書き写しながら、リーダーの言葉を聞き漏らすまいと耳を傾けた。

「それぞれの担当はわかっていると思うが、もう一度説明すると、データ解析が山之内、図形は外中、文字は佐藤と大鵬、そしてタスクが吾妻、イメージは椎名となっている。ここまではいいかな?」

 田辺さん自身は全体の進捗を把握し、作業進行の要となるため、あとの六人で各処理を分担するわけだが、新人であるオレには当然、一番簡単な処理、楽に作業できる部分が与えられたはずだった。

 ところが、プリンタ本体を製造する本社の方針として、部品の一部にアメリカ製の新しいハードウェアを採用することになった。

 従来の製品に使われていたものよりも処理能力が高く、印字スピードのアップにつながるとかで、それを使ったプロトタイプ、いわば試作品を早期に提出するよう、上層部から指令があったというのだ。

「図形と文字用のハードウェアはそれぞれどのようなものか、まだ仕様すらわかっていないが、イメージのハードは判明している。そこで、イメージデータのみでのプロトタイプを出せと言ってきたんだよ」

 そう聞かされても、それがどの程度重大なことなのか実際の業務を行っていないオレにはピンとこないのだが、さっきから腕組みをしていた吾妻さんは険しい表情で反論した。

「海のものとも山のものともわからないハードの起動を新人にやらせろとおっしゃるんですか? それも納期に猶予のない状態で。無謀ですよ、無茶苦茶すぎます!」

「いや、本社の方で同じハードを使ったプログラムの例があるというんだ。完璧には動いていないけれど、それを流用すればいくらか楽になるのではないかと……」

「完璧に動いていないものを流用なんかしたら、ますますわかりにくくなってしまう。そんなことは御承知でしょう?」

「もう決まってしまったことだし、何とか承諾して欲しいんだ、頼むよ」

 本社側の決定を覆す権利など、田辺さんにあるはずもなく、これ以上リーダーとやり合っても無駄だと悟ったのか、吾妻さんは溜め息をついて黙ってしまった。

 これからまた本社で打ち合わせをすると言って田辺さんが会議室を出ると、しばらく黙り続けていた吾妻さんは腕組みをした、さっきの姿勢を崩さないまま「済まなかったな」と低い声で呟いた。

 何を謝っているのかと彼の真意を測りかねていると、この自信家の顔からいつもの傲慢不遜な表情が消えていた。

「処理の分割とその担当を提案したのは俺だ。まさか、おまえの担当が真っ先に動かす必要のある部分になるとは思ってもみなかった。かなりのショックだよ」

 今回の件は彼の責任ではなく、誰が決めても同じ分担になるのはわかっているし、本社から新しいハードやら、プロトタイプの話が出るなんてこと自体、予想外だったのだ。

 所詮は子会社、言われた通りにやるしかないし、恨めしいとも思わない。返す言葉もなく黙っていると、

「それから合コンの日のこと……あいつらにいろいろ言われてるんだろ? おまえが嫌がらせを受ける羽目になって、本当に済まない」

 吾妻さんはオレの身に降りかかってきた災難をすべて承知しているようだった。

 彼のような男が謝るなんて、こんなにも低姿勢になるなんて滅多にない、と妙な感心をすると共に、この身を案じてくれていたとわかると、嬉しいような、くすぐったいような気持ちになった。何だか照れ臭い。

「でも、嫌がらせってほどでもないし、そのうちわかってもらえると思います」

「いいのか、それで」

「言い訳してもしょうがないかな、なんて。それに……酔って変なこと言ちゃったのも、泊まったのも事実ですし」

 それにしても吾妻さんの「椎名が気に入っている」発言は後輩として可愛がる、その程度にすぎないのだとわかっているのに、泊まった夜からの落胆が拭えないのはなぜだろう。

 フラれた相手が男だったから、その身代わりにされた、弄ばれたなどと、恨みがましく思う気はさらさらない──とは言い切れない。心の片隅に被害者意識は残っている──割り切っているつもりがそうではなくて……

 えっ、もしやオレってば、たった一度の間違いでマジゲイに仲間入り? 

 マジで、マジで、マジでかぁーっ! 

 驚いたオレは焦り、こんな自分を呪った。

 吾妻さんは苛立ったように髪を掻きむしる仕草をしたあと、いつもの不敵な表情に戻っていた。

「そうだな。人の噂も何とやらだ。あんまり気にするのもバカらしいし、やめだ」

 その変わり身の早さに呆れていると、彼は「今度晩メシを奢らせてくれ。ほんの罪滅ぼしだ、いいだろ」などと言い出した。

 プライベートで誘ってくれるのは嬉しいが、そんなことをしたら、また大騒ぎになるのではないか。

 戸惑うオレはつい「二人で食事に行くなんてみんなに知れたら、噂が消えるまで七十五日以上かかっちゃいますよ」などと言ってしまった。

「面白いことを言うヤツだな」

 感心した様子でこちらを見た吾妻さんは三人なら問題ないだろうと、榎並さんも誘うことを提案した。

 確かに、これ以上気持ちがのめり込まないように榎並さんが同席してくれる方がいいけど、あの夜、彼が酔っ払いを友に任せて帰ってしまったことを考えると、いくらか不安でもある。

