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オリジナルBL小説をお披露目しちゃいます

   紅蓮の炎 ②

            第二章

 翌日、大志は洸たちと共に亮太の運転する高級乗用車で学校へ向かい、そこで明凰学園の生徒たちからの、妬みと羨望の眼差しを受けた。この地では静蒼院家と関わりがあるというだけで特別視されるらしい。
 帰りもまた亮太が迎えにきていたが、家元一家専属の運転手というのが彼に与えられた使用人としての主な仕事なのである。したがって子供たちの通学以外にも、和久や真紀を乗せて、あちらの茶会こちらの会合と御供をするようだ。
 洸たち兄妹は幼稚園の頃からの送迎で慣れっこ、ゆったりとした後部シートでくつろいでいる。
 ちょっとしたドライブ気分というわけで、車で学校を往復するなんて贅沢なと落ち着かないのは助手席の大志だけだった。
 昨夜の出来事も彼の心に暗い影を落としていた。あまりのショックになかなか寝付けず、今も頭痛がする。
 新品の袱紗を切り裂いたのはいったい何者なのか。
 他に壊されたものや盗まれたものはなかった。なけなしの金が入った財布も手つかず、犯人は袱紗だけを狙ったのだ。
 ネズミやゴキブリの仕業であるはずがない。やつらがカッターナイフを扱うなんて聞いたためしがない。それはやはりヒト……
 黙りこくる大志の存在を無視しようとしてか、優華はハンドルを握る亮太に、甘えるような声でしきりに話しかけていた。
「それでねぇ亮太、ねえ、聞いてよ」
「はいはい、わかったから」
「ちゃんと聞いてってば、もう!」
 気のいい亮太が弱り顔でワガママ娘のお相手をする様子に苦笑していた洸は車が屋敷の前へと到着すると、大志に声をかけた。
「今日から稽古を始めるから、あとで花月堂に来てね」
 ズキリッと胸が痛む。貰ったばかりの袱紗が侵入者に刻まれてしまったなんて、とても今は言い出せそうになかった。
「う、うん。わかった」
 返事をしたものの、どうしたらいいのだろうと焦る大志、ところが迎えに出た菊蔵から「大志様のお稽古は右京様がつけることになっておりますので」と告げられ、彼は思わず洸と顔を見合わせた。
「右京兄さんが?」
「はい。お家元の指示でございます」
 洸は残念そうに唇を噛んだ。家元の命令とあらば、たとえ息子であっても逆らえない。
「では大志様、のちほど花月堂へ」
「は、はい」
 恨めしげな洸の視線を避けるようにして、大志は部屋へ入ると制服から普段着に着替え、今度こそ鍵をかけようとして手を止めた。
 この部屋の主が鍵をかけないことと、ベッドの上に袱紗入りの紙袋があったことを知り得る人物はただ一人だ──
「わざとらしくアドバイスなんかしてたけど、まさか?」
 愕然とし、怒りで身体が震えてきた。
「これって嫌がらせ? けっきょくオレが目障りってこと? 母さんに似ているのがそんなに気に食わないのかよ!」
 そんなふうに疑い始めるときりがなくなるもので、手も震えて鍵がうまく回らない。
「そういえば、いきなり冷たい態度になって出て行ったっけ。からかってたんだ。すっかりその気になったオレの反応を見て面白がってたんだ。慰めるつもりなんて、これっぽっちもなかったんだっ!」
 犯人は右京であるという思い込みにブレーキがかからない。
 証拠もないのに疑ってはいけないと諌める一方で、裏切られた思いに落胆し、とてつもない悲しみに囚われた大志、その目には不覚にも涙が溢れてきた。
 悔しい、たまらなく悔しい。
「やっぱりあいつは悪魔、死神なんだ!」
 そうこうしているうちに菊蔵が呼びに来たため、適当な返事をした大志は何とか鍵をかけて階下へ向かった。
(こうなったら直接対決して、本当のことを聞き出してやる!)
