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オリジナルBL小説をお披露目しちゃいます

KARISOME LONELY ONE ①

    第一章  銀杏亭
「銀杏亭(ぎんなんてい)って……あ、あった。ここだ」
 教えられた住所を頼りに、俺が訪れたのはこじんまりとしたレストランだった。煮込みハンバーグが美味しい店としてこの界隈では結構有名らしいが、ほとんど外食しない俺はそういった事実をまったく知らなかった。
 駐車場と建物に挟まれた小さな庭には草花と、店の象徴であるイチョウの木が植えられている。
 くすんだ緑色の屋根に、これまたくすんだベージュの壁、木枠にグレーのすりガラスが入った扉と、大正時代のハイカラ食堂をイメージしたこの建物はレストランというよりは洋食屋と呼んだ方がしっくりくるかもしれない。
 今日からここでバイトを始めることになったはいいが、人見知りするタチの俺は店の前で早くも憂鬱な気分に陥っていた。
 過去の経験から断言できる。ウェイターなんて向いていない。
 わかっているけど、恩人の厚意を無にするわけにもいかない。
 ああ、うっとおしくなってきた。やっぱり断ろうかなどと考えていると、俺の脇をすり抜け、扉を開けて先に中へ入ろうとするヤツがいた。
「あれ、お客さん?」
 すれ違いざまにそいつはこちらを振り向いた。黒革のジャンパーとパンツが細い身体にぴったり張りついている。
 細い肩に細い腰。一見、女かと思ったそいつは男だった。化粧をすれば女で通用する顔立ちだ。それがどうして男だとわかったかといえば、ジャンパーの胸元がまっ平らだったからだ。
 ブリーチされた長めの髪と大きな瞳、色白というより病的な青白さの肌に赤い唇が艶かしくも印象的で、俺は思わず彼をまじまじと見つめてしまった。
 すると、黒革ジャンパー男も呆気にとられた表情で俺の顔をじっと見つめ、何か言いたげに口をもごもごさせた。
「こら、雨宮。裏口から入れって、何度言ったらわかるんだ」
 聞き覚えのある怒声が響いて、俺はハッと我に返った。声の主は藤本さん。俺の恩人だ。
「あ、そうでした。すいませーん」
 雨宮と呼ばれた男は赤い口元からペロリと舌を出して、そのまま店の中へ入って行った。つられるように俺も足を踏み入れる。
 店内には窓際に沿って十ほどのテーブル席が並んでおり、入口から真正面の位置にある十二脚のカウンター席の奥が厨房で、二人のシェフが忙しげに働いていた。
 そのうちの一人が雨宮に続いて入ってきた人物、すなわち俺を見て「よう、来たな」と声をかけた。
 年齢は脂の乗った四十代、銀杏亭のオーナー兼メインシェフの藤本さんは俺が昨年、ファミレスでウェイターのバイトをしていた時に世話になった。
 メニューの注文ミスを俺のせいにしていちゃもんをつけてきた客を上手くなだめ、大事に至らせず丸く収めたのが彼で、その後も不器用で世渡りのヘタな俺を何かと気にかけてくれた。
 けっきょくそこのバイトは三ヶ月で辞めてしまい、あとはホームセンターで力仕事、次に本屋の店番をやって食いつないでいたが、その本屋が潰れてとうとう失業。
 そんな折に藤本さんと再会した俺は彼から、ファミレスを辞めて自分の店を出したと聞かされ、現在バイト募集中だという彼に誘われるまま、のこのこと店までやって来たのだった。
「おーい速水、そんなところに突っ立ってないで、こっちに来いよ」
 藤本さんの呼びかけに、俺はおずおずと頭を下げて、カウンターの傍まで進んだ。
 午後二時半までのランチタイムが終わってひと息つくこの時間、店内にはコーヒーを飲む客もおらず、片づけに専念できるというわけだが、食器洗いの手を止めた藤本さんはもう一人の笠井という若いシェフに、新しいバイトだと言って俺を紹介した。
