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オリジナルBL小説をお披露目しちゃいます

ロング・ヴァージョン ⑥ 

    第六章  プレリュード・フィズ ――真意を知りたい

 一耶と一度行ったことのあるこの店は黒を基調にしたインテリアが都会的で、紫苑とはかなり雰囲気が違う。

 店内には若者やカップルの客が大勢おり、流れている曲もジャズではなく軽妙なポップス。バーというよりはスナックのような賑わいである。

 カウンター席よりもテーブルが多く用意されているあたりも紫苑とは大きく違っている。ストゥールはすべて肩を寄せ合うカップルに占領されていたため、建樹は隅のテーブルを選んで座った。

 昼間の一耶の態度にショックを受けたくせに、恒星の呼び出しにのこのこと応じるなんて。フローズン・ダイキリの冷たさを指先に感じたあと、自分への苛立ちと一緒に飲み干してみる。

 呼び出しておきながら当人はまだ来ない。すっぽかされたのか、それならそれで構わないけれど。

 それでも気になって入り口の付近にちらちらと視線を送っていると、

「誰をお探しですか?」

 聞き覚えのある声と共に現れたのは一耶だった。

 驚きのあまり硬直する建樹の隣に腰掛けると「悪いけど、後をつけさせてもらいました」と言ってのけた。

「……探偵ごっこかな」

「何とでも言ってください。『ライト・アローン』になるつもりはありませんから」

 そこへ、いつもの黒い服に身を包んだ男が現れた。辺りを見回し、建樹の姿を認めたはいいが、見知らぬ若者の存在に不思議そうな顔をする。

「お待たせ……って、お連れありか」

 とたんに一耶の顔色が変わった。

「まさかっ!」

 両目を大きく見開き、呆然とする彼の反応に、わけがわからず二人を見比べていると、

「おや、どこかでお会いしましたっけ」

 恒星は例によって人を食ったような態度で一耶に応対すると、建樹の向かい側の席に座った。何とも不安定で落ち着かない、奇妙な沈黙が漂う。

「あの、ご注文は?」

 ぎこちない雰囲気のお客たちに困惑しているのか、おずおずと話しかけるギャルソンに対し、我に返った建樹はマティーニを追加、恒星はバーボンを頼んだ。

「じゃあ、ブルーベリースプリッツアーを」

 それから建樹に一瞥をくれると、真っ直ぐに恒星を見据えた一耶は「鷹岡恒星さんですね。成瀬一耶と申します」と言い放った。

「成瀬……はて? 知らないな」

 タバコをくわえて一耶を見返す恒星、思いがけず二人が出会ってしまった事態にハラハラするものの、建樹はどうしていいのかわからないままに成り行きを見守っている。

 やがて注文のカクテルが運ばれてくると、一人で乾杯と言って淡い赤紫色のシャンパングラスを掲げた一耶は恒星に向かって言葉を突きつけた。

「雛形春菜という名の女性をおぼえていますか? このブルーベリースプリッツアーが好きだった人、過去に貴方が利用して捨てたオレの姉です」

「姉……だと?」

 建樹が、そしてさすがの恒星も表情を変えた。

「そういえば、母親に引き取られた弟がいると話していたが……そうか」

「貴方に情報を漏らそうとしたために、姉は支店を追われてセンター行きになった。それをずっと気に病んだ挙げ句に、貴方が他の女性と婚約したと知って自殺した」

 雛形春菜の死の真相──一耶が探り当てた事実は建樹にとってこの上なく、残酷なものだった。

 一耶と初めて出会った場所、それは恒星がオーナーを務める店、紫苑。どこからか情報を得た一耶は店に出入りすることによって、オーナーの正体を探っていたのだ。

「すべて承知していますよね?」

「もちろんだ」

 恒星は遠い目をして語り始めた。

「遊びではないし、結婚を考えなかったわけじゃない。ただ、タイミングが悪かった。祖父が亡くなって思いがけず、千載一遇のチャンスが転がり込んだからだ」

 先代社長の遺言状にあったという許婚の件か。恒星がルミとの婚約を選んだために、春菜は捨てられたのだ。

「仕事のこともそうだ。彼女を利用したつもりはないが、あんな結果を招いたのは俺だ。非は認める。しかし、半年以上も経って蒸し返す了見は何だ? あんたも金か?」

「何だって? あんたも金って、それはどういう意味だ」

 一耶の語調が鋭くなる。恒星は彼と、それから建樹をチラリと見やった。

「別れ話を持ちかけたあと、すぐにあんたらの父上がやって来て、娘にした仕打ちに対しての慰謝料を払えと言ってきた。金をよこすなら、そちらとの結婚はあきらめるよう、娘を説得するともな」

