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オリジナルBL小説をお披露目しちゃいます

ムーンライトダンス ⑥

    第六章

 目が覚めたら天国だった。
 いや、そんなはずはない。オレが行くのはどうみても地獄の方だろうに。
 それにしても、何でベッドなんかに寝てるんだ? 
 白い壁、ブルーのカーテン、地獄らしくない、どっちかっつーと病院みたいな感じの場所だ。
「おい、気がついたか?」
 こちらを覗き込む地獄の番人は辰哉にそっくりだ。だからオレの担当にしてくれたのかな、地獄って、けっこーサービスがいいところなんだな。
「ラムネ、俺の顔がわかるか?」
「あ……」
 ここは地獄じゃなく、本当に病院だった。
 オレってば、意地汚なくも生きていたってわけだ。死ぬ、死ぬと大袈裟に吹聴していたのが何とも恥ずかしい。
 医師の診断によって病名判明、胃潰瘍。オヤジの突然の死亡によるショックと、それに伴う環境の急激な変化、非情なまでの節約生活がストレスとなって、この病気を引き起こした。
 ところが、自称ノー天気な上に勝気で意地っ張りのオレはそのじつ、ストレスから上手に逃げることができず、バイトだ何だと頑張り過ぎてしまったのではという見解で、酒飲んだり御馳走食べたりの暴飲暴食もまずかったみたい、反省。
 まあ、おっしゃるとーり、ごもっともなんだけど、ひとつだけ抜け落ちている原因っつーか、病因がある。
 そいつは──胸の奥にしまい込んだ悲劇の恋心は墓の中まで持って行くつもりだったんだから、誰にもわかりっこないけどな。
「……そーか、そうだったんだ。ほとんど胃ガンのつもりでいたっけ。バカだよなー、早とちりもいいとこ。ダッセえの」
「自分を卑下するのはよせ。たとえ胃潰瘍でも、これ以上放っておけば大変なことになっていたと先生は話していた」
 自嘲するオレを戒めたあと、辰哉は点滴に繋がれた手を握りしめてきた。
「食事や酒を勧めた俺にも責任はある。悔やんでも悔やみ切れない、本当に助かってよかった」
 両の目を赤くし、憔悴しきった顔にようやく安堵の表情が浮かぶのが見える。
 なりふりかまわず、って状況だったんだろうな、ヤツは黒いスーツのままで、臙脂のネクタイはだらしなく緩んでいた。オレがアトリエで倒れたあと、すぐに救急車を呼んで、それからはずっと傍についていてくれたのだとわかった。
「病気のことが頭にあって、それで大学をやめようと思ったんだな。俺はおまえのことをわかっているつもりでいた。でも、まったくわかっていなかった。その上、何もしてやれなかった。すまない、もっと早く気づいていれば……」
 辰哉の目からまた涙がこぼれ落ちた。
 オレが眠っている間、こいつがどんな気持ちで、どれほどの涙を流したのかと思うと切なくなった。
「そっちのせいじゃねえよ。悪いのはオレなんだから」
「怪我なんかしていないって、すぐにわかったんだ。なのに、見て見ぬふりをした」
「だからそれはオレが言い張ったからだろ。心配かけたくないって、そう思ってたのが却って悪かった。もっと迷惑かける結果になっちまった」
 すると、辰哉は握りしめた手にますます強い力を込めてきた。
「迷惑なんかじゃない。おまえの面倒は俺がみる。最初に言っただろう?」
 優しい眼差しに包まれて、オレは照れ臭さのあまり、布団で顔を隠した。
 大好きな人が傍で見守ってくれる。ここは天国、やっぱり天国に来ていたんだ。
「無理はしないで、もう少し休むといい。俺もちょっと休むから」
 オレを探して走り回ったあとの、いきなりの入院騒動だ。
 辰哉自身も相当くたびれたらしく、ベッドの脇のパイプ椅子にもたれかかっていたが、どれだけも経たないうちに廊下から騒がしい音が聞こえてきた。
