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オリジナルBL小説をお披露目しちゃいます

純情一直線 ④

    第四章  頑固ジシイと御対面

 翌日、練習を始める前に、新学期初めての部会が武道館の一角で催された。

 仮入部となっていた新入部員たちのうち、正式に入部した者に関して顧問の先生から改めて紹介があり、続いて今月の終わりに行われる他校との練習試合について、部長が説明を始めた。

「今回は川崎市の栄光学院中等部及び高等部との練習試合です。この学校は我が校と同じく中・高一貫教育の私立校で、校風もよく似ています。中等部と高等部それぞれにA、Bの二チームを組んで、リーグ戦の方式で対戦するということで話がまとまりました」

 ざわめく部員たちを見回したあと、加賀美先輩は「では、これから先生と相談して、来週の初めにチーム編成を発表します」と言って部会をしめくくった。

 剣道の試合には大きく分けて団体戦と個人戦があり、トーナメント戦やリーグ戦といった方式は他のスポーツと同じだ。

 チーム編成イコール団体戦だけど、バレーやバスケットのように複数の選手がいっせいに戦うわけではない。

 五人の選手が──先鋒・次鋒・中堅・副将・大将という名が戦う順についている──それぞれ一対一の個人の戦いを行ない、勝者の多い方を勝ちとする。

 つまり、三人以上勝った方のチームが勝ちとなるわけで、引き分けになってしまった場合は決まった本数の多い方とか、いちばん強い者同士の代表戦、いわば最終決戦で決着をつける。

 選手に選ばれる者は本来なら上級生に偏ってしまいがちだけれど、Aチームは二・三年、Bは一年生のみで組むという条件で、自分も選ばれる可能性があるかもと、その場にいる全員が浮き足立っていた。

 部会の終了後、加賀美先輩はいくらかためらいがちに僕を呼び止めた。

「キミの実力からすればAチームの大将を務めてもいいぐらいなんだけど、一年は全員Bチームにしてくれというのが先方からの依頼で、悪いけどBチームで……」

「かまいませんよ」

 これって僕の決めゼリフになったみたい。先輩は眩しそうに僕を見たあと「佐久間もBに入ることになるし、この調子じゃ、ボクたちよりそっちのチームが優勝しそうだな」などと呟いた。

 リーグ戦なので、相手校だけでなく同じ学校のAチームとBチームも戦う。僕たち一年と、二・三年との激突も繰り広げられるというわけだ。

「それって、足元をすくわれるみたいな意味合いですか」

「いや……」

 かぶりを振った先輩はそれから、

「こんなときにこんな話をするなんて非常識だけど、後悔しているんだ」

「後悔……って」

「キミを手放したことさ。手を切らなければ次はないって言われて、それで……」

 いきなり話が飛躍したけど、試合のチームネタは単なるきっかけで、こっちが本題だったみたい。

 手放したとは別れてしまったという意味なのか、先輩は僕と別れたことを後悔しているのだろうか。まさか、この僕に未練があるとでも? 

 いや、真辺の虜となったはいいが、何かトラブルがあって失望させられたのかも。いかにも裏表のありそうなヤツのことだもの、可能性はじゅうぶんある。

 従って、先輩の言う後悔とは、失望の反動で僕の方がマシだったという程度のものかもしれない。

 動揺しつつも素直に応じる気にはなれず、ひねくれた返事しかできない僕は「でも、最終的には自分の意思で、その方がいいと思って向こうを選んだんでしょう? 二股なんてイヤですから」などと突き放し、その言葉を聞いた先輩はいくらか悲しげな顔をして、自嘲気味に答えた。

「もちろん、自分で撒いた種だと言われればそれまでだけどね」

「すいません、可愛げがなくて。僕のこの性格は一生直らないと思います」

「キミらしいよ」

「それに、先輩に喜んでもらえるものなんて僕は何ひとつ持ち合わせていませんでしたから、飽きられて当然だったし」

「そんなことはない。ただ……ボクはどうかしていた。欲望に溺れたバカなヤツだと笑って、忘れてくれ。つまらない話をしてすまなかった」

 そう言いながら、先輩自身が弱々しく笑った。

「さて、準備運動を始めるとしようか」

 背中を向けた人に、僕は何も言えずにいた。別れなければよかったと言われても、今さらどうにもならないこと。

 ここぞとばかりに尻尾を振って飛びついたり、ヨリを戻したりする気にはなれない……って、あれ、僕はまだ先輩が好きなんじゃなかったのかな? 

