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オリジナルBL小説をお披露目しちゃいます

ジェミニなボクら ⑧

    第八章  慧児の告白
 部屋に戻ってからしばらくして、ドアをノックする音が聞こえた。銀河が帰ってきたのとは様子が違うようだ。
 扉を開けるとそこに慧児が立っていて、思わぬ登場に、昴は身を固くした。
「あれ、ずいぶんとお早いお帰りだけど、メシは?」
「天宮と銀河くんで食堂にいる」
「あんたはどうしたんだよ? また大酒くらうんじゃなかったのかよ」
 そんな厭味を言うつもりはないのに、つまらないセリフが飛び出して、昴はわけもなく焦った。
「今夜は博物館に合わせて休肝日にした」
「あ、そう」
 休館日とかけた、くだらんシャレだと言うのはやめた。
「どうにも食欲が湧かなくてこれにした。一緒にどうだ」
 レストランでテイクアウトしてきたらしい、慧児は持参したサンドイッチの乗った紙皿をテーブルの上に置くと、昴の向かいのソファに腰掛けた。
「少しは気分が良くなったか?」
「う……うん」
 今夜の慧児は昨日の晩よりもさらに優しく、昴を気遣っているのがわかる。とたんに申し訳なさと情けなさで切なくなった。
 エレベーターの近くで会ったあと、彼が自分を追って来なければ、咄嗟の気転を利かせて強盗を退治してくれなければ、もしかしてあの世とやらに逝って、今ここには居なかったかもしれない。
 向けられた銃口の感触を思い出して、昴は身を震わせた。恐ろしさが甦り、再び背筋が冷たくなる。とっくに安心していいはずなのにできない、できそうにない。
「あそこで助けに来てくれなかったら、今頃オダブツだったかも……」
「縁起でもないことを言うな」
 やんわりとたしなめる慧児に、昴はやっとの思いで「ありがとう」と告げた。
「無事で良かった」
 慧児は同じセリフを何度も、そしてしみじみと呟いた。
「ロビーのソファに座ってた君たちを向こうから見ていたんだが、あの黒い服の男が知り合いだとしたら、どうにも様子がおかしいと思って、相手が何者なのか、すぐフロントに訊いたんだ」
 それは虫の知らせというやつだったのかもしれない。
 訪問者が礼拝堂で昴に会ったと申し立てている人物と聞いて、慧児の疑念は確実なものとなった。
「君は礼拝堂の前で写真を撮ってあげたカップルが訪ねてきたと思って返事をしたんだろう? 僕も彼らを見ていたから、サングラスの男が別人なのはすぐにわかった」
「そうなんだ。それなのに何も警戒せずに、あいつの傍まで行っちゃって……本当にドジだ、ドジで済む問題じゃないけど」
「今日の服装、取り替えられた帽子、カップルと出会ったことや銀河くんが鍵を拾ったとは知らずにたまたま一人で部屋にいて、電話を受けたということ」
 そんなふうに幾つかの要因を挙げながら、慧児は分析を続けた。
「不幸な偶然が重なって、今回の騒動に発展したんだ。まさかあんな男に付け狙われるなんて想像もしなかったわけだし、自分を責めなくてもいい」
 それらの出来事をすべて見聞きした立場にあったとはいえ、短時間で推理を組み立てた慧児の頭脳明晰ぶりに、昴はひたすら感服したが、同時に自分のマヌケぶりを深く反省した。
 ヒッピーくんたちが「赤い帽子のカメラマン」などと表現するはずはなかった。なぜなら彼らと対面した時は黒い帽子に戻っていたし、何より名刺を渡したのだ、フロントでは「星川昴さん」と名指しするのが当然じゃないか。
「オレってば何でこう、ドジで、マヌケで、おっちょこちょいなんだろう、あーもうヘコむ。立ち直れない~」