「ほら、この前話しただろ。山田くんの代わりに来てもらうように頼んだ速水邦彦(はやみ くにひこ)くん。神明大学政経学部の、今はたしか……二年、だったよな?」
「は、はい」
「この先のコンビニで偶然会ったんだ。まさかこんな近くに下宿してるとは思わなかったよ。これだけ近所なら仕事に来るのも楽だろうって誘ったんだが、この店の印象はどうだい?」
 念願の、自分の店を持ったのだ。藤本さんとしては嬉しくてしょうがないだろうが、印象を訊かれても、気の利いた褒め言葉など咄嗟に思いつくはずもない。
「いいお店ですね」
 そう答えるのがやっとで、そんな俺の様子をニヤニヤしながら見ていた笠井シェフは「へえ。カレシ、背は高いし、なかなかのルックスじゃないっスか。今風に言うとイケメンってやつですね」と茶化すように言い、藤本さんも同調して頷いた。
 色男、美形、イケメン。これまでにも俺はそういった表現で容姿を称賛されてきた。
 シャープな輪郭、切れ長の目、形のいい唇、クセのない栗色の髪までもが賛辞の的になったが、その反面「見てくれはいいけど、陰気で暗くて、面白くないヤツ」という陰口が囁かれているのも充分承知していた。
「あ、そうだ、この頃流行ってる何とかっていう人気バンドのヴォーカルに似てるって言われない? ほら、いつも不機嫌そうに歌ってるあいつ」
 やっぱり気づかれたか。それは俺にとって禁句だったが、初対面の笠井さんにわかるはずもない。
「あんたは細身だし、あっちの方がもっと身長高くてガタイがいいけどさ。あの派手な服着て、金髪にして前髪垂らして、化粧でもすればそっくりになるぜ。あれー、何てバンドだっけかな」
 バンド名もヴォーカリストの名前も、もちろん知ってはいるが、答える気になれずにだんまりを決め込む。
 首をひねり続ける笠井さんをよそに、藤本さんは厨房から出て「雨宮、まだ着替えてるのか? ちょっと来い」とジャンパー男を呼んだ。
 すると、裏口から入ってすぐの位置にある、厨房脇の小部屋から着替えを済ませた雨宮がひょいと顔を覗かせた。その部屋が従業員の控え室になっているらしい。
 白いワイシャツに黒のスラックス、千鳥格子のベスト、臙脂のカフェエプロンに襟元は臙脂の蝶ネクタイと、いかにも洋食屋のウェイターらしいスタイルなのはいいが、あの金髪に近い髪はいかがなものか。
 藤本さんはさっきと同じ要領で俺を紹介したあと、隣にちょこんと立った雨宮の紹介を始めた。
「こいつは雨宮薫(あまみや かおる)。二十歳ってことは、二人は同級生だな。売れないロックバンドのギターをやってて、ライヴハウスとやらにも出てるんだけど、それだけじゃ食えないからここでバイトしてるってところだ」
 藤本さんの言葉に「売れないは余計ですよ。インディーズで赤丸人気急上昇中のビジュアル系ロックバンドって言ってもらいたいな」と雨宮は反論した。
 バンド名は『RED SHADOWS』というらしいが、もちろん聞いたこともない名前だ。この男、ギタリストだったのかと、さっきの彼の服装にも納得がいった。
 もっとも、最近目にするミュージシャンのファッションはストリート系やら、ふつうのTシャツにジーンズ姿が多い。ヘビィな黒革なんて着ていない。その点においてはかなり昔っぽいが、彼なりのこだわりなのか。
 銀杏亭では当初、昼食の時間帯すなわち、ランチタイムのウェイターとして、主に雨宮を──夜はライヴハウスや練習があるので、なるべく日中の勤務を希望したらしい──ディナータイムは山田という学生を使っていたが、その山田某が辞めて人手が足りなくなり、雨宮が昼も夜も来られる限りカバーすることになった。
 練習にしろライヴハウス出演にしろ、毎晩あるわけではないからという理由だが、今日の昼間のように、彼がどうしても来られない時はシェフ二人でどうにかやり繰りしていたようだ。