 それゆえ貧血騒ぎまで起こしたわけで、これを機に、真辺から奪い返すことだってできるはず、絶好のチャンスだ。それなのに、その気になれないなんて、いったいどうしちゃったんだろう。

 僕みたいなイイ子を捨てて、くだらないヤツに走った人と元のサヤに収まるなんてプライドが許さないとか、ごめんなさいと、向こうからもっと頭を下げなきゃダメとか、どうか許してくださいと、泣いて土下座するシーンが見たいとか、そんなふうに考えているんだろうか。ンなバカな。

 自分で自分の気持ちが整理できないまま、防具を抱えてのろのろと移動を始める。ドンッと肩がぶつかり、よろけた僕の袖をつかまえてくれたのは佐久間だった。

「あ……」

「また倒れられちゃ困るからな」

 不機嫌な口調でジロリとこちらを見るが、そんな態度にもかかわらず、僕はいつものように突っかかろうとは思わなかった。

「ありがとう」

 昨日は口に出せなかった言葉がスラッと出てきて、自分でも驚いた。

 僕の態度の変化は彼にとって青天の霹靂だったに違いない、またしても目をまんまるに開き、呆然としている。

「あ、あり、って」

「昨日のこと、悪かった。代わりに掃除してくれたなんて知らなくて」

「い、いやさ、それは部長命令だったしよ。練習が終わったんで、俺が保健室へ行くって話したら、部長が『自分が見に行くから、モップがけの方を頼む』って。そんなの、部長命令でなけりゃ聞かねえし」

 保健室に行くつもりだった、あとでまた来るという言葉は本当だったんだ。よかった。胸の内に暖かいものが溢れてくる。

「そうだったんだ。嬉しいな」

「嬉しいって?」

「もう来ないつもりかなって、そう思ってたから、ガッカリしていたんだ」

 我ながらいじらしい言葉と共に、上目遣いに佐久間を見ると、ヤツは顔を真っ赤にした。

「お、男に二言はねえよ」

 相変わらず今時流行らないセリフを言うヤツだと苦笑する。

「そうだね。二言はない、か」

 そのあとの稽古中、不思議なことに佐久間がいつものように「勝負しろ」という場面は一度もなくて、肩透かしを食らったような気分だった。

 終了後もそわそわと落ち着きのない様子を見せていた彼は着替えが終わった僕に話しかけてきた。

「宮里、おまえ、学校まで何で通ってんだ? ほら、チャリとかバスとか」

「それって通学手段のこと? だったら電車だけど」

「電車? 何線?」

「東横。ウチは菊名なんだ」

 すると、佐久間はえらく驚いた顔をして、

「えっ、俺は元住吉だけど、電車で会ったことねえな。あ、そうか。そっちは急行とかの早いやつで往復するんだな」

 JR横浜線と連絡している、いわば主要駅である東急東横線菊名駅に対して、元住吉駅は各駅停車の普通列車すなわち鈍行しか停まらない。乗り換えが面倒だから、最初から鈍行に乗っていると佐久間は言った。

「それじゃあ電車に乗ってる時間がすごく長いだろ、退屈しないの?」

 ずっと鈍行で移動するのはけっこう時間がかかる。各駅に停まるせいでただでさえ到着が遅いのに、特急やら急行やらに追い抜かされたり、途中の駅で待ち合わせたりするからだけど、そういうのは気にならないのだろうか。そう思って訊いたところが、

