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オリジナルBL小説をお披露目しちゃいます

KARISOME LONELY ONE ②

    第二章  マーシーのコピー
 バイト三日目。この日の講義が休講になったので大学に行く必要もなく、太陽が昇ってかなり経ってから、のそのそと起き上がった俺はしばらくぼんやりとしていた。
 山梨から東京に出てきて二年、このアパート暮らしも二年目になる。
 テレビの上にちょこんと乗ったネコのぬいぐるみに目をやると、あの時の場景が思い出されてきた。
 飾り気のない、つまらない部屋だと言ってぬいぐるみをそこに置いたのは仲村深雪、元カノというやつだ。
 あんな女には今さら何の未練もないが、彼女から受けた仕打ちが俺のトラウマになっている。
 彼女はマーシーのファンで、俺はマーシーの身代わりだった。
 立ち上がり、ぬいぐるみをゴミ箱に投げ入れようとしてやめた。こいつに罪はない。
 Tシャツの上にジャケットを羽織ると、俺は徒歩で銀杏亭へと向かった。臨時休講なので今からそちらに行きますと、藤本さんには連絡を入れてある。
 何のサークルにも所属していない俺にとって、バイトは金の入る暇つぶしだ。
 そんなに媚を売らなくてもいいという藤本さんの方針で、ファミレス時代のように作り笑顔を振り撒く必要がないぶん、同じ仕事でもこちらの方がやりやすい。しかも賄いつきとは魅力的だ。
 店に着くと、俺よりも先に来ていた雨宮に出くわした。
「あ、クニちゃん。おはよう」
 昼前に「おはよう」はないだろう。しかもクニちゃんなどと、馴れ馴れしく呼びかけてきた彼は眩しげにこちらを見た。
「今日はずいぶん早いな」
「腹減っちゃってさ。先にメシ食わせてもらおうと思って」
 面倒見のいい藤本さんらしく、貧乏アーティストと雇い主の関係はかなり馴れ合っていて、出勤時間はまちまち、勝手な時刻に食事を要求する雨宮に対しても、寛大な対応をとっている。
 そんな調子ではバイトを使えば使うほど、利益が落ちるような気がしてならない。効率とか、利潤の追求よりも、未来はあるがお金はない若者のための福祉をやっているようなものだ。これで売り上げの方は大丈夫なのか、開店準備のためにおそらく借りた資金、借金は返せるのかと心配になる。
 とにかく、突然「今から行きます」もありという、俺の勤務体制がいいかげんでもオッケーなのは前例を作った雨宮のお蔭で、その点は感謝するべきなのかもしれない。
 着替えを済ませた俺は控え室に自分の食事を運び込む雨宮を尻目に、カウンターの一番隅の席の横に立って、ランチタイムが始まったばかりの、状況の把握に努めた。
 食事をしているカップルがテーブル席に一組、カウンターの反対側の端には注文の品を待っているサラリーマン風の男性客が一人と、とりあえず待機していればよさそうだ。
 しばらくして、入口の扉の上に取りつけたカウベルがカラカランと鳴り、三人の女性客が入ってきたので「いらっしゃいませ」と声をかけた。
 女子大生あるいは女子高生かもしれない、カジュアルなジーンズファッションの三人は辺りをキョロキョロと見回したあと、カップルが座った席から一番離れた位置にあるテーブルへと着いた。
 そこでタイミングを見計らっていた俺は水の入ったグラスとおしぼりをトレイに乗せると、メニューを片手に、そちらへと向かった。
「ようこそ、いらっしゃいませ」
 再度声をかけ、グラスとおしぼりをテーブルに並べてからメニューを手渡す。
「ご注文がお決まりになりましたら、お知らせください」
 その間、三人組はメニューを見ようともせずに、そわそわと落ち着きのない素振りをしていたが、その中の一人が思い切ったように話しかけてきた。
「あの……カオル、います?」
 カオル──それが雨宮薫を指していると理解するのに、数秒かかった。
「は、はい。おりますが、只今はちょっと奥の方で」
 曖昧な返事をすると、彼女たちは顔を見合わせ、ひそひそ話を始めた。
「いるって」
「やったー、ラッキー」
 ラッキー──女三人組がRED SHADOWSのギタリストに会いたいとやってきたファンだと理解するのに、数秒とかからなかった。
 注文を厨房へ伝えているうちに雨宮が控え室から出てきて、その姿を見た三人がはしゃぎだした。
 自らビジュアル系を名乗るだけあって、たしかにヤツは美形の部類に入るだろうが、線が細過ぎる。たくましさとか男らしさとは無縁のタイプ、なんて、たくましくもない俺がとやかく言う筋合いじゃないけど。
 今は男らしさよりも美しさの時代、雨宮のような中性的な男の方が人気を集めるのだとわかってはいてもムカつく。こんな、女の出来損ないみたいな男のどこがいいんだとムシャクシャしてきた。
「速水、ナポリタンあがったぜ」
 笠井さんの呼びかけに返事をしたあと、俺は雨宮に向かって「あそこのお客さん、貧乏アーティストのファンらしいから、おまえが持って行った方が喜ばれるんじゃないのか」と厭味っぽく言ってやった。
「えっ、オレが行くの?」
 戸惑ったような口ぶりで、それでもトレイを受け取った雨宮はニヤリと笑みを浮かべたが、「オレのファンだぜ、羨ましいだろう」と言われたような気がした俺はますます苛立ってきた。
 あんなつまらない女たちに騒がれても、羨ましくも何ともない。その部分はたしかなのに、ならば俺はいったい何に対してイライラしているのだろうか。
 雨宮が彼女たちに騒がれているのが羨ましいのではないとしたら、彼女たちが雨宮を騒ぐ対象にしているのが不愉快、つまり、雨宮にスポットを当ててアイドル扱いして、持ち上げて欲しくないから? 