 両脇を庭木に挟まれた、狭い砂利道を勢いに任せて進んでいると、小石を踏む足音が重なって聞こえてきた。誰かが後ろから近づいてくる。この冷たい気配は……
「遅れて御到着か。まるで重役出勤、いい身分だな」
 振り返ってキッと睨みつける。またしてもふうん、と鼻で笑う黒ずくめの男の全身から強いアルコールの匂いが漂っていた。
 さらに湧き起こる怒りを抑えながら、大志は精いっぱいの厭味を込めて「この時間から晩酌ってのもいい身分だと思うけど」と、あてつけがましく言ってやった。
「ああ。せっかく一杯やっていたのに、初心者の稽古につき合えとジジイに呼び戻されちまってな」
「無理に戻らなくても、ゆっくり飲んでりゃよかったのに」
「可愛い内弟子のためなら、宇宙の果てからでも戻ってくるさ。さあ、この師匠を熱烈歓迎してくれよ」
 そう言うが早いか、右京は大志の腰を素早く抱き寄せ、唇を塞いできた。弾みで後退りすると、ザザッと足元の小砂利が擦れ合う音が響く。
 声にならない声で喚き、相手から逃れようと大志はもがいたが、長い腕にがっちりと捕まって動けない。
「んっ……あ」
 唇も舌も、頭の芯までも痺れてしまったようで、意識を失いかけながらも大志は残された気力を振り絞って右京の舌に噛みついた。口の中に血の味が広がる。
「……ちっ」
 右京は唇の端に血を滲ませながらも、ゾクリとするような笑みを浮かべた。
「やはり見込んだとおりだ。その気の強さ、俺の好みにぴったりくる」
 ペッ、と血まみれの唾を砂利の上に吐いたあと、右京は再び右腕を強くつかんできた。
「手を放せ!」
「いいから、おとなしくついて来い」
 引きずられるようにして花月堂へ向かう間、大志の頭の中は今の出来事のせいで大混乱を起こしていた。
(この卑劣な変態ゲイ野郎にキスされるなんて、オレってば何やってんだよ! 絶対、絶対どうかしてるっ!)
 隙を突かれたのはこれで二度目だ。悔しさと憤りと、それでいて唇の甘美な余韻に目眩がする。
 いきなりのキスに動転した上にすっかり気勢を削がれてしまい、もう何をどうしていいのか自分自身がわからなくなっていた。
 花月堂は太い柱が黒光りした、いかにも年期の入った建物で、土間に男物と女物の草履がそれぞれ並んでいるのが目に入った。
 六室ある稽古用の茶室のうち、手前の二部屋で通いの弟子たちの稽古が行われており、着物姿の中年女性数人の姿に、和久と彼を補佐する菊蔵が指導にあたっているのが垣間見える。
 右京が稽古場に選んだのは広さ四畳半、中柱や風炉先窓が設けられた本格的な造りの茶室だった。障子からいくらか陽が差し込んではいるが、灯りなしでは薄暗い部屋である。
 さっきから不満と苛立ちがくすぶっていた大志だが、この部屋に入ったとたんに気分が和らぐのを感じた。
 茶室とはまさに癒しの空間だ。その昔、武士たちが太刀を預けて茶の湯を嗜んだ気持ちがわかる気がした。
「さてと……そんじゃ、いっちょ始めるか」
 右京はコートを脱ぎ、髪をひとつに結わえてからブルーのシャツの袖をまくり上げた。
(えっ……?)
 またしても不思議な感情が大志の胸の内に湧いてきた。目の前にいる右京はこれまで見てきた彼とはまた違う、崇高なオーラのようなものをまとっていた。
「いいか、この位置に座るのは亭主と呼ばれる、茶をたててもてなす側のメインだ」
 亭主とはその家の主人という意味があるため、夫のことも亭主と呼ぶのだ。
「それからおまえのいる位置が正客、もてなされる側のメインだな」
 さっきまで酒の匂いをプンプンさせていた男が亭主の座に着いたとたん、ピンと背筋を伸ばして正座している。
(七代目家元だ!)
 きりりと引き締まった顔、その凛とした姿はまさに茶道家元の風格を備えていて、カッコイイというより凛々しいという表現がしっくりくる。思わず見惚れた自分に気づいて、大志はうろたえた。
(こら、卑怯者の正体を暴いてやろうと思っていたのにダメじゃないか)
 自覚していない──のではなく、認めたくない右京への想いに戸惑う大志の動揺を知ってか知らずか、
「初心者は割りげいこから始める。道具の扱い方を学ぶ基本だ」
 そう言い終えたあと右京は「まず道具を用意するから隣の水屋へ行け」と命じた。
「うん……じゃなくて、はい」
 あれだけ反発していたのに、ここにきて素直に従ってしまうのはどうしてだろう。非日常空間の成せる業なのか。それとも今の彼が醸し出す高貴な雰囲気のせいか。
 水屋とは茶道具置き場且つ、布巾を洗ったり水を汲んだりする、いわば準備室である。そこで右京は大志に、必要な道具の揃え方をひとつひとつ丁寧に教えた。
 水に濡らして絞った茶巾をふくだめ茶巾と呼ばれる形にして茶碗の中に仕込む。さらに茶筅を入れ、薄茶器である棗と茶杓、茶碗を盆の上に乗せれば初歩の形式である盆略セットの出来上がりだ。
 これらの道具一式を持って四畳半に戻ったあと、扇子を持っているかの問いに、大志は忘れかけていた怒りをわずかながらに取り戻した。
「洸くんにいろいろ貰ったけど……袱紗だけない」
「そうか」
「そうかって、思い当たる節があるだろ?」
「さあ。知らんな」
「しらばっくれるなよ! あんたがカッターで……」
「袱紗なら練習用のものがここにある。これを使え」
 聞く耳持たぬというよりは、まったく気にしていない様子で、右京は鮮やかな紫色に染められた無地の布を手渡し、大志は肩透かしを食らった気分になった。
(なんだか嘘をついてるようには見えないけど……しらばっくれてるんじゃなくて、本当に知らないのかな?)
