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オリジナルBL小説をお披露目しちゃいます

魔性のオトコⅠ ①

  第一部  結成! 新生卓球部の巻


    第一章 男難の相


「……これ、そこの少年」
 スタスタ。
「これ、ちょっと待て」
 スタスタスタ。
「待てと言っておるのに」
 スタスタスタスタ。
「待てと言うのが聞こえぬのか!」
「だぁーかぁーらぁ。さっきからやかましいな、いったい誰や」
 早朝の通学路で始まったこの奇妙なやりとり、くるりと振り返った財前大和(ざいぜん やまと)は声の主を見て、きょとんとした。
 そこにいたのはちっぽけな老婆だった。長く伸ばした白髪に尖がった鼻、鋭い目つきはまさに魔女。しかも真っ黒なマントを羽織って、トンガリ帽子を頭に乗せた、いかにも魔女の見本みたいな格好をしていたのである。
「何や、バアさん。ワイに何か用か?」
「そなた、タダ者ではないな」
 キラリと瞳を光らせ、こちらを見やる老婆から発せられた思いもよらないセリフに、大和は呆れ返った。
「その変てこりんな格好、タダ者でないのはそっちやろが!」
 大和のツッコミなどもろともせずに、老婆は彼をしげしげと見たあと、おごそかに告げた。
「未来ある若者にひとつ、忠告しておこうと思ってな。そなたの前途には途方もなく、大いなる波乱が待ち受けている。ワシにはそれがわかるのじゃ」
 そう大袈裟に予言すると、巨大化したガマ口のようなバッグを小脇に抱えていた老婆はそこから紫色の布に包んだ水晶玉をおもむろに取り出し「ワシの水晶占いによれば」と言いつつ、玉の上に両手をかざした。
「なんや怪しいバアさんや思ったら、占い師やったんか。悪いけど、そんな占いにつき合ってる暇はないんや。ワイ、今から学校……」
「そなたは普通の男子ではいられなくなる。そうなる資質を持っておるのじゃ」
「へっ?」
「普通ではない」などという、思いがけない言葉に、大和の心がグラリと動いた。
「今はまだ気づいておらんようじゃが、いずれわかる。この先、そなたはとんでもないトラブルに巻き込まれるであろう。そう覚悟しておくがよい」
「とんでもないトラブル?」
 覚悟しろと言われても、何が起こるのか皆目見当がつかない。いや、それよりもまず「普通ではいられなくなる資質」の意味するところがわからない。
 相手の話にすっかり引き込まれてしまった大和は真剣な面持ちで老婆を見た。
「そなたには男難の相が出ておる」
 今度は人相占いかいなとツッ込みながらも、大和は不安げに訊いた。
「ダンナンって何や?」
「女難という言葉を聞いたことはあるじゃろ。男が女のことで受ける災難の意味じゃが、それの男バージョンと考えればよろしい」
「男バージョン……」
「自分でも気づかないうちに、男相手に危険な香りを振り撒く魔性の持ち主ゆえじゃ。くれぐれも軽率な行動は慎むように。よいな」
 軽率な行動と言われても、具体的には何に注意すればいいのかもわからず混乱する大和に「急ぎとあらば、占い料金はツケにしておいてやろう」と告げて、瞬く間に老婆は立ち去った。
「……今のは何やったんや?」
 取り残されてしばし佇んでいた大和は「あーっ!」と大声を出した。
「カンペキ遅刻やないかいっ!」

    ◇    ◇    ◇

 紺色のブレザーにチャコールグレイのズボン、臙脂のネクタイ。新品の制服に身を包んだ大和は神奈川県内に於いて中堅どころの私立高校、佛真(ぶっしん)高等学校に入学したばかりの一年生である。
 入学式会場の体育館からそれぞれの教室に場所を移し、オリエンテーションが始まった。一年A組の教室でも生徒たちが出席番号順に席に着いて教師の指示を待っており、やがて担任の内藤教諭が挨拶を済ませたあと、順番に自己紹介するようにと言った。
 次は出席番号十番、大和の番である。彼はクラスメイトたちを見渡してペコリと頭を下げたあと、持ち前の元気な声を張り上げた。
「伊図茂中出身の財前大和いいます。中二まで大阪におったんでコテコテの関西弁が抜けませんが、まあ、よろしゅうたのみます」
「よっ、遅刻男!」とたちまち野次が飛ぶ。
「いや~、いきなり失敗してもうて。堪忍してや~」
 頭を掻きながらみんなの野次に応じる大和、このお調子者には先生も苦笑いをしている。
「なかなか肝の据わったヤツだな。よし、次」
 大和が座るのと同時に、後ろの席の生徒が立ち上がり、低い声で呟くように言った。
「久麻野中からきた佐門武流(さもん たける)です。よろしくお願いします」
 それまで前を向いていたため、大和はこの時初めて自分の後ろにいる男を見たのだが、長めの前髪の下に垣間見える顔は男の大和でもドキリとするほどの美形だった。切れ長の目にすっきりとした鼻筋、この顔がまた無表情で、おまけにスリムな長身ときているから、まるでマネキン人形のようである。
「ザイゼンヤマトにサモンタケル……」
 クラスメイトたちはさっそくそのことに気づいたらしい。
「おーっ、二人合わせてヤマトタケルだ!」
 だからといって、どうということはない偶然なのだが、みんななぜかすっかり盛り上がっている。
 こうも騒がれると知らん顔をするわけにもいかず、大和は武流に「何や縁があるみたいやな、よろしゅうな」と話しかけたのだが、武流は無言のまま大和を無視すると、さっさと座って配布物に目をやった。
(なんや、シカトかいな!)
