第九章 オールド・パル ――想いを叶えて
穏やかな土曜の昼下がり。
春らしい、気持ちの良い晴天となったこの日、赤や白の華やかな花をつけた花水木の下で、木漏れ日を浴びながらたたずむ美青年がいた。
県道脇の歩道はこの花水木の並木道になっていて、淡いブルーのジャケットを羽織った男は時折腕時計を気にしながら、道の向こうを眺めている。
一台、また一台と、通り過ぎる車、ようやく現れた大型オートバイが彼の前に停まり、降りてきたのはストライプのTシャツにジーンズ姿の、アーモンド形の目が印象的な若者だった。
「遅くなってゴメン、道間違えちゃった」
「夜勤明けなんだから無理するなって言っただろ」
ブルーのジャケットの青年、もちろん建樹がそう諭すと、一耶は「だってツーリングに連れてくって約束だったし」と唇を尖らせた。
渡されたヘルメットをかぶり、後部座席に乗ると、ブロンッとエンジン音を上げた車体は思ったよりも軽やかに動き出した。
「大好きな人を乗せて走るなんて、ぼかぁ、幸せだなあ」
そうおどけてみせた一耶は調子に乗って口笛を吹いた。
「ちょっとスピード出しすぎじゃないのか」
「すいませーん、昔のクセで」
「安全運転第一にしてくれよ。よその車は絶対に蹴らないように」
街中から郊外へ、景色はのどかな風景に変化してゆく。
「さてと、これからどこへ行く?」
「……海を見に行こうか」
◆ ◆ ◆
海岸線に沿ったハイウェイはどこまでも続くかと思われるように果てしなく、太陽は次第に傾き、空も海原も、ハンドルを握る一耶の横顔も茜色に染まる。
冗談を飛ばしていた男が無口になって、迫る夕闇の切なさに胸が締めつけられた建樹は瞼を閉じた。
今となっては遠い記憶でしかない日々──身体を満たされる歓びに溺れるまま、魅惑的で危なっかしい男に引きずられ、振り回される自分の姿を錯覚していたのだ、彼を愛していると……
いや、それも違う。
あの日の自分を否定はしない。
想いはそこにあったのだ。どちらがどうと決められずにいた、最後の瞬間まで。
いつしか陽は落ちて、空には金星が輝き始めた。夕闇の景色は後ろに飛び去り、渚の夜風が心地良く頬を撫でる。
ハイウェイを降りて、すぐ傍まで迫る海の方向へひた走り、脇道に入ってそのまま進むと、夏には海水浴客で賑わう浜辺に出るが、今は寂しく静まり返っている。
車体を停めてエンジンを切ると、わずかな光の下でも白い波頭が見え、穏やかに繰り返す波の音だけが聞こえた。
遠くに映る船の灯りを見つめながら、小さな溜め息をつくと「どうしたの?」と問う声が聞こえた。
「何でもないよ」
「あの人のこと、考えていたのかと思った」
「まさか……」
すべてを白紙に戻してアメリカへ渡ったと風の便りに聞いた。
そこはマンハッタンか、それともハーレムなのか。人生に悔いが残らないよう、かの地で彼なりの生き方を見つけている、そう思いたい。
一耶は波打ち際に目をやった。
「……こんなに胸を痛めるくらいなら、あのまま忘れてしまおうと何度も思った。でも、一目惚れの片想いで終わらせるなんてできなかった」
張り詰めていた糸が切れてしまったかのように、一耶は今まで抱いていた苦しい胸の内を吐露した。
「それでもオレはあきらめない、あきらめきれなかったんだ。どんなに辛くたって……」
何かを言いかけた建樹は口をつぐんだ。そして言葉の代わりに一耶の手に触れた。
「簡単には忘れられないよね」
「そうじゃないよ。ただ、僕は……満たされたくて、それで……」
「オレじゃあダメだから?」
「そんなことは……」
建樹のセリフは一耶の唇に塞がれ、途切れてしまった。
「オレがすべてを満たせばいいの?」
返事を待たずに一耶は再びキスをしてきたが、建樹はその腕からスルリと抜けた。
遠い街の灯りと月の光だけを頼りに、建樹は浜辺を歩き始め、追いついた一耶が手を握ってきた。
打ち寄せる波が足元にまで迫り、さらわれそうになる。手をつないだまま、二人はしばらくの間、無言で歩き続けた。
「初めて会ったときから好きだったなんて言っても、君は信じないだろうな」
「こんなときの悪ふざけなんて、絶対笑えないからね」
「冗談を言っているつもりはない。そうと気づくのが遅かった、遅過ぎた」
かぶりを振って一耶は答えた。
「遅すぎることはないよ。今からでも……」
砂浜の先にある岩場の前で足を止めると、一耶は「ゴツゴツしてちょっと痛いかもしれないけど」と言いながら、岩に建樹の身体を押しつけるようにした。
「すべてを満たす代わりに、すべてオレのものになって欲しい、いいよね」
身体を斜めに横たえる格好になった建樹の唇に触れ、舌を絡めながら、一耶はシャツのボタンをはずし始めた。