 右京への疑いが消えかかった反面、別の疑問が湧いてくる。
(だとしたら真犯人はいったい誰なんだ?)
 推理を巡らせている暇はなかった。さっそく右京の特訓が始まったからだ。
 男性用は主として紫、女性用は赤や橙色が基本色の袱紗は縦が二十八センチ、横が二十七センチの、ほぼ正方形の布地で、個人で所持する重要な小道具だ。
 そんな袱紗の扱い方から始まった割りげいこは棗、茶杓の拭き方、茶碗を茶巾で拭く手順、茶筅の扱いと、順調に進んだ。
「思ったよりおぼえがいいな」
 こちらの仕草を見守っていた右京が満足そうに言ったため、大志は少なからず驚いた。シニカルな笑いを浮かべながら辛辣なコメントを述べるとばかり思っていたからだ。
「この調子ならすぐに平点前に入れそうだ」
「平点前って?」
「次の段階の点前だ。そいつを習得したら棚点前、飾り点前と続く。どれも微妙な違いをつけているから、覚えるには骨が折れるぞ」
「うげー」
 うんざりしながらも、大志は初めて習った茶道がなかなか面白いものだと感じていた。古臭い、年寄り臭いといった固定概念を持つのはものの見方を狭くするという、いい教訓になった。
 棚点前に使う棚の種類や、飾り点前とは茶碗や茶杓、茶筅をそれぞれ飾るなど、道具から作法までを詳しく解説する右京の言葉に耳を傾けながら、大志は彼がいかに茶道というものを愛しているのかを感じ取った。
「あのさ、稽古サボッて酒ばっかり飲んでるみたいな評判が立ってるけど、本当はそんなに練習熱心なのにどうして?」
 亮太が「右京はやる気がない」と軽蔑していたのを踏まえての発言で、それを聞いた右京は苦笑いを浮かべた。
「サボッて酒ばっかり、か。まあ、批判を受けても仕方ないが、どっちにしろ俺に出る幕はないからな」
「それって、後継者のことで家元や洸くんに遠慮してるって意味?」
「まさか。だがな、今は余計ないざこざを起こすわけにもいかねえんだよ。能ある鷹は爪を隠す。ま、大人の事情ってやつだ」
 右京を我が子、もとい、我が孫のように可愛がっている菊蔵夫妻が引き止めるというのもあるが、大好きな茶道を続けたい、その思いがあるからこそ、彼はマンションで一人暮らしをするといった行動をとらず、屋敷に居残っているのではないか。
 大学生という身軽な立場で金銭的余裕もあるのだ。そうでもなければ自分を毛嫌う人たちの中で辛い思いをした挙句「早く出て行けばいいのに」と言われてまで住み続ける理由がない。
 二時間ほど経った頃、菊蔵が顔を覗かせた。稽古の様子を見にきたのだ。
「いかがですか、大志様は?」
「なかなか筋がいい。これならすぐ茶会に出せるだろう」
「そうですか、ありがたいことです。右京様の手ほどきもよろしかったのでしょうね」
 生真面目な菊蔵がお世辞を言ったのが可笑しかったのか、右京はケラケラと笑った。
「俺を褒めても何の得にもならないぜ」
「いいえ、右京様は四代目お墨付きのセンスの持ち主ですから。家元もそこを見込んで、大志様の指導は右京様にと」
「ふん、あのエロ親父にか。なめられたもんだな」
 今日はここまでと片づけを始めたところで、菊蔵は二人に六代目の意向を伝えた。
「つまり、今夜の夕食は大志様の歓迎会を兼ねた晩餐会ということでして、私共も含めて全員で一緒に食事を……」
「俺はパスだ」
 髪をほどきながら、右京は菊蔵の言葉を冷たく遮った。
「俺なんぞが末席を汚したら、せっかくの美味いメシもマズくなるだろ? 遠慮しておくに限る」
「右京様、しかしそれでは八重が……」
「さーて、飲み直しに行くとするか」
 コートを羽織り、振り向きもせずに出て行く男の後姿を見送って、大志は菊蔵と同時に溜め息をついた。
(やっぱりな……参加するとは思ってなかったけど)
 菊蔵が申し訳なさそうにするのを「気にしないでください」と慰めると、
「八重がここのところ右京様のお顔を見ていないと嘆くものですからね。何とか食事だけでもと思っていたのですが」
