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オリジナルBL小説をお披露目しちゃいます

紅蓮の炎 ⑦

    第七章  遺言状公開の日

 その日は朝から重い雲が垂れ込めるイヤな天気だった。
 学生の正装は制服ということで、着替えを終えた大志は部屋の外に出て、またしても恐ろしいものを目にして慄然とした。
 今度は貼り紙ではない、扉に直接書かれた赤い文字は……
『殺ス』
 震える脚を何とか引きずり、右京の部屋の前まで行ったが、彼は既に準備へと向かったらしくそこにはいなかった。
(『殺ス』って、いったい? どうしてオレがそこまで……)
 今すぐ逃げ出したい思いにかられながらも右京のところへ行けば何とかなるだろうと、大志は気力を振り絞った。
 会場は彩月荘一階の十二畳と十畳の和室を続きにした大広間で、座布団や湯茶を用意したり、続々とやって来る来訪者の応対に追われたりしていると、いくらか気が紛れた。
 まさかこんなに大勢の人の中で殺人が起きたりはしないだろうが──だが、冗談で済まされるとも思えない──命を狙われているという恐怖に神経は張り詰めて極限状態だ。
 大広間に勢揃いした顔ぶれは和久・真紀夫妻、彼らの右隣には静蒼院家の顧問弁護士、左側に優華と洸が並び、少し離れて右京が座っている。
 今日はさすがに黒いコートは着ておらず、白のワイシャツに慣れないネクタイを締めてスラックスを履いているが、長い髪はそのままで、黒々と背中を覆っていた。
 来客は全部で十九名。後援会理事長だの、名誉会長だの、わけのわからない肩書きの人々がずらりと居並んでいる。内弟子は下座に着くよう言われて、大志はフラフラになりながら末席に座った。
「……皆様、大変御足労さまでした。それでは時間になりましたので、始めさせていただきます」
 尖った顎にメガネをかけた、いかにもインテリジェンスな容貌の弁護士は集まった人々を見渡し、ひとつ咳払いをした。
「この度は諸事情により、六代目家元・和久様からの御要望で四代目・佐久様の御遺言をここに公開する運びとなりました」
 いったん言葉を切り、みんなの様子を窺いながら、
「当初は佐久様の命日をもってして、というお話でしたが、それは生前の佐久様御本人のお申し出ではありません」
 そう言って弁護士は「命日イコール公開日」と遺言されていたのではないと強調した。
「御当家の右京様が二十歳になられた時点でということでしたので、今日の公開に問題はないと判断した次第です」
 次に、彼は箱から封書のようなものをうやうやしく取り出した。
「こちらにありますのは私が六年間お預かりしてきました佐久様の御遺言状です。それでは僭越ながら、読ませていただきます。どうか、最後までお静かに願います」
 いくらか黄ばんだ紙の表に人々の強い視線が注がれる。
 また咳払いをした弁護士はその文面をおごそかに読み上げ始めた。
「ひとつ、この遺言は当家・茶道静蒼院家流派、七代目家元の決定に関するものである」
 水を打ったように静まり返った室内は誰かが唾を飲み込む音さえ聞こえるほどで、皆、弁護士の言葉を聞き漏らすまいと、じっと耳を傾けている。
「ひとつ、七代目家元は次の順に、その資格があるものとする。継承者資格第一位・静蒼院右京……」
 その名前が出ると場がざわめいたが、当人は冷静な表情で腕を組み、微動だにしない。
「第二位・門倉大志、第三位・静蒼院洸、第四位・静蒼院優華、ただし、この場合は優華に迎えた婿養子を継承者とする」
 ざわめきはどよめきに、どよめきは怒号に変わってきた。怒りも露わに、何かを言いかけた真紀を洸が慌てて制止する。遺言の読み上げはまだ続いているのだ。
 人々の疑念、不審、そして憤懣、あらゆる負の感情がこもった眼差しを一身に受けて、大志は身がすくんだ。
(何でオレの名前を候補の中に?)
