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オリジナルBL小説をお披露目しちゃいます

ムーンライトダンス ①

    第一章

 オヤジが死んだ。
 胃ガン、それもスキルス性で、あっという間に進行してしまい、長くはないとわかっていたけど、やっぱりショックだった。
 享年四十五歳って、いくら何でも早すぎるんじゃねーの。長寿の時代に、少子高齢化社会に、そんなのアリかよ。
 人生、たかだか二十年がグラグラと崩れていくのがわかった。ノー天気なオレにしちゃあ、メチャメチャ凹んだ。
「あなたが気に病むことはないのよ。学費なら心配いらないわ、お父さんがちゃんと遺してくれているからね」
 オフクロは学生生活を続けるようにと励ましてくれた。
 オレよりずっと辛いだろうに、我が母ながら気丈な人だと尊敬する、けれど──
「……ったって、そっちのこれからの生活はどうすんだよ?」
「私なら大丈夫よ、でもね……」

    ◆    ◆    ◆

 そんでもってオレは今、両手にでっかい荷物を提げた格好で、このオンボロな建物の前に立っている。
『暁星(ぎょうせい)美術大学男子学生寮 あかつき荘』
 仰々しい看板がかかった、くすんだレンガの壁。隙間風入りまくりって感じの、磨りガラスの窓。
 明治か大正にでも建てられたような、すげーレトロな建造物はキャンパスの隅にひっそりと建つ不気味さのせいで、これまで近寄る気もしなかったし、存在目的を知る気にもなれなかった。
 鹿鳴館をイメージしていると言われれば納得できないこともないこの建物、芸術を学ぶ大学らしく一応アートしているが、一歩間違えれば西洋風のお化け屋敷ってところだ。
「まっ、しゃーねーな。家賃が安いってのだけが取り得の、ボンビーなヤツにしか縁のないとこだし」
 そう呟きながら大袈裟な飾りのついた玄関の扉を開けると、中はひっそりと静まり返っていた。
 薄暗くて陰気な雰囲気は外観からも充分予想できたけど、なんとなくカビ臭くて、立て続けにクシャミが出た。
 天井や廊下の壁に設置されているのはよくある昼白色の蛍光灯じゃなくて、半透明の笠をかぶった電球がポツリポツリとついているところも、いかにもレトロ趣味っぽいし、調度品なんかも骨董屋が引っ越してきたような感じだが、オシャレというよりは古ぼけている上に薄気味悪い。マジで幽霊でも出るんじゃないのか。
 これからここで生活するのかと思うと、どよよ~んと憂鬱になった。前のアパートもたいした部屋じゃなかったけど、戦前にタイムトリップしたような、この変てこりんな寮に比べりゃよっぽどマシ。入学してたった三ヶ月・期間限定だったのか。
 入寮は親の収入が基準になる、つまり、ある基準以下の収入の者に限るので、普通の家庭の学生はこの大学に寮があることすら知らないヤツがほとんど。そのぐらい認知度合いが低いってわけだ。
 もちろんオレも知らなかったけど、今回入寮手続きの書類を提出する際に貰った資料によって、このあかつき荘に関してだいたいのことはわかった。
 設立の目的なんてのはどこの大学でも同じだと思うけど、地方から出てきた学生に安く住居を提供するために、大学の移転と規模拡大に伴って造られたとか。
 その後、老朽化して入居希望者も少なくなり、廃止する予定もあったのが、バブルがはじけて親がビンボーになっちまった学生が一気に増えて廃止は取り止め。室内外をいくらかリフォームして、そのまま存続に至るってところだ。
 もっとも、バブル崩壊後はほぼ満室だったのが、景気の変動と少子化で入学する学生の絶対数が減って入寮する者も減り、今住んでいるのは十人にも満たないってんで、廃止にする計画が再浮上してきたと聞いた。
 入って早々に追い出されちゃかなわない。そうなったらオレの行き着く先は退学しかないだろうが。
