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オリジナルBL小説をお披露目しちゃいます

   紅蓮の炎 ③

    第三章  師範は死神

 翌日、大志は洸たちと共に亮太の運転する高級乗用車で学校へ向かい、そこで明凰学園の生徒たちからの、妬みと羨望の眼差しを受けた。この地では静蒼院家と関わりがあるというだけで特別視されるらしい。
 帰りもまた亮太が迎えにきていたが、家元一家専属の運転手というのが彼に与えられた使用人としての主な仕事なのである。したがって子供たちの通学以外にも、和久や真紀を乗せて、あちらの茶会こちらの会合と御供をするようだ。
 洸たち兄妹は幼稚園の頃からの送迎で慣れっこ、ゆったりとした後部シートでくつろいでいる。
 ちょっとしたドライブ気分というわけで、車で学校を往復するなんて贅沢なと落ち着かないのは助手席の大志だけだった。
 昨夜の出来事も彼の心に暗い影を落としていた。あまりのショックになかなか寝付けず、今も頭痛がする。
 新品の袱紗を切り裂いたのはいったい何者なのか。
 他に壊されたものや盗まれたものはなかった。なけなしの金が入った財布も手つかず、犯人は袱紗だけを狙ったのだ。
 ネズミやゴキブリの仕業であるはずがない。やつらがカッターナイフを扱うなんて聞いたためしがない。それはやはりヒト……
 黙りこくる大志の存在を無視しようとしてか、優華はハンドルを握る亮太に、甘えるような声でしきりに話しかけていた。
「それでねぇ亮太、ねえ、聞いてよ」
「はいはい、わかったから」
「ちゃんと聞いてってば、もう!」
 気のいい亮太が弱り顔でワガママ娘のお相手をする様子に苦笑していた洸は車が屋敷の前へと到着すると、大志に声をかけた。
「今日から稽古を始めるから、あとで花月堂に来てね」
 ズキリッと胸が痛む。貰ったばかりの袱紗が侵入者に刻まれてしまったなんて、とても今は言い出せそうになかった。
「う、うん。わかった」
 返事をしたものの、どうしたらいいのだろうと焦る大志、ところが迎えに出た菊蔵から「大志様のお稽古は右京様がつけることになっておりますので」と告げられ、彼は思わず洸と顔を見合わせた。
「右京兄さんが?」
「はい。お家元の指示でございます」
 洸は残念そうに唇を噛んだ。家元の命令とあらば、たとえ息子であっても逆らえない。
「では大志様、のちほど花月堂へ」
「は、はい」
 恨めしげな洸の視線を避けるようにして、大志は部屋へ入ると制服から普段着に着替え、今度こそ鍵をかけようとして手を止めた。
 この部屋の主が鍵をかけないことと、ベッドの上に袱紗入りの紙袋があったことを知り得る人物はただ一人だ──
「わざとらしくアドバイスなんかしてたけど、まさか?」
 愕然とし、怒りで身体が震えてきた。
「これって嫌がらせ? けっきょくオレが目障りってこと? 母さんに似ているのがそんなに気に食わないのかよ!」
 そんなふうに疑い始めるときりがなくなるもので、手も震えて鍵がうまく回らない。
「そういえば、いきなり冷たい態度になって出て行ったっけ。からかってたんだ。すっかりその気になったオレの反応を見て面白がってたんだ。慰めるつもりなんて、これっぽっちもなかったんだっ!」
 犯人は右京であるという思い込みにブレーキがかからない。
 証拠もないのに疑ってはいけないと諌める一方で、裏切られた思いに落胆し、とてつもない悲しみに囚われた大志、その目には不覚にも涙が溢れてきた。
 悔しい、たまらなく悔しい。
「やっぱりあいつは悪魔、死神なんだ!」
 そうこうしているうちに菊蔵が呼びに来たため、適当な返事をした大志は何とか鍵をかけて階下へ向かった。
(こうなったら直接対決して、本当のことを聞き出してやる!)