 たしかに昨日もそんな感じだったと、大志は頷いた。
「大志様のお名前を出せばと考えましたが、やはり無理でしたか」
「まさか、あの人がオレの歓迎会なんて参加するわけないですよ」
 すると、老弟子は思いがけないことを口にした。
「いえ、右京様は大志様がいらしてから、ずいぶんとお変わりになりました」
 彼はいったいどういうふうに変わったというのだろう。大志の視線を受けた菊蔵は「今日は早くから街へと出向かれていたようですが」と続けた。
(で、大酒をくらっていた、と)
「そういうときはたいてい午前様で、出先から戻ってまで稽古を引き受けるなんて、今までは考えられなかったことです」
「えっ、そうなんですか?」
「お召し物も変わられた。心に鎧を着るようになった右京様の、鎧の象徴が黒い服ではないかと私は思っておりますが、今日は」
 そうだ、青いシャツを着ていた。彼が黒以外の色を身につけるのは近年なかったと菊蔵は証言した。
「あのように素直な態度をとらない方なので傍目にはわかりにくく、誤解を招くことも多いのですが、右京様は大志様に心を許していらっしゃると私は誓って申し上げます。大志様は救世主です」
「そ、そんな、大袈裟な」
「私共が成しえなかったこと、大志様ならと希望を抱いているのですが……」
 右京は大志に親しみを、友情を感じているとでも言うのだろうか。
 数少ない自分の味方に加わってくれて感激だ、などと考えているとは思えない。そもそもだ、友情に属する感情を抱く相手に無理やりキスなんかしない。
(それともまさか愛情? ……って、オレってば今、何を考えていたんだっ! よりにもよって、そんなバカな)
 一人でドツボにハマり、混乱に陥る大志ににこやかな視線を向けて、菊蔵は「いえ、老人の戯言とお笑いください。それでは参りましょうか」と促した。

    ◆    ◆    ◆

 花月堂をあとにした大志は菊蔵と共に、彩月荘一階のダイニングへと向かった。
 この場所も他に負けず劣らず、広くて豪勢である。今日は特別な晩餐会とあってか、ゆうに十人は席につけるであろう食卓の上には真っ白なテーブルクロスがかかり、赤いバラを生けた花瓶が飾られ、銀色の食器が本物の輝きを放っていた。
 今夜の和久は洋装で、大志の姿を見ると、にっこりと微笑みながら手招きをした。
「さあさあ、そちらに座って」
 彼の左隣には真紀が腰かけていたが、こちらも藤色のワンピース姿で妖艶ぶりを見せつけている。
 さらにその隣に優華、洸は和久の右の席に座し、内弟子たちは彼らの向かいにそれぞれ着席したが、亮太だけは八重の手伝いに借り出されていた。
 そこに静蒼院家最後の一人の姿はない。差し障りのない話題が取り上げられるばかりで、誰もその男がいない理由について触れようとはしなかった。
「さて、本来ならこの晩餐会は昨日、催すべきだったのだが、私が外出していたせいで今夜に延びてしまった。大志くん、すまなかったね」
 みんな正装に近い、それなりにきちんとした格好をしているのに、歓迎される人すなわち主役のはずの自分は普段着であるチェックのワイシャツを羽織っただけだ。
 何だか肩身が狭い、そんな思いをしながら大志は軽く会釈をした。
「いえ……ありがとうございます」
「さあ、それじゃあ歓迎の乾杯をしようか。未成年はもちろんジュースだよ」
 今夜の食事は出張ディナーサービスとやらで、市内でも有名なレストランのシェフを呼んで最高級の材料で作らせたものらしく、贅沢の極みと呼べる内容だった。
 オードブルにサラダ、スープに続いてメインディッシュのステーキが湯気を立てながらテーブルの上に並んだ。
「菊蔵さんは肉より魚の方がいいっしょ?」
「ああ、亮太さん。どうもありがとうございます」
 ギャルソンスタイルで給仕をする亮太に菊蔵が頭を下げる。少し飲んだだけで酔ってしまったと苦笑する様子は普段見られない、微笑ましい姿だ。