 腹立ち紛れに文句を言ってやろうとも思ったが、今日初めて会った相手でもあるし、ここはグッと堪える。
 佛真高等学校は共学ではあるが、男女比率は三対一ぐらいの割合で、その女子たちは人数が少ないせいかしっかり結束しており、オリエンテーションが一段落して休み時間になると、教室の隅に集まっておしゃべりをしていた。
 彼女たちの話題はさっそくクラスの男子の品定めで、ナンバーワンはやはり武流ということで意見が一致したらしい。そんな話を聞くとはなしに聞いてしまった大和、
(へえ、こんな無礼者がええんかいな、皆見る目がないな)
 面白くないのはもちろんのこと、そういう話題で名前が挙がったためしがないこの身が悲しくもあった。
 明るくて元気溌剌、運動神経はそこそこだが勉強はちょっと苦手。大きな目に太めの眉が印象的な顔立ちは美少年の範疇に入るものの、イケメンというより可愛げのある、少年マンガの主人公によくあるタイプを地でいく大和は残念ながら、女子にモテた経験はない。自分ではそれなりにイケてるとも思うのだが、やはり身長が足りないせいだろうか。
 そこまで考えて、彼は今朝の老婆のセリフを思い出した。普通の男子ではいられなくなるとはどういう状態なのか、とんでもないトラブルとは……
(ダンナンって何やろ、イヤなヤツに因縁つけられたり、喧嘩売られたりする災難やろか……でも軽率な行動は慎むってのは、相手にするなってことかいな)
 そこまで考えて、大和はチラリと後ろの武流を見た。明日までに提出するよう言い渡された書類の数々、彼はそれらに名前などを記入しており、周りの様子にはおかまいなしに淡々と作業を続けている。
 いきなりシカトする失礼な態度からして、男難の相手はこいつなのだろうか? 
 しかし、武流が自分から喧嘩をふっかけてくるようにも見えず、大和にはまったく見当がつかなかった。

    ◇    ◇    ◇

 新学期早々とあって、教室からグランド、体育館に至るまで、放課後の校内のあらゆる場所が生徒たちの姿で溢れていたが、それはもちろん部活動見学のため。
 一人でも多くの新入部員を獲得しようと、各部の上級生たちは大張り切り。それぞれに練習という名のデモンストレーションを繰り広げていた。
 中学時代は陸上部に所属、短距離走を得意としていた大和だが、この高校に陸上部はないと聞いて、それならどこの部にしようかと考えあぐねながら校内を巡っていると「大和くん、財前大和くん」と、しきりに呼びかける声が聞こえてきた。
 そこは校舎の二階中央にあるプレイセンターと呼ばれている場所で、教室二部屋分の広さがある。体育館で行うまでもない、クラス単位のちょっとした集会の場になったり、昼休みにはパンや弁当の購買が設けられたりと、便利に使えるスペースなのだ。
 声のする方を向くと見覚えのある顔、一年A組のクラスメイトの福島素直(ふくしま すなお)だった。
「大和くん、まだ部活決まってないんでしょ? 卓球部に入らない?」
「卓球部?」
 なるほど、彼の傍にはラケットとオレンジ色のボールの乗った卓球台が一台置いてある。学校指定の体操着を着た素直はラケットを振ってにっこり笑った。
 小柄で痩せぎすゆえ「小学校の高学年女子」でも通用する容姿で、とても男子高校生には見えないが、そんな素直が卓球というスポーツを選択したのは理解できる気がした。
 すると、素直の隣にいた黄色のスポーツウェア姿の上級生が話しかけてきた。
「彼、大和くんっていうんだ。名は体を表すだね、イメージにぴったりだよ」
 美形には程遠いが、おっとりとして人のよさそうなこの上級生は寿照(ことぶき てる)と名乗った。彼が現在、卓球部の部長なのだが、今年新入生が入部しなければ廃部になってしまう危険性があったらしい。
「この学校、卓球は全然人気がなくてね。女卓はないし、男子も今年の三年生はゼロだし、二年はボク一人だけなんだ。今回、素直くんが入部してくれたお蔭で廃部は免れたけどさ、たった二人じゃ試合にも出られなくて」
「はあ……」
 陸上部がダメならバスケ、バレー、それともいっそ水泳部──まさか卓球部に勧誘されるなんて想定外だった大和は語尾を濁らせたが、頼まれるとイヤとは言えない性分で、きっぱり断ることができないでいる。
 そんな大和の様子を見た素直は目を輝かせながら迫ってきた。
「ねえ、入部してくれるの? ホントにいいの?」
「えっ、いや、それはその」
 後退る大和、返す言葉が見つからない。
「やったー! これで三人になりましたよ、部長」
「ああ、そうだね。ありがとう、大和くん。これで勧誘にも張り合いが出てきたよ。さあ、もっと頑張って部員を増やすぞ!」
 見た目よりもかなり強引な性格らしい素直と照はそうと決めつけてしまった。
「せ、せやから……」
「卓球は初めて? それで自信がないのかな? いいよ、いいよ、初心者大歓迎! ボクが基礎からじっくり教えるし、心配いらないよ」
「そうだよ。一緒に盛り上げていこうよ」
 とっくに自分が盛り上がっている素直は「一年でレギュラーとれる運動部はそうそうないよ」と続けた。
「まあ、たしかに」
 素直の言葉にも一理ある。例えば、派手で人気が高いため、部員数も多いサッカーや野球部に入ったところでどうだろう。
 三年間補欠だったり、試合で勝ち進むことを強要されたりするのは明らかだし、それよりも少人数で楽しく活動する方が、気が楽なのは間違いない。大和の心は入部に傾きかけていた。
「よーし、それじゃあ、この寿部長がお手本を見せるからね」
 すっかり調子に乗った照は大張り切りでデモンストレーションを開始。右手に持っていた自前のペンホルダーラケットを左手に持ち替えた。
 すると次の瞬間「ふっふっふ」と怪しい声を出した彼はそれからニタリと笑い、ボールを上に掲げて「ディック参上っ!」と叫んだ。
「なっ、なんやぁ~?」
 呆気にとられる大和と素直の前で、照は力いっぱいサービスを打ち、向こうの柱に当たって跳ね返ってきたボールをさらにレシーブするという行為を繰り返した。
「天井サーブだぁぁぁ!」
 ビシッ! 