『経済とか工学部とかよぅ、もっと就職に有利なとこならともかく、無理して私立の美大なんかに通う必要があるのかねぇ。そもそも一浪して入学する値打ちなんぞないだろに』
 葬式の晩に親戚の酔っ払いオヤジが放ったセリフが脳裏に甦るとムカムカしてきたが、その言葉を否定しきれない自分に対して不安を抱えながら、靴を脱いで廊下を進む。
 何人か住んでいるはずなのに、ほとんど無人って感じで、まあ、午後五時ぐらいじゃあ誰もいなくて当然だけどさ。
 ここまで来たはいいが、何の説明も受けていないし、これからどうすりゃいいのかまったくわからない。キョロキョロしているうちに人の気配を感じてギクリとした。
「誰だ?」
 クシャミを聞きつけてきたのか、不審そうな声と共に現れたヤツの顔を見てたまげた。
 仕立てのいい黒いシャツにシルバーのネックレスをして、黒のコーデュロイパンツを履いた黒ずくめの男はオレと同じ一回生の宇都木辰哉(うつぎ たつや)だった。
 こいつは油絵、オレは彫刻と、学科が違うから話をする機会もなかったけど、美形だのイケメンだのと女共に騒がれていたから、そのいけ好かない顔だけは知っている。
 身長はオレより十センチ以上高くて痩せ型、黒髪で色白、卵型の輪郭にいわゆる涼しげな瞳、長い睫毛はいつも伏せ気味で、憂いを帯びていると言えば聞こえはいいが、要は陰気臭いヤツだ。
 見た目のとおり性格も暗い感じで近寄り難いタイプ、自分たちとは住む世界が違うと思っているのか、女連中はイケメンと騒ぐわりに誰一人話しかけないし、当人も自分からクラスメイトと関わろうとはせず、教室の隅でひっそりしている。
 一日キャンパスにいても、一言も発せずに過ごす超無口野郎のどこがイケてるんだか。話すらまともにしないくせに、見てくれだけが取り得の、こんな男を持ち上げる女たちの気が知れない、なぁんて、ひがんでるって思われるのがオチか。
 別にオレはひがんじゃいねえぜ。あいつらに真の男を見抜く目がないだけだ。
 ややつり目で、大きな瞳に比例してか口もデカく、そのくせ顔全体の造りは小さいというオレ、オフクロはそんなオレのことを私に似て美少年だと自慢していたが、それが世間一般、というより若い女たちの美の基準とはちょっくらズレてるのかもと解釈している。オバサン受けはするんだけどなぁ。
 それにしても宇都木が寮に入っていたとはな。カビだのコケだの、キノコなんぞも大発生していそうなこの寮の暗い雰囲気にはピッタリなキャラだけど。
 視線が噛み合ったとたん、宇都木は微かに眉を動かした。
「小井出ラムネだ。今日からここにやっかいになるってんで、よろしく」
 胸を張って自己紹介する様子を見て、宇都木のヤツ、今度は数回瞬きをしたが、それだけ。能面のように無表情で、何を考えてるのかさっぱりわからない。
 喜怒哀楽が激しいと言われるのはしょっちゅう、感情のボルテージがメチャ高くて、男のくせにおしゃべりだ、一言多いと文句をつけられるオレからは考えられない、正反対のタイプだ。
「おまえが入寮希望者だったのか」
「オレのこと、知ってるのか?」
 軽く頷いた宇都木は「入学式のときから目立っていた」と答え、なぜだか眩しそうな顔をした。
「さすが、オレってば、有名人~」
 そーいや、高校時代から伸ばしていた髪を金色に染めて、入学式当日はみんながスーツや何やらを着ている中でただ一人、ジイちゃんの紋付袴を借りて参加したんだっけ。
 フォーマルウェアなんだからオッケーだろ、なんて、あのあと言い訳したんだけど、ウケ狙いは大当たりだったってわけだな。
 入学後も服装に凝り続けたオレの、本日のファッションといえば、赤・青・黄の色彩基本三原色を使ったタンクトップの上に魚網みたいな金色のベストの着用。