 ああ、上手く説明できない。何が言いたいんだか自分でもワケがわからず、こんがらがってきた。
「お待たせしました、ナポリタンのお客さまはどちらで?」
 俺の気も知らずに、雨宮は三人に明るく声をかけた。
 そして料理を運んだあともテーブルの傍を離れず、楽しそうに会話を始めた。心なしか、女たちの目がハート形に見えた。
「えっ、この前のライヴも見に来てくれたの? 嬉しいなあ。お冷のサービスしちゃおう」
 そんな、水ばかり何杯注がれてもしょうがないだろう。
 ペラペラと調子のいい発言をしまくる雨宮の様子を目にした俺がよほど不機嫌そうに見えたのか、笠井さんが「あれも客寄せだからさ、大目にみてやってくれよ」と、とりなしてきた。
 ビジュアル系バンドのギタリスト・雨宮薫が勤める店──彼を目当てに銀杏亭を訪れる女性はことのほか多いようで、店の売り上げにおいて立派に貢献しているというわけだ。だてに雨宮を雇っていたのではないと、納得がいった。
「おまえも『ボクはマーシーでぇす』って言って乗り込んでこいよ。あの子たちなら、本気にするかもしれないぜ」
 ようやく人気ヴォーカリストの名前を思い出した笠井さんは調子に乗ってそんな提言をした。
「それだけは勘弁してください」
 俺はそう返すのが精一杯だった。
『どうしてアタシが邦彦とつき合うようになったかって? そりゃあ、マーシーにそっくりだからよ。マーシーと一緒に食事して、マーシーに抱かれる夢が見られるのよ。ねえ、最高でしょ? 他に理由なんてあるはずもないわ』
──ついさっき、自分の部屋で思い出した場景、それは元カノ深雪と、彼女の友達との会話を立ち聞きしてしまったシーンだ。忘れもしないセリフが耳の奥でこだまして、古傷が疼く。
 イマドキの女子大生はルックスがよくても無口な男より、見かけはほどほどでもしゃべりが上手い、ノリのいい男の方が好きだと思っていたのに、ミス・キャンパス候補とまで言われていた美人の深雪がどういう気まぐれなのか、口ベタな俺に一目惚れしたと言って強引にアタックしてきた。
 元来の性格から、人づき合いが苦手で彼女どころか友人も少ない俺は『来る者拒まず、去る者追わず』で受け入れ、深雪は俺の部屋に入り浸るようになった。
 そんなある時、一緒にテレビの音楽番組を観ていると、彼女が俺に向かって「ほら、この人見て。自分にそっくりだと思わない?」と指摘したのがローズ&ローズのヴォーカリスト、マーシーこと宇崎雅史だった。
 深雪が俺を好きになったのは速水邦彦という人間に惹かれたのではなく、宇崎雅史のそっくりさんだったから。
 いや、そこに好きという感情などない。俺は彼女の欲求を叶えるための、単なるマーシーのコピーだった。
 しかも、深雪には俺以外にもつき合っている男たちがいた。
 彼女と同じ文学部の同級生やら、フリーターをやってるヤツなど、どいつもこいつもノリのいい、軽薄そうな男で、無口で面白みのない俺と一緒にいるストレスをそこで発散させていたのだろう。
 男たちのいずれかと腕を組んで街を歩いている姿や、カラオケに出入りしているところ、ついにはホテルから出てきた場面までも目撃してしまった。
 残酷な事実を突きつけられた俺は自分の方から深雪に別れを告げた。
『俺の名前は速水邦彦だ、マーシーじゃない』と──
 笠井さんが口にした「マーシー」という言葉が耳に入ったらしく、雨宮と話し込んでいた三人組は「えっ?」と声を揃えてこちらを見た。
「ウッソー、マジで?」
「似てるなとは思ったけど」
「そんなぁ。超忙しいのに、ここでバイトなんてするわけないでしょ」
 勝手な憶測をする三人に閉口していると、
「あれ、キミたち知らなかったの?」
 などとかました雨宮は平然とした顔で、なおも続けた。
「マーシーにはね、双子の弟がいるんだ」
    ◆    ◆    ◆
 誰が双子の弟だ。まったく、冗談にもほどがある。
 女の子たちの誤解をようやく解くと、あっという間にランチタイム終了。次の仕込みが始まった店内で、俺たちは掃除やらテーブルの上の片づけ、調味料の補充などをやりながら、ディナータイムに備えた。