 パコン! 
 ビュン! 
 ガシッ! 
 オレンジ色の塊が超スピードで飛び交う。直撃されてはかなわないとばかりに、大和と素直は慌てて首をすくめた。
「ぎぇー、あんな球が当たったら、たまったもんやないって」
「部長、どうしちゃったんですか、やめてくださいよ!」
 照部長の変貌に慄く大和たち、勢い余ったボールは彼らの頭上を越えてプレイセンターの外へ飛び出した。
「痛ってぇー! 何しやがるっ」
 驚いた大和が声の方を見ると、そこにはチビとノッポの二人組がいた。ノッポが額に手を当てながらこちらを睨んでいる。ボールは彼に命中したらしい。
「あ、す、すいません」
 照の代わりに素直が謝ったが、相手の男はそんな姿など眼中にないようで、ひとつにまとめた長髪をなびかせながら照に近づくと、ボールの行方など気にもとめずに打ちまくっている彼の左手を払いのけた。
 ラケットが宙を舞い、派手な音をたてて転がると、何かにとり憑かれているかのようだった照は正気を取り戻してポカンとした。
「あれ、ボクはいったい……?」
「コトブキ! てめえ、よくもやってくれたなっ!」
 長髪男に襟首をつかまれて威嚇されると、照はたちまち怯えた表情になった。
「た、高須くん、ボ、ボク……」
 高須と呼ばれた長髪男は照と同級生らしい。浅黒い肌をした野生的な風貌で、なかなかの男前である。その連れのチビはといえば、いきり立つ相方を離れた位置で冷静に見守っていた。
「高須って、あれ、もしかしてウチのクラスのヤツ?」
 入学して日が浅いため、クラスメイト全員をよくおぼえていない大和が小声で訊ねると、素直は「うん」と頷いた。
「高須津並(たかす つなみ)くんだよ。あっちの髪の長い人はたぶんお兄さんじゃないかな、二年にいるって聞いてたから。名前はたしか高須津凪(たかす つなぎ)。ちょっと不良っぽいって噂になってたけど、やっぱりそんな感じだよね」
 チビの高須津並とは中学時代の同級生だったという素直はこの兄弟について詳しく知っていた。
「似てない兄弟やな。なあ、ああいう髪型もありなん?」
 大和の問いかけに、素直は苦笑いしつつ「ウチの学校、校則けっこう自由だから」と肩をすくめて答えた。
 たしかに対照的な二人だった。これだけ似ていない兄弟も珍しい。
 野生的といえば聞こえはいいが、赤茶けたボサボサの髪を縛っただけの津凪のヘアスタイルはまるで野武士の風情だ。
 ネクタイをだらしなくゆるめ、ワイシャツがズボンからはみ出た格好の兄に引きかえ、弟は制服着用の際の正しい見本みたいなスタイル。黒い髪もキレイに分けられていて、良家のおぼっちゃまといった感じである。際立った美形ではないが、高い知性が顔に表われているタイプだった。
「さあ、おとしまえつけてもらおうか」
 まるで某自由業の人のように照を脅した津凪は卓球台を足蹴にし、それは助けてくれとでも言いたそうに、ミシッと悲しげな音をたてた。
「だいたい卓球なんてセコいもんやってんじゃねーよ! 潰れかけのくせに目障りなんだよ、さっさとどこかへうせろってんだ」
(なんちゅーヒドいことしやがるっ!)
 まだ正式に入部したわけではない。さっき勧誘されたばかりの大和だが、正義感の強い彼は津凪が卓球を侮辱する言葉を聞いて、メラメラと怒りを燃え上がらせた。
「……今言うたこと、訂正せいっ!」
 思わず啖呵を切ると、津凪はその鋭い視線を照から大和へと向けた。まるで狼に睨まれたような迫力だった。
「何だ、てめえ。変な関西弁使いやがって」
 たとえ上級生だろうと不良だろうと、こんなヤツの脅しに屈してなるものか。臆することなく大和は言い放った。
「ボールをぶつけたことは謝るけど、卓球を侮辱するのは許さへん! 卓球を愛する世界中の人たちに対する冒瀆や。あんたにそんなこと言える資格なんかないやろっ!」
「や、大和くん、もういいから」
 喧嘩を売るには相手が悪い。オロオロと引き止める照と素直に、
「あんなこと言われて悔しくないんかい?」
 そう反論した大和がさらに津凪を睨み返すと、相手は指をポキポキと鳴らしてみせた。
「一年のくせにエラそうな口きいて、ウザッてえヤツだぜ。いっちょシメてやるか」
 喧嘩の腕には自信満々といった様子に万事休すの大和だが、今さら引き下がるわけにはいかない。互いに睨み合っていると、
「兄さんは荒っぽいなあ、まったく」
 我関せずとばかりに見守っていた津並が溜息混じりに呟き、こちらに近づいてきた。
「兄さん、もうそのくらいにしてよ。そっちの二人はボクと同じクラスなんだ。モメるのはやめて欲しいんだけど」
「うるせえっ。売られた喧嘩は買うのが男ってもんだ。一年にナメられたままでいられるかってんだよ」
「そういう暑苦しいノリは勘弁して欲しいな。今時流行らないよ」
 頭に血が上りやすい兄に対して、弟は至極冷静である。
「誰が暑苦しいだと?」
「だから、一人しかいないでしょう」
「てめー、津並! それが兄に対する態度か!」
「やれやれ。兄貴風を吹かせるなら、それなりの威厳を持ってもらわないと」
 どう見積もっても津並の方がうわ手だが、そこへ現れたのはラスボスだった。
「待っていたのに、なかなか来ないと思ったら、おまえら、そこで何をやっている?」
 などと呼びかける声がして、そちらを見た津凪と津並の顔色が変わったが、それだけではない。照の表情も強張り、青ざめている。