 黒の革手袋をつけ、そんでもってボトムは黒のニッカーポッカーぽいパンツと、同じく黒のショートブーツでキメてみた。
 金髪ロン毛に加えて、毎度これだけ奇抜な格好をしていればだ、芸術系大学らしく奇人変人揃いで万年コスプレ状態ってヤツが多い学内でも目立つこと受け合い。
 もっとも、目立ちたがり屋で、背丈のわりに態度がデカくて生意気な、オレの存在そのものが一部の連中には顰蹙買ってるらしく、ウケるどころか露骨に嫌われることもある。
 そんなくだらねえヤツらの反応なんて、いちいち気にしねーけどさ。オレの心は海のように広いんだ。
「それで、誰に入寮の挨拶すりゃいいんだ? 責任者がいるんだろ」
 設立当初は管理人がいたし、賄いつきだったから、寮母と呼ばれるような人も雇っていたみたいだけど、今は学生課の管理の元、寮生たちの自主的な運営に任せるとか言って、けっきょくアパート化していると聞いた。
 ならば自主運営を仕切る責任者がいるはずなのに、そこらは詳しく知らされていないから困る。
「まあ……」
 語尾を濁した宇都木は後ろをチラッと振り返ったが、他に誰かがいる様子はなく、
「一応、四年の長峰さんが寮長みたいな役になってるが、たぶん出かけている」
「じゃ、そいつが帰ってくるまで待ってるしかねえのかよ。マイッたな」
 ドサッと荷物を下ろすと、それらに目をやった宇都木は「部屋に運んでおけばいい」と言った。
「どの部屋なのかわかるのか? それにそこ、鍵開いてんのかよ」
「ああ」
 それだけ答えると、宇都木は背中を向けた。ついて来いという意思表示らしく、そんな態度が気に入らねーけど仕方ない。
 再び荷物を手にしたオレはヤツの後ろに従い、食堂やら何やらの部屋の前を通過して、一番奥の階段の方へと進んだ。
 書類に載っていた図面を見たから、建物内部の造りはだいたい把握している。
 この一階にあるのは風呂(洗濯機・乾燥機付き)とトイレ、賄い用に使われていた厨房は共同の台所として開放されている。
 ただし、ガス・電気・水道は使えるが、冷蔵庫はないし、調理器具は自分持ちとあって、使うのは湯を沸かす時ぐらいで積極的に自炊するヤツはいないって話だ。
 キャンパスの周囲百メートル以内という範囲にはコンビニもスーパーも何軒か揃っていて買い物には便利だけど、メシは一人分なら作るより弁当を買ってきた方が手っ取り早い。野郎だけの寮なんて、そんなもんだろ。
 食堂の食卓は以前のままにしてあるから、ここでメシを食ってもいいが、ゴミは自分で片づけること。この食堂は兼娯楽室で、会議室の役割もはたしている。
 一階にはその他に管理人室と寮母の休憩室、納戸などがあるが、元管理人室と元休憩室の空きスペースは寮生共用のアトリエとして開放されているらしい。
 学生の部屋は二階と三階で(ちなみに上級生たちはみんな上るのに楽な二階を使っていて、三階は一回生のみ、つまりオレたち二人だけらしい)あまり広くはないから、課題の作業などを自室で行うのは難しい上に、室内が画材で汚れるのも困るということで空き部屋を使わせてもらう許可を得たみたいだ。
 さて、三階の端の部屋まで行ったが、この荷物の量じゃけっこうキツイ。ひとつぐらい持ってくれよという、恨めしげな視線なんぞ気にする様子もなく、宇都木はドアを開けた。まったく気の利かないヤローだ。
「ここだ」
「ここだ、って……誰か住んでるんじゃねえのか?」
 入り口と反対の南側にベージュのカーテンがかかった窓がひとつ。クリーム色の壁にフローリングの床という、十畳ほどの室内にはベッドやらテーブルやらが置いてある。明らかに人が生活している部屋だ。
「俺の部屋だ」
「俺の……部屋?」
「この寮は二人部屋が原則だ。従って今日からは俺とおまえ二人の部屋になる」
「……マ、マジかよっ?」
 荷物を持ったまま、廊下を五メートルぐらい後ずさりしてしまったオレを見て、宇都木は首を傾げた。
