第一章 ビビビッ! BVデー
ボクの通っている私立亜羅礼(あられ)学園高等学校には『BVデー』という、とんでもない慣習がある。
二月十四日の聖バレンタインデーといったら、最初に仕掛けたのはチョコレート会社だとか何とか言われているわりに、今では日本の風習にすっかり溶け込んでいる。もっとも近頃じゃ、女の子が好きな男に告白する日というよりは、友達同士でチョコや手作りのお菓子を交換する日に変遷しているけれど。
で、そんなバレンタインデー本来の意味をもつのが『ボーイズバレンタイン』、つまり男から男への愛の告白!
これは男子高校ならではっていうか、欲求の高まりがピークを迎える年頃に女っ気のない、男ばかりの高校生活を送っていると、ゲイ……そっちの方向に目覚めちゃうヤツがいっぱい出てくる。
目覚めた以上は報われたいってんで、大好きなあの人に正々堂々と告白してもいい日、告白された方はゲイに該当しなくても嫌がらずに、また、相手がどこの誰であっても、とりあえずは受け止めてやる日がボーイズバレンタインデー、すなわち、BVデーというわけだ。
BVデーは当初、二月十四日とホワイトデーである三月十四日の間をとって、例年二月二十八日に決められていた。
ところが、一年に一回じゃ少なすぎるから、毎月二十八日をBVの日にしようという動きが数年前から出てきた。なんだかスーパーの売り出し、お客様感謝デーみたいだ。
まあ、たしかに相手が三年生だったりすると、受験シーズンの二月じゃ具合が悪いし、毎月二十八日というのは定着しつつある。この慣習を利用したい人がいっぱいいるって証拠かな。
補足すると、二十八日当日が日曜の場合は翌日の月曜という、国民の祝日みたいな扱いになっている。生徒たちにはそれほどまでに大切な日ということだ。
それから、チョコの代わりにプレゼントするもの、これは相手の好みに合わせて何でもいいけれど、チョコのイメージが強いせいか、たいていの人はお菓子を贈るらしい。
ただし、男でもボクみたいに甘いものが大好きな人もいれば苦手な人もいるから、プレゼントはキャンディだったり、ポテトチップスだったりもする。あとはハンカチや文房具などの小物をつけたり、ラッピングを工夫したり、趣向を凝らして、何とか相手に気に入ってもらえるよう、涙ぐましい努力をするわけだ。
とにかく、入学してすぐにこの話を聞かされた時はそりゃあもう、たまげたよ。そんな慣習があるなんてとても信じられない、あなたの知らない世界だった。
ところがしばらくするうちに、知らない世界が当たり前の世界になってきた。しかも、自分がそこに仲間入りするとは思ってもみなかった。
それは二年に進級して間もない四月初旬、クラス毎に一名から二名選出する学校の各委員会のうち、美化委員に任命されたボクが放課後、集合場所の体育館へ行った時から始まった。体育館ではバスケット部の練習が行われていた。見渡すと、クラスメイトの何人かが柔軟体操をしている。
ちなみにボクはどこの部活にも所属していない。運動オンチだし、文化系の部活動にも興味が持てないから、卒業までこのまま帰宅部を続けるつもりだった。
さて、美化委員のメンバーはどこにいるのかとキョロキョロしていると、
「よう、ダルマ」
などと呼びかける声がした。
「ダルマ?」
声のした方を振り向くと、二年で初めて同じクラスになった、一条海斗(いちじょう かいと)がニヤニヤしながら立っていた。
百七十センチに五ミリ足らないボクからすれば羨ましい、百八十センチの長身でスタイルは抜群。浅黒い肌にキリリとした顔立ち、ワックスで立ち上げた流行りのヘアスタイルという完璧なルックスで、変身ベルトとかが似合っちゃいそう。
ワイルド&イケメンヒーロー系の彼はスポーツ万能でもあり、バスケ部次期キャプテンと持てはやされているが、真面目が信条のボクとしては、いかにもチャラ男っぽいこいつが苦手。趣味も合わなけりゃ話が合うはずもない、友達になりたくないタイプだ。
