第十一章 真のバンカラ
宴がお開きになり、送って行くと申し出た聖爾はタクシーを呼んだが、俺はその車中の後部座席で彼の手を握ると「帰りたくない」と告げた。
わかったとうなずき、聖爾は行き先を横浜へと変更、そのあと内ポケットから取り出したものを見せた。
「これ、おぼえている?」
小さな布切れは少し色褪せているけれど、そこに描かれたイラストははっきり見える。
「それって、シーレンジャーの……えっ、もしかして俺のハンカチ?」
「あのとき、君は泣きながら僕の腕にこれを結んでくれた、小さくてかわいい手でね。大事なハンカチだったんでしょう、それを僕の怪我の手当てに使ってくれるなんて、この世にはこんなにも優しい子がいるんだと感激したよ。返しそびれちゃったハンカチはそれからずっと僕の宝物になった」
この先も持っていてもいいかと訊くので、俺は首を縦に振った。失くしたと思っていたちっぽけなハンカチを大切に持ち続けていた聖爾、彼は俺のことを可愛い女の子という表面だけで好きになったのではなかった、それが無性に嬉しかった。
「この子を絶対にお嫁さんにすると、僕は心に誓ったんだ。その気持ちは今でも変わらない、ってわかっているよね、返事はもらえるのかな?」
そうだ、本当の俺は聖爾とこうなる日を待ち望んでいた。なのに、自分の心にずっと嘘をついていたんだ。
誠さんのことは本気じゃなかった、とは言わない。そりゃあ俺が惚れた誠さんと、彼の真の姿は違っていて、そのギャップがショックだったし、彼がオネエで聖爾が好きだと知ったとたんに熱が冷めたのは認めるけど、それだけじゃないんだ。自分が本当に好きなのは誰かという真実に気づいたからだ。
俺は男らしさというものを履き違えていた。それは姿形や、ましてや服装ではない。いかにも男っぽい態度や言動でもない。
本当の男らしさとは相手の立場になって、優しさをもって誠心誠意を尽くすこと。人を陥れるような、卑怯な真似をせず、悪に対してはきっちりと立ち向かう勇気を持つこと。信念を持って正々堂々、胸を張って生きることだ。それが本物のバンカラだ。
いや、男らしさなどという、ケチなものをどうこう論ずるのではなく、男女を問わず、人としていかに真摯に生きるか、ということが大切なんだ。
俺が誠さんを好きだと知っても、聖爾は姑息な妨害など行わず、俺たちのためにコンテストの場面で手を尽くしてくれた。彼の手助けがなかったら、応援団チームの入賞は有り得なかったと断言出来る。
聖爾の優しさに、俺への想いに応えたい。そして、ずっと一緒にいたい……
山下公園近くの大通りに面したベイサイドホテルまで辿り着くと、フロントに向かった聖爾はキーを片手に戻ってきた。
「函館もいいけど、ここから見る横浜の夜景もキレイだよ。そういうの好きでしょ?」
どうしてそれを知っているんだ?