 和久は上機嫌で赤ワインを嗜み、ナイフとフォークを器用に使いながら茶の湯の歴史を熱く語り、洸も将来、自分が茶会を持った際のプランなどを嬉しそうに話した。
「そのときには大志くんに半東(亭主の助手的存在)をやってもらうから、早く上達してね」
 洸の言葉を聞いて、他の内弟子たちが大志をジロリと睨んだ。
『この新参者めが。来て早々、洸様にずいぶんと気に入られているじゃないか。古参のオレたちなんかよりもずっと頼りにされてるなんてムカつくぜ』
 心の声が聞こえてきて居心地が悪い。話題を変えようと、大志は「は、はあ……茶会って、どんな感じでやるんですか?」などと遠慮がちに訊いた。
 茶会は大きな寺院の和室を借りたり、イベント会場などで行われたりする場合もあるが、静蒼院家では自分たちの敷地にある昇月庵か、残月庵のどちらかを使って催すことがほとんどである。
 そこに客を招いて茶を振る舞う。会の主旨によっては懐石料理を出す、茶事と呼ばれる席になることもあった。
 茶道家としてのステータスである茶会の主催者になれるのはもちろん、ある程度の資格を取得した上級者、すなわち弟子のとれる先生クラスの者だ。
 右京にはその資格があるのだろうか。そうでなければ家元になれるはずはないが、風格なら立派に備えていた。
 茶会を取り仕切る家元としての右京を見てみたい。きっと、今までで一番素敵な彼が見られるはずだ。
 着物姿も凛々しい右京を思い浮かべたあと、大志は一人で赤くなった。
(うわー。オレ、恋する乙女になってる。ヤバイな、完璧にヤバイ)
 最悪の死神から最愛の家元に変わってしまうなんて。でも……もう自分の心を欺くことは、否定することはできない。大志は右京への切ない想いをかみしめた。
「ふーん。半東やるなら、道具も大切に扱わなくっちゃ。ねっ、お兄様」
 それまでおとなしくしていた優華が毒を含んだ声で茶目っ気たっぷりに言った。
「えっ? あ、ああ、そうだね」
 いきなり話を振られて、洸は曖昧な返事をしたが、その言葉を聞いた大志にはピンとくるものがあった。
(そういうことだったのか!)
 袱紗を刻んだ犯人はこいつに間違いない。洸が紙袋を渡す場に居合わせていたから、中身が何かを知っている。次に、大志が夕食の支度を手伝っている間に部屋へ忍び込むことは充分可能だった。
 友達などと言って兄が大志に肩入れするのが気に食わなくてやらかしたのだろうが、あまりにも陰険であくどいやり方だ。
(ちっくしょーっ!)
 怒りを込めて睨みつけると、優華はふふんとバカにしたように笑った。
 しかし、警察の手でも借りない限り、彼女の仕業だと証明する方法はない。そこまでオオゴトにできるはずもない。
 ましてや当家のお嬢サマだ、告発なんて無理に決まってる。菊蔵に話したところでどうにもならないだろうし、家元に訴えるのも勇気がいる。
 そもそも実の娘がそんなことをしたなんて信じないだろう。つまらない言いがかりをつけたと責められるのがオチだ。
 だが、それより何より右京を犯人扱いした自分が許せなかった。
(クソッ、オレってヤツはいったいどこに目をつけていたんだ。そのせいであいつを疑ってしまったなんて……)
 悔やんでも悔やみきれない。
 急に肩を落としてしまった大志を心配そうに見つめていた洸は父に了解を得て、大志の隣の席に移ってきた。
「ねえ、学校の印象はどうだった?」
 明るい話題を持ち出しては気分を盛り上げようとする洸の心遣いが感じられると、却って申し訳ない気がする。大志は無理に笑顔を作り、洸との会話を弾ませるよう務めた。
 デザートとコーヒーが運ばれてきて、晩餐会も終わりに近づいたその時、彼はふらりと現れた。
 それにいち早く気づいたのは厨房にいた八重で「あら、お帰りなさい」という嬉しげな声に皆が一斉に振り返り、チッと亮太の舌打ちする音が聞こえた。
 右京はテーブルに着いた人々に一瞥をくれると「これはこれは、皆さんお揃いで」と冷ややかな言葉を投げかけた。
(あ、あいつ何やってるんだ? 飲み直しに行ったんじゃないのか?)
