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オリジナルBL小説をお披露目しちゃいます

紅蓮の炎 ⑧

    第八章  焼き尽くす炎

 集まった人々は次の総会の取り決めをしたあと、それぞれ帰路に着いた。
 取りつく島もないままに右京は和久と共に残月庵へと向かい、真紀は優華につき添われて自室へ入り、残った者も片づけを終えてそれぞれの仕事に戻った。
 ただ独り、大広間にぽつんと取り残された大志は身動きひとつしなかった。
 平凡な一高校生のはずがいきなり茶道流派の内弟子になり、次は家元候補に、そして今は悪者扱いを受けた挙げ句に、追い出される──自ら出て行くつもりではいたけれど──羽目になった。
 母の秘密、本当の父、自分を愛した弟、自分が愛して裏切られた人……
 あまりのめまぐるしさ、やり切れない不条理さ、我が身に降りかかった悲劇に、大志の神経はすっかり参ってしまい、到底立ち直れそうになかった。
「右京……」
 二人で過ごした、短くも幸せな時間──すべては儚い思い出となって消えてしまうのか。胸がキリキリと痛む。
 こんなヤツが当家の嫡男かと呆れたのもつかの間、彼の寂しさ、優しさに触れて、気がつけば好きになっていた。
 本当は最初から惹かれ合っていた、お互いを必要としていた。心の底から愛した人、あれが右京の真の姿だと今でも信じていたい。けれど、自分に出て行けと言い放ったのも右京なのだ。
 右京はなぜ、あんなふうに豹変してしまったのだろう。目の前にぶら下げられた七代目家元という名誉──富、名声が彼を狂わせたというのか。
 否、違う。何かある。右京の行動は考えがあってのことだと思いたい。
 立ち上がった大志は残月庵への道程を選んだ。彼はもう二度と会ってはくれないかもしれない。それでもいいからそこまで行ってみよう。
 残月庵を取り囲む雑木まで進むと、木々の向こうから話し声が聞こえてきた。
「……その扇子を渡そうとするなんて、マジでこの男を七代目にするつもりですか?」
「ふん、何かと思えば。おまえもよくよくしぶといな。諦めが悪いにも程があるぜ」
 声の主は亮太と右京のようだ。儀式の席に亮太が乱入していたのだ。
 興奮した口ぶりの亮太の問いに、和久は静かに答えた。
「もちろん四代目の遺志を尊重したというのもあるが、審査員の方々にも意見を聞いて、それなりの評価を受けているし、これなら任せてもいいとわかった」
「あんなジイさんたちの評価なんて、アテにならないと思うけど。連中は四代目を妄信しているだけですよ」
「いや、何よりも私自身が右京に継いでもらいたいと思ったからなのだよ」
「それは本心からの言葉ですか? 本当は門倉の孫に継がせたいと思ったんでしょう。それをこいつが……」
 しつこく食い下がる亮太、和久に代わって右京が応酬した。
「ごちゃごちゃうるせえな、いい加減にしろ。ジイさんたちに担がれようが何だろが、とにかく七代目は俺なんだよ。四代目のお墨付きもあるし、おまえなんかの入り込む余地はないって言ってるんだ」
 まさか人々が右京をそこまで評価していたなんて。支持されているのは洸の方ではなかったのかと意外に感じたが、
「そう、誰も勝てないだろう、この私でさえもだ。それが本物の持つ力、静蒼院家の本流の力なのだ、おそらくな」
 そんな和久のセリフを耳にして、大志には父の気持ちが何となく理解できた。
 静蒼院家で生きてきた和久は流派の行く末を考え、次の時代を担うのに相応しいのは実子の洸よりも才能のある右京だと感じていたのではないだろうか。
 亮太の不満、反論はなおも続く。この先いったいどうなるのだろうと、大志はこっそりと残月庵に近づき、障子の開いた連子窓から中の様子を窺った。
 正客の位置に和久が、亭主の位置に右京がいる。亮太は和久の隣だ。
「それって、残りの候補のオレらは端から論外に聞こえますけど」
 恨みがましく責め立てる亮太を和久は憐れむような目で見つめた。
「残念だが、婿の件は土台無理だ。君の実力では右京はおろか、洸の足元にも及ばない。家元の座が継承者資格四位にまでまわるというのはまず、有り得ないだろう」
 それ見たことかと右京は高笑いをした。
「当然だな。おまえがいくら揺さぶりをかけても俺に勝てる可能性はゼロ、さっさと手を引いたらどうだ」
「何だと?」
「ろくに茶もたてられないくせに、女とよろしくやってる暇があるなら、身を入れて稽古しておけ」
「てめえが言えた義理か」
「少なくとも俺は卑怯な真似はしない。こいつに見覚えがあるだろう?」
 そう言って右京が取り出して見せたものは昨日の朝、彼が引きちぎった『出テ行ケ』と書かれた紙の切れ端だった。
(それじゃあ血文字の犯人は!)