「まさか……」

 真っ青になって息を呑む一耶、思いがけない展開に建樹も驚愕していた。

「どうやらヤバい筋に多額の借金があったらしくてな、かなり切羽詰っていたように見えたぜ。そこで要求どおりの金額を払ったが、親父さんの説得は失敗したらしくて、肝心の本人は死んでしまった」

「何て愚かな……父さん」

 娘に死なれ、元妻にも先立たれ──慰謝料の件を知った母親は強請りのようなことをしてと、元夫をなじったに違いない。曲がったことの嫌いな人だったのだ。そして娘の死とのダブルショックが彼女の死期を早めた──後悔した父親自身も死を選んだとしたら、すべて納得がいく。

「だからオレには何も話してくれなかったのか……姉さんの手帳が無くなっていたのも、ケータイのアドレスが消されていたのも、全部父さんの仕業だったんだ」

 一耶は悔しげに唇を噛んだ。

 何のヒントもないまま、彼が転職までしてようやく探り当てた、恒星と春菜の繋がりを隠す細工をしたのは父だった。

 それに、母にしてみれば別れたとはいえ、家族の恥を息子に伝えるのは忍びなかったのだろう。父の所業を伏せたまま世を去ってしまったのだ。

 深く息をついた一耶はそれでも冷静に「姉が自分で選んだ生き方ですから、今さら責めるような真似はしません」と告げた。

 初めて出会った時よりもずっと大人びて見えるようになった長身の美青年は「ただし」と付け加えた。

「これ以上、オレの大切な人を奪わないで欲しい。それだけです」

「大切な人、ねえ」

 紫煙をくゆらせながら、恒星は建樹と一耶を見比べた。

「俺が奪う奪わないの問題じゃない。どちらを選ぶのか、決めるのは姫自身だ」

 言葉に詰まる一耶を余裕で眺めたあと、グラスに残った琥珀色の液体を飲み干して恒星は立ち上がった。

「……何か用があって呼び出したんじゃないんですか?」

 ここにきてようやく口を開くことのできた建樹に向かって「いや、また今度にしよう」と答えると、支払いは済ませておくからと言い残して、恒星は立ち去った。

 テーブルに取り残された二人は何をどう話していいのかわからず、互いに黙ったままカクテルを舐めていた。

「怒ってる?」

 口火を切ったのは一耶の方で、建樹は無言で首を振った。知らされた事実があまりにも重過ぎて、今は何も考えられなかった。

 一耶の姉を結果的に死へと追いやってしまったのは恒星だったなんて……

 運命を呪うなどといった責任転嫁するような表現はしたくないが、こんなめぐり合わせがあっていいものか。信じられないほど残酷だ。

 僕は、僕たちはこの先どうなってしまうのだろうか──

「あの、失礼ですが」

 ふいの呼びかけに、現実に引き戻されて声のした方を見る。目の前には黒っぽいスーツをスマートに着こなした、理知的な顔立ちにメガネをかけた男が立っていた。年齢は三十後半から四十ぐらい。いかにも仕事のできそうな切れ者といった印象を受ける。

「何でしょうか」

 建樹が正面から男を見据え、一耶も訝しげな眼差しを彼に向ける。男は「お二人は鷹岡恒星さんのお知り合いでしょうか」と切り出してきた。

「えっ?」

「突然こんなことを申し上げて失礼かとは思いましたが、鷹岡さんと御一緒のところをお見かけしたものですから」

 そこまで言うと「申し遅れましたが」と弁明しながら、男は名刺を差し出した。そこには鳶島建設㈱総務部秘書課云々の肩書きと、羽田弘司という名前が印字されていた。

「当社副社長の、鳶島将和の秘書を務めております羽田と申します。鳶島がお目にかかりたいとのことで参上しました」

 建樹たちが何の返答もしないうちに、当の鳶島将和が現れた。

 ルミの兄である将和はそれなりに男前だが、妹とはあまり似ていない。肩幅が広くて長身の体形といい、身につけたイタリア製の高級スーツといい、きっちりと固めた髪といい、見るからに押しが強そうで「若くてやり手の副社長」という言葉から受けるイメージを忠実に再現したような男である。