 早々に舞い戻ってくるなんてと、右京の心境を計りかねる大志、それなりに楽しく盛り上がっているかに見えた晩餐会は一転して緊張感の漂う場になってしまった。
「お、おや、今帰ったのかね。では食事にしたらどうだ。八重さん、料理を……」
 取り繕うとするかのような和久のセリフは「済ませてきたから結構です」という右京の返事に遮られた。
「それより八重さん、水くれないかな」
「もう飲み過ぎですよ、右京様。身体を壊しても知りませんからね」
 グラスの水を飲み干す右京の衣服から酒とタバコ、それに香水の強い匂いが漂ってくると、優華が露骨に嫌な顔をした。
「あのゲイ・バーよ、きっと。またあそこに行ったんだわ。いやらしい」
「優華、黙ってらっしゃい」
 娘を諌めながらも、真紀も不愉快そうに柳眉を逆立てている。
 優華の漏らした言葉が気になった大志は洸に耳打ちした。
「ゲイ・バーなんてあるの?」
「うん。『かどくら』のお店がある商店街の先、飲み屋が集まる繁華街に一軒だけね」
 小声で答えた洸は不安と心配が入り混じった表情で右京を見た。
「兄さんはその店に入り浸っているらしいんだ。誰も僕たちに直接言わないけれど、学校でも評判になっていて……ほら、兄さんも明凰のOBだから、みんな知ってるんだよ」
 ゲイ・バーとオカマバーの違いがわからない大志はテレビで観たことのある、女装した男たちが華やかに踊る店を想像したが、どうやらそういうところではなく、かなり『ヤバイ店』らしい。
 優華が以前にも汚らわしいとか不潔だと言っていた理由が判明した。静蒼院家の者にとっては周知の事実だったのだ。
 右京に同性愛の指向があるとはっきりしたことは喜んでいいのか悲しむべきなのか、複雑すぎてわからない。
 ただ、何となく不快だった。
 優華たちと同じ意味合いではない。右京の関心が『門倉大志以外の見知らぬ男』にも向けられていたことが大志のプライドを傷つけたのだ。それは嫉妬、ジェラシーに他ならなかった。
 大志と視線が合ってニヤリと笑ったあと、右京は「邪魔者は退散しますから、ごゆっくり」などと捨てゼリフを吐いた。
「……まったく、何様のつもりかしら」
 右京が消えた扉を睨みつけた真紀は「気分が悪い」と言って部屋に戻り、それを合図に会はお開きとなった。

    ◆    ◆    ◆

 ダイニングから引き揚げたあとも部屋へ戻る気分にはなれず、大志は建物の表へと彷徨い出た。
 十三夜の月が不完全な円を描いて夜空を薄く照らしている。
 この月の美しさに、かつての家元たちは月のつく名前を好んだのだろうと少しばかり風流な気持ちになったが、それも今の大志を完全に癒してはくれなかった。
「オレ、どうなっちゃうんだろ」
 傷ついた心を抱きかかえるように、大志は両腕を胸の前で交差させ、両手でワイシャツの襟を握りしめた。重く深い溜め息ばかりが漏れる。
 たとえ男であっても、右京を好きだと思う気持ちに嘘偽りはない。ずっと目を逸らしていたけれど、涙を拭われ、抱きしめられた時から心は決まっていた。
 そして右京の方も大志を愛おしいと思っているのではと、ほのかな期待を抱いていた。たとえ可能性はわずかでも、そう信じていたかった。
 右京の様子が変わったのは大志に心を許したからだという菊蔵のお墨付きもあるし、可愛い内弟子のためならとも言っていたではないか。
 あの時はふざけているのかとムカついたが、あれが彼の本心だった。少なくともさっきまでは、ゲイ・バーの話を聞くまではそんな希望を持っていた。でも……
 右京は自分の知らない場所で、知らない誰かとどんなふうに関わっているのだろう。その人と酒を飲み、会話を弾ませ、意気投合する。弾みでキスしたかもしれないし、それ以上の関係を持ったかもしれない。自分にキスしたあの唇で他の男と……
「イヤだ、そんなのイヤだ!」
 大志は激しくかぶりを振ったが、すぐに思い直した。
 現実として受け入れなきゃいけない。二十歳の男が聖人君子然として、清く正しい生活を送っていると考える方が無理なのだ。
 ましてやあれだけの美形で金もある。それが遊びであったとしても、彼にはたくさんのお相手がいて当然だ。
 そうとも知らずに浮かれていたなんて、門倉大志は何とまあ、単純でおめでたいヤツなのか。こんな自分が不憫でたまらない。
 さっきの砂利道を進んで花月堂の傍まで行くと、裏庭の辺りから煙のようなものが漂っているのを発見した。
「えっ、火事?」
 普段は火の気がある場所ではない。もしや不審火かと慌てて近づくと、庭にある三段ほどの石段に腰掛ける人影が見えた。
 右京だった。彼もまた、ダイニングを出たあと部屋へは戻らずに、ここでタバコを吸っていたのだ。
 微かな風に背中の上で髪が揺らいでいる。ぼんやりと月を眺めながら煙を吐く横顔は寂しげで、傲慢な死神でも崇高な家元でもない、ただの孤独な男の顔だった。