 彼らの視線の先、そこに現れたのはかなり凄味のある男で、どう見てもまともな高校生ではなく、彼の全身から発する不良オーラといったら、津凪など足元にも及ばない。
 逆立った赤い髪、鋭い目つきに薄い唇、整った顔立ちには何をやらかしたのか大きな傷まであるが、そんな傷跡すらも彼の際立った男ぶりを引き立て、華を添えているのは不思議である。
 近づくにつれ、かなりの長身であるとわかり、ボタンのはずれたワイシャツの胸元からのぞく素肌が何とも艶かしい。
「すいません、文殊さん。ちょっと兄さんがトラブッちゃって」
 文殊と呼ばれたこの男に一目置いているらしい津並は媚びるように頭を下げ、トラブッた当人の津凪はふて腐れた様子で、プイッと顔を背けた。
「ありゃ誰や?」
 首を傾げる大和に、照はおどおどしながら説明した。
「二年の黒部文殊(くろべ もんじゅ)くん。喧嘩が強くて誰も太刀打ちできなくて、入学してすぐに番長って呼ばれた人なんだよ」
「へえ、今時番長なんて存在するんかいな」
「あれでも勉強はすごくできて、学年でもトップなんだ。だから退学にならないんだよ」
「ふーん。さっすが私学やな」
「どうしよう。彼、ボクらにいちゃもんつけに来るよ」
 怯える照に「なんであいつが出しゃばるんや」と訊くと、
「高須くんは黒部くんの子分みたいなものだから、子分の揉め事は親分が収拾つけるつもりなんだよ」
「それって次郎長と石松みたいな関係?」
「まあ、そうかな」
 津凪は文殊の友達というよりは部下のような存在らしく、その縁で津並も文殊と顔見知りなのだ。
 照の言うとおり、ことのあらましを聞かされた文殊がゆっくりと近づいてきた。
「ああ、もうダメだ、おしまいだ」
 ブルブルと慄きながら、照と素直が大和の背中の陰に隠れる。
「おいおい、ワイは楯かいな」
 呆れる大和の前に立ちはだかった文殊は低音の落ち着いた口ぶりで話しかけた。
「トラブッた生意気な一年というのはおまえか」
 相手が番長であろうが何だろうが、ここで逃げてはオトコがすたる。こうなったら、とことん闘ってやると心に誓う大和は番長と呼ばれる男にも食ってかかった。
「だから何やっ! 卓球部を潰れかけとか目障りとか言うて、先にいちゃもんをつけてきたのはそっちやからな!」
 そんな大和にニヤリと笑いかけたあと、彼をジロジロと眺めまわした文殊は「なかなか威勢がいいな」と言ってのけた。
「フン! 当然や。こちとらくたびれたどっかの二年と違うて、ピッカピカの獲れたてピッチピチやで」
「や、大和くん、そこまで……」
 自分もくたびれた二年である照がボソッと呟く。
 文殊はニヤニヤ笑いを浮かべながら、唇をペロリと舐めた。
「それにけっこうカワイイじゃないか。オレ様好みだ」
「……はあ?」
 オレ様好みとはいかなる意図か。呆気にとられる大和、他の連中も同様で、この展開は何事かと二人を見守っている。
「ワ、ワケわからんこと言うてる場合ちゃうぞ!」
「では、生意気なヤツがどうなるのか、身をもって教えてやろう」
 そう凄んだあと、素早くワイシャツの襟をつかむ文殊を見て、大和を殴るのだと誰しもが思い、当の本人も迫る恐怖に思わずギュッと目を閉じた。
 ところが、相手は予想もしない行動に出た。文殊は引き寄せた大和の身体を両腕で抱きしめ、顔を近づけると唇にいきなりキスをしたのである。突然の行為に、当然のことながら大和は目を白黒させた。
「……んーっ、んんっ?」
 キスだ、今、自分は男にキスされているのだ! 
 大切なファーストキスが男に奪われるとは何たる由々しき事態。しかも相手はたった今出会ったばかりの、番長と呼ばれている不良だ。この忌まわしい状況から一刻も早く逃れようとジタバタする大和だが、強い力で抱きしめられて身動きがとれない。
 それどころか、思ったよりも柔らかい感触に力が抜けていくのを感じて戸惑うばかりの大和は次に、文殊の舌が唇を割って入り込んでくると、意識が朦朧となってしまった。
「……ん」
 この文殊という男、そっちのテクニックにかけてはかなりのものらしく、大和の舌から歯の裏から、彼の口中を自在に弄ぶ。
(なっ、何やってんや、ワイは……ホモか、ゲイかあぁぁっ?)
 これがファーストキスだと独白していた大和にはもちろんキスの経験はなく、初めて訪れた快感に溺れそうになる自分と、それを諌める自分がいる。だが、その葛藤も長くは続かなかった。
(あ、でも……気持ちイイ……なんでや、ごっつう感じ……る……)
 すっかり腰がくだけてしまった大和は我が身を預けると、自らも文殊の背中に腕をまわした。柑橘系の香りが混ざった若い男の体臭、タバコの匂い、微かな苦みと、とろけるような甘み──あまりの快感に、目眩すらおぼえてしまう。
(気持ちよすぎ……)
 それにしても、男同士が校内で堂々と抱き合い、しかも濃厚なキスをしているなんて大変な事態である。
 彼らの様子を呆然としてみていた残りの四人の驚愕は相当のものだったが、先生にでも見られたら一大事になるし、このまま放っておくわけにもいかないと、津凪と津並で文殊を、照と素直で大和を、それぞれ引き剥がしにかかった。
「も、文殊、何やってんだよっ」
「大和くん、大和くんったら」
 そこでハッと我に返った大和は自分の置かれた状況を再認識した。
(気持ちイイやなんて……じょっ、冗談やないっ!)