「この病室で間違いないんだな?」
「は、はい。ですが……」
 聞き覚えのある声がしたかと思うと、次の場面で宇都木善司理事長が車椅子に乗り、柿崎執事を従えて登場した。
 辰哉を追って探し当てたわけではなく、理事長自身の入院先もこの総合病院だったというのはあとでわかった。
 押しかけてきて申し訳ありません、と言わんばかりに恐縮した様子の柿崎さんとは対照的に、尊大な態度をとる理事長は辰哉を見て開口一番、
「ここにいると聞いてな。辰哉、どういうつもりだ? いったい何を考えている?」
 などと苛立たしげに訊いた。
 一方の辰哉はパイプ椅子からすっくと立ち上がると、突然の乱入者に驚く様子もなく、その目の前へと進んだ。
「静かにしてください、病室ですよ」
「そうだな、失礼した。では廊下にでも出てもらおうか」
「いえ……」
 辰哉がこちらをチラリと見たので、オレは布団から出しかけていた顔を慌てて引っ込めた。
「ここで結構です。お話を伺いましょう」
 この部屋のベッドにいるのはオレだけで、他の患者の迷惑にはならない。辰哉としては二人の会話をオレに聞かせたいと考えたみたいだ。
「ふん」
 鼻であしらったあと、理事長は先程からの辰哉の行動をなじり始めた。
 オレが会場を飛び出して行ったのを見た辰哉は慌ててあとを追った。婚約者紹介も何もかも無視して、だ。
「恥をかかされたと、多々良様もみなみ様もカンカンだった。もちろん、会場の皆さんも大騒ぎだ。場を収拾するのに、どんなに大変だったことか……」
「お祖父様」
 改めて向き直った辰哉は蔑むような口調で祖父を呼んだ。
「俺はこれまであなたの命令どおりに動いていました。大学の退学と進学の件も、寮に入ったのも、今回の理事長就任も、すべてあなたの言葉に従った。あかつき荘を含めた、今のキャンパスを守りたいというあなたの意見に賛同したからです」
 そこまで一気にまくし立てた辰哉は大きく息をつき、とどめを刺すかのように「でも、それはあなたのためじゃない、お祖母様の希望があったからだ」と言ってのけた。
 辰哉が自分に従ったのは理事長命令というより、亡き妻のためだったというのは承知していたらしく、善司ジイさんはその間、ずっと黙ったままで、しかめっつらをして孫を睨んでいた。
「だけど、婚約の話なんて、まったく聞かされていなかったじゃないですか。あなたが先方と勝手に決めたこと」
 するとジイさん、いきなり高飛車に出やがった。
「そうだとして何が悪い? すべては大学の未来のためだ」
「大学の未来? じゃあ、俺自身の未来はどうなるんですか? そこまで人生を束縛されなきゃならないなんて、俺はあなたの奴隷じゃないっ!」
 開き直る祖父の態度に、孫の怒りが爆発した。いつも冷静な辰哉が身体を震わせてまで怒るのを見たのはもちろん初めてだった。
「な、何だ、その態度は?」
「あなたはお祖母様と自由な恋愛をして結婚したと自慢していましたね。なのに、どうして、自分の孫には取引銀行との間を取り持つための結婚、いわば政略結婚を押しつけるんですか? 俺には自由な恋愛と結婚は許されないとでもおっしゃるんですか? そんなの理不尽だ!」
「貴様、言わせておけば……」
「これ以上あなたに従うつもりは毛頭ない。結婚相手は自分で決める。好きな人がいるんです」
「おのれ、この私に逆らう気か!」
「当然です。俺自身の幸せのために闘いますから、そのおつもりで」
 睨み合う両者の間に、ようやく柿崎さんが割って入った。
「理事長、あまり興奮なさるとお身体に障ります。それに辰哉様のお気持ちもお考えになった方がよろしいかと……」
「もう知らん、勝手にしろ!」
 捨てゼリフを吐いて出て行く車椅子のあとを急いで追う執事、病室内が元通りに静まり返ったのを見計らったオレはのそのそと布団から這い出した。