「聞いていないのか?」
「だ、だってそんな、無理やり二人で住まなくたって、部屋数は充分足りてる、っつーか空き部屋もたくさんあるんだろ?」
「二人部屋は学生寮設立以来の規則になっているんだが」
「あ、あのさ、オレが入ればその分、そっちのスペースが狭くなるわけだし、おまえだって不便で困るんじゃないのか」
「今いる入寮者数が奇数だから、俺はたまたま一人だった。規則は規則だ」
 そんなふうに言い放った宇都木にはオレの言葉を取り合う様子なんて微塵も見られない。なんてこった、こいつってば、融通が利かないっつーか、頭が固い。
 風呂もトイレも共同、おまけに二人部屋。他人との関わりを嫌う傾向が強い現代の若者にしてみれば、プライバシーもへったくれもない、こんな前時代の規則がまかり通る寮なんて、とてもじゃないけど住みたくない。そう思うのが当然じゃないか。
 逆に言えば、それらを承知で住む覚悟のあるヤツだけが入寮しているわけだ。背に腹は代えられない、金がないから我慢するしかねえんだけど、この頑固者と同室かと思うと、オレの憂鬱な気分はさらに悪化した。
 宇都木の方はルームメイトがくるとわかっていたらしく──それがオレだとは知らされてなかったみたいだけど──部屋の半分を定規で測ったように、きっちりと空ける形でベッドなどを置いていた。
ヤツの性格を箇条書きにしたら、気が利かないとか頑固の次に、几帳面の文字が加わるんだろーな。
 で、オレはそのキレイに分けられたスペースの床の上に次々と荷物を広げた。とりあえずは生活必需品を持ってきただけで、残りは今月中にアパートから運んでこなきゃならない。宅配便を頼む余裕はないからな、まさに貧乏暇なし。
 その作業をしている間、宇都木はテーブル兼勉強机のところで雑誌を読んでいたが、無言の空気が何とも息苦しくて、窒息してしまいそうだった。
 かといって、いくらおしゃべりのオレでもこれまで親しくも何ともなかった宇都木とペラペラ会話するほどの話術は持ち合わせていない。この状態がこれから日々続くのかと思うとゲンナリしてきた。
 こりゃあマイッたよなぁ、マジで。部屋を別にしてくれなんて言ったって通用しそうにないし。
 こうなったら宇都木とはなるべく関わらないように毎日バイト入れまくって、ここには寝に帰るだけにしよう。それがいい。
 そんなことを考えていると、ドアをノックする音がして、ちょっとインテリっぽい顔立ちの男が現れた。
 左右の耳にあけたピアスの数がやけに多くて、知的な顔とは不釣合いな男はチラッとこちらに視線を向けたあと、今夜八時に寮生全員、食堂へ集合と告げた。
 どうやらオレを紹介するらしいが、そういう指示を出すあたり、こいつが寮長の長峰かと踏んだ。
 さてさて、この化け物屋敷にはどんな魑魅魍魎が住んでいるのやら。ひと癖もふた癖もありそうな寮生たちとの対面を前に、オレは武者震いしていた。

    ◆    ◆    ◆

 午後八時。いよいよ諸先輩方と対面の時刻だ。宇都木を置いていく形で、とっとと部屋を出たが、ヤツときたら慌てず騒がず、悠々と鍵をかけている。
 元食堂には既に数人の学生が集まっていて、オレたちの到着をジロリと睨んだ。一年なら真っ先に来いと言いたげだが、そんなの知るかよ。
 フルメンバーを集めるのは無理だったということで、最終的な集合人数は七人。オレとしちゃあ、紹介されなかった人がいたとしても、さしあたっての生活に支障はないからどうでもいいんだけど。
 全員の顔を眺めた長峰はそれからオレを手招きした。
「今回、我々の仲間になった小井出ラムネくん。彫刻学科の一年だ」
 オレの名前を聞いたとたん、連中はえっ、と目を剥いた。
「コイデ……ラムネ?」
「それ本名? どういう字書くんだよ」