 男にキスされて、こんなに喜んでどうするんだ。怒りに任せて舌に噛みつく。
「痛っ」
 文殊の唇の端に血が滲んだ。
「こいつ、噛みつきやがった」
「黙らんかい、この変態野郎!」
 しばし睨み合う二人、だが、文殊はなぜかそこでカラカラと笑い始めた。
「オレをここまで翻弄するとは、なかなかやるな。おまえ、名前は?」
「財前大和」
「大和か……」
 熱っぽい視線を向けながら、文殊は「一目惚れだ。今のでマジ惚れたぜ、大和」と言い放った。
「どえぇーっ!」
 引きまくる周りの反応も何のその、彼はさらに何かを言おうとしたが、その時、体育担当である強面の中年男性教師が通りかかって、プレイセンターに集う生徒たちを注視しているのが見えた。
 しかも、生徒の中に二年生の問題児二人が揃っているのを見て、卓球部にいちゃもんをつけているのではと考えたらしい。語気を強めて「こら、黒部、高須、そこで何をやっている?」と問いかけてきた。
「やべっ、うるさいのが来やがった。文殊、早くずらかろうぜ」
 これ以上ややこしいことになってはかなわないとばかりに、津凪は文殊を促すと彼の腕を取り、ひきずるようにしてそこから立ち去ろうとした。弟が慌ててあとに続く。
 彼らがその場から離れたのを確認した教師は安心したのか何も言わずに行ってしまい、残された照と素直、渦中の人・大和はそれぞれにペタンと座り込んだ。思いがけない展開と、あっという間の終結に、全身の力が抜けていくのがわかる。
「……疲れた」
「なんだか見てはならないものを見てしまった気がする……他に誰もいなくて助かったよ。ボクたち以外に目撃者がいたら大変な騒ぎになってるよ、絶対」
 照の言うとおり、学校内で男同士がキスしたなんて、それがお騒がせ男の文殊の仕業だとしても、大騒動になるのは間違いない。
「これじゃあ練習どころじゃないよ」
 しばらく無言になってしまった三人だが、やがて素直が恨めしげに「こんな騒ぎになったのはそもそも部長がおかしくなったからじゃないですか。ディックって、いったい何ですか?」と切り出した。
 すると、さっきからしょげ返っていた照はそのツッコミに、ますますしょぼんとしてしまった。
「またやってしまった……」
「どういうこと?」
「その人はディック・グリーンバッグといって、卓球の世界では知らない人はいない有名な選手なんだ」
 とはいっても、入部したばかりの初心者に外国の有名な選手などわかるはずがない。
 ラケットの形の主流がシェークハンドになっていく中で、あくまでもペンホルダーにこだわっていたディック・グリーンバッグ選手はまたサウスポーでもあり、それが強さの秘密だったようだ。
 心酔するディックと同じペンホルダーを使っている照はもともと右利きなのだが、左手にラケットを持ったとたん『ディックなりきりスイッチ』が入って、意識のないまま過激に暴走するという。それを聞いたこちらの二人は呆れ返った。
「なんて迷惑な……それって、ときどきそうなるわけ?」
「うん。だから絶対に左手には持たないようにしていたんだけど、さっきはつい……」
「もう二度と左手では持たないでくださいね!」
 素直は強い口調で言い切り、このおとなしそうな一年に仕切られた形の二年生はペコペコと頭を下げた。
 それにしてもだ、照の豹変以上に問題なのはさっきの連中である。
「あの文殊って人、大和くんにマジ惚れだなんて言ってましたね。一目惚れしたから、いきなりあんなことを……あれ、本気なんでしょうか?」
「冗談にしては度が過ぎるとは思うけど」
 首を傾げながらも、照は納得するしかないだろうという顔をしてみせた。
「もともとそういう噂があったんですか?」
「さあ、彼に男色の趣味があるなんて聞いてないけど……でもまあ、あんまりモテてる様子はなかったね」
「あんなにカッコいいのに、意外ですね」
「二年の中じゃトップクラスのルックスだし、素行の悪さを差し引いても、何で女子に人気ないのかとは思ってたんだ。近寄り難いタイプってのもあるけど、本人の指向が最大の要因だったというわけだ。驚いたよ」
「それじゃあ、これから先も大和くんに言い寄ってくる可能性はありますね」
「そうだなあ」
 心配そうにこちらを窺いながらの、二人の会話を聞いた大和は暗澹たる思いに囚われていた。
 オクテな性格ゆえにキスどころか、この十六年間の人生において、彼女と呼べる人は一人もいなかった。つまり、女の子にはモテなくても仕方ないと承知しているが、まさか入学早々男に、それも番長などという恐ろしい存在に迫られる羽目になるとは……
 しかも彼を拒絶するどころか、一瞬とはいえ、キスの快感を楽しむという形で受け入れてしまったのだ。何であんなことになったのか、思い出しただけでもおぞましい。
 二人の視線を受けて気まずくなった大和はわざとらしく咳払いをしたが、そんな彼の心情を慮ってか、照は場を仕切り直した。
「と、とにかく、部員集めが先決だよ。最低でも、あと三人いれば試合に出られる。何とかして勧誘しよう」

    ◇    ◇    ◇

 翌日の昼休み、一年A組の教室では大和と素直による卓球部新入部員勧誘活動が繰り広げられていた。だが、卓球と聞いて、たいていの者は困ったような表情を見せた。
「卓球かぁ。ちょっとダセぇよなあ」
「そう言わずに頼むわ。あと三人集まれば試合に出られるんや」
 大和のあとを受けて、素直がさらに説明を続けた。