「さあ、知らねえな」
 右京はうそぶく亮太に詰め寄った。
「おまえは大志の待遇に嫉妬した。六代目の子であるとわかると、継承者候補として遺言状に名前が書かれている可能性を考えて『殺ス』とまで脅した」
 魑魅魍魎──大志を脅迫していた犯人は亮太だった。善人面をしていながら、やることは悪質で陰湿、えげつない。悔しさのあまり大志はギリギリと歯軋りをした。
「脅した? 勝手な話作りやがって、どこに証拠があるんだよ!」
 気色ばむ亮太に右京はとどめをさした。
「おまえの行為は脅迫、犯罪として立派に成り立つぜ。この紙の指紋を調べりゃ、すぐにわかることだ」
「バカな! やれるもんならやってみろってんだ!」
「ライバルを陥れるためなら、どんな汚い手も使う。おまえのようなヤツを家元に選ぶほど、六代目もご老体軍団も落ちぶれちゃいないってことがよくわかっただろ」
 優華と共に、七代目夫妻への夢を描いていた亮太の望みはこの時、完全に砕け散ったのだ。和久に足元にも及ばないと酷評され、右京にも散々侮蔑された彼はいきなり物凄い形相で怒鳴った。
「ちっくしょう、そんな汚らわしいゲイ野郎に誰が及ばないだと? ふざけるな、このクソジシイ!」
 豹変した亮太を目の当たりにして、あれが彼の本性であり、これまでの数々の出来事を裏づけているのだと思うと、大志は改めてゾッとした。
 右京はといえば、相変わらず余裕の態度で「ほらほら、お里が出たぜ」と亮太をおちょくった。
「うるせえっ! 家元の家に生まれたってだけでいい気になりやがって。てめえのことは昔から気に入らなかったんだよ! クソッ、こうなったら目に物見せてくれる!」
 言うが早いか、亮太は右京に飛びかかると拳を浴びせた。
 すかさず応戦する右京、狭い四畳半の和室がリングに早変わりして、殴り合う二人の若者を何とか制止しようと、和久は慌てて止めに入った。
「よせ、二人ともやめなさい!」
「ジジイは引っ込んでろっ!」
 はらはらして見守っていた大志だが、次の瞬間、彼の目の前でとんでもないことが起きてしまった。
「うぅっ!」
 悲鳴を上げたのは和久、亮太の取り出したバタフライナイフがその胸に深々と突き刺さり、鮮血がほとばしっている。
 さらにそれを突き立てて、和久の身体が崩れ落ちる前に抜いた亮太は「オレを選ばなかった罰だ、ざまあみろ」と言い捨て、背中に唾を吐きかけた。
(家元が、父さんが……まさか)
 あまりの恐ろしさに足がすくみ、大志はガタガタと震えた。
 突然起こった凶行に、さすがの右京も真っ青になって呆然としている。亮太は血走った目をしてそちらを向いた。
「てめえも道連れだっ!」
 和久を襲ったナイフの刃先が向けられ、たじろぐ右京、その時、大志は自分でも思いがけない行動に出た。茶道口から四畳半に飛び込むと、今にも右京に襲いかかろうとする亮太に体当たりを食らわせたのだ。
 この予想もしなかった攻撃に亮太はつんのめると、そのまま床の間に激突、そこに飾られていた香炉は無残にも砕け散った。
 自分を助けに入ったのが大志だとわかると、右京は大声で怒鳴った。
「何をやってる! さっさと出て行けと言ったはずだ!」
「だ、だって」
 起き上がり、体制を立て直す亮太から目を離さないよう用心しつつ、右京は自分の後ろに大志をかくまうようにした。
「何があっても、おまえだけは巻き込むまいと思っていたのに……」
 喘ぐように呟く右京にはこの展開がまったく予期しないものでもなかったらしい。
「やってくれたな、このクソガキ。てめえら揃って地獄に送ってやるから有難く思えよ。あの世で二人仲良くホモごっこの続きをやるがいいさ」
 血飛沫を浴びた亮太の顔は凶悪に歪み、地獄からの使者、甦った悪霊などと形容できるほど恐ろしかった。
「俺から離れるな」
 どんな事態になっても大志だけは守る。その背中から右京の強い決意を感じて、熱いものがこみ上げてきた。