暗がりの中で露わになった胸元は白く、光っているかのように見え、一耶はその敏感な部分を右手の指で摘んだ。
舌も胸へと移り、先端を舐められ、強く吸い上げられた建樹は「あぅ……んっ」と声を漏らした。
なおも念入りに指と舌で奏でる一耶の愛撫に翻弄され、建樹の切ない喘ぎが響く。
「あっ、あっ……やっ」
静けさと闇が羞恥心を奪い、彼らは思いのまま、大胆な行動にでた。
その場に屈み込み、立膝をついた一耶は建樹のジーンズのジッパーを下ろすと、半起ちになっていたものに触れ、扱きながら口に含んだ。ざらざらした感触と、ひっきりなしに動く手に、またしても翻弄される。
「このままじゃイク、イッて……」
「いいんだ、オレ、建樹のが飲みたい」
一耶が液を飲み下す音が聞こえると、建樹は恥ずかしくなるよりも別の衝動に駆られて思わず言った。
「今度は僕がしよう」
「えっ、いいの、そんな……」
戸惑う一耶には構わず、建樹は彼に位置を交代するよう言い、下げたジッパーの隙間から手を差し入れた。
次に、しっかりと張り詰めたものを下着の上から掌で包み、その瞬間、一耶は「んっ」と声を上げた。
「建樹にしてもらえるなんて嬉しい」
さっきとは反対に、一耶は立ったまま岩に寄りかかり、建樹が立膝をつく。
口でするのは慣れているし、その舌使いも絶品。これまでの男は皆、声を揃えてそう言っていたからいくらか自信はある。
一耶のそれを含み、舐め尽くしてから先端に舌を入れると、彼は身体を揺すって善がった。
「す、凄い……こんなにイイなんて」
声を上擦らせながら、一耶は建樹の舌の動きに反応し続けた。
「すご過ぎるよ、建樹。もうイッちゃいそうだ。もっともっと、して貰いたいのに」
口腔から溢れ出して顎を伝う白い液、そんな様子すらも妖しく美しい男の表情に煽情された一耶の分身は再び疼いたらしく、それを見た建樹は「早く入れたい?」と訊いた。
「ううん、建樹が満足するまでは」
「さっきので充分したよ」
「ダメだよ、オレばっかりになっちゃう」
一耶は立ち上がった建樹の身体を反対に向かせると、両手を岩につくように言い、それから彼の下着を剥いだ。
次に下半身が露わになってしまった建樹の背中に覆いかぶさり、ペニスを左手で扱きながら右の指で後ろに触れた。
「今度はここ、良くするから」
湿り気を帯びたその場所をしばらく撫でたあと、人差し指が入り込んで、建樹はまたしても淫らな声を出した。
「ふ……んん、はあっ」
一耶が指を出し入れする卑猥な音が波の音に混じって聞こえてくる。
「もう一本、入れてみようか」
「ひっ、はぁ……ん、いっ」
建樹は髪を振り乱して身をよじり、その姿にかき立てられた一耶の息は荒く、両手の動きはますます激しくなった。
さんざん中を掻き回されて、建樹はとうとう「入れて欲しい」と懇願した。扱かれ続けた前はとっくに果てている。
「欲しいんだ、一耶のが。早く……して」
「わかった、たっぷりあげるから」
ジーンズを足元まで下ろした一耶は建樹の背中にむしゃぶりつき、その雄々しいペニスが孔を押し広げて入ってきたが、もたらされた圧迫感すらも快感になる。
「ああ……」
建樹はとろけるような声を出した。
「嬉しい……一耶……」
ゆっくりと、そして次第に腰の動きを早める一耶、やがて彼は建樹の奥の感じる部分を激しく何度も突いた。
「はっ、あっ、イッ、イイ!」
若さに任せるだけで、決して上手くはなかったはずの一耶なのに、彼にこんなにも感じさせられるなんて。
頭の中が真っ白になって、それでも身体は一耶のものを締めつけ、交わることをやめようとはしない。
こんな感覚はこれまでで初めてかもしれない。良すぎておかしくなるかも、建樹は気を失いそうになりながら、ひたすら喘いだ。
「はうっん、あっ、ああっ!」
「建樹、オレの建樹……」
激しい抱擁と口づけの嵐、うわ言のように一耶は建樹の名前を呼んだ。
海辺の宵闇の中建樹は何度も一耶を求め、一耶もそれに応じて、二人は飽きることなく抱き合い続けた。
そんな情熱の時が過ぎ去ると、あまりの激しさからか、建樹は一耶に身体を預けたままぐったりとしてしまった。
「ど、どうしたの? オレのせい?」
心配そうに覗き込む顔を見て、大丈夫だというように首を振る。
「一耶に出会えて……本当に良かった」
青白い光に照らされて、二つの影がうっすらと伸び、打ち寄せる波の音はいつまでも静かに響く。
建樹の肩を優しく抱くと、一耶は幸せそうに、それでいて少し不安げに訊いた。
「これで建樹の丸ごと全部、オレのもの、だよね?」
「今は、ね」
それはないよと唇を尖らせる一耶に、建樹は謎めいた微笑みを浮かべた。
「人生はルーレットゲームだからさ」
〈THE END〉