「増田産業っていう会社の社長さんが卓球好きで、その会社の主催する大会が近々あるんだって。卓球の普及と発展が目的だから、参加するだけでも副賞としてラケットとか、何かいろいろ貰えるらしいんだ。廃部寸前の状態で予算がなかったから用具が足らないし、絶好のチャンスなんだよ」
「そうやそうや。入部したら即レギュラー。部員がぎょうさんいて、球拾いばっかりさせられる部よりずっとええはずやで。佛真高校男子卓球部の歴史はこれからワイらの手で作っていくんや。どや、スゴイやろ?」
 自分で自分のセリフに酔う大和、成りゆきで入部したわりには身振り手振りのオーバーアクションで張り切っている彼だが、誰からも色よい返事はない。
「明日はB組をあたってみようよ」
 溜息をつく大和を素直が慰めていると、彼らの背後から声をかける者がいた。
「卓球部に入部するにはどうすればいい?」
「は、入ってくれるん?」
 大喜びで振り返った大和の目に映ったのは武流だった。
「えっ、入部希望者って……」
「佐門くんが?」
 大和たちが驚き、戸惑うのも無理はなかった。じつはこの武流、中学テニス界のスーパースターとして界隈の中学校にその名を轟かせた男であり、高校入学後は当然、テニス部に入ると思われていたからである。
 武流は冷たく光る瞳を向けて訊いた。
「オレが入部するのは不服か?」
 今年の新入生におけるイケメンナンバーワンの称号を得た男の、整いすぎるほど整った顔に嘲るような色が浮かび、それが大和の反発心をかき立てた。
「別に入部するなとは言うてないし」
 不貞腐れたような態度の大和をフォローしようとしてか、素直が慌てて付け加えた。
「ボクらはもちろん大歓迎だけど、ほら、キミはテニス部に入ったものとばっかり思ってたから……あっちはいいの?」
「ああ」
 無口で無表情、おまけに無愛想。こんなヤツがルックスの良さとテニスの腕前だけで持ち上げられているのは納得がいかない。
 ますます反感を強めた大和は武流を睨みつけた。ヤマトタケルの一件を根に持っているのだ。
「なあ素直、こんなヤツのことな……」
 その時、A組の教室に上級生の集団がズカズカと入り込んできた。
「あ、いたいた。おーい、佐門武流くん」
 それはテニス部の連中だった。人気のテニス部、そのレギュラー選手ともなると、ちょっとした有名人である。
 そんな三年生たちの大声が響いてクラス全員がそちらを振り返ったが、当の武流は知らん顔を決め込んでいる。業を煮やしたらしい彼らはどけと言わんばかりに大和たちの間に割って入り、ぐるりと武流を取り囲んだ。その中でもひと際目立つ細面のヤサ男が進み出て、なよなよとしなを作りながら声をかけた。
「もーう、武流くんったら、なかなかウチに来てくれないんだからぁん。こっちからお誘いに来ちゃったわよ、いけない人ね」
 彼の言葉遣いや仕草に、あっけにとられた大和は素直の脇をつついて、小声で訊いた。
「あいつ、何なんや?」
「テニス部キャプテンで、三年生の布袋井理矢(ほてい いりや)って人。見てのとおりのおネエ系だけどさ、テニスの腕前は超高校級って話だよ」
「へえー。人は見かけによらないの見本みたいやな」
 おネエキャプテン直々のお誘いにも関わらず、武流は無言のままで、業を煮やした別の部員がどうしてテニス部に入らないのかと問い質し始めた。
「キミならすぐにレギュラーだ。部内選抜も何もかもパスの特別待遇だというのに、いったい何が不満なんだ?」
 いつも無表情な武流にしては珍しく不快感を露わにして言い放った。
「そういう取引がイヤなんです。オレは卓球部に入りますから、他をあたってください」
 居並ぶ三年生たちは口をあんぐりと開けて呆然と武流を見た。
「なっ、何だって?」
「卓球部?」
「きえぇぇ~っ!」
 武流の卓球部入部宣言はおネエキャプテンにとって相当のショックだったようで、卒倒しかけたところを二、三人の部員たちに支えられて早々に退散。残った連中は顔を見合わせると「卓球部って、あそこはもう潰れたんじゃ」などと囁き合った。
 このスーパールーキーが廃部寸前の卓球部に入りたいなどと言い出すとは、よもや思ってもみなかったのだろうが、そんな言い草に大和はカチンときた。
「まだ潰れてへんっ!」
 噛みつく一年を胡散臭げに見るテニス部員たち、両者を見比べるように眺めた武流は「もうすぐ昼休みも終わりですし、みんなに迷惑がかかりますから、教室に戻っていただけませんか」と促した。
 彼らがしぶしぶ引き揚げたあと、大和は武流に向かって「このワガママ者」と悪態をついた。
「何だと?」
「そんなにテニスが上手いのにもったいないやろ。みんな期待してるわけやし、レギュラーになりたくてもなれないヤツがいっぱいおるやろうし。それって自分勝手、贅沢すぎや」
 すると武流は「ふん」と鼻であしらった。
「おまえにはわからない」
「てめーっ!」
 またしても事件勃発、素直は二人の間に入り、まあまあと大和をなだめた。
「もう、大和くんったら、あの津凪さん並みの喧嘩っ早さじゃないか」
「あんなヤツと一緒にせんといてくれ」
「ともかく、これは佐門くんの意思なんだから、ボクらがとやかく言うことじゃないよ」
「ちぇっ」
 冷たい視線を送る武流と、そんな彼を睨みつける大和を見て、素直はげんなりした様子だったが、とりあえずは放課後、照に紹介しようということで話がついた。

    ◇    ◇    ◇