 さらに礼拝堂で見かけた、キリシタンの亡霊かとまで言われた幽霊と、自分に向けられた視線の正体にも納得がいった。窓から覗いていたのはさっきの強盗で、立ち去る四人組を見ていたのもあいつだったのだ。
「そう落ち込むこともない。君があの男の視線を感じて、その様子を見た天宮が、亡霊がどうのこうのと言ったとき、僕は気のせいだろうと一蹴したが、それは間違いだった。幽霊の正体をきちんと確かめておけば……済まなかった」
 慧児の謝罪の言葉に、謝らなくてもいいよと昴はとりなした。
「あいつは拳銃を持っていたんだから、遅かれ早かれ、オレたちの誰かが危ない目に遭っていた可能性は高いぜ。部屋に入ったらいきなりズドン! だったかも」
 幽霊の正体を確かめる──それはそれでかなり危険な行為となったはずだ。確認などしなくて正解だった。
「そうだな、君の言うとおりだ……とにかく良かったよ」
 慧児は深い溜め息をついた。ソファに深く掛け直した彼の全身からドッと力が抜けたように見えた。気力を使い果たした、といったところだろう。
 彼は彼で、何とか昴を助けようと必死だった。一歩間違えば自分が撃たれる危険性もあった、そこまでして助けてくれた慧児の思いを感じて、昴は胸が熱くなった。
 これぞ男の熱き友情なのか、それとも……何度も抱いてはその度に否定されてきた淡い期待が昴の中に甦る。
 しかし、だからといってどうするわけもなく、彼は精一杯の気持ちを込めて「ありがとう」と繰り返すしかなかった。
 平和と安堵、そこに一抹の不安と期待が溶け合う奇妙な雰囲気が漂う。
 昴が「それにしても疲れた」と呟くと、慧児はいたわるように声をかけた。
「もう一泊すると決まったんだ、今夜はゆっくり休もう。明日もそれほど早く起きなくてもいいだろうし」
 明日の午前中に再度事情を訊きたいという警察側の申し出があり、予定していた取材ができなくなったとわかると、ホテル側の厚意で連泊が提案された。
 岡山からこの凪島までを脅かした凶悪な強盗犯、そんな犯人の逮捕に協力した彼らへの感謝、というわけだが、急いで東京に帰る必要もないのでその厚意に甘えることにし、よって博物館の取材は午後にしようと計画が変更されたのだ。
「そうだった。警察の人たちとの待ち合わせはフロント前に十時でいいんだっけ? 朝ゆっくりできるのは嬉しいなあ」
 張り詰めていた神経がようやく緩んだとたんに空腹をおぼえた。
「コーヒーを淹れようか」
 そう持ちかけながら立ち上がると、慧児は無言で頷いた。
 持参したインスタントコーヒー入りの紙コップ二人分にポットの湯を注いでいると、こちらを微笑ましく見つめているのがわかる。彼の優しい、それでいて情熱を秘めた視線を感じる。
 その視線の意味するものは何なのか──
「そんなふうに見つめて、オレのこと、どう思ってるの」
 喉まで出かかった言葉をコーヒーと一緒に奥へ流し込む。
 そんなの、マジで訊けるわけないじゃないかと打ち消しながらも、ざわめく心が押さえられない。
 気分を落ち着けるためにはまず胃袋からと、サンドイッチを頬張ってみた。
「……食べないの?」
「ああ、僕はいい。やっと食欲が出てきたようだね、安心したよ」
 頭が良くて、冷たくて、厭味なほど美形。改めて見る慧児はやっぱり美形だけれども、厭味で冷たいという印象はすっかり消え失せていた。
 本当はとっても優しくて、思いやりがあって、そんな彼に心底惚れてしまった。この気持ちを偽ることなど、オレはゲイじゃないと否定することなど、昴にはとうにできなくなっていた。
 恒野慧児が好きだ。大好きだ。
 だが、彼には忘れられない人が……
 光の態度を見るかぎり、噂は間違いではないかと思うけれど、完全に否定できるものでもないし、それを確かめる術もない。慧児自身の気持ちなんて、もっとわからない。