 自分を悩ます問題の人物にこんなところで会ってしまうなんて。
 寂しい横顔が気にかかるものの、予想していなかった展開に戸惑い、このままこっそり引き返そうと大志は後退りしたが「何を隠れている」の声に足が止まった。
「べ、別に隠れていたわけじゃ……」
「先生に言いつけても無駄だぞ。俺は成人なんだからな」
「そんなのわかってるよ」
 返事をしてしまった以上戻るわけにはいかず、かといって傍に行くのも憚られる。まごまごしていると、
「何か用か?」
「用って……特にないけど」
「とりあえず座れ」
 この裏庭には茶花に使われるフジバカマが植えられており、葉も花も温かな夜風に吹かれてそよそよとなびいていた。
 石段の隅に腰を下ろした大志はそこに灯る黄色の光を見つけて身を乗り出した。
「蛍……かな? ちょっと季節が早い気もするけど」
 この近くを流れる小川には蛍が生息していると聞いていたし、そこから迷い込んできたのだろう。
 漆黒の闇に月が白く冷たい光を流し込み、黄色い灯火が小さく灯る。怖いほど静かで優しい夜だ。
 月を見上げているうちに、肩の力が抜けて素直になれた気がする。大志は「オレ、謝らなきゃならない」と呟いた。
 黙ったままタバコをふかす右京を見やり、彼は続けた。
「洸くんに貰った袱紗のこと……疑ってたんだ、ゴメン」
「鍵をかけろと忠告したはずだ」
「うん……でも、どうしてオレが変なこと言ったときに何も反論しなかったんだよ」
「俺は犯人じゃない、そう言い訳すれば、おまえは俺を信じたのか?」
「それは……」
「だったら何を言っても無駄だ」
 胸が締めつけられたように痛くなって思わずうつむく。
 そうだ、彼の言い訳を聞いたら聞いたで、きっと別の難癖をつけて疑いを深めていただろう。
「ゴメン」と、もう一度謝ろうとした時、
「洸か。そうとう気に入られたようだな。家元もそうだ、二人ともすっかり骨抜きになっていたぜ。さっきの晩メシの席で鼻の下を伸ばしまくっていた」
 右京は嘲るように言ってのけた。その口調には軽蔑と嫉妬が見え隠れしているのがわかった。
「骨抜きって、別にそんな」
「自覚のないところが怖いな。お気に入りだった女と瓜二つの息子がやってきたんだ、浮かれるなと言う方が無理かもしれないが」
「洸くんは母さんを知らないはずだ」
「父と子のDNA繋がりじゃないのか」
 どうしてそんな話を始めたのかと思いながらも、不愉快になった大志は「みんなの様子を確認するために、水を貰うのを口実に晩餐会へ乱入したってわけ?」と訊いた。
「ああ。連中からますます顰蹙を買ってまでもな。俺も相当ヤキがまわったらしい」
 右京は大志の面に視線を走らせて苛立った顔つきになった。それから左手で自分の髪をかきむしるような仕草をした。
「気にするなと自分に言い聞かせたんだが、俺の見えないところでヤツらがおまえにベタベタしているかと思うと、居ても立っても」
「えっ?」
「い、いや、何でもない」
「いてもたっても、って?」
「だから何でもないと言っただろう!」
 声を荒げた右京はイライラと落ち着かない様子で必要以上にタバコをふかした。
「何急に怒ってんだよ」
「黙れ」
 身体をビクリとさせた大志を見て、さすがに言い過ぎたと思ったのか、右京はすぐさま詫びを入れてきた。
「悪かった」
「別に……いいけど」
 気まずい沈黙が漂う。
 居心地の悪さをどうしたらいいのかわからず小さな灯火を目で追っていると、右京が再び口を開いた。
「おまえ、俺にゲイかと訊いたよな」
「う、うん」
「『オレにはそういう趣味はない』と言いかけたよな」
「そう……だけど」
「今はどうだ?」
 心臓がドキリとする。気がつくと右京は大志のすぐ傍にいて、熱を帯びた目でこちらを見ていた。
「今は……」
「やる気のないヤツはイヤか?」
 互いの視線が絡み合ったあと、右京は大志の頬を両手で包み込むようにした。
「今は……」
 大好きだ。
 唇が触れ合う前に大志は目を閉じていた。
「……噛みつかないのか?」
 わずかに首を振る。柔らかく温かな感触、タバコの匂いも今は許せた。
「あれは痛かった」
「ゴメン」
 強く抱きしめられると、昨日の温もりが甦ってきて身体を包み、満ち足りた幸せな気分に浸る。
「殴られた瞬間からマジになってた」
「怒ってたんじゃなかったの?」
「逆だ。一発食らって目が覚めたとたんに惚れていた。それからはおまえの周りをうろうろして、まるでストーカーだ。何かにつけて一喜一憂しちまって、まったく骨抜きは俺の方だ」
 凄味のある容姿、不器用で愛情表現が極端に下手、そんな男の遠回しな告白に胸が熱くなるのがわかる。大志は甘えた仕草で右京の胸に頬を寄せた。
「右京って呼んでいい?」
「ああ」