「何だよ、ダルマって」
すると一条は「あれ、ヤシロダルマって名前じゃなかったっけ?」とうそぶいた。
「失礼な。矢代拓磨(やしろ たくま)だよ」
「拓磨かー。達磨だと思ってた」
この確信犯め。ボクは苛立ちを抑えながら、平静を装うよう努めた。
セレブな若奥様かよというツッコミが聞こえてきそうなお菓子作りが趣味で、作るのも好きなら食べるのも好き。体型は甘いもの好きがたたってのポッチャリ系。
加えて、ダサい髪型にメガネをかけているボクはブサメンに所属するタイプで、とても一条のような色男に対抗できる存在ではないし、コロコロ体型ゆえのダルマ呼ばわりされても文句は言えない。
それにしてもダルマってのは初めてのパターンだ。これまでのあだ名はタクマをもじったブタマに始まって白ブタにメガネブタ、ブタマン、ポークとブタづくし。食肉よか縁起物の方がまだマシか。
「で、ここで何やってんだ」
「美化委員の仕事……って、え?」
ジャジャジャジャーン!
インパクト大の音楽が耳の奥に流れる。月並みだけどベートーベン作曲『運命』。
そう、その時、ボクは運命的ともいえる出会いをしたと思った。
彼はコートの上を風のように走り、軽やかに舞っていた。相手の持つボールに鋭い視線を送る姿は獲物を狙う美しき野獣だった。白いユニフォームからすらりとした手足が伸びて、すっきりと整った顔立ちも、輝いてたなびく長めの髪も、すべてが賞賛の的。
この世にはこんなにも美しくて、素敵な人がいるのかと、ボクは相手が男であることを忘れて心を奪われていた。
「あの人は……」
ボクの視線の先を追った一条は「ああ、竜崎さんか」と答えた。
「竜崎さん?」
「三年の竜崎怜(りゅうざき れい)先輩」
「えっ、三年生って」
変だな、それにしては初めて見る顔のような……
いくら学校内の事情に疎いボクでも、あれだけ目立つ人を知らないなんて、考えられない。
「転校生だよ。三学期の終わり頃に転校してきたってさ」
なるほどと納得。高三目前で転校するって珍しいよな。
それにしても……竜崎怜……なんて麗しい名前、あの美しい人にぴったりだ。
イイ男だろ、オレには負けるけど、などと一条が発する軽口はほとんど耳に入らず、ボクの目はひたすら竜崎さんの姿を追いかけていた。
まあ、そんな経緯があって、魅力的な上級生に一目惚れしてしまったボクはほぼ毎日のように、バスケ部の練習見学に通うようになった。
もちろん、彼のファンがボクだけであるはずがなく、竜崎さんはたちまち学園のプリンスとして祭り上げられた。その人気は絶大で、男だけのファンクラブが結成され、親衛隊などと呼ばれる人たちまで現れたが、そういうアイドル扱いを嫌がるどころか受け入れているあたり、彼もこの学校のゲイな校風にすっかり馴染んでいるらしい。いいんだか悪いんだか。
どちらにしろ、モテモテ上級生にブサメンが話しかけるなんて恐れ多いと思っていたボクはファンクラブに入会するでもなく、遠くから彼の姿を見ているだけで満足する日々が続いた。
さて、四月二十八日を第一回とする今年度のBVデー、その効果は上々で、この新しいクラスでも回を追う毎に男同士のカップルが増え始めてきた。
そんなある日、竜崎さんに関する耳寄りな情報を入手。七月二十八日が彼の誕生日だというのだ。その日は第四回BVデーだ、なんだか御利益がありそう。
憧れの人に贈り物をしたいというのはよくある心理で、それは芸能人やスポーツ選手、ゆるキャラ相手にまでも見られる現象だ。女子高では憧れの先輩に贈り物をするなんて日常茶飯事らしいし、竜崎さんの誕生日かつBVデーに何かプレゼントを、と考えるファンは多数いる。
そこでファンクラブ情報だ。ああ見えてスイーツ好きな竜崎さんに、飛びきり美味しいお菓子を持ってきた人には──ファンクラブ会員だけでなく、一般公募されている──何やら特典があるとのこと。
特典って何だろう?