「七〇六号室だって、エレベーターで行こう」
二人きりの個室に乗ると、聖爾は俺の肩を抱いてきた。その胸の辺りに耳が触れ、彼の、そして俺自身の心臓の高鳴りが聞こえて、嬉しさと恥ずかしい気持ちが入り交じり、ひたすら床を見つめる。
部屋の扉の向こう側、横浜港を見下ろす窓一面に港の夜景が広がって、その美しさに俺は溜め息を漏らした。
「ほんと、キレイだな……」
肩を抱く手に力を込めて「君の瞳はもっとキレイだよ」と囁く聖爾、やっぱり気障で軟派なヤツだけど、これが俺の最愛の人なんだ。
「せっかくの夜景だし、このまま灯りは点けないでおくよ」
彼は俺の身体を横抱きにすると、ダブルベッドの上へとなだれ込んだ。
「美佐緒さん……美佐緒、って呼んでいいよね?」
俺の返事を待たずに、聖爾は唇を塞ぎ、強く舌を絡めてきた。これまでで一番激しいディープキスのあと、彼は俺の服に手をかけ、厳かな儀式のようにそれらを一枚ずつ剥いだ。
「キレイだ、美佐緒。今夜の君は最高にキレイだよ。今から君のすべてが僕のものになるんだ、生きている喜びを感じるよ」
歯の浮くようなセリフを口にしながら聖爾も服を脱ぎ、熱く火照った肌を合わせた。一糸まとわぬ姿にされたこの身体、全裸の肌にキスの雨が降り注ぐ。首筋を強く吸われて、気が遠くなってきた。
それから、すっかり敏感になってしまった左の突起が唇と舌に攻められ続けて、俺は耳を塞ぎたくなるほど恥ずかしい声で喘いだ。
「あっ、あんっ、ダメッ!」
「ダメ、だなんて、すごくイイくせに」
右の突起をいじる手の動きをさらに早めつつ、彼はいやらしい言葉を次々に発し、俺を挑発した。
「もっと感じさせてあげるよ、ほら。ここ、とってもイイだろ?」
「イッ、イヤ……」
イヤじゃない、全然イヤじゃないんだ。気持ちとは裏腹、それも聖爾にはすべてお見通しで、耳朶を噛んだり息を吹きかけたりしながら、その手はひっきりなしに突起と、それから下の部分に触れた。
またしてもイカされてしまうのか。前に客間のソファでされた行為を思い出したが、今宵の彼はもっと過激で、それが手だけではなく口に含まれたのを知った俺は「えっ、そ、そんなこと……」と言いかけ、ためらった。が、押し寄せる快楽の波に負けて、ためらうよりももっと大きな声を上げていた。
「あっ、あっ、すごくいい……んっ」
ざらりとした舌が敏感な先端を刺激、割れ目の部分にまで入り込んで、チロチロと攻め立てる。閉じた瞼の裏で花火がはじけ、眩い銀白色の世界が広がって……
「はんっ、あっ、イッちゃう!」
このままでは口の中に、と思う暇も与えずに俺の分身は白い液を噴き出してしまったが、彼は臆する様子もなく、それを飲み込んだ。
「まさか……そこまでしなくても」
「いいんだ、君のだから飲んでみたかった」
「美味しいの?」
俺の質問に目を丸くした聖爾は苦笑いしながら「あまり美味じゃないね」と答えた。
「僕が美味しいと答えたら、飲んでみようと思ったのかい?」
「そ、それは……」
口ごもり、うろたえる俺を抱きしめた彼の甘ったるい言葉が耳元に響く。
「可愛いなあ、美佐緒は。可愛すぎて、僕はもうメロメロだよ」
耳にかかる吐息が次第に荒く、激しくなると同時に、抱きしめていた手は俺の後ろへとまわり、蕾に触れてきた。
「ここが欲しいんだ、いいよね」
どんな感じになるのだろう、少し怖いけれど、触れる指から与えられる快感が次第に不安を取り除いてくれた。
優しく、緊張をほぐすように動く長い指はやがて、するりと秘孔の奥へ吸い込まれた。
「ああっ!」
悲鳴なのかそれとも歓びなのか、出した本人さえわからない声がこだまして、俺は身をよじった。
「ひっ、い、いい、そこは……」
「この辺がいいんだね。もうちょっと良くしてあげようか」
聖爾の人差し指が俺の中を自在に動く。こすられ、かき回されて、俺はイヤイヤと首を横に振った。こんなにも恥ずかしいコトをされている、そう思うと、ますます興奮が高まってきて、自分で自分が抑えられなくなった。
「ダメ、感じる、感じすぎちゃうから……あん、は、うぅん」