 うつむく頬に何かが伝った。涙だ。
 こんなに好きなのにどうにもならない。行き場のない想いに、不覚にも涙してしまったのか。恋に悩む乙女じゃあるまいし、大の男がこんなことで泣いてどうする。みっともないぞ、星川昴。
 昴の異変に気づいてか、慧児はカップを置いて、こちらの顔を覗き込むようにした。
「どうした? やっぱり気分が悪いのか」
 心配そうな声を聞くとますます胸が苦しくなる。これ以上話しかけないでくれと叫びたいほどだ。
「心的外傷というやつか。さっきの騒ぎのせいで精神が不安定なんだよ、きっと。事件の被害者などは長期のカウンセリングを受けるぐらいだから、落ち着いたつもりがそう簡単には治らなくて当然だし」
 ついには死を覚悟した、拳銃を突きつけられた恐怖。
 それもあるかもしれないけど、それだけじゃない。涙は止まるどころか、どんどんあふれてきて、とめどなく流れる。
 慧児は居心地悪そうに空咳をした。
「僕がいじめたみたいだな。銀河くんが帰ってきたら怒られるかもしれない」
「そんな……そんなんじゃない」
 かぶりを振って否定するけど、言葉に詰まって声が出ない。
 つと立ち上がった慧児は昴の背後にまわると、後ろからそっと抱きしめてきた。
「泣かないで……もう大丈夫だから」
(えっ、なっ、何……?)
 突然の行動に対する驚きと、彼の腕の温もりが伝わって、心臓が破裂しそうなほどドキドキしている。
「昴くん、僕は……」
(昴くん、僕は……って、いったい何を言おうとしてるんだよ?)
 慧児の声が上ずってきて、期待が否応にも高まり、彼のセリフを一言も聞き漏らすまいと神経を集中する。
「僕はキ……」
 だがその時、ドアの取っ手をガチャガチャさせる音が聞こえて、慧児は慌てて昴の傍を離れた。
「昴、具合はどう? お土産持ってきたからね」
「スバルっちの景気づけにウィスキー持参。あれ、慧ちゃん、ここに居たの?」
 銀河が光をお供に戻ってきたのだ。ぎこちない様子の二人に、四つの不審の目が向けられる。
「どうかした?」
「い、いや、ちょっと、サンドイッチでむせちゃって……」
 昴がわざとらしく胸を叩いてみせると納得したらしく、そのあとは今日の出来事を肴に彼らの二次会が始まってしまった。
「強盗があとをつけてきたなんて、マジで驚いたよなぁ」
「それにしてもボクたちは車だったのに、あの犯人はずいぶんと早く着いたよね。歩きだったんでしょ」
「俺らはほら、博物館に寄ったじゃない、休館だったけど」
「あ、そうか。あそこはホテルに近い場所だったし、徒歩でもそれほどかからなかったわけだ。それにしても礼拝堂なんかに逃げ込んで、どうするつもりだったのかな。何日も隠れていられるとは思えないけど」
「よっぽど焦っていたんじゃないの。計画性のない犯行ってやつさ」
 慧児はと見ると、光が持ってきたウィスキーを水割りにして、黙って飲んでいる。休肝日は取りやめになったらしい。
 またしても無表情に戻ってしまったその顔から、さっきは何を言いかけたのか、何を考えていたのかは計り知れず、問い返すチャンスのないままに夜が深々とふけていく。
(いったい何を言おうとしていたのか、続きを聞かせてくれよ。オレは……オレはあんたにベタ惚れなのに)
 昴の中に満ちた焦りと悔しさは今にも溢れかえらんばかりだが、光と銀河が同席するこの状況ではどうにもならない。
 事件に巻き込まれた者の心境を慮ったのだろう、光は「今夜こそベッド交換を」とは言い出さず、やがて二人は向こうの部屋に戻ってしまった。これでお開きだ。あきらめをつけるしかなかった。
 夜の帳がおりて、昴にとって劇的な一日が終わりを告げた。

                                ……⑨に続く