「いや、退屈ってほどでもないぜ」

「へえ、意外だな。どっちかっていうと、せっかちに見えるのに」

「まあ、何時に帰り着いても誰か待っているわけでもねえし、夜が長くて暇だしよ」

 誰か待っているわけではない──親元を離れて一人で住む高校生の、孤独なセリフがチクリと胸を刺す。

「そうだ、暇なら横浜に途中下車とか、乗り越して自由ヶ丘とか、渋谷に出るってのはどう? 多少寄り道したところで、問題はないでしょ」

 僕は取り繕うようにそんな提案をしてみたが、とんでもないと、佐久間は首を横に振った。

「おまえは街の人間だから気軽に出かけられるんだろうけど、俺みたいな、山梨から出てきたばかりの田舎者のガキが一人でそんな大都会をうろつけるわけねーだろ」

「恐いもの知らずだと思ってたけど、やっぱり都会は恐い?」

「ああ、そうだよ。悪かったな」

 そんなこんなの会話をしながら、こいつとこんなふうに、それこそ友達といった感じでたわいのない話をするのは初めてじゃないかと僕は思った。

 成り行きから、僕は彼と肩を並べて帰る格好になった。すっかり打ち解けた僕たちの会話は電車ネタを中心にポンポンと弾んだ。

「よりにもよって元住なんて、学校から遠過ぎない?」

「あそこは川崎市だろ。横浜に比べて地価が安いから、アパート代も比例して安い。そう聞いたけどな」

「アパートって、あれ? 学校の寮があるんじゃなかったの?」

 元住吉に学生寮がある、てっきりそういうところに入っていると思い込んでいた僕が尋ねると、佐久間は首をすくめてみせた。

「俺みたいなよそ者は人数少ないから、寮なんてありがたいモノは用意してくれねーよ。一応、住むのはこの地域の、このアパートから選べって指定されててさ。ま、ふつうよりは安く借りられるようになってるけどな。学校の名前で借り上げてるっつーか、社宅みたいな感覚じゃねえかな」

「経費削減かな。セコイな」

 そのあと、僕の祖父が剣道道場を開いている話をしたら、佐久間は俄然、興味を示してきた。

「そうか、おまえの強さはジイさん譲りってわけだな」

「ま、まあね」

「道場って、スゴイ建物なのか?」

「古臭いだけだよ。何なら見に来る?」

 暇で寂しい一人暮らしの身を誘うのに問題はないと思っての発言だ。

「アポなしで行ってもいいのかよ」

「それは平気だけど、ウチのジイさんに会ったら、めっちゃビビるかもしれないよ。すごく頑固者だからね、そこだけは覚悟しておいた方が……」

「そんなに恐ろしいジイさんなのか?」

「うん」と、しかめっつらで頷くと、佐久間はいくらか不安げな表情になった。

「まあ、おまえなら大丈夫だよ」

「そ、そうだな」

 とにもかくにも、僕たちは東横線に乗ると菊名駅で下車した。そこから歩いて十五分ほどのところにある、我が家の敷地に建つ道場には『禮武館』と書かれた仰々しい看板が掲げてある。

 横浜市港北区という街中にこんな、いかめしく古めかしい建物が存在するとは、と誰でも思うみたいで、今でもたまに見学させてくれという人の訪問を受けるほど。

 黒光りした柱、重々しい扉、複雑な細工の施された欄間など、佐久間もあちらこちらを眺めては、凄いだの驚いただのといった感想を述べていた。

 道場にはまだ灯りが点っていた。今日の稽古は終了しているが、主の祖父は一人残って形の練習に打ち込んでいたようだ。

「お、帰ったか」

 ただいまと返事をしたあと、剣道部の仲間だといって佐久間を紹介すると、どっしりして威厳のある体型且つ、昭和初期・戦中生まれの、噂の頑固ジジイを前にして、傲慢不遜な彼も緊張したらしい。

 ペコリと頭を下げ「ど、どうも。み、宮里くんの、同級生で、さ、佐久間小次郎といいます」と口ごもりながら名乗った。

「なに?」

 祖父の目が迫力満点にギラリッと光り、僕たちは思わず後ずさった。

 小学生の頃から僕の友達が家へ遊びに来ることはほとんどなく、その原因というのが見た目からして恐ろしい祖父にあったのは言うまでもなかったが、まさか高校生になってまで、このジジイに友人の訪問を妨害されるとは……