 さて、問題の放課後である。
 素直と武流が連れ立ち、大和は不貞腐れながら二人のあとを歩いていた。
 目指すはプレイセンター。そこで待ち受けていたウェア姿の照に、
「部長、入部希望者を連れてきました」
 そう言って素直が武流を紹介すると、照は五メートルほど後ろに飛び退いた。
「ええっ! キミがあの佐門武流くん?」
「知ってるんですか?」
「もちろんだよ。テニス部の連中がスーパールーキーの噂をしていたからね。それにしても、どうしてキミが……」
 信じられない様子の照、特別扱いされてしまうテニスではなく、卓球というスポーツをイチから始めてみたいという武流の希望を聞いても、まだ疑っているようだ。
「な、こいつってばワガママやろ?」
 大和がチャチャを入れる。が、それは武流の入部に関して何の妨げにもならず、照は大喜びだった。
「そうかー。キミが入部してくれるなら百人力、大歓迎だよ」
「ありがとうございます、よろしくお願いします」
 丁寧に頭を下げる武流のへりくだった態度にも好感を抱いたらしい。
 お手柄だと、照は二人の一年生を褒めたが、武流の入部に不満のある大和はムスッとしたままだった。
「これで四人か。あと二人集まれば試合に出られる。ずっとボクひとりだったから、何だか夢のようだよ」
 感無量といった様子の照は「さて、それじゃあ今日は何から説明しようかな」と、大張りきりで三人の一年生を見渡した。
「何からって言うても、ワイ、卓球についての話なんて全然聞いとらんけど」
 大和の訴えに、昨日は不良組の騒動で説明どころではなかったと思い出したらしい。
「ごめん、ごめん。そうだったね」
「部長、その前にボクが聞いた、ラケットの種類と取り扱い方からでいいんじゃないですか。ただし、左手で持たないように、くれぐれもお願いします」
 素直に念を押されて、照はきまり悪そうに頷き、ペンホルダーとシェークハンドの二つを並べたが、これらはすべて照の自前の用具で、部の備品というものはなかった。
 では……と言いかけた照の顔がにわかに曇ったのを見て、大和たちは彼の視線の先を追った。
「ゲッ、またあいつら……」
 階段からプレイセンターに通じる廊下を進んでくるのは文殊と高須兄弟からなる三人組、またしても面倒な連中の登場だ。
「よう、大和。会いたかったぜ」
 大和の姿を確認した文殊が茶目っ気たっぷりにウィンクをする。
 やはりマジ惚れ発言は本気だったのだとわかり、うんざりする大和から照の方へと向き直った文殊が次に口にした言葉に、卓球部員たちは度肝を抜かれた。
「オレたち三人も卓球部に入部するから、よろしくな」
「えっ……」
 部活動に励む不良など滅多に存在しないもの。ご多分にもれず、文殊と津凪もこれまでは無所属の帰宅部だったのだ。
 文殊は固まってしまった人々を面白そうに見やった。それから、一年A組の教室で大和たちが新入部員の勧誘をしていたと津並から聞いて、入部を決めたのだと続けた。
「あと三人いれば、試合に出られるんだろう? オレたちが入ればちょうどいいじゃねえか。どうだい、コトブキ部長さんよ。もちろん許可してくれるよな」
「キ、キミたちが……」
 目を見張る照は魂がどこかへ飛んでいってしまったかのようだ。
「喜んでお迎えします、だよな」
 ニヤリと笑った文殊は半ば脅し文句で照に念を押したあと、
「もっとも、オレは大和と一緒にいられるなら何でもいいんだ」
 そう言いながら大和に近づき、肩を抱こうとした。
「ちょ、ちょっと、何するんやっ!」
「今さら照れるなって。オレとおまえの仲だろう? オレはもうおまえに首ったけなんだからな」
 冗談じゃないとばかりに身体を縮める大和だが、文殊はおかまいなし。またしてもキスを迫りそうな勢いだ。
「……おい、大概にしてくれよな」
 文殊の様子を眺めながら、津凪が呆れ顔になっている。こちらの二人は募集人員の頭数合わせのため、卓球部に入るよう命令されたらしい。
 昨日、卓球なんてセコいと侮辱していた津凪が今日になって入部する気になるはずもなく、大和に接近したい一心の文殊に無理やりつき合わされているのは明白だ。
 おまけに、文殊お気に入りの大和は自分に喧嘩を吹っかけてきた、いわば津凪にとってムカつく相手である。
 そんな大和と文殊がベタベタしている場面を──大和自身の意思ではないにしろ──入部することによって毎日見せつけられるとしたら、さぞ不愉快に違いない。
「どうするんですか、部長」
 素直に肘で小突かれた照がおたおたしながら「えっ、ど、どうするって」と鸚鵡返しに訊いた。
「つまり、部員は欲しいけど……」
「あの二人がちょっと……」
「ですよね」
「そうです」
 掛け合い漫才のような会話をする素直と照、津並はともかく、文殊と津凪の二大問題児を入部させたりしたら、卓球部の発展どころか廃部一直線になるかもしれないからだ。
「まあ、文殊くんの場合、大和くんに嫌われたら元も子もないから、変なマネはしないと思いたいけど。ゲイは卓球をやっちゃダメってきまりもないし」
「津凪さんも番長命令には逆らえないみたいですしね」
「そうだね。それにしても、ちゃんと練習やってくれるのかな」
 すると、ヒソヒソ話す二人の傍らで、腕組みをして事態の成り行きを見守っていた武流が文殊のところまでつかつかと歩み寄り、鋭く言い放った。
「そういう理由で入部するのなら、スポーツをやる資格はない。やめてもらおう」