 和久の長男と知っていた四代目の計らいとはいえ寝耳に水では済まされない、ショックが大きすぎる。
 大志が呆然としている間に、全文が公開された遺言の概要は次のとおりである。
 七代目家元は原則として、資格順位に従って継承されるが、本人が死亡あるいは重度の障害を負った場合、また、自分の意思で権利を放棄した場合にも、その子孫、子供がなければ次の位の者に受け継がれる。
 資格順位は右京から順に、というこの遺言は、世の中の道理から考えれば、決して不自然ではなかった。ただ一点を除いては。
 それは継承者を認定する場合の「継承者となる者は次に選出する十名の審査員によってその資質と技量を審査し、合格した者のみを認める」という記述で、七代目を継ぎたいと思うのならば自ら茶会を催し、審査員たちを招待して、亭主としての腕前を示せという取り決めだった。
 その他にもこの遺言状に於いてはありとあらゆるパターンを想定して、こと細かに取り決めがなされているのだが、それらについてはここでは割愛する。
 読み上げが終わると場は騒然となり、人々はめいめいに騒ぎ立て始めた。
「冗談じゃない! こんなもの、遺言として認められてたまるか」
「どうして部外者の名前が入っているんだ、四代目は血迷っておられたのでは」
「いや、あのお方は最後までしっかりなさっていた。何か考えがあって、そうされたのではないか?」
 誰かが「六代目、何とかおっしゃってください」と促したが、和久は沈黙を守り続けている。
 喧々囂々たる中、高らかに笑い声を上げた者がいた。
「あのジジイめ、なかなか粋な計らいをしてくれるじゃねえか」
 笑い声の主はもちろん右京で、彼のそんな態度に毒気を抜かれた人々はいっせいに黙ってしまった。
 腕組みをしたポーズのまま、和久の方に顔を向けた彼は「そう思うでしょう?」とわざとらしく訊いた。
 すると、何も答えない夫の代わりに、やっと反論の機会を得た真紀が喚いた。
「何が粋な計らいよ! 門倉の子なんて、まるっきり無関係じゃないの」
「さあ、どうだか。隣に座っている人に訊いてみたらいかがでしょうかね?」
 右京の言葉に、真紀はいくらか戸惑ったようで、それでも矢継ぎ早にまくし立てた。
「おかしなことばかりだわ。なぜ洸が一番じゃないのよっ!」
「そりゃあ、これ以上あんたら母子に関わられたくないからだろうが」
「何ですって?」
「まだわかんねえのか。四代目に嫌われていたってことさ」
 ダメ押しの一言に真紀の勢いはすっかり削がれ、右京は勝ち誇った顔で彼女を嘲るように見た。
「あのジジイはなかなかの曲者だ。候補者の中に門倉大志という名前を入れた上に、優華に婿養子を迎えるという方法を提示して、あんたを中心とした『打倒右京! 静蒼院家関係者が一丸となって洸を推薦しましょう』という流れを打ち消した。とまあ、そんなところだな」
 真紀はとうとう押し黙り、右京の声だけが響いている。
「最有力候補の洸と、その邪魔者である俺という一対一の構図を見事に塗り替えて、家族の結束を一気に崩壊へと追い込む作戦だ。恐れ入ったぜ」
 もしも洸や、優華の婿が七代目になったとしたら、その母は静蒼院家の内部において引き続き発言権を持つだろうが、そうなるのを四代目は回避しようとした。
 それは取りも直さず、この家に入り込んできた下賤な女の存在を苦々しく思っていたに他ならない、と納得した人々は互いに囁き合った。
「そうか。右京様がダメなら、いっそ他人の子に、という腹だな」
「そこまで嫌っていたとはねぇ」
 四代目の用意周到さに舌を巻きながら、誰もが遺言の内容にそういう解釈をしたが、そこにある本当の意味を知る者たちは佐久の真意に触れて慄然としていた。
 和久は青ざめた顔で遠く上座からじっと大志を見つめていたが、大志が自分の子であると知っていたのかどうかはその表情から伺い知ることはできなかった。
(オレの、本当の父さん……)
 その人から視線を逸らすことができずに、大志はジャケットの裾をギュッと握りしめた。離れていた肉親への愛情でもなく、複雑な生い立ちになってしまった恨憤でもない、不思議な感情が彼を支配している。
 蝋人形のように固まってしまった二人をよそに、人々の論議は再燃、白熱していた。
「そもそも、四代目の遺言が絶対と考える方がおかしい。ここは民主的に対応を考慮するべきだ」
「では、どういう基準で考えればよいのですか? 門倉の孫はともかく、あとのお三方については順当かと」
「そうだ、やはり右京様が七代目を継ぐのが筋なんですよ」
 和久や菊蔵らは中立でいなければならないので除外されるため、選出された十名の審査員というのは今日この場に集められた、静蒼院家に所縁のある人たちに含まれているが、その中には右京に七代目をと考える者もいた。以前に亮太が語った「偏屈なオッサンたち」である。