「素直じゃないなあ。ダメ、じゃなくて、本当はもっと、でしょ。おねだりしてごらん」
「も……もっと、もっと、もっとぉ」
「よく出来ました」
はしたない仕草も恥ずかしい声も、もうこの際かまいはしない。歯止めが利かなくなった俺は貪欲に聖爾の愛撫を求め、彼の指で散々いじられたその部分に、そそり立つものが押し当てられた。
「いいかい、入れるよ」
想像していたほど痛みはない。ゆっくりと俺の中に沈んでいく、その熱い感触を何とか受け止めたものの、あまりの圧迫感に、声にならない声が喉を突いて出る。
「……んっ、ああ」
「美佐緒の中、とっても気持ちがいい。このままどうにかなってしまいそうだ」
穏やかに落ち着いていた、時に意地悪さえ口にした聖爾もさすがに声が上擦っている。
「僕たちはやっと……ひとつになれたんだね、嬉しいよ、美佐緒、美佐緒……」
彼は腰を動かしながら、うわ言のように俺の名前を呼び、再び元気を取り戻した俺の分身を握りしめた。
「せ、い……」
もっと強い快楽を、激しい快感を求めて、俺は髪を振り乱しながら聖爾にしがみつき、彼の動きに合わせて身体を揺らした。
「あっ、ああっ、イッ、イイ、もっとして! メチャメチャにしてっ!」
俺の要求に応えようとする聖爾、彼の力強いものに貫かれる度に、俺は歓喜の声を上げ、ベッドの上をのた打ち回った。
「あんっ、もうイク、イッちゃうぅ」
「美佐緒、美佐緒、一緒に……」
──聖爾は俺の髪を撫で、頬ずりしながら「ありがとう」と何度も言った。
◇ ◇ ◇
本当に何度も、だった。俺は一睡も出来ないまま、明け方まで聖爾につき合わされた。
精力絶倫って、こういうヤツのことを言うんだよな。何度でも復活してくる彼の相手をさせられて、もうフラフラ、目の前が黄色くなってきた。ようやく一休み出来たのは午前四時で、空が白み始めている。
互いにシーツ一枚をまとっただけの格好で、ぐったりと横たわる俺の隣で、興奮冷めやらぬ彼はまだ何かを話していた。
「……やっと君が僕の元へ戻ってきた。随分と回り道をしたね、待ちくたびれたよ」
そんなふうに言い切られると、承知はしていても反発したくなる。誠さんがオネエではなく、好きになった相手も俺だったら、俺も誠さんを選んでいた、今のこの結果はなかったかもしれないのに、だ。
「いや、それはないってわかっていたから」
えらく自信ありげだが、そうと断言する根拠は何だ?
「僕にはその人がどういう性癖の持ち主か、だいたい見分けることが出来る。これはイギリス留学の賜物だね」
要は誠さんがホモでオネエ、おまけに黄山との間には何かあると最初から見抜いていたらしいのだが、イギリスの大学はそんなことまで教えてくれるのかよって。
ちなみに俺はまだ誠さんの本心を──彼が聖爾を好きだったと──伝えてはいない。いつかは話すかもしれないけど、もうちょっと伏せておこうかな。
「まあ、少しは紆余曲折がないと、ラブゲームも盛り上がらないからね」
「よく言うぜ、まったく。そういう自分はどうなんだよ。バイだったんじゃないの」
「だから最初に言ったでしょ、桃園さんみたいな人は苦手だって」
「そのわりには仲が良かったみたいだけど」
俺の表情を盗み見た彼はいつものようにニヤリと笑った。
「妬いていたんだね」
「バ、バカ、違うって!」
「照れなくてもいいよ」
「照れてなんかいないっ!」
ムキになる俺をからかう聖爾は余裕の微笑み、あー、なんだか憎たらしい。
「みんなが期待する部室獲得のために、彼女とはコンテストが終わるまで仲良くしておくしかないと割り切っていただけだよ。だから選曲も、あの踊りも彼女の提案に従った。衣裳にはちょっと口を挟んだけどね」
難しい曲を選んだ以上、入賞出来ないかもしれないとわかっていても、あれ以上余計な口出しをして彼女の機嫌を損ね、コンテストに出る前に仲間割れする羽目になってはいけないと、彼なりに考えたようだ。
「でもさ、舞台で犯人呼ばわりなんて、ちょっとやりすぎじゃなかったのか?」
「君は楽器を傷つけないでと言ったよね、僕も同じ気持ちだった。邦楽器を愛する者として、あるまじき行為じゃないか。だから少し懲らしめてやろうと思ったんだ。本当は月からの使者役さえ出来れば良かった」