 両脇を庭木に挟まれた、狭い砂利道を勢いに任せて進んでいると、小石を踏む足音が重なって聞こえてきた。誰かが後ろから近づいてくる。この冷たい気配は……
「遅れて御到着か。まるで重役出勤、いい身分だな」
 振り返ってキッと睨みつける。またしてもふうん、と鼻で笑う黒ずくめの男の全身から強いアルコールの匂いが漂っていた。
 さらに湧き起こる怒りを抑えながら、大志は精いっぱいの厭味を込めて「この時間から晩酌ってのもいい身分だと思うけど」と、あてつけがましく言ってやった。
「ああ。せっかく一杯やっていたのに、初心者の稽古につき合えとジジイに呼び戻されちまってな」
「無理に戻らなくても、ゆっくり飲んでりゃよかったのに」
「可愛い内弟子のためなら、宇宙の果てからでも戻ってくるさ。さあ、この師匠を熱烈歓迎してくれよ」
 そう言うが早いか、右京は大志の腰を素早く抱き寄せ、唇を塞いできた。弾みで後退りすると、ザザッと足元の小砂利が擦れ合う音が響く。
 声にならない声で喚き、相手から逃れようと大志はもがいたが、長い腕にがっちりと捕まって動けない。
「んっ……あ」
 唇も舌も、頭の芯までも痺れてしまったようで、意識を失いかけながらも大志は残された気力を振り絞って右京の舌に噛みついた。口の中に血の味が広がる。
「……ちっ」
 右京は唇の端に血を滲ませながらも、ゾクリとするような笑みを浮かべた。
「やはり見込んだとおりだ。その気の強さ、俺の好みにぴったりくる」
 ペッ、と血まみれの唾を砂利の上に吐いたあと、右京は再び右腕を強くつかんできた。
「手を放せ!」
「いいから、おとなしくついて来い」
 引きずられるようにして花月堂へ向かう間、大志の頭の中は今の出来事のせいで大混乱を起こしていた。
(この卑劣な変態ゲイ野郎にキスされるなんて、オレってば何やってんだよ! 絶対、絶対どうかしてるっ!)
 隙を突かれたのはこれで二度目だ。悔しさと憤りと、それでいて唇の甘美な余韻に目眩がする。
 いきなりのキスに動転した上にすっかり気勢を削がれてしまい、もう何をどうしていいのか自分自身がわからなくなっていた。
 花月堂は太い柱が黒光りした、いかにも年期の入った建物で、土間に男物と女物の草履がそれぞれ並んでいるのが目に入った。
 六室ある稽古用の茶室のうち、手前の二部屋で通いの弟子たちの稽古が行われており、着物姿の中年女性数人の姿に、和久と彼を補佐する菊蔵が指導にあたっているのが垣間見える。
 右京が稽古場に選んだのは広さ四畳半、中柱や風炉先窓が設けられた本格的な造りの茶室だった。障子からいくらか陽が差し込んではいるが、灯りなしでは薄暗い部屋である。
 さっきから不満と苛立ちがくすぶっていた大志だが、この部屋に入ったとたんに気分が和らぐのを感じた。
 茶室とはまさに癒しの空間だ。その昔、武士たちが太刀を預けて茶の湯を嗜んだ気持ちがわかる気がした。
「さてと……そんじゃ、いっちょ始めるか」
 右京はコートを脱ぎ、髪をひとつに結わえてからブルーのシャツの袖をまくり上げた。
(えっ……?)
 またしても不思議な感情が大志の胸の内に湧いてきた。目の前にいる右京はこれまで見てきた彼とはまた違う、崇高なオーラのようなものをまとっていた。
「いいか、この位置に座るのは亭主と呼ばれる、茶をたててもてなす側のメインだ」
 亭主とはその家の主人という意味があるため、夫のことも亭主と呼ぶのだ。
「それからおまえのいる位置が正客、もてなされる側のメインだな」
 さっきまで酒の匂いをプンプンさせていた男が亭主の座に着いたとたん、ピンと背筋を伸ばして正座している。
(七代目家元だ!)