 彼らにとっては候補者の私生活などどうでもよく、多少の素行の悪さは問題にしない。とにかく右京が七代目になればいいのだ。
 四代目の意思が自分たちに味方していたとわかり、右京を推す人々の意気が上がってきたと見たのか、洸は最有力候補の意地とプライドから異議を唱えた。
「年功序列なんて変ですよ。真面目に稽古をしていなかったり、まったくの初心者だったり、皆さんはそんな人たちに家元が務まると思っていらっしゃるんですか」
 地道に稽古を続けてきた我こそが正統な七代目、と言いたげな様子の洸は憎しみのこもった目で右京を睨みつけた。
 散々遊びまわっていながら家元の座まで獲得するなんて。洸の、従兄への敬慕は憎悪に変わっていた。
「それに、いくら四代目が母を嫌っていたとはいえ、血縁者ではない人が候補に入るのはどう考えてもおかしい。だったら他の内弟子の皆さんも同じ扱いをするべきじゃないですか。納得がいきません」
 そこで初めて口を出したのは誰あろう、優華だった。
「アタシのお婿さんも含めて、全員がテストを受ければいいじゃないの」
 いくらか興奮したような口ぶりの、娘の発言に一番驚いたのは母親であった。ついさっきまで、一家で結束して洸を推すつもりでいたのだから無理もない。
「優華、あなたまさか、もうお相手がいるの?」
「さあ、どうかしら」
 優華は下座へと視線を投げかけた。
「その人に家元が務まるのかどうか、まずはお茶会でテストしてみるべきだと思うけど、いかが」
 優華の態度を大志への牽制と見た人々はなるほどと同調し、思いもよらない展開に心細くなった大志は「オレ、じゃない……ボ、ボクはそういうつもりは……」と言い、助けを求めるように周りを見回した。
 茶会を主催するのがテストだと言うなら、この家に来て、初めて茶の湯を習った初心者に亭主が、ましてや家元などという大役が担えるはずはない。少なくとも自分に対してはテストするまでもなく、候補からはずされるべきなのだ。
「あら、そこの初心者なんてどうでもいいのよ。紹介するわ、アタシのお婿さん」
 優華の手招きに立ち上がったのは何と亮太で、大志は思わず「あっ!」と叫びそうになった。
 そうだ、行き帰りの車中で優華が亮太に向ける眼差し、媚を売るような仕草、あれは親しみと呼ばれる以上のもの。二人はそういう関係にあると今まで気づかなかったなんて、鈍感にも程がある。
 和久を始めとする、その場にいた人々は優華と亮太の関係を知って一斉に愕然としたが「こりゃあ面白い見世物だ」と右京は笑い飛ばした。
「無条件に兄を推すつもりだったはずが、家元の妻になれるかもしれないという欲が出てきたってわけだ。その女の気持ちはとっくに洸から離れているぜ、叔母様」
「何てこと……」
 真紀は真っ青になり、ブルブルと震え始めた。娘に裏切られた悔しさのあまり、屈辱に耐え切れないという表情だった。
 そんな彼女を冷淡に見やると、亮太は「この際ですから、もうひとつの秘密も暴露しましょうか。さっきから問題になってるやつですよ」と意味ありげに笑った。
 真っ先に仲良くなった内弟子仲間、気のいい三枚目という亮太のイメージが音を立てて崩れ、彼の持つ薄汚い邪念を感じると、大志の背筋に悪寒が走った。
「皆さんは四代目が他人の子を候補に入れたと思われたようですが、そうじゃない。その理由は家元御自身もよくおわかりになったでしょう?」
 いったいどういうことだと詰め寄る人々に、亮太は得意気に言い放った。
「そこにいる門倉大志は六代目が門倉皐月に生ませた子、そうですよね、家元?」
 ついに地雷が爆発した、それほどまでの衝撃が室内に轟き、場がどよめいた。
 過去の過ちを糾弾された和久は袴が破けるかと思うほど生地を強く握りしめながら、この屈辱に耐えている。
 悲鳴を上げて倒れたのは真紀、図太いはずの彼女の神経も相次ぐ暴露に、ついに耐え切れなくなったらしい。
 優華もこのことは初耳と見えて「何で教えてくれなかったの」と良太を非難しながら、目を大きく見開いている。
「それってつまり、アタシたちのお兄さんになるわけ?」
 ガチャンッ! と湯呑みの割れる音が派手に響き渡った。まるで魂が抜けてしまったかのように、虚ろな表情で呆然と立ち尽くしていたのは洸だった。
「僕たちの……兄さん?」
 その瞬間の洸の顔、悲痛に歪んだその顔を大志は永遠に忘れることができないだろう。
 とうとう彼の知るところになってしまい、この残酷な展開に、真実の非情さに、大志は唇を強く噛んだ。
 輝きを失い、絶望した表情で、それでも洸は助けを求めるようにこちらを見た。
「……異母兄弟ってこと? う、嘘だ、そんなわけ……」
 もちろん、そんなの嘘だよと答えられるはずもない。大志がうつむくと、洸の視線は和久へと移った。