 藤本さんが「これでおまえも気兼ねなく練習に行けるだろう」とからかうように訊くと、
「えー、これからだって夜も来ますよ。せっかく給料増えたのに、また減っちゃうじゃないですか。貧乏アーティストは辛いんですからね」
 そう答えた雨宮はチラリと俺を見た。こいつが来なければ今までどおり、夜の時間帯にも楽勝で入れてもらえたのにと、恨めしく思っているのかもしれない。
 そんな恨みを買ってまで、ここで働く気などない。仕事にも自信はないし、今すぐ辞めたっていいと思いながらも言い出せないでいると、
「貧乏とアーティストの語感が合っとらんが、まあ、好きにしろ。速水くんが仕事に慣れるまでは二人いた方がいいかもしれんしな。何なら二人で相談して、昼だ夜だと決めつけずに、うまくいくようローテーションを組めばいい」
 細かいことにはこだわらない豪快な性格の藤本さんはそう笑い飛ばすと、速水の指導は任せるからと命じ、それを受けた雨宮はさっきの控え室へ入るよう促した。
「オレはクセでつい、表から入っちゃったけど、裏口から入るのが原則だから。ここで制服に着替えるんだ。荷物はロッカーの中に入れてね」
 四つ並ぶロッカーのひとつを開けて、雨宮は自分が着ている服と同じものを示した。この前まで山田クンが使っていた制服だ。
 ジーンズから制服への着替えをしている間、こちらにチラチラと向けられるまなざしに、俺は次第に苛立ってきた。
 バイトの夜の時間帯からはじき出されるという危機は去ったのだから、俺を恨む筋合いもなくなったはずだ。それなのに、興味津々といった感情をわざとらしく隠す仕草にイライラが募る。
 そうか、こいつはロックバンドをやっているから、あのことに気づいて当然だ。それどころか、俺と出会った瞬間に気づいたに違いない。
 あのこと──それは笠井さんも口にしていた、人気バンドのヴォーカリストと俺が瓜二つだという事実──
 ふだんは無口で無表情、無愛想、他人には無関心と、無の文字づくしの俺だが、この瓜二つの件に関してだけは別だ。
 同い年といっても、ここでの勤務は彼の方が長いのだから、先輩として敬意を払うべきなのだろうか、そんなつもりは毛頭ない。
「俺の顔に何かついてる?」
 冷ややかな口調で訊くと、突然の詰問に雨宮はうろたえた。
「えっ? な、何も……」
「ローズ&ローズのマーシーに似てるねって、はっきり言ったらどう?」
「マーシーを知ってるんだ」
「知らなかったよ、あんなバンド。でも、いろんな人からしつこく聞かされて、イヤでもおぼえてしまったから」
「そう……そうなんだ」
 俺の視線から逃げるように顔を背けた雨宮だが、そのあと、わざと明るい声で「そりゃ似てるなって思ったけど」と、しらじらしく返した。
「同業者のよしみで知り合いとか」
「まさか、知り合いなわけないよ。あいつらは雲の上のお人、地べたはいつくばってる惨めな連中とは大違いだって」
 片やメジャーデビュー早々ヒットを飛ばし、テレビの音楽番組にも出まくっている有名なグループ、片やライヴハウスでくすぶってる売れないマイナーバンド。
 比べられれば、雨宮が卑屈になるのも無理はなく、彼の方からその話題を打ち切りにしたので、俺も口をつぐんだ。
 それから俺は雨宮の手ほどきにより、注文の取り方からレジ打ちまで、ここでの仕事の要領を叩き込んだ。
「今日は土曜日だから、六時頃から修羅場に突入するぜ。頑張ろうな」
 そう言って雨宮は笑顔を向けた。
 赤い唇の妖しい魅力に、俺は不思議な胸騒ぎを感じていた。
                                                                       ……②に続く