「クニちゃん、悪かったよ。ほら、こんなに謝ってるんだからさぁ、許してよ」
 バイトの相方の機嫌を損ねたとあって、雨宮がさっきからしつこく許しを請うが、そんな彼を無視し続け、俺はひたすら仕事に打ち込んだ。
 すると、雨宮は俺の態度にメゲるどころか我が意を得たりとばかりに、熱心にたたみかけてきた。
「似てるって言われるのがそんなにイヤなの? そうか、やたらカッコつけて気取っちゃってる、ああいう男がキライなんだよな。わかる、わかる。あ、それともさ、わけわかんないメロディーとか、小学生の作文みたいな歌詞がムカつくとか」
「……別に」
 まくし立てる彼の言葉に同調するわけもなく、例によって俺は素っ気なく答えた。
 ローズ&ローズがどんな音楽をやっているのか、テレビでチラッと聴いただけだし、マーシー自身についても嫌いになるほど詳しくはない。
 むしろ、深雪の身代わりの一件がなければ彼に似ていることを光栄に思っていたかもしれないのだ。
 俺の返事を雨宮は不服そうに聞いていた。彼らに対してかなり敵愾心を持っているらしいが、あんなバンド、カスだぜとでも言ってもらいたかったのか。
 その期待に応えるつもりはないし、人気のマーシーたちをライバル視するなんて厚かましいと思うけど。
 次に雨宮が何か言おうとした時、カウベルが鳴った。
 銀杏亭は食事時のみの営業ではなく、ランチとディナーの狭間はカフェタイムとして喫茶メニューを提供しているが、客の入りはほとんどない。
 店の中に入ってきたのは二十代後半から三十代と思える女性だった。すらりとした身体に水色のスーツがよく似合う、知的で上品で、かなりの美人。国営放送のニュースキャスターでも通用しそうなタイプだ。
「あ、ミス・カフェオレだ」
 二十代独身のシェフがそわそわする様子を見た藤本さんは「おっと、おまえのマドンナ登場だな」などと古臭い言葉を口にしながら苦笑した。
 笠井さんのマドンナ、ミス・カフェオレは一番奥のテーブル席を選んで座り、見守る四人に軽く会釈をした。
 ミス・カフェオレなどと呼ばれたこの女性、いったい何者? 
 それにしても美人だと見とれていると、雨宮が俺の脇を肘でつつき、軽く睨んだ。
「何ボーッとしてるんだよ」
「えっ、べ、別に」
「ミス・カフェオレが気になる?」
「何でカフェオレって」
「ああやって、週一ぐらいで店に来るんだ。いつもあの席に座って、必ずカフェオレを注文するから」
 なるほど、彼女はここの常連客なのかと納得する俺に、注文訊いてきてよと、雨宮はトレイを押しつけた。初めましての挨拶もしてこいと言う。
 注文を訊いたところで、どうせカフェオレに決まっていると思いながらも、俺は彼女のテーブルに近づいた。
どういう反応をするかと、向こうの三人が固唾を呑んで見守っているのがわかる。
「いらっしゃいませ。ご注文は……」
 グラスを置き、メニューを広げようとする俺に、ミス・カフェオレはにっこりと微笑んでみせた。
「ブレンドをください」
「ブ、ブレンドですかぁ?」
 まさか、そうくるとは思わなかった。
 素っ頓狂な声を上げる俺を見て、雨宮が笑いを堪えているのがわかると、ムチャクチャ腹が立ってきたが、客の前で動揺した姿を見せるわけにもいかずに「かしこまりました」と答えて厨房の方へと戻った。
「ブレンド、ひとつです」
 藤本さんと笠井さんが顔を見合わせている。俺がからかわれているのか、当人の気まぐれなのか、カフェオレ嬢のブレント騒動が平和な午後に一石を投じたのはたしかだ。
 テーブルにカップが置かれたあと、ハンドバッグから文庫本を取り出した彼女に目をやりながら、雨宮がまたしてもとんでもないことを言い出した。
「賭けてみない?」
「賭けるって何を?」
「あの女だよ。落とした方に一万円ってのはどう?」
 要はナンパしてみろということだ。
 見るからに軟弱そうな、女の出来損ないのくせに妙に自信たっぷり、そんな雨宮の態度が不愉快に思えた。