「右京と一緒なら、死んでもいい」
「アホぬかせ、死んでたまるか」
 こんな絶体絶命のピンチにあっても、右京は頼もしい。
 と、次の瞬間、後頭部に激しい衝撃を感じて、前方に倒れた大志の身体は右京の背中にドンッとぶつかり、そのまま畳の上に倒れ込んだ。
「大志? おい、どうしたっ!」
「あらら残念、おねんねだよ」
 にじり口から入り込んだ洸がそこにいた。手に細長い鉄の棒を持っており、角が赤く染まっている。
「クソッ、よくも大志を!」
 今までの彼とはまるで違う、冷酷な笑みを浮かべながら洸は右京を嘲笑った。
「残念だったね、兄さん。いや、静蒼院右京。あんたの夢はここで終わりだよ。七代目のあえない最期だ」
 狂気に満ちたその表情を見上げて大志は慄いた。大志と右京の関係を知った上に、自分たちが兄弟であると聞いた時から、洸の精神に亀裂が生じてしまったのだ。
「洸、おまえまで狂ったか……」
 思いがけない伏兵の登場に、右京は歯軋りしていた。腕におぼえはあるが、一対二はさすがに不利である。
 洸は亮太の方を向くと「おい、早く始末しちゃえよ。僕を裏切ったこいつらに制裁を加えてやるんだ。早く、その光ってるやつでブスリとやっちまえ」と命令した。
 頭皮に生温かいものがぬらぬらと流れていくのを感じる。朦朧とする意識の中で、それでも大志は右京を助けねばともがいた。
「言われなくてもヤッてやらあ。こんなムカつくヤツら、皆殺しだ!」
 亮太は再びナイフを振りかざし、右京に切りかかった。
 切っ先を避けたつもりが右腕に当たったらしく血が噴き出し、痛みに耐える右京の表情が見えた。
(右京が、右京が……殺される!)
「何やってんだよ。そんなへろへろの攻撃じゃ、父さんみたいなダメオヤジは殺せても、このしぶとい、蛇みたいな男はそう簡単に死なないよ」
「うるせえ、てめえは黙ってろ! こいつはそっちのジジイみたいに、一気にあの世に送るなんて生易しい真似はしねえ。何たって長年の恨みがあるからな。もっともっと、痛めつけてから殺すんだ。おい、笑うな! てめえからブッ殺すぞっ!」
 ゲラゲラと笑い出した洸に、イラつく亮太が罵声を浴びせる。
 彼らは右京をじっくりと弄り殺してから、大志の息の根を止めるつもりだろう。人の死を弄ぶ悪魔のような二人のおぞましい姿に大志は絶望的になった。
(今度こそ終わり……)
 不覚にも涙が出て、右京の姿が滲んで見える。だが、彼はまだ希望を失ってはおらず、厳しい目で辺りを睥睨していた。
(そうだ、右京は諦めていない)
 くじけそうになる自分に喝を入れ、大志は目を見開き、耳を澄ませた。
(チャンスはきっとくる!)
 亮太が再びナイフをちらつかせた時、
「ちょっとー、亮太そこにいる?」
 外からの優華の呼びかけに気を取られた亮太の一瞬の隙を狙って、右京の蹴り、渾身の一撃が炸裂した。
「……クソッ!」
 凶器のナイフが宙を舞う。続けざまに受けたキックに鳩尾を押さえた亮太をさらに滅多打ちにする右京、一方の大志は右京が動いたのと同時に、洸の両足をつかみ、思い切り引っ張った。
 亮太たちの争いに注意を向けていた洸は足元からの思わぬ攻撃を防ぐ暇もなく、のけぞって後ろへと倒れた。
「今だ、外へ!」
 右京の呼びかけに、大志も急いで残月庵を飛び出した。
「何、このポリタンク。こんなところに置きっ放しにしないでよ、もう。足ぶつけちゃったじゃないの。ねえー亮太、いるなら返事をしてよ」
 何も知らない優華が不満そうに喚く中、大志と右京は一目散に彩月荘へと走ったが、どちらも手傷を負っているため、この全力疾走はかなり堪えるものだった。
「ジジイのところまでだ、もっと早く走れ、頑張れっ!」
 ところが亮太たちが追ってくる気配はなく、風に乗って不快な臭いが漂ってきたのに気づいた大志はあと一歩で到着というところで足を止めた。
「どうした?」
「変な臭いがする……」
 これはそうだ、ガソリン? 