「佐々木小次郎とは、なんと、伝説の剣豪の名ではないか」

 なんだ、何かと思えばそのことか。祖父は佐久間と佐々木を聞き間違えたのだ。たしかに紛らわしいけど。

「なるほど、身の丈もあるし、それらしい良い面構えをしておる。まさに野武士の風情じゃな」

「あ、いえ、その、佐々木じゃなくて佐久間なんスけど……」

 佐久間の小さな反論が頑固ジシイの耳に届くはずもなく、

「なんと良い名だ。武蔵、おまえとは生涯の敵になるかもしれんのう」

「む、武蔵っスか?」

 佐久間が驚きの目で僕を見たので、プイと顔を背ける。今の今まで僕のファーストネームが武蔵だと気づかなかったみたいだけど、いくらみんなが姓で呼んでいたからってアンテナ低すぎじゃないのか。

「そういや元住の隣の、南武線と連絡している駅がたしか武蔵小杉だったよな。その次には武蔵中原とか、武蔵新城とかあったけど、あれとは関係なし?」

「あるわけないだろ!」

「じゃあ、やっぱり宮本武蔵か」

「ふつう、そっちを先に思いつくんじゃないの。変なヤツ」

 僕たちのバカ話は耳に入っていなかったらしく、ワシが武蔵と名づけたと、クソジジイは自慢げに語った。僕の両親としてはその意見に逆らえるはずもなく、息子の名前に武蔵が採用されたわけで、迷惑この上ない。

 それにしても、宮本に対して宮里、佐々木に対して佐久間とはつくづく出来過ぎだ。小次郎とつけた御両親の感覚はクソジジイと同じレベルってところだな。

「じゃがな、せっかくの剣豪の名だというのに、見てのとおり当人は色白の女子のような顔になってしまった。体格も貧相だし、おぬしのように立派な若者が羨ましい」

 大袈裟に嘆息するけど、つけた名前で顔や体型が変わるわけじゃない。なんてふざけたジイさんだとイライラする。

「それでものう、少しでも男らしく育つようにと思い、幼少の頃から剣の道を叩き込んできた」

 ええ、ええ。竹刀で殴るわ蹴るわのスパルタ稽古で、剣の道はしっかり叩き込まれましたけど、イコール男らしく育つ、じゃありませんから。

 孫が男と恋愛していたゲイだと知ったら、このジイさんは怒りのあまり日本刀を振り回して僕をブッタ切るか、興奮して脳溢血か何かでぽっくり逝くだろうな。ナンマイダ、ナンマイダ。

 もっとも、かつて男色は武士のたしなみだったから、ゲイもオッケーなのかもしれないけれど、そのあたりを敢えて確かめる気にはなれない。

 僕の胸の内など知る由もなく「お蔭で腕前だけは上達したが……」などと、一応は孫の実力を評価する祖父に対して、佐久間は「凄く強いです。俺、挑戦して負けました」と、あっさり負けを認めた。

 その言葉を聞いて頑固ジシイのヤツ、ワッハッハと豪快に笑った。

「そうか、そうか。今日はこれから近所の会合に出ねばならないが、今度ここに来たら、おぬしにも稽古をつけてあげよう」

「よろしくお願いします」

 気難しい祖父がすっかり上機嫌になっている。よほど佐久間のことが気に入ったようだけど、この偏屈ジイさんに気に入られるなんて、こいつもなかなか大したものだ。

 そろそろ道場は閉めるからと、家の方へ移動したあと、祖父は嫁に──僕の母に──佐久間の話をして、一人暮らしの彼に夕食を御馳走するよう命じた。

 先にも説明したように、僕が友達を家に連れてくる機会は滅多にないから母は大喜びで、遠慮する佐久間を説き伏せると、今日は何の祝賀会かと思われるほどの御馳走を用意して振る舞った。

 ぼちぼち帰るという佐久間を広い通りまで案内してやると、彼は「サンキュー。じゃあな、武蔵クン」と茶化したが、これには僕としても負けてはいられない。

「気をつけて帰れよ、小次郎クン」

「巌流島には遅れるなよ」

「そっちこそ、イラついて刀の鞘を投げたら負けだからね」

「ああ。おジイさんとオフクロさんにもよろしくな。メシ、うまかったって伝えてくれ」

──以来、僕は親しみを込めて佐久間を小次郎と呼び、彼は僕を武蔵と呼ぶようになった。

 あれほど呼ばれたくない名前だったのに、イヤだと思う気持ちはなかった。それどころか、くすぐったいような喜びを感じるのはなぜなのか、その時はわからなかった。

                                ……⑤に続く