 きりりと引き締まった顔、その凛とした姿はまさに茶道家元の風格を備えていて、カッコイイというより凛々しいという表現がしっくりくる。思わず見惚れた自分に気づいて、大志はうろたえた。
(こら、卑怯者の正体を暴いてやろうと思っていたのにダメじゃないか)
 自覚していない──のではなく、認めたくない右京への想いに戸惑う大志の動揺を知ってか知らずか、
「初心者は割りげいこから始める。道具の扱い方を学ぶ基本だ」
 そう言い終えたあと右京は「まず道具を用意するから隣の水屋へ行け」と命じた。
「うん……じゃなくて、はい」
 あれだけ反発していたのに、ここにきて素直に従ってしまうのはどうしてだろう。非日常空間の成せる業なのか。それとも今の彼が醸し出す高貴な雰囲気のせいか。
 水屋とは茶道具置き場且つ、布巾を洗ったり水を汲んだりする、いわば準備室である。そこで右京は大志に、必要な道具の揃え方をひとつひとつ丁寧に教えた。
 水に濡らして絞った茶巾をふくだめ茶巾と呼ばれる形にして茶碗の中に仕込む。さらに茶筅を入れ、薄茶器である棗と茶杓、茶碗を盆の上に乗せれば初歩の形式である盆略セットの出来上がりだ。
 これらの道具一式を持って四畳半に戻ったあと、扇子を持っているかの問いに、大志は忘れかけていた怒りをわずかながらに取り戻した。
「洸くんにいろいろ貰ったけど……袱紗だけない」
「そうか」
「そうかって、思い当たる節があるだろ?」
「さあ。知らんな」
「しらばっくれるなよ! あんたがカッターで……」
「袱紗なら練習用のものがここにある。これを使え」
 聞く耳持たぬというよりは、まったく気にしていない様子で、右京は鮮やかな紫色に染められた無地の布を手渡し、大志は肩透かしを食らった気分になった。
(なんだか嘘をついてるようには見えないけど……しらばっくれてるんじゃなくて、本当に知らないのかな?)
 右京への疑いが消えかかった反面、別の疑問が湧いてくる。
(だとしたら真犯人はいったい誰なんだ?)
 推理を巡らせている暇はなかった。さっそく右京の特訓が始まったからだ。
 男性用は主として紫、女性用は赤や橙色が基本色の袱紗は縦が二十八センチ、横が二十七センチの、ほぼ正方形の布地で、個人で所持する重要な小道具だ。
 そんな袱紗の扱い方から始まった割りげいこは棗、茶杓の拭き方、茶碗を茶巾で拭く手順、茶筅の扱いと、順調に進んだ。
「思ったよりおぼえがいいな」
 こちらの仕草を見守っていた右京が満足そうに言ったため、大志は少なからず驚いた。シニカルな笑いを浮かべながら辛辣なコメントを述べるとばかり思っていたからだ。
「この調子ならすぐに平点前に入れそうだ」
「平点前って?」
「次の段階の点前だ。そいつを習得したら棚点前、飾り点前と続く。どれも微妙な違いをつけているから、覚えるには骨が折れるぞ」
「うげー」
 うんざりしながらも、大志は初めて習った茶道がなかなか面白いものだと感じていた。古臭い、年寄り臭いといった固定概念を持つのはものの見方を狭くするという、いい教訓になった。
 棚点前に使う棚の種類や、飾り点前とは茶碗や茶杓、茶筅をそれぞれ飾るなど、道具から作法までを詳しく解説する右京の言葉に耳を傾けながら、大志は彼がいかに茶道というものを愛しているのかを感じ取った。
「あのさ、稽古サボッて酒ばっかり飲んでるみたいな評判が立ってるけど、本当はそんなに練習熱心なのにどうして?」
 亮太が「右京はやる気がない」と軽蔑していたのを踏まえての発言で、それを聞いた右京は苦笑いを浮かべた。
「サボッて酒ばっかり、か。まあ、批判を受けても仕方ないが、どっちにしろ俺に出る幕はないからな」
「それって、後継者のことで家元や洸くんに遠慮してるって意味?」
「まさか。だがな、今は余計ないざこざを起こすわけにもいかねえんだよ。能ある鷹は爪を隠す。ま、大人の事情ってやつだ」