 ガソリンが漏れているのか、なぜ? 
 いったいどこから? 
 焦げつくような臭いも漂ってきて、不安に駆られた二人は互いに顔を見合わせた。
「あの女、ポリタンクがどうこうって言ってたな。まさか?」
 次の瞬間、何かが弾ける音と共に、優華の金切り声が聞こえてきた。
「右京、見て! 残月庵が燃えている!」
「えっ?」
 異変に気づいた菊蔵と八重、二人の内弟子たちも飛び出してきた。
「あれぇっ、右京様、大志様!」
「ちっ、血が! その傷はいかがなされたのですか?」
「いいから八重さん、救急車と消防車、それから警察に連絡を! 急いで!」
 右京の声に、八重があたふたと電話のある方へ駆け出し、男性陣は現場へ向かうことにした。
 凶器を持った男がうろうろしているかもしれないが、味方も増えたし大丈夫だろう。
 五人で今来た残月庵になだれを打って駆けつけたが、辺りには誰の姿もなく、手前の部分で炎が渦を巻き、パチパチと音をたてている。
 木造の古い建物はガソリンをかけられたせいもあって簡単に燃え上がったようで、この恐ろしい光景に人々は震え上がり、呆然としてしまった。
「茶席が……火事だと」
「どうしてこんなことに」
 菊蔵が不安げに尋ねた。
「家元は? 洸様はどうしたのでしょう?」
 火を放ったのが亮太だとすれば、あとの二人は、少なくとも重傷を負っている和久は中に取り残されている可能性が高い。
 消防署には連絡したが、消防車がここまで到着するにはまだまだ時間がかかる。大志は決意を固めた。
「オレ、中を見てきます。向こう側はまだ燃えていないし」
「何だと?」
 咎める右京に、大志はなおも訴えた。
「だって、家元が……オレの父さんが……助けなきゃ!」
「落ち着け、バカも大概にしろ」
 右京が叱咤すると、大志は激しくかぶりを振った。
「イヤだ、父さんを助けるんだっ!」
 そんな大志をじっと見つめていた右京はふいに踵を返すと、単身炎の中に飛び込んで行った。
「うっ、右京様、何を?」
 菊蔵の驚きの声を背に、大志もあとを追う。
「大志様!」
「来るな、おまえは戻れ!」
 眦を上げた右京が叫ぶ声、激しく音をたてて崩れ落ちる壁、たちこめる黒い煙に巻き込まれて息が苦しくなる。
「右京、待って、右京ーっ!」
 思わずその名を呼ぶと、二つの黒い影がゆらゆらと見えた。

    ◆    ◆    ◆
「家元、しっかりしてください!」
「早く、救急車はまだか?」
 燃え盛る炎の元、不安と恐怖、怒りに満ちた声が飛び交う。
 ようやく助け出された和久だが、出血がひどく、既に虫の息である彼は真っ青な顔でぜいぜいと音をたてていた。
「右京、これを……」
 草の上に身体を横たえた和久は震える手で懐から扇子を取り出した。さっき渡すはずだった歴代家元の証である。
「この家を……頼む」
 和久の手を取って右京は頷いた。
「大志……」
 和久の呼びかけに、大志は父の顔を覗き込むようにした。
「父さん」
 頬を大粒の滴が伝い、とどまるところを知らずに流れ続ける。
「いや……私……は本当の……皐月……さんの……とこ……ろへ……逝く……謝らな……くては」
「父さん、お願い、死なないでっ!」
「ありが……と……」
 悲痛な叫びがこだまする。
 薄鼠色の空が朱に染まる。
 紅蓮の炎は果てしなく空を焦がし、すべてを焼き尽くして、なおも燃え続けていた。
                               ……⑨に続く