「嘘だ、嘘だよね? そんな馬鹿なことがあるはず……嘘だって言ってよ、ねえ、父さんってば!」
 激しく詰め寄る洸から顔を背けた和久の態度を見た瞬間、悲鳴とも雄叫びともつかない声を上げて洸は部屋の外へと飛び出した。
 その後姿を追うことはできなかった。

    ◆    ◆    ◆
 十二畳の和室はさながら戦場のような混乱に陥っていたが、そんな中でただ一人、さして顔色も変えずにいた右京は「なるほど。運転手の立場を利用して情報収集にあたっていたわけだな」と言い、亮太を見据えた。
「家元の証の扇子に触れることができるのは継承者資格のある者だけってのもいいヒントになったようだな」
「てめえとは頭の出来が違うんだよ」
 菊蔵が大志に扇子の飾りつけを頼んでいるところを盗み見していたのだろう。右京の次に資格のある者──大志が資格第二位なのは察すればわかることだった。
「おまけに、この俺の目の前で脅し文句を並べ立てるとは褒めてやるぜ」
「そりゃあどうも」
 しばらく亮太の顔色を読んでいた右京だが、次に和久の方へと向き直った。
「さて、これで継承者資格第二位の謎も解けたわけだが、実際のところ、どうなさいますかね?」
 何も答えない和久に、彼は強い口調でたたみかけた。
「もっとも愛した女が産んだ子供が我が子だとわかったら、その子を後継者にしたいと考える、すなわち洸から大志へと六代目の気持ちが移る可能性は大である。四代目はそこまで見越していたと思いますけど、いかがでしょう?」
「大志は四代目の隠し玉だ」と言って右京はまたもや毒々しく笑ったが、そんな彼の態度を見守る大志は次第に不安になってきた。
(右京ったら、どうしちゃったんだよ。何だか様子が変だ)
 ともかく、このままでは埒が明かない。騒ぎを収め、結論を下すことができるのは和久だけだと誰もが思い、その見解を求めた。
「そうだ、どうなさるおつもりですか。四代目の御遺言どおりに右京様を後継者に選ばれるのでしょうか」
「それとも門倉の孫になさるのですか、洸様なのでしょうか、どうかご判断を」
「そんな、アタシたちはどうなるのよ?」
 すかさず優華が口を挟む。
 和久はチラチラと大志に視線をやりながら、難しい表情で答えた。
「ここで今すぐに結論を出すのは無理だ。しばらく審議の時間をもらいたい」
「審議の時間ですか。ずいぶんと悠長に構えていらっしゃいますけど、それでいいものでしょうかねぇ。ヘタに審議なんぞして、隠し玉が威力を発揮するなんてことになったら、俺としては納得いきませんけど」
 またしても不敵な言い草で、右京は大志に冷たい視線を投げかけた。
(えっ? な、何……)
 思いもよらない右京の言葉と態度に、大志は目の前が真っ暗になってきた。
「ああ、なるほど。ここにきて急に遺言状を公開しようと言い出した理由がわかりましたよ。『かどくら』の店主が孫を引き取りたいと言い出したからでしょう? 公開する前に内弟子を辞められちゃ困るわけだ」
 冗談じゃない、勝手な真似をするなと彼は吐き捨てた。
「あとからのこのこ入り込んできたヤツに家元の座を奪われるなんて、シャレになりませんよ。そうでしょう?」
(それって七代目になるのは自分で、オレを選ばれては困るって意味?)
 思わず反論しようとしたが、あまりのショックに舌がもつれ、声が出ない。
 黙ったままの大志を尻目に、亮太は「しらじらしい。なかなかの演技派だな」と右京を挑発した。
「おまえとそのガキがデキてるってことは承知してるんだよ」
 ニヤリと笑った右京は「そんなこともあったな」と言ってのけた。
「何だと?」
「そいつは俺に取り入ろうとして近づいてきた。なかなかの美形だし、俺もつい、ふらふらとのぼせちまったが、今やっと目が覚めたぜ。そのガキはとんでもない食わせ者だ。遺言状の中で自分が候補に挙がっていたとわかったからには……」
 右京の指が和久をスッと指し示した。
「邪魔な俺をさっさと切り捨てて、じつの父上に頼み込むだろうよ。七代目に選んでください、ってな」
「誤解だ! オレは……」
「黙れっ!」
 大志の抗議を撥ね退けて一喝した右京は聞く耳持たずといった様子で、さんざん人々の前で罵ると、さらに底意地の悪い微笑を浮かべた。
「自分の身が可愛いと思ったら、荷物をまとめて、とっととこの屋敷から出て行くんだな。さもないと、明日のお天気は血の雨が降るかもしれないぜ」
 そう言って大志に脅しをかけたあと、右京は傲慢にも言い放った。
「審議の時間なんざ、いらねえ。継承者資格第一位の俺が堂々の七代目家元だ。さあ六代目、二人きりで残月庵へ場所を移しましょうかね?」
 ──こうして波乱の遺言状公開は一応の幕を閉じた。
                                ……⑧に続く