「榎並さん、乗ってくれますかね?」

 すると吾妻さんは「奢りと言えば来るだろう。俺から話しておくから」と言ったあと、思い出したように付け加えた。

「おまえ、あいつに金払っておけよ。ちなみに俺はとっくに払ったからな」

「何の金ですか?」

「合コンの飲み代、ヤツが立替えてるぞ」

「ええーっ!」

    ◇    ◇    ◇

 そういえば、とオレは自分の財布の中身がなぜ多いのかを今になって思い出した。幹事の役目を放棄したあの晩、おネエ様方から預かった会費がそっくりそのまま入っていたのだ。

 なんたる失態、これがバレたら今度こそ本気の嫌がらせを受けるだろう。ゲイ呼ばわりでは済まないかもしれない。

 昼休みになったら急いで払おうと思っていると、榎並さんの方からオレのところへ出向いてきて「今日もコンビニ弁当?」と訊いた。

「あ、はい」

「僕も買ってきたんだ、一緒に食べよう」

 これ幸いとオレは財布を取り出し、支払いの件を話して謝った。

「ああ、そんなに気にしなくていいのに。ずいぶん飲まされていたし、あれじゃあ幹事なんて無理だと思ったんだ」

「でも、女の人たち七人……あ、森下さんは御招待だったから六人分ですよ、けっこう大金じゃないですか」

「大丈夫、カード払いにしたから。あれだとポイントがついてお得なんだよ」

 主婦のような発言に、榎並さんの意外な一面を見せられたオレはぽかんとしてしまった。

「ポイント、ですか」

「ためると図書カードが貰えるんだ」

 お昼持参ということは、今日も吾妻さんはヤボ用なのかな。

 榎並さんはこの前と同じくオレの隣の空席に腰掛けるとサラダにパン、ヨーグルトといった、あっさりした昼食を机の上に広げた。

 二十代男性にしては摂取カロリーが低いようだが、土曜日から体調が悪いのでしばらく外食は控えると説明、吾妻さんは一人で外に出たようだ。

「土曜日って、じゃあ、あの飲み会のせいですか?」

 榎並さんがグラスをひっくり返して、青ざめた顔をしたシーンが思い出される。

 彼はそれほど飲んでいないので酔っ払ったわけではないし、料理のどれかにあたって食中毒にでもなったとしたら、幹事を放棄した者としてはますます申し訳なくなってしまうが、榎並さんは手を振って否定した。

「お店の食べ物とは関係ないから」

「で、でも……」

 この人は何かを隠している、そんな気がして視線を向けると、彼はいくらか狼狽した様子を見せ、顔を背けた。

「本当にいいんだ、心配をかけるような発言をしてごめんね。それより、椎名くんの方はどう? 二日酔い、ひどくなかった?」

「えっ、まあ、その……いろいろと御迷惑をかけてすいませんでした」

 あの晩の恥ずかしい振る舞い、その挙句、オレが吾妻さんの部屋に泊まった顛末、榎並さん自身は途中で帰ってしまった理由、まことしやかに囁かれる噂等々、訊きたいことも言い訳したいこともたくさんある。

 が、ストレートに口に出すわけにもいかずにモジモジしていると、次の瞬間、チャンスはぶち壊されてしまった。

「あらやだ、榎並さんったら、ランチに行かなかったんですか?」

 何かの用事で、遅れて席に戻った藤沢さんが声を掛けてきたのだが、彼女は榎並さんがわざわざオレの隣に移動して座っているのを見て不愉快そうな顔をした。

「そちらのお仲間入りしたら、榎並さんまで人気落ちちゃいますよ~」

 そりゃあ、ゲイ仲間って意味かよ。ここまで根性の悪い女だったとは、見かけに騙されちゃいけない。

 憮然とするオレの横で榎並さんはにこやかに切り返した。

「僕には落ちる人気なんてないし、椎名くんと話していると楽しいからね。また飲みに行こうって相談しているんだ、今度は合コンじゃなくて、男同士でね」

 さすが榎並さん、とオレは心の中で拍手喝采、こちらをキッと睨んだ藤沢さんは何も言わずに出て行った。

「いいんですか、あんなこと言って」

 彼女の発言にも一理ある。榎並さんまでゲイ呼ばわりされたらと心配になったが、彼は事も無げに「気にしない、気にしない。それより、さっき吾妻から聞いたけど、食事会に僕も行っていいのかな?」と尋ねた。

「それは全くかまいませんけど」

「もしかしたら二人で相談したいことがあって、僕が居たら邪魔になるかなと思って」

 榎並さんも噂の一件を気にしてはいるのだ。そんなことはないと否定すると、彼は安心したように笑顔を見せた。

「あいつの奢りなんて滅多にないからね。早く体調を整えて、たっぷり食べさせてもらうとしよう」

 ただし、それがいつ実現できるのか。忙しくなるこの先、定時後も打ち合わせやら何やらのスケジュールがびっしり詰まっている二人の予定に合わせるのは難しい。

 いつでも連絡がとれるようにと、榎並さんは自分と吾妻さんのケータイの番号とアドレスをオレに伝え、オレもこっちの番号、アドレスを教えた。

 こうして彼らのテレフォンナンバーを手に入れたオレはウキウキしながら、三人の会食が実現する日を待った──

                                 ……⑤に続く