 物心ついてこの方、自己・他己合わせて、紹介という場面には必ずつきものの質問には慣れっこだ。
 オレはしれっとして「小学校の小、井戸の井、出口の出にカタカナでラムネっス。人生シュワッとはじけるようにって、親がつけてくれました」と答えた。
 小井出はともかく、改めて注釈するまでもなく『ラムネ』はインパクトがある。本当に「シュワッとはじけるように」って意味でつけたかどうか知らないけど、オレはこの名前が気に入っている。
 呆気に取られたような表情を見せたあと、連中はそれぞれの胸の内で品定めを始めたらしい。
(赤、青、黄色か、スゴい服だな。さすがにあのファッションはできん)
(ルックスがいいから何とかなってるけど、普通のヤツなら着こなせないぜ)
(髪まで黄色、しかもあんなに長くしやがって。腰まで届きそうじゃないか)
(一年の分際で目立ち過ぎだ)
 そんな心の声が聞こえてくる。
 オバサン受けと男受けはイコールみたい、光栄だねぇ。
 髪形や服装、名前で驚かれ、変なヤツ呼ばわりされるといった扱いは慣れっこだが、
「名前も変なら、本人もイカれてらぁ」
 アゴヒゲを生やした一人がボソッと呟いたが、オレへの批判を口に出した、身の程知らずなそいつの格好がまたダサくて汚らしいんだ。中間色でダボタボのだらしのない服、レゲエっぽい、けったいな髪形、しかも髭ヅラと、オレの嫌いなスタイルだったため、
「あんたみたいなセンスの悪いヤツに、とやかく言われたかねえよ」
 なーんて、つい、いつものように言い返しちまったもんだから、さあ大変だ。
「おいコラ、てめえ、一年のくせに生意気だな。イイ気になってるとボコすぞ」
「その変な服、おまえだってじゅーぶんセンス悪いじゃねえか」
「新入りなんだから、自分の立場ってもんをわきまえろよな」
 てな具合で、たちまちのうちに全員を敵にまわしちまったんだけど、寮長ときたら、いきり立つ連中とオレを仲裁しようともせずに傍観している。やる気ねえの。
 こういう場面において、うわべだけでも謝りゃいいものを、火に油を注いでしまうのがオレの悪い習性だ。
「あのー、芸術的センスを持ち合わせていないのに、なんで美大なんかに在籍してるんっスか?」
「こいつ、謝りもしないで。マジでシメたろーか!」
 まさに一触即発。オレを取り囲む上級生たちの間に入ったのは長峰ではなく宇都木だった。
「先輩方、ここは俺に免じて、穏便に済ませてくださいませんか」
 まさに冷静沈着。諭すように静かに問いかける宇都木を見て、とたんに全員が口をつぐんだ。
「ありがとうございます。小井出のことはこれから俺が面倒をみますから、ご協力をお願いします」
 頭を下げる姿に、何人かが舌打ちする音が聞こえたが、誰も反論しない。みんな揃って宇都木に一目置いている、そんな雰囲気だった。
 とりあえず解散となったあと、その場に残されたオレは風呂などの共有施設の使い方と掃除当番に関する説明を長峰から受けたが、お目付け役のつもりか、宇都木も一緒に残って話を聞いている。
 そんでもって、おしまいに「部屋は個別とはいえ、ある程度共同生活の形をとっている以上、先輩を立てて真面目に行動するように」と釘を刺された。
 しかも、ふてくされるオレに注意しただけでは飽き足らないのか、
「ここで我々が問題を起こしたら、その後どうなるのかは宇都木、キミが一番承知しているはずだ。そうだろう?」
 などとのたまった。
 その後どうなるのか、だって? 
 謎めいた言葉を投げかけられた宇都木は神妙な面持ちで「はい」と頷いた。
 部屋に戻ると、宇都木のヤツは何も言わずにぶ厚い本を取り出し、テーブルの上に広げて勉強らしきものを始めたが、さっきからクサクサした気分のオレはその様子を見て余計にイラついてきた。
 オレのせいで長峰に厭味を言われたのにどうして文句をつけないんだ? 