 もう一度キスをしたあと、これまで悩まされたお返しだと、大志はわざと意地の悪い質問をした。
「それで、今夜はもうゲイ・バーには行かなくてもいいんだ」
「聞いたのか」
「うん。さっきの食事のときに」
「あいつら、余計なことを……」
 彼らしくもなく、焦った様子を見せた右京は「気にするな」と言った。
「そう言われても」
「一昨日までの話だ。おまえが来てからは一歩も足を踏み入れていない」
「でも、香水の匂いがしたって」
「他所でついただけだ。気にするなって何度も言わせるな」
 緊張が解けたように肩で息をついたあと、右京は神妙な顔をした。
「ムシャクシャすることが多過ぎた。酔って自分を解放するしかなかった。あの店に出入りするようになったのも、捌け口を求めてのことだ」
 捌け口とは性的欲求、セックスで自分を解放していたのだろうか。またしても大志の中の嫉妬心が疼いた。
「さぞかし、たくさんの友達ができたんだろうね」
「おまえ……イヤミなヤツだとは思っていたが、それ以上にしつこいな」
 弱ったといった様子で、右京は言い訳にもならない言い訳を始めた。
「六代目のスケベぶりに比べたら、俺なんてまだまだカワイイもんだぜ」
「六代目がスケベ?」
 いかにもジェントルマンな容姿からは想像できずに訊き返すと、
「この辺りじゃタラシで有名だ。洸の母親と離婚した原因も女関係だったらしいが、あの売女に捕まって年貢を納めたってわけだ」
 そう吐き捨てたあと、右京は「女ってやつはどいつもこいつも狡賢い生き物だからな。関わりたくもねえ」と呟いた。叔母と従妹の存在が彼の女性観を歪めたのだろう。
「それでゲイ……あ、オレの母さんのことはどうなの? オレ、母さんに似ているせいで嫌われてるんだと思ってたんだけど」
「似ている、似ていないは関係ない」
「だってほら、最初に言ったじゃない、家元に取り入ろうとしてるとか何とかって。言っとくけど、オレはそんなつもりで来たんじゃないよ。四代目の遺言に書いてあるからって、ジイちゃんに説得されたんだから」
 この際だからと、気がかりだった質問をぶつけた大志だが、その瞬間、右京の様子が変わった。先程見せた、照れるとか戸惑うといった感じの変化ではない。月明かり程度ではハッキリわからないが、顔色が青ざめているようだった。
「それは……それも気にしなくていい」
「どうかしたの?」
「俺の勘違いだ」
 落ち着かない様子で腕時計に目をやった右京は「もう遅いから部屋へ入れ」と急き立てるように大志を促した。
「でも……」
「一緒に行きたいところだが、玄関にある防犯カメラ、あれに並んで映ったりしたら何かと都合が悪いからな。先に行け、俺もあとから帰る」
 母の話題を出したとたんに右京の態度が変わったのはなぜなのか。急に慌てたような素振り、ただの勘違いでこんな反応になるとは思えない。
 どうしてだろうと不満を抱きつつも、不承不承に頷いた大志は後ろ髪を引かれる思いで砂利道を戻った。
 彩月荘の二階に上がり、薄暗い廊下を進んで自分の部屋の前に着いた瞬間、彼は頭を殴りつけられたようなショックを受けて目を見開き、呆然と立ちすくんだ。
 扉に貼られた白い紙に血で書いたような真っ赤な文字が踊っている。そこに込められたドス黒い怨念が感じられ、見ているだけで鳥肌が立つ、不気味な光景だった。
『警告スル スグニ出テ行ケ』
 魑魅魍魎が跋扈する化物屋敷──
 筆跡を隠すためかミミズののたくったような、下手な文字が却って薄気味の悪さを増大させ、恐怖を煽る。
 思わず紙を引きちぎると、震える手で鍵を開け、後ろ手で閉めたドアにもたれて息をつく。脚がガクガクと震えていた。
 誰がこんなことを? 
 またあの女の仕業だろうか? 
 右京が話していたように、家元と洸が大志をチヤホヤしている、誰の目にもそう映っていたなら、袱紗の時と同じく優華が卑劣な行為に出た可能性はある。
 いや、もしかしたら内弟子たちの誰かかもしれない。洸の、半東を頼む云々の発言が妬みを買っていたとしたら、充分に有り得るではないか。
 くしゃくしゃに丸めた紙から自分を呪う声が聞こえてくるようで、大志はそれをゴミ箱に勢いよく投げ込むと部屋を飛び出した。
 廊下を横切って右京の部屋の扉を叩いたが返事はなかった。
 まだ外にいるのだろうか。だが、なかなか帰ってくる気配はない。
(右京、どこに行っちゃったんだよ? こんなに傍にいて欲しいのに……)
 寒いはずはないのに悪寒がする。胸に何かがつかえたように苦しい。鳩尾も痛くなって吐気を催し、唇を掌で覆う。
 帰らぬ右京を待ってドアの前に座り込んだ大志は膝を抱えたまま、いつしかまどろんでいた。
 ──気がつくと夜が明けていた。
                                   ……③に続く