サイン色紙をくれるのかな、それとも特製ストラップ?
とにかく、竜崎さんと話ができるかもしれない千載一遇のチャンスに、ボクはすっかり舞い上がっていた。
お菓子の出来なら誰にも負けない。一口でいい、彼がボクの作品を食べて「美味しい」と言ってくれればそれで満足だ。
あとで思えば、なんて楽天的だったのだろうと、自分の浅はかさに呆れるが、ともかく美味しいお菓子さえ用意すれば、憧れの人と楽しく会話できるはずという考えがボクに根拠のない自信を与えてしまっていた。
そして問題の七月二十八日。学校は二十日から夏休みに入っているので、ボクはBVデーだけのために登校した。
バスケ部は朝から練習らしい。体育館付近をうろうろしていると、ユニフォーム姿にエナメルバッグを提げた一条に出くわした。レギュラーに選ばれているらしい。
「あれ、ダルマじゃねえか。今日もまた見学に来たのか? 入部するわけでもないのに熱心だよな」
ヤバイ。
部活があるのだから、こいつも登校してきて当然だった。手にした紙袋を慌てて後ろに隠すものの、相手は目ざとかった。
「今、何か隠しただろ」
「か、隠してなんか……」
「見せてみろよ」
なんて強引なヤツだ。
ボクの背後に回り込んだ一条は「その袋は何だ?」と訊いてきた。
「な、何でもないって」
「何でもないわけねーだろ」
ブルーのリボンでキレイにラッピングした紙袋には手作りマドレーヌが数個入っている。ボクの手から紙袋を奪った一条は目を輝かせ、一個くれと言い出した。
「しょうがないな。一個だけだよ」
「へへ。オレ、こーゆー菓子大好きなんだ。いっただきまーす」
一条もスイーツ好きとは知らなかった。人は見かけによらないを地でいく男だ。
それにしても、こんなにも無邪気な笑顔を見せられると、ボクが思うよりも話せるヤツなのではと、好意的に捉えてしまう。
子供のように嬉々としてマドレーヌを頬張った彼は「ウマいっ」と、グルメレポーターのような感嘆の声を上げた。
「これ、おまえが作ったの? すっげー美味じゃん。最高!」
オーバーアクションつきで賛辞の言葉をありがとう。
ここまで褒められて悪い気はしない。ボクをダルマ呼ばわりしていた一条の株は何だかんだで、五円ぐらいアップした。
「あのさ、菓子職人になったらどうだ? カリスマパテシェとかって呼ばれるんじゃねーか。なあ?」
「パテシェか。そういうのもいいね」
「だろ? ホント、大した特技だぜ。おまえって成績もいいし、マジで尊敬するよ」
たしかにボクはテスト順位に関しては学年トップクラス。ブタマンにもひとつぐらい取り柄はあるものだ。
数学であんなにいい点数が取れるなんて、オレには考えられないなどと、ボクを称賛しまくっていた一条だが、ふいに「あ、これ、食っちまったけど、誰かにあげる菓子だった?」と訊いた。
この学校の生徒で、今日が本年度第四回BVデーだと知らない者はいない。一条もボクがお菓子を持っていた理由にようやく気づいたらしい。
「もしかして竜崎先輩?」
一条は恐る恐るといった口調で尋ね、ギクリとしたボクの様子を見ると、やっぱりと言いたげな表情をした。練習見学の目的もうすうすわかっていたようだ。
「竜崎先輩は……ま、いいか。ダメでもともと、当たって砕けろって言うしな」
ボソボソ呟いたあと、彼はさらに続けた。
「先輩に渡すつもりなら、予約券がいるぜ」