 ホッと息をついた辰哉はそれからゆっくりと振り向いた。
「これで次期理事長就任も婚約も白紙に戻った。祝いを貰う理由もなくなった」
「まあ、そうなるかな」
 オレはわざと軽い調子で答えた。
 辰哉があの美人お嬢様との結婚を望んでいないことだけはハッキリしたけど、結婚したいほど好きな人がいるって、前に話していた片想いの相手だろうか。
 安堵と新たな失望が交差し、忘れかけていた疼きが甦ってきた。
 そう、オレはあくまでも辰哉の〝親友〟なんだから……
「この病状なら、しばらく通院すれば復学には問題ないと先生も言っていたし、できれば大学に戻ってくれ」
「わかったよ」
 そう答えながらも、オレの中に別の不安が沸き起こった。
「でもさ、おまえがジイさんに逆らったとなると、どうなるんだ? やっぱオヤジさんが理事長になって、あかつき荘は……」
「万が一、寮を潰すことが決定してしまったら、おまえは俺の家に来ればいい」
 俺の家ということは安く、あるいはタダで下宿させてくれるのかな。さすが金持ち、人に貸し出しできるほど空き部屋がいっぱいある広い家なんだろうな。
「そっかー、下宿か。その手があったな」
「下宿? いや、そうじゃなくて」
「そうじゃなくて?」
「俺と一緒に住んで欲しい」
 一緒に住むって、またルームメイトになるって意味なのか? 
 意図するところがわからず首を傾げていると、辰哉はなぜか顔を赤らめた。
「前は踊りながら酒の勢いで言ったせいかな、信じてもらえなかったと思うけど、今はしらふだから」
「だ、だから何?」
「俺と結婚して欲しい」
 オレってば、よくぞベッドから転がり落ちなかったと思う。
「け、け、結婚って、まさか?」
 あれは──ムーンライトダンスの夜のプロポーズは真似事などではなく、本当に辰哉からの、不器用な男の精一杯の告白だった。
「そ、それじゃあ、ずっと片想いで、結婚したいほど好きな人ってのは……」
「俺は今、おまえにプロポーズしている。おまえ以外に誰がいると言うんだ?」
 ポカンと口を開けている場合じゃない、オレは大混乱を起こしている頭の中を必死で収拾した。
「だって、オレとは親友だって、そっちから言ったじゃないか。そういう対象だったなんて、わかるわけねえだろ」
 すると辰哉は「入学したときからずっと気になる存在だった」と、これまた衝撃の告白を始めた。
「まさか『一目惚れした』なんて言うんじゃねーだろうな」
「今にして思えばそうだった」
 こいつもやっぱりそっち系? 
 呆気に取られたオレは思わず「もともとそういう趣味だったのか?」などと、とんちんかんなことを訊いた。
「いや、男とか女とかではなく、そこにおまえがいたからだ。すべてが自由で、俺が持ち合わせていない、いろんなものを持っていて、とても魅力的で……羨ましいと思った。俺は出会ったその日から、おまえという人間に惹かれていた」
 以前、オレに憧れていた云々という話を聞いてはいたけれど、そこまで本気だったとは思いもよらなかった。
 どんなにお金があっても、理事長の一族であることを背負い続けなければならない辰哉にとって、髪を染め、奇抜な服を着て、好き勝手に振舞っているかに見えたオレは羨望の的だったらしい。その実態はただのビンボー学生なんだけどさ。
「何とか友達になりたいと思った。だけど、引っ込み思案な俺が学科の違うおまえと親しくなるなんて、絶対に無理だとあきらめていた。ましてや寮に入ってくるなんて、想像の範囲を超えた出来事だった」
 オレが初めてあかつき荘を訪れたあの日、玄関先に出てきた辰哉にとっては「神の存在を信じた瞬間だった」と語った。
「お、大袈裟なヤツ。その割には無感動な顔していたぜ」
 荷物も持ってくれなかったくせにと毒づいてやると、