 文殊は大和から手を離すと、見知らぬ一年を睨みつけた。
「何だ、おまえは」
 さすが番長、その姿は迫力満点だが、武流は怯む様子もない。
「さあ、さっさと帰れ」
 そこで津並が耳打ちしたお蔭で、見知らぬ一年の正体を知った文殊は「おまえこそテニス部に帰ったらどうだ。おネエ部長が首を長くして待ってるぜ」とやり返した。
「オレはテニス部に入る気はない」
「そいつは驚きだ。連中、スーパールーキーが入学してきたって大喜びだったのにな。まあ、おまえが何をどうしようと知ったこっちゃないが」
 文殊は落ち着いた物腰で、仕切り直しをするかのようにシャツの裾をパンッと払うと、武流を正面から見据えた。
「オレは大和と一緒に卓球をやる。とやかく言われる筋合いはない」
「おまえたちのような、ふざけた連中と一緒の部で練習するのは御免だ」
「何だと!」
 怒りの声を上げたのは文殊ではなく、津凪であった。
 気の短い彼は入部を渋っていたにも関わらず、武流の「おまえたち」発言が自分も侮辱していると、トサカにきたらしい。文殊を押し退けるようにして前に出た津凪は武流の胸ぐらをグイッとつかんだ。
「黙って聞いてりゃイイ気になりやがって。痛い目に遭ってみたいようだな、おら」
「やれるものならやってみろ」
 二人の間に激しい火花が飛び散る。
 こいつは見ものだとばかりに、武流の相手を津凪に任せた文殊は一歩退いた格好になった。兄の喧嘩っ早さには慣れっこなのか、津並も表情を変えずに見守っている。
 照と素直はおろおろするばかりで何の役にも立たず、大和はげんなりしてしまった。
 さっき照が見せた、この上なく嬉しそうな表情はもちろん武流の入部が決まったから。ゆえに大和はその件に関して反対するのはやめようと思った。
 続いて文殊たちの入部、これでようやく部員の頭数が揃ったのだ。それも、目標の六人より一人多い七人になった。
 たとえ彼らがムカつく連中だとしても、照のために百歩ぐらい譲って認めてやったのに、こんなにモメるならもう、誰も入部してくれなくてもかまわない。
 こうなったら……
 そんな大和の不穏な気配を感じたのか、素直は「大和くん、ちょっと待って」と袖を引っ張った。
「何や?」
「火に油を注いじゃマズイよ。まずは喧嘩を止めなきゃ、今度こそ廃部になっちゃう」
 たしかにそうだ。彼らが殴り合いでも始めたら、これ以上騒ぎが大きくなったら、その瞬間に廃部決定だ。
 まさに存続の危機、今まで一人で頑張ってきた照の努力は、彼の気持ちはどうなるのだ? そこまで考えると、大和はいたたまれなくなり、津凪と武流の間に割って入った。
「喧嘩はせんといてくれ!」
 それから彼は津凪と、後方にいる文殊と津並に向かって深々と御辞儀をした。
「卓球部に入部してくれてありがとう。これで部員は揃ったんや。部長に協力して、みんなで部を盛り立てていけるよう、どうかよろしゅうお願いします」
 こちらを見つめる文殊と一瞬目を合わせた大和は次に、武流を振り返った。
「入部の動機は何であれ、こうして同じ卓球部の仲間になったんやから仲良うしてくれや」
 自分の入部には不服だったはずの大和が双方を説得し、頭を下げる姿に、さすがの武流も戸惑った様子を見せている。
「さっき教室でワイが言うたことも謝る。せやからお願いや、頼む」
 武流は動揺したかのように、大和から視線をはずすと「わかった」と答えた。
「おおきにな」
 卓球部存続の危機は回避された。
 ホッとした大和を見やって、津凪は「やれやれ、やっかいなこった」と投げやりな口調で言い、弟を振り返った。
「津並、パス」
「はい、兄さん」
 津並が大きな紙袋を持って走り寄る。それを受け取った津凪は無造作に「ほらよ」と、大和たちの前に紙袋を投げてよこした。袋の中には卓球のラケットとボールが幾つか入っていた。
「えっ、何?」
「これってどうしたの?」
 中身を確認した照が不思議そうに問うと、
「オレらの親戚の店でスポーツ用品扱っててさ。中古でよければタダで譲ってくれるって聞いたら、文殊が貰ってこいって」
 文殊の命令を受けた兄弟はその店に赴き、ここまで運んできたようだ。
(それって、備品がない卓球部のためにってこと?)
 彼らの配慮に感激した大和はすぐさま津凪のところに駆け寄り、その両手をギュッと握りしめた。
「サンキュー! あんたって本当はええヤツやったんやな。誤解しとったこと、堪忍な」
「な、何だよ、そりゃ」
 突然の大和の行動に、津凪はびっくりしたらしく、手を引っ込めた。
「あ、わりィ。つい興奮して」
 大和が照れ笑いをしていると、津凪はなぜか顔を赤くして、プイと向こうを向いてしまった。
「おいおい、大和。ラケットを貰おうと思いついたのはオレだぜ」
 自分が命令しなければ、高須兄弟は動かなかった、と言いたいのだろう。文殊が不満そうに口を尖らすと、
「そうやな。ありがとう」
 大和は文殊の元にも歩み寄って握手を求めたが、彼が抱きしめようとするので、その手をピシャリと叩いた。
「そーゆーのはナシ!」
「ちぇっ。減るもんじゃないだろ」
 とりあえずは一件落着したようだ。
 ようやく安堵したらしい照は大張り切りで、自前のラケットを振りかざした。
「よーし、ラケットも人数分揃ったことだし、さっそく握り方からやってみようか」

                                ……②に続く