「お楽しみのところを失礼します。御一緒してよろしいでしょうか」

 将和も名刺を差し出したあと、にこやかに握手を求めてきたが、どこか油断のならない感じがして、建樹は警戒しながらその右手を握り返した。

「姫野建樹です。鷹岡さんとは友人として、おつき合いさせていただいています」

 それから傍らの一耶を「同僚の成瀬くんです」と紹介すると、突然現れた怪しげな男たちを前にしてか、彼は固い表情のまま頭を下げた。

 向かい側の二席を将和たちに勧めたあと、ポケットに手をやった建樹はハッとした。

「大変申し訳ありません。今日は名刺を持ち合わせておりませんで……」

 今では交換する機会がほとんどなくなったために名刺を切らせていた。営業店時代には考えられなかったことだ。

「いやいや、それには及びませんよ。城東銀行の方でしょう?」

 さっき初めて見かけたのではなく、最初から調べがついていたのだとわかると、建樹はますます警戒を強めた。

「お二人とも芸能人として通用しそうな二枚目ですね。羨ましい」

 見え透いたお世辞を言ったあと、将和は羽田に耳打ちをし、忠実なる秘書は頷いて店の奥へ入って行くと、ウィスキーのボトルやグラス、氷などを持って戻ってきた。

「ここは私どもの会社が経営に参加している店でしてね。お近づきのしるしにやってください。カクテルがよろしければ用意させますから何なりと」

「お心遣い、ありがとうございます」

 クライアントとの打ち合わせに手間取り、この時間まで仕事をしていた、帰社する途中で恒星を見かけ、もしかしたらこの店に立ち寄るかもしれないと思い、予定を変更した等々、将和は訊かれてもいないのに言い訳を並べ立てたあと「ところで、鷹岡くん本人はどちらへ」と尋ねた。

「先程帰りました。残念ですが」

「そうでしたか。それにしてもお二人を置いて帰るとはつれない男だ。野暮用かもしれませんね」

 吸ってもいいかと断りを入れると、将和はタバコをくわえた。

「彼はまあ、なかなかの発展家ですからね。私も職業柄、いろんな店に出向きますけれど、あちらこちらで評判を聞きますよ」

 未来の義兄は恒星をどう思っているのか。少なくとも良い感情を抱いてはいないと建樹は推察した。

 恒星本人の、ビジネスマンあるいは経営者としての手腕がどの程度のものかはわからないが、ホークカンパニーは明らかにお荷物であるし、浮気性の夫を持った妹に関して、金銭面はともかく、感情面での幸せは保証されないと考えて間違いない。

 ルミ本人が恒星を気に入っているから声高には言われないが、過去の人となった老人たちの約束など、この際御破算にしたい。婚約を破棄して、妹にはもっといい婿をと願っているのでは。兄としては当然の心情だ。

「……男の甲斐性、などと古臭いことを言うつもりはありませんし、女性を蔑視するような発言が首を絞めると充分承知しておりますが、モテるというのもまた、才能のひとつでしょうね」

 そんなふうに取り繕ってはみるが、面白くないと感じているのがありありとわかる。建樹は苦笑いを浮かべて「さて、どんなものでしょうか」と曖昧な言葉を返した。

 たとえ形だけの夫婦だとしても、ルミには妻の座という特典が与えられるだけマシではないか。

 他の女たちはどう思っているのか知らないが、恒星との関係を続ける限り今も、この先も、建樹の立場は愛人──その不名誉な称号には耐え難い。

「姫野さんは彼とは友人だと、御自分でおっしゃいましたけど、かなり古いおつき合いなのでしょうか?」

「いえ、最近知り合ったばかりで」

「そうですか。もっとも、古い、新しいつき合いと、深い、浅いは必ずしも比例するわけではありませんよね」

 それはどういう意味だ。

 何を言いたいのだと思いながらも建樹は無言でいたが、傍らの一耶は獣のようなギラリとした視線を送った。

「で、そちらの成瀬くんは姫野さんのボディガードも兼任かな。人気者はツライですね」

 敵意をむき出しにした男を嘲笑うような将和の口ぶりに、一耶が反応するのを目で諌めながら、建樹は「ツライなんてとんでもない。いい友人に囲まれて私は幸せ者ですよ」と切り返した。

 水割りを作り終えた羽田がグラスを三人の前に置くと、将和はそれを軽く飲み干したが、建樹も一耶も先のカクテルが残っていたために、彼の勧めにも関わらず、まだ手をつけられずにいた。

「それにしても、近頃の経済界はいかがなものでしょう。私どもは西銀のお世話になっておりますが、やっと景気が上向き傾向になってきたと言われても、我が社は恩恵に与れないらしくて、手厳しい対応をされて困っていますよ」