「えっ、予約制なの?」
特価品の売り出しか、それとも限定商品の販売か。ずいぶんと高飛車な対応だ。
驚くと同時に不満を感じていると、菓子の礼だからと言って、一条が予約を取りに行ってくれた。株価はさらに十円アップだ。
それからすぐに戻ってきた彼は手にした小さな紙切れをボクに渡した。
「ほら、こいつが予約券。キャンセルが出たってんで、これでも早い時間のが取れたんだぜ。そこに書いてある時間に、順番に来て欲しいってさ」
番号と場所、時刻の指定が黒マジックを使って手書きで書いてあって、まるで病院の診察予約みたいだ。
この用紙自体は学校で配られるプリントでいらなくなったものを切ったらしく、裏に『教科書販売の御案内』という文字が印刷されている。無駄な経費はかけず、コスト削減を心がけているらしい。
ボクは一条にお礼を言って、紙面に目を通した。
「十三? 十三番目ってことかな」
不吉な数字だ……
体育館の裏に十時三十五分とはまた、えらく細かく刻んであるなと感心したけど、通し番号が十三番なら、ボクの前に十二人ものファンがいるわけだ。
いや、キャンセルで十三番になったのだから、ボクのあとにも予約者は続いているはず。いったい、トータルで何人ぐらいやって来るんだろうか。
それだけの数のファンからお菓子を貰ったら、ボクが用意した分を食べてくれるのかどうかも怪しい。そのままゴミ箱に直行かもしれない。
そうとわかった時点で考え直せばいいものを、それでもボクは指定の時刻に体育館の裏へ向かった。
そこには練習を抜けてきた竜崎さんが手持無沙汰で待っていた。プレゼントを渡した後は即撤退しなければならないらしく、他の人の姿は見えない。
ゆっくりと手前まで進み、紙袋を手渡そうとするものの、憧れの人を前にしてガチガチに緊張しまくっているボクに、竜崎さんは一言、こう告げた。
「そいつはブタのエサか? 言っとくが、オレにはブタとつき合う趣味はないぜ」
「えっ……」
──一瞬、耳を疑う。
目の前の人はニヤリと意地の悪い笑みを浮かべた。
「ほら、とっとと消えろ。二度とオレの前に現れるなよ」
天国から地獄へと真っ逆さまに突き落とされたボクは踵を返すと、そのまま一気に走った。涙で曇る両目をこすりながら、やみくもに突き進む。
体育館の入り口付近にたむろする人々を目の端に認めると、そのうちの一人は一条だとわかった。赤や黄色、緑といった鮮やかな色を両手いっぱいに抱えて、照れ笑いをしている。
プレゼントだ、あれはプレゼントの包み。本日のBVデーにおいての戦利品、最低でも三個ゲットしたってわけだ。
そうか、彼を取り囲んでいたのは隣のクラスのヤツらだ、見覚えがある。揃って一条のファンということか。
ふん、男にばかりモテたってしょうがないだろうとケナしたいところだが、いつぞやはよその高校の女子数人が一条を訪ねて体育館にやって来たのを目撃したので、女にも人気があると認めざるを得ない。あのルックスだもの、当然か。
一条が全速力で走るボクに気づいた。
ああ、そんな、驚いたような目でこちらを見ないでくれ。同情はゴメンだ。
ボクはひたすら走り続け、学校から家までの帰宅所要時間・最短記録を更新したが、ベッドに倒れ込んで夜まで身動きしなかったせいで制服を皺だらけにしてしまい、母さんの小言をくらった。
最低最悪の一日だった。
……②に続く