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オリジナルBL小説をお披露目しちゃいます

純情一直線 ③

    第三章  好みじゃないのに

 かすかに漂う消毒液の臭いから、そこが保健室にあるベッドの上だというのはすぐにわかった。

「……気分はどうだ?」

 心配そうに覗き込む顔がぼんやりと見えてきた。こんな表情を見るのは初めてだ、僕は黙ったまま浅黒い肌の、思っていた以上に魅力的な顔立ちを眺めていた。

 藍色の稽古着と袴姿のままということは僕をここに運んだあと、ずっと付き添っていたとみていい。あれほど練習にこだわるヤツがと、少しばかり感動する。

「返事はナシかよ」

 弱ったといった様子で頭を掻いた佐久間はそれから、何か飲むかと訊いてきた。

「やっぱ水分補給って、どんな場合にも必要なんだろ、なっ?」

 何もいらないと首を振ると、お手上げだといわんばかりにパイプ椅子へドッカリ座り直し、はずみで可哀想な椅子は小さな悲鳴を上げた。

「おまえ、メチャメチャ軽いな。体重何キロだよ? いくら身のこなしがいいって言ったってよ、その軽さは致命的っつーか、試合中に鍔迫り合いか何かでフッ飛ばされたらヤバいんじゃねーの。脳震盪起こすとか、骨折るとか、絶対ヤベェよ、確実に怪我するって。ちゃんとタンパク質とカルシウム摂ってっか? 俺みたいに牛乳は一日二リットル飲まねえと大きく……」

「もう大丈夫、僕のことはいいから、練習に戻ったらどうだ?」

 ああ、うっとおしい。放っておけばいつまでも続きそうなヤツのおしゃべりを遮ると、佐久間はムッとした表情になった。

「おまえなー、ここまでおんぶしてきてやったのはこの俺様だぜ。そうツンケンしないで、礼のひとつでも言ったらどうなんだよ? 肩を叩いたぐらいで倒れやがってさ、それなのに俺のせいだって、みんなにボロクソ言われてよう。貧乏クジっつーか、間が悪いっつーか、やってられねーぜ」

「御礼……?」

 ふいに、とんでもない考えが胸の内で頭をもたげた。

 どうしてそんなことを思いついたのか、ひょっとして嫌がらせをするつもりだったのか、自分でもよくわからないけれど、妙に高揚感に囚われているのだけはたしかだ。

 僕は上半身を起こすと、佐久間の唇に軽くキスをした。

「なっ……!」

 鳩が豆鉄砲を食らったというのはこういう時の表情を言うんだろうな、ヤツは目の玉が飛び出そうなまでに両目を大きく見開き、唖然として僕を見ていた。

「お、おま、おまえ、今、何」

「御礼、したから」

「お、御礼って、そ、その、あわわ」

 あまりの驚きに舌が回らなくなったらしい佐久間はオロオロとみっともないまでにうろたえた挙句、保健室に備えつけの洗面台へと走ると栓をひねり、流れる水に頭から勢いよく突っ込んだ。

 あれでも頭を冷やしているつもりなのかな、飛び散る飛沫で辺りは水浸しだ。

「あー、マイッた」

 長髪から水を滴らせながら呟いた佐久間は改めてこちらを見た。

「おまえさ、大概にしろよ。ふざけたマネしやがって、俺をからかってるのか?」

「別に」

 ふつうに礼を言うのが照れ臭かった、なんて言い訳は通用しない。男が男にキスする方がよっぽど恥ずかしいはず。

 ああもう、そんなのどうだっていいや。背中を向けてふて寝のポーズをとると、ヤツが小さく溜め息をつくのが聞こえた。

「……とにかく、もう少しの間おとなしく休んでろよ。練習が終わったら、また見にくるからさ」

 僕のとんでもない行為に、ヤツが怒ってキレまくる、いつものノリなら絶対そういう展開になると踏んでいたのに、病人だと思って気遣ってくれたのか、佐久間は優しく言い残して保健室を出て行った。

 彼がいなくなって拍子抜けしたと同時に、猛烈な後悔の念に襲われた。

 いったい僕は何の企みがあってキスなんかしたんだろう。

 改めて自問自答してみると、ふざけてもいないし、からかってもいない、ましてや嫌がらせのつもりでもないと思えたんだけど、そうなると、なおさら自分の気持ちが説明できなくなってきた。

 そもそも、僕がこんなことになってしまったのは加賀美先輩と真辺の会話を立ち聞きしたせいだ。アツアツなんて死語かな、とにかく、あの不愉快極まりないキスシーンが悪いんだ。

 えっ、それじゃあ、もしかして先輩たちへのあてつけのつもりで佐久間にキスを? 