かぐや姫の寸劇はホイル焼き宇宙人の乱入と、名探偵推理劇場の場面の飛び入り以外、すべて彼の台本通りだった。そのために自分たちの衣裳をあらかじめ宇宙服風にするという、この男の用意周到さに俺は驚嘆し、舌を巻いた。
「使者の格好だけ平安調じゃないけど、君たちの演目に合わせたとバレるのはまずいし、宇宙服もそれはそれで面白かったでしょ」
桃園恭子の宇宙人スタイルに地球防衛軍を合わせたのではなく、自分の格好が浮かないようにするため、彼女の衣裳を合わせたのだ。キュートでセクシーだからとそそのかされて、青柳のツテでわざわざ服を借り、あの格好をして有頂天になっていたホイル焼き女にはやっぱり同情するよ。
「ねえ、月からの使者のセリフ、おぼえているかい?」
「えっ、何だっけ」
「なんだ、おぼえてないの。冷たいなあ」
そこで聖爾はあの時のセリフを再び口にしたあと、「君と土方くんは結ばれない、君を連れて行くことが出来るのは僕だけなんだよ」と言ってのけた。セリフにはそういう意味合いがあったと教えたかったらしい。
誠さんの正体を見抜き、舞台の上で既に勝利宣言していた、彼の大胆不敵かつ自信満々な態度に底知れぬものを感じていくらかビビッた俺、これって、見合いの日と同じ状況じゃねえか。本当の男らしさは云々、なんて、こいつのことをちょっと買い被っていたかも。不安が次第に増幅してきた。
「……やっぱりつき合うの、やめようかな」
それに、毎晩エンドレスエッチじゃ、こちらの身がもたないし。
俺のつぶやきが聞こえたのか、それともわからなかったのか、いや、まったく取り合うつもりはないのだろう。「あ、そうだ」と言って身体を起こした聖爾は自分の荷物の中からパンフレットを幾つか取り出してみせた。
「結婚式場はどこにする? これ、式場案内所で貰ってきたんだ。本来なら思い出の玉華殿を選ぶのが筋だけど、君の希望を聞いておこうと思って。いっそ海外挙式にしようか」
「け、結婚式?」
「だから僕たちの、だよ」
ベッドから転がり落ちそうになった俺はそれでも何とか這い上がると、目を三角にしてヤツに向かって吠えた。
「なっ、何でいきなりそういう展開になるんだよっ!」
「晴れて僕たちは結ばれた、結婚するしかないでしょう」
「だって俺、まだ大学一年……」
「いいじゃない、学生結婚だって。ちなみに僕も学生だよ」
俺の頭の中を結婚の二文字がぐるぐる回る。どうしていつもこう極端なんだっ!
「近いうちに両親と一緒にお伺いするから、御家族に話しておいてね」
結納だよ、と聖爾は嬉しげに言った。
「関東では白木台に長熨斗・目録・金包・勝男節・寿留女・子生婦・友白髪・末広・家内喜多留の九品を乗せるのが正式なんだ。ちゃんと用意したからね」
一つめの長熨斗は、二つめは、と指を折りながら結納の品々についてそれぞれのうんちくを得意気に述べる彼と、それを見守るばかりの俺、反論する気力はとっくに失せた。
「結納、それから結婚式でしょ。君なら白無垢を選ぶのかな、でもまあ、ウェディングドレスはお色直しで着ればいいよね。ピンクのカクテルドレスもいいな、よく似合うと思うよ。僕の方は君に合わせるから」
やっぱり女装しなくちゃいけませんか? もう慣れっこだし、今さらイヤだとは言わないけどさ。
「披露宴では約束どおり、末の契りを合奏してもらうからね。楽器の持込みが出来る場所じゃないと困るな、確認が必要だな」
あのー、披露宴で合奏するなんて、一言も言ってないんですけど。
「結婚指輪は買わなきゃだし、新居の用意もしなくちゃならないし、忙しいなあ。リングのサイズ、あとで教えてね」
一人で盛り上がる聖爾は「そうそう、新婚旅行は海外ならカナダ、国内だったら北海道だよね。美佐緒好みのコースはそのあたりだと思ったんだけど、どう?」と訊き、何もかもお見通しの彼に、とうとう笑いがこみ上げてきた。
どうあがいても、こいつには到底かないそうもない。惚れた弱みだ、とことんつき合ってやろうじゃないか。
さて、次の大安吉日はいつだろう?
終わり