 将和は二本目のタバコに火をつけた。かなりのヘビースモーカーらしい、紫煙がゆるく立ち昇る。

 彼の見込み違いのせいで鳶島建設が危機に瀕していると聞いたが、そのわりにはのん気で、鷹揚に構えている感じだ。

「城銀さんはもっとお優しいんでしょうね。恵まれない企業にも快く、愛の手を差し伸べてくださるんじゃないですか」

「さて、どうでしょう。私は支店勤務ではなくなったので、何とも……御期待に副えるコメントができなくて残念です」

「支店ではないというと、どちらに勤務されているのですか」

「業務センターです。H駅を最寄りとしています」

「ああ、あそこら一帯は城銀の本丸だと言われている場所ですよね」

「本丸ですか。上手いことをおっしゃる」

 さすがは副社長、いろんな話を巧みに引き出そうとしている。

 城銀の行員と知って、内部事情や自分たちに有益な情報を知りたがっているのでは。そうと察した建樹は何とか言い逃れをしたつもりだが、どこかでボロを出しているのではないかと不安になった。

「しかし、城銀の方だとしたら、鷹岡くんから融資のお願いなどをされたりは……いや、つまらない冗談を言って失礼。それは私自身の願望ですね」

「そういう部署に異動になったら、考えておきましょう」

 建樹の返事を聞いて、将和は愉快そうに笑った。

「貴方はとても頭のいい方だ。城銀内でも、さぞかし期待される存在なんでしょうね。鷹岡くんよりも見込みがあるかもしれない。彼の代わりに妹の婿になってもらいたいほどですよ」

「恐縮です」

「いや、今夜はじつに有意義でした。また何かの折にお会いしましょう」

 そう言い残して立ち去る将和に一耶が一瞥をくれた。副社長との対談中、彼は一言も言葉を発しなかった。

 それにしても、恒星を見かけて立ち寄ったというしらじらしい言い訳は何だ。彼を抜きにして自分に接触しようという魂胆が見え見えで、鼻白んだ建樹は水割りを一気に飲み干すと店を出た。

 灰色の雲が重く垂れ込めた空に赤、青、緑の華やかなネオンが映え、まだまだ眠りにつきそうにはない、夜の街のざわめきが笑い声を上げて通り過ぎる。

 皆、酔っ払っているのか、それとも週末の夜とあってハイテンションになっているのだろうか。人々は歩道だけでなく、車道にはみ出してまで我が物顔に、そして無秩序に歩くが、歩行者天国ではないのだ。

 仕方なく、彼らの間をすり抜けるようにタクシーやら軽トラック、黒塗りの車などが徐行して通り過ぎる。

 きらめくライト、クラクションの響き。都会の喧騒の中、肩を並べて歩く建樹と一耶は無言のままだった。

 鳶島建設と、そこの副社長についての話をする気分には到底なれない。ましてや、恒星の名前を口にするなんてできない。

 そのくせ、いつ一耶が彼の話を切り出してくるかと構えている自身に気づいて、建樹は戸惑いをおぼえた。

『オレの姉さんを裏切ったヤツですよ! そのせいで姉さんは死んだ。そういう非道な真似のできる男を、それでも好きだと言うんですか? なんでそこまであんなヤツを……オレじゃダメなんですか? どうして』

 大袈裟な身振りで、ドラマに出てくるようなセリフを吐く一耶を想像するものの、実際の彼は口をつぐんで真っ直ぐに歩き続ける。

 とうとう駅に辿り着いた。終電の時刻には間に合ったようである。

 改札を抜け、建樹は下り、一耶は上りのホームへ向かいながら、振り向きもせずに「おやすみなさい」と言い残して去った。

 とたんに建樹の中で何かが音を立てて崩れた。おやすみではない、さようならと言われた気がした。

 さようなら──一耶からの、最後のメッセージ。

 何も言わなかったのは引き止めるに値しないから。姉を死に追いやるような非情な男、そんなヤツに心を囚われてしまった愚か者に愛想を尽かしたのだ。

 自分と恒星を、憎むべき男とを秤にかけた建樹のことなど、どうでもよくなった。このまま別れようと考えたに違いない。

 春菜の件を知った以上、もう二度と恒星に会うつもりはなかった。いつかは別れなければならないと思っていた相手だ、それが早まっただけのことだ。未練など微塵もないと無理をして言いきかせた。

 だが、同時に一耶も失う羽目になってしまった。これで何もかも失くしたのだ。もう僕は誰も愛さない──

                                ……⑦に続く