 それってまったくあてつけになっていない。先輩たちがここで起きた出来事を知るはずなんてないのに。

 ともかくこの一件において佐久間には何の落ち度もないし、それどころか今までずっと付き添っていてくれたのだ。

 それなのに……

 素直に「ありがとう」と言えばよかったんだ。あとでまた見に来ると言っていたから、今度こそ──などと考えているうちにウトウトしてしまい、ようやく目覚めた僕の前に現れたのは佐久間ではなく、噂の加賀美先輩だった。

「急に倒れたって聞いてびっくりしたよ」

 いかにも心配してましたという顔をしたあと、先輩はみんなに練習の指示を出す立場上、様子を見にくるわけにはいかなかった云々の言い訳をかました。

「そんな、気を遣わなくてもいいですよ」

 部長としての責任を感じての行動だろうけれど、こっちはどうせフラれた身、取ってつけたような思いやりなんて必要なし。すっかりしらけた僕は突き放すように答えた。

 元はといえばあんたたちが原因だ、とはさすがに言えないけれど、この後に及んでお見舞いなんて不愉快なだけ。やめて欲しい。

 それにしても佐久間はどうしたんだろう? さっきの気配りは単なるポーズで、部長にバトンタッチしてせいせいした、目障りなヤツがいなくて練習に専念できる、本当はそんなふうに思っているんじゃなかろうか。

 勝手に想像した上に、そのせいでムカついてきた僕が突然ムクリと起き上がったため、先輩はギョッとした様子で「ど、どうかした?」と尋ねた。

「もう平気ですから。練習に戻ります」

「戻るって、それは……」

 困り顔で慌てる先輩を尻目に、僕はベッドから降りると保健室を出て、とっとと武道館を目指した。

 ところがとっくに稽古は終了し、数人の部員が残っているだけで、その光景を目にして気が抜けてしまった。

 部長が見舞いにくるということは練習が一段落したから。考えればすぐにわかりそうなのに、僕としたことが……なんてこった。

「あれ、もういいのか?」

 佐久間の声だ。まだ残っていたんだ。

 声を聞いたとたん、苛立ちが最高潮に達した僕はそちらを見ようともせずに「ああ」とだけ答えた。

 また来ると自分から言ったくせに、見舞いなんてそっちのけで、時間も、僕のことも忘れて稽古していたのだと思うとムチャクチャ腹が立ったが、あくまでも冷静を装う。

 ともかく、練習が終了したのなら長居は無用だ。さっさと片づけようと、持ってきたはずの自分の防具を探したが、どこにも見当たらない。

「宮里くんの防具ならぁ、他の一年に片づけさせたよ。今日はもう戻ってくるのは無理だと思ったしぃ」

 なよなよ、ねちねちとした言葉の主はおねだりキス男の真辺だ。こいつめ、僕が永遠に戻ってこないことを望んでいたに違いない。たぶん、先輩が見舞いと称して様子を見に行くのも気に食わなかったはずだ。

「そうでしたか」

 真辺に対してムカついているとか、イラついているといった反応を見せるのは癪なので平然と答えると、

「練習するつもりでいたなんて、思ったより元気じゃねーか。戻ってくるってわかってたら手合わせ、ってのはさすがに無理か」

 そう言って笑う佐久間を睨みつけた僕の顔は相当恐ろしかったらしい、その場にいた部員の大半が凍りついてしまったが、こんな、虫の居所が悪い時に無神経なセリフを吐く方がバカなんだ。

「その様子じゃ、僕が戻るのは迷惑だったみたいだね」

 とたんにヤツは顔色を変えた。

「あ? 気に入らねえ態度だな。こっちは心配してたのによ」

 佐久間らしい、いつもどおりの反応が返ってきたので、こちらもさっそく身構える。戦闘体制、準備完了だ。

「それはどうも。大きなお世話だけど」

「なんだぁ、その生意気な言い草は?」

「あいにく、こういう言い草しかできないタチなんだ」

「ああ、そうかよ。クソッ、もうやってらんねえ」

 声を荒げた佐久間はドスドスと足音を立てながら──掃除道具のロッカーへと向かい、モップを片づけて──って、えっ? いったいどういうこと? 

「とりあえずこれで掃除は終わったからな。俺は帰らせてもらうぜ、部長」

「あ、ああ。ご苦労さま」

 よっぽど納得いかない顔をしていたんだろうな、加賀美先輩はそんな僕に「佐久間に頼んだから、帰りのモップがけはいいよ」と、急いで補足説明らしきものをした。

 つまり、僕の代わりに彼が掃除当番を引き受けて、それが今、終わったばかりだった。そういうわけだ。

「え、そ、そんな」

 独り善がりなシナリオに載せた筋書きが書いた傍から狂ってゆくなんて、僕は何と返事をしたらいいのか、咄嗟には思いつかなくなってしまった。

 藍色の背中が遠ざかり、武道館の出入り口をくぐろうとしている。

 今ならまだ間に合う。追いかけて、さっき言えなかった「ありがとう」を──

 動けない。

 もどかしくて歯がゆい。

 僕の足は根が生えたかのように、その場にじっと立ちすくむだけだった。

                                 ……④に続く