 右京を我が子、もとい、我が孫のように可愛がっている菊蔵夫妻が引き止めるというのもあるが、大好きな茶道を続けたい、その思いがあるからこそ、彼はマンションで一人暮らしをするといった行動をとらず、屋敷に居残っているのではないか。
 大学生という身軽な立場で金銭的余裕もあるのだ。そうでもなければ自分を毛嫌う人たちの中で辛い思いをした挙句「早く出て行けばいいのに」と言われてまで住み続ける理由がない。
 二時間ほど経った頃、菊蔵が顔を覗かせた。稽古の様子を見にきたのだ。
「いかがですか、大志様は?」
「なかなか筋がいい。これならすぐ茶会に出せるだろう」
「そうですか、ありがたいことです。右京様の手ほどきもよろしかったのでしょうね」
 生真面目な菊蔵がお世辞を言ったのが可笑しかったのか、右京はケラケラと笑った。
「俺を褒めても何の得にもならないぜ」
「いいえ、右京様は四代目お墨付きのセンスの持ち主ですから。家元もそこを見込んで、大志様の指導は右京様にと」
「ふん、あのエロ親父にか。なめられたもんだな」
 今日はここまでと片づけを始めたところで、菊蔵は二人に六代目の意向を伝えた。
「つまり、今夜の夕食は大志様の歓迎会を兼ねた晩餐会ということでして、私共も含めて全員で一緒に食事を……」
「俺はパスだ」
 髪をほどきながら、右京は菊蔵の言葉を冷たく遮った。
「俺なんぞが末席を汚したら、せっかくの美味いメシもマズくなるだろ? 遠慮しておくに限る」
「右京様、しかしそれでは八重が……」
「さーて、飲み直しに行くとするか」
 コートを羽織り、振り向きもせずに出て行く男の後姿を見送って、大志は菊蔵と同時に溜め息をついた。
(やっぱりな……参加するとは思ってなかったけど)
 菊蔵が申し訳なさそうにするのを「気にしないでください」と慰めると、
「八重がここのところ右京様のお顔を見ていないと嘆くものですからね。何とか食事だけでもと思っていたのですが」
 たしかに昨日もそんな感じだったと、大志は頷いた。
「大志様のお名前を出せばと考えましたが、やはり無理でしたか」
「まさか、あの人がオレの歓迎会なんて参加するわけないですよ」
 すると、老弟子は思いがけないことを口にした。
「いえ、右京様は大志様がいらしてから、ずいぶんとお変わりになりました」
 彼はいったいどういうふうに変わったというのだろう。大志の視線を受けた菊蔵は「今日は早くから街へと出向かれていたようですが」と続けた。
(で、大酒をくらっていた、と)
「そういうときはたいてい午前様で、出先から戻ってまで稽古を引き受けるなんて、今までは考えられなかったことです」
「えっ、そうなんですか?」
「お召し物も変わられた。心に鎧を着るようになった右京様の、鎧の象徴が黒い服ではないかと私は思っておりますが、今日は」
 そうだ、青いシャツを着ていた。彼が黒以外の色を身につけるのは近年なかったと菊蔵は証言した。
「あのように素直な態度をとらない方なので傍目にはわかりにくく、誤解を招くことも多いのですが、右京様は大志様に心を許していらっしゃると私は誓って申し上げます。大志様は救世主です」
「そ、そんな、大袈裟な」
「私共が成しえなかったこと、大志様ならと希望を抱いているのですが……」
 右京は大志に親しみを、友情を感じているとでも言うのだろうか。
 数少ない自分の味方に加わってくれて感激だ、などと考えているとは思えない。そもそもだ、友情に属する感情を抱く相手に無理やりキスなんかしない。
(それともまさか愛情? ……って、オレってば今、何を考えていたんだっ! よりにもよって、そんなバカな)
 一人でドツボにハマり、混乱に陥る大志ににこやかな視線を向けて、菊蔵は「いえ、老人の戯言とお笑いください。それでは参りましょうか」と促した。

                               ……④に続く