「あの頃はどういう態度をとればいいのか、自分でもよくわからなくて……おまえには悪いことをしたと反省している」
 一歩、また一歩と、辰哉の『友達大作戦』は戸惑いながらもゆっくりと進んでいった。オレたちの距離はお互いを親友と呼べるまでに縮まった。
「友達になれただけで、充分幸せなはずだった。俺の願いは叶えられた。けれど……」
「けれど?」
「本当は友情なんかじゃない、そう気づいたんだ。バイトの夜勤で眠りこけていたおまえを起こそうとしたあのとき……」
 それはオレが寮に移って最初の夜勤をやってきた翌朝の出来事だった、らしい。
「寝顔を見たとたんに胸が熱くなった。思わずキスしたいって思った。男であるおまえにそんな欲望を抱いている自分がとても恥ずかしくて、起こすことなんかできそうにない。けっきょく、そのまま独りで登校してしまったというわけだ」
 あのあとキャンパスで会った時に、自ら親友だと言い出したのは本当の気持ちを友情という枠にはめ込み、自分で自分に歯止めをかけるため。
 せっかく手に入れたオレとの友情を壊したくなかったからだと辰哉は苦しい胸の内を明かした。
「でも、気づいてしまった想いは今さら押さえ込むことも、ましてや止めることなんて、とてもできなかった。おまえと一緒にいて、おまえを知れば知るほど好きになって、どうにもならないとわかったんだ。だから思い切って……」
 ムーンライトダンス。
 祖母の想い出にあやかって、辰哉はオレに告白した。
 それを冗談だろうと一笑に付してしまったオレ、ルームメイトとして一番傍にいながら、二人の想いはずっと擦れ違いを続けていたなんて……
 さっき辰哉はオレをわかっていなかったと後悔していたけれど、オレの方こそこいつの気持ちをまったくわかっていなかった。
 辰哉がこちらに向けて発していた幾つかのシグナルにも、冷たく見える表情の下に隠された、その熱い想いにも気づかないまま、独り善がりな不幸に浸っていた。
 早とちりで、せっかちで、おっちょこちょい。とことんマヌケな、そんな自分が情けなくも愛おしい。
「あのときは本気にしてもらえなかったけれど、さっき倒れる前におまえが叫んだ言葉を聞いて、もしかしたらって思ったんだ。もう一度チャレンジしてみようって、自分に賭ける気になった」
 辰哉は改めて「結婚して欲しい」と言った。
 オレの想いは──墓の中まで持って行くつもりだった悲劇の恋心は今、叶えられた。
 そんな辰哉からの嬉しいプロポーズに、思わず頷きそうになったが、
「……って待てよ? オレは男だぜ」
 こちらを見て不思議そうな顔をする辰哉にオレは詰め寄った。
「おまえ、結婚の意味がわかってるのか?」
「もちろんだ。婚姻届を出して、式を挙げて、一生を共に生活して……」
「婚姻届、出せると思うのか?」
「民法が改正されたんだろう? カナダやベルギーでは男同士の結婚も可能だと聞いているし、アメリカも州によっては認め……」
「それはよその国の話! 日本じゃ、まだ男女しか認められていないのっ。勝手に法律変えるなよって」
「ええっ?」
 そうだったのかと絶句する辰哉、あー、こいつってば、やっぱり浮世離れしている。
「だいたいさ、婚約はともかく、学生の分際で今すぐ結婚なんてできるわけねーだろ。よく考えてみろよ」
 しょんぼりしょげ返る辰哉に、とりあえずこれから先もずっと一緒にいようと約束すると、オレの元・親友で現・恋人は一転して大喜び。すっかり浮かれて、キスをしようと迫ってきた。
「おい、病室でそれはヤバイって」
 看護師さんでも入ってきたら大騒動は間違いなしの、このシーン。まったく、面倒みてるのはどっちだって。
 どこまでいっても世話の焼けるヤツだ。やっぱオレがついていないとダメだな、うん。
                                ……⑦に続く