 昼間の様子から察しても、それなりにファンがついているようだし、精力絶倫には程遠い、痩せた身体からは考えられないが、女性経験は豊富なのかもしれない。
 とはいえ、女を抱く彼の姿は想像がつかない。想像がつかない以上に嫌悪をおぼえて、俺は吐き捨てた。
「いきなり何を言うかと思ったら。あのキレイな人が貧乏アーティストを相手にするようには見えないけど」
「言ってくれるねぇ。オレはダメだけど、自分なら成功する自信ありってこと?」
「まさか」
 呆れ果てる俺にはかまわず、雨宮は舌なめずりをした。
「ハタチそこそこのガキより、熟れた女の方が美味しいぜ」
「勝手に言ってろ。あの人、笠井さんのマドンナなんだろ? 変なマネして、ボコされても知らないからな」
 その言葉には答えず、ニヤニヤと笑っていた雨宮は突如、ミス・カフェオレの元に向かうと、二言三言話しかけた。
 まさか、冗談抜きで、本気でナンパするつもりなのか? 
 なんてチャレンジャーなんだ。どうせ撃沈に決まってると思いつつも二人から目が離せない。
 ぴょこんと頭を下げて戻ってきた雨宮はニヤけたままで、何を話したかは教えてくれず、抜け駆けしたと、厨房の奥で笠井さんに怒られていた。
 そのあとミス・カフェオレは二十分ほどして帰り、やがてディナータイムに突入。バタバタしているうちに八時を過ぎていた。
「大将」と雨宮は呼びかけた。
 彼は藤本さんをそう呼ぶのだ。寿司屋じゃあるまいし。
「今日は早上がりでいいですか?」
 ラストオーダーは九時までとなっているが、平日の夜なので客足の引く時間は早い。八時をまわってからは暇を持て余していた。
「ああ。あとはオレがやっておくから、みんな帰っていいぞ」
 思いがけず解放された笠井さんは「やった。パチンコ行こっと」と嬉しそうに言い、俺たちは控え室に引き揚げた。
「そんじゃ、お先に」
 着替えもそこそこに、パチンコ屋へと出撃する笠井さんを見送ったあと、雨宮がふいに「クニちゃん、今からちょっとつき合って」と持ちかけてきた。
「つき合うって、どこへ?」
「いいところ。どうせ彼女もいなくて暇なんだろ」
「大きなお世話だ」
 ムッとして俺は唇を尖らせたが、深雪と別れてからは『いない歴』を更新しているのはたしかだ。
 ただし、そんな不名誉な話を聞かせたおぼえはないのに、彼女がいないとどうしてわかったのか。妙に落ち着かない気分になる。
 こちらの心理を見透かしたように、雨宮はニヤリと笑った。
「三日ぶっ続けでバイトに来るなんて、それも昼から閉店時間まで頑張るなんて、ヒマジンに決まってるじゃん」
 そう言う彼もぶっ続けでバイトしている。ライヴはともかく、練習はどうなっているのか不明だが。
「暇人で悪かったな」
 この時刻、決して早い時間ではない。明日は講義があるのに、今からどこかへ行くというのは億劫なはずだが、雨宮の誘いを面倒だとは感じなかった。
 むしろ、仕事を離れて彼と過ごすことにわくわくしている。そんな自分に気づくと、どうしようもない焦りをおぼえた。
 雨宮と一緒にいたいという、この気持ちはいったい何なのだろう。
 これまで友達らしい友達すらいなかった俺にとって、彼は初めての親友、そういった存在なのか。
 友達である雨宮をアイドル視していた昼間の女の子たちへのヤキモチは──あれは嫉妬という感情だったのだ。認めたくないが、ここにきてそうだとわかった──彼女たちに親友を取られると思って、そんな感情が湧いたとでも? 
 えっ、親友を取られる? それっていったいどういう心理なんだ。今日の俺は絶対におかしい。奇妙な考えが次々に湧いてきて、混乱しまくっている。
 動揺を隠すため、俺はわざと渋面を作ってみせた。
「言っとくけど、金のかかるところには行けないから」
 お互いに金のない者同士で、そのあたりは承知の上だが、それでも貧乏大学生が念を押すと、貧乏アーティストは自信満々に頷き、Vサインを出した。
「奢りだから大丈夫さ」
                                ……③に続く