第一章 プロローグ
「ごめん。ほかに好きな人ができたんだ」
よくあるシチュエーション、お決まりのセリフ。
こんな陳腐なシーンの主役になるなんて思ってもみなかったけど、これは現実。
僕は瞬きすらせずに、目の前の端正な顔が歪むのを見つめていた。
長身、流行りの髪形、すっきりと通った鼻筋、切れ長の目。
大人気のゲームソフトキャラに似た、高等部ナンバーワン美形が居心地悪そうな様子で、もう一度頭を下げた。
「だからボクとは……」
「別にかまいませんよ」
にべもない答えに、彼の表情が凍りつくけど、自分から持ち出した別れへの返事にいちいち反応してどうする。
これじゃあ立場が逆だけど、僕を相手にした場合はじゅうぶん有り得る展開、承知の上で切り出して欲しいものだ。
「かまわないって、その」
「先輩との関係は一切なかったことにする、それでいいでしょ?」
「ムサ……」
呼びかけようとするのをすかさず遮ると、
「名前を呼ぶのはやめてください。じつのところ、この名前がイヤなんですよ。これからは宮里くんでお願いします」
「あ、ああ。わかった」
そっけない発言且つ態度に、先輩は気の毒なほど恐縮してしまった。だから、覚悟した上で切り出せっての。
「まあ、今さら剣道部を辞めるわけにはいかない立場ですから、それだけは承知しておいてくださいね、加賀美先輩」
無言でうつむく相手に冷ややかな視線を浴びせると、
「それではまた、四月からよろしくお願いします」
僕は踵を返し、体育館の裏から校舎の方へさっさと引き揚げた。
本当はフラれたなんて信じたくなかった。この僕が、白衣の美少年剣士と謳われた僕があっさりと袖にされるなんて何かの間違いだと思いたいけど、ここまできたら認めなきゃならない。
「好きな人」と呼んだ相手の見当はついている。どこぞの社長の息子とか何とかで、金にモノを言わせて三学期からゴリ押し転校してきた、今度二年になる真辺和実(まなべ かずみ)だ。
剣道の腕はまるっきり初心者のくせに、今じゃ先輩の後ろにくっついて『デキる上級生』気取りなのがムカつくのなんの、同じ武道館の空気を吸うのも不愉快なくらいだ。
こいつがまた、ゲイ心をくすぐる中性的で可愛いタイプと評判で、これまでにも男相手に浮名を流していたと聞いた。転校する羽目になったのも男関係が原因だったと噂されているぐらいだ。
そんな真辺が転校して即、先輩に一目惚れしたらしく、盛んにアタックしているなと思ったら、まさかまんまと落としていたなんて、さすがにそっち方面での手練はヤることが素早い。感心している場合じゃないけどさ。
ルックスは良くても、プライドが高くて屁理屈の多い、可愛げのない性格の僕はあいつみたいに、誰に対してもなれなれしくできない人間で、それは自分なりに自覚している。
たいていの男はツンと澄ました愛想のない美人より、可愛くて愛嬌のある子の方を、勝気で我が道を切り開くタイプより、恋人を頼りにして甘えてくるタイプを彼女にしたいと思うはずだ。
それと同じで、先輩が僕より真辺を選んだのは客観的にみればわからなくもないが──あいつの場合は媚びているだけだと思うけれど──三年近くもつき合っておいて、いきなり「別れてくれ」はないだろう。
ああ、もう忘れよう、何もかも。二人で過ごした想い出も、幸せだった日々も、頬に伝わる熱い涙も忘れるんだ。
もうすぐ新学期、高等部へ進級して新しい年度が始まる。今度こそ素敵な相手を見つけるぞと、僕は心に誓おうとしてやめた。
先輩より素敵な人なんてこの世にいるわけないし、それより何より男同士のゲイな関係、そんな特異な指向の人がそうゴロゴロしているとは思えない。
もう二度とノンケには戻れそうにない自分を呪いながら、僕はとぼとぼと歩いた。虚しくて悲しくて悔しくて、やっぱり泣けてしまった。
……②に続く