 オレの代わりに頭を下げるなんて不本意じゃないのか、何で黙っていられるんだ? 
 しばらくは我慢していたが、それも限界に達して「おい」と呼びかけると、
「喉が渇いたのなら、そこの冷蔵庫にウーロン茶と牛乳が入っているから」
「そうじゃなくて」
「布団はまだ持ってきていないんだな。タオルケットでよければ貸そう」
「いらねえよ。床に寝りゃ充分だ」
「風邪をひくぞ」
 何か言うたびに飄々と答える様が癪に障って、とうとうキレたオレ、
「あのなあ、もっとおとなしくしていろとか、先輩の言うことは素直に聞けとか、俺に迷惑をかけるなとか、説教のひとつでもタレたらどうなんだよっ!」
「それだけわかってるなら、説教の必要はないだろう」
 そう返されて言葉に詰まったが、
「何が『小井出は俺が面倒みます』だ、エラそうに」
 なおも突っかかるオレの態度に怒るふうでもなく、立ち上がった宇都木はクローゼットの奥からタオルケットを取り出したが、扉を閉める際にすぐ傍の棚にぶつかってしまい、そのはずみで棚に並べていた本などがバサバサと落ちてきた。
 すっかり気勢を削がれてしまい「何やってんだよ、ボケ」などと罵倒しながらも拾うのを手伝っていると、一冊の大判の冊子が目に留まった。
 仰々しい黒い革の表紙に『暁星美術大学創立三十周年記念写真集』と金色の箔押しがしてあるが、今年で創立五十周年と聞いていたから、二十年前に発行されたわけだけど、何でこいつがそんなものを持っているんだ。
 興味津々でその写真集を手に取り開いてみると、いきなり現れたのは大学創立者というジイさんがアップになったモノクロ写真。でもって、その下に明朝体の文字で大きく書いてある、これまた仰々しい名前──
「宇都木慶次郎(けいじろう)?」
 そう滅多にある苗字だとは思えない。オレの視線を受けた宇都木は「俺の曽祖父だ」と答えた。
「えっ? じゃあ」
「今の理事長が祖父で、理事長代理を務めているのが父だ」
「マジかよ……」
 入学手続きの書類にも書いてあったのかもしれないのに、学長はもとより、大学の理事長が何て名前かなんて、今の今までまったく気にしていなかったオレにしてみりゃ、まさに青天の霹靂。世襲制だとしたら、こいつは未来の理事長、とんだ「おぼっちゃま」じゃないか。それで上級生たちが一目置いているのだと納得した。
「何で寮にいると言いたげだな」
 小さく溜め息をついた宇都木は「話せば長くなる。明日にしよう」と言うが早いか、さっさと就寝の支度を始めてしまい、それ以上問い質す気にもなれず、オレは写真集のページをパラパラとめくった。
 創立当時からその後の写真が何枚か続いて載っている。創立とはいっても最初のうちは絵画教室に毛の生えた程度のもので、現在の場所で今のような形になったのは三十年ほど前だ。
 写真の中の校舎はピッカピカ、今いるオンボロ『あかつき荘』もピッカピカ。学生課が入っている鉄筋の建物なんかは写っていないから、あの辺りはもっとあとで建てられたんだろうな。
 あれ、この建物は何だ? 
 一見あかつき荘と同じで、微妙に違う建物の写真の注釈には『夕映え荘』とあるけれど、そいつが建っている場所は今、さら地になっているはずだ。
 それらの写真の次は、今も存在する中庭の噴水の前にて、盛装した人々がズンチャッチャッと踊っている様子を写したもの。
 こりゃ何の祭りかと思ったら、サブタイトルは『学園祭のフィナーレを飾る月下の舞踏会』だと。なるほど、夜間に撮影された写真みたいだ。
 さすが鹿鳴館もどき、昔はキャンパスでこんなことやってたってわけだ。さながら仮面舞踏会、バイトもせずに、よっぽど暇だったんだな。
「なあ、おい、この夕映え荘って?」
 オレの問いかけに答えたのは宇都木の寝